廃村で出会った少年

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廃村で出会った少年

「んー、今日はあっちの方に行くか」  この森に住んで二年、まだおぼつかないながらもヨウスケはこの暮らしに馴染んでいた。小動物の楽園とされるこの森の中で、自分が生きるだけの命を頂き、そして森の恵みを集めて生活をしている。  ヨウスケが足を向ける先は森の端だ。かつては人が住んでいた村の跡地もある場所は、小さな獣が住居にしている。そこに張った罠に、かかったであろう獲物を捕りに行くのだ。  そして血抜きをしている間に朝食兼昼食を食べよう、ヨウスケはそう段取りを立てる。自由な一人暮らしだというのに、自分で自分を管理する。大雑把そうに見えて人より少し神経質なのだ。  まだ家の形をしっかりと残したままの、廃村の中へと足を踏み入れる。  もうここに戻る人はいない事をしっているので、ヨウスケはたまにここから物資を拝借していた。調理器具やよく乾いた薪、布なども伝手を辿れば新品を手配して貰えるかもしれないが、できるだけ頼りたくはない。  時折住み着いた動物が、ヨウスケの気配を察してチョロチョロと逃げていく。 「ええっと……?」  いつもと同じ村の中、人間は自分一人しかいないはずなのに、ヨウスケはそれに言いようもない違和感を感じた。表現しにくい、何か別の空気だ。  かつての仲間と共に戦った、あの時のような肌がひりつく危機感は感じない。  自分を害する敵ではないだろう事にやや安堵し、ヨウスケはゆっくりと足を踏み出す。  かつて広場だっただろう開けたそこに、その違和感はあった。 「は……? 子供?」  もう誰も腰掛けないと思っていたベンチに、少年が座っていた。  年の頃は十五、六だろうか。スンと澄ましたような、達観したような表情をしている。ボサボサとした銀色の髪の毛と同じ色の瞳は、髪の毛に阻まれながらもまるで宝石のように輝いていた。  寝間着のような薄い服を着て、足元はこの寒空で裸足だ。  ヨウスケは一昨日来たときにはいなかった、この少年の登場に酷く慌てて駆け寄った。  この土地は人々から捨てられた村であり、一番近い町でも馬車で二日はかかるような所だ。まだ保護者が必要そうな子供が一人、いていい場所じゃない。  しかも少年が異質だったのは、それだけではなかった。 「なん……、え? しかも、耳? けも耳ってやつ?」  傍に近寄り、座る少年の視線に合わせて屈む。少年は何も言わず、驚きもせず、ただじっとヨウスケの黒い瞳を見つめ返した。銀の宝石が艶やかに煌めいている。  櫛が通りにくいだろう絡まった銀髪からは、三角の耳がピンと立っていた。日本と違い、そんなコスチュームは売ってない、はずだ。装飾品にしては汚れているし、仮に本物なら大問題だ。 「獣人なんて……いないはずだし」  この世界には、ファンタジーの世界でよく聞く架空の生き物は存在しない。エルフやドワーフなんて概念すらなく、魔法も一部の研究職として存在しているだけで、人々にとって身近ではないのだ。  召喚してたたき込まれたこのヴィアンシュ国の常識では、知的生命体は人間しかいない。そう聞いていたのだが。 「……お前、俺の言ってる事、聞こえてる? おーい! 聞こえてますかあああ!」  視線を逸らすことなくヨウスケを見つめる、この銀色の瞳からは何の感情も感じない。あまりにも落ち着きすぎていて、その服装も相まってヨウスケは警戒を少し強めた。  見たとおりの年齢じゃないかもしれない、幻覚や、何か魔法が発動している可能性もある。  だけどそんな疑いの心も、少年の口から零れた言葉ひとつで全てがどうでもよくなった。 「……『静かに』して」  変声期を終えたばかりの、少し低めの若い声が、平坦な口調でそう告げる。  ヨウスケの身体は、ブルリと大きく震えた。声を上げていた唇はきゅっと閉じ、少年の言葉通りに静かにしてしまう。  そう、ヨウスケの身体は勝手にこの少年に従ってしまったのだ。  だけど少年は、自分のその希有さに気付いた様子も無い。ただじっと、歓喜に震えるヨウスケを静かに見つめるだけだった。観察。その単語が良く似合う少年だ。 「……っ、う、そ……? お前、Domか……っ」  彼の命令に逆らわないように、ヨウスケは小さな声でそう零す。  この世界にDomは存在しない。何度か紹介されて会った人間は、ただの加虐趣味の人間ばかりだった。違うのだ、ヨウスケも決して被虐趣味では無い。そしてDomとSubは趣味嗜好ではない。好き嫌いという概念から外れた一つの性別であり、食事や睡眠と同じくらい大切な本能なのだ。 「Dom……」  ヨウスケは、フラフラと少年の元に座り込む。命令はされていない。ただ腰が抜けたのだ。一生一人だと思っていた、そんな自分の元にDomが現われたのだから。  Domだから、Subだからといって恋愛になるとは思っていない。  だけどお互い解消しなければならない欲求を抱えていて、それを解消できる唯一と出会えたのだ。ヨウスケは胸のつかえが下りる気持ちだった。 「教えて……名前」 「エダール」  エダール、エダール、エダール。ヨウスケは少年の名前を口の中で反芻する。良い名だと思った。どうしてここにいるのかは聞くまい。例え自分への刺客であっても、最期にDomと出会えたのだからそれも良いだろう。  それくらい、ヨウスケのSubとしての性は飢えに乾き、求めていた。 「エダール。なあエダール。俺はヨウスケだ。なあ、お前の命令通りに静かにしただろ? ちゃんと……褒めてくれよ?」  プレイは、命令されて褒める所までがワンセットだ。従い、褒められ、そしてお互いが必要だと実感できる――これはヨウスケが知識として知っているDomとSubの在り方であり、ヨウスケ自身はまだ知らない未知の領域でもある。  期待で胸がざわめき、心が浮かれて跳ね上がりそうになる。  小さな唇は、ほんの僅かに開かれる。 「ヨウスケ、『えらい』な?」 「っ、あ、あ」  身体にピリピリとした電流が走る。体中が多幸感に包まれ、このために生きてきたと思わせられる位に、ヨウスケは満たされた。世界が薔薇色に変わる――それくらい、魔法で抑えていたのが馬鹿らしくなるくらい嬉しくて、幸せで。  少年の指先が、ヨウスケの頬に触れた。銀色の瞳が、痛ましげに細められる。 「ヨウスケ、泣くな」  言われて、何を言っているのかと思った。  だがヨウスケは自身の目元を擦ると、確かにぬるい液体が零れていた。 「え……俺、え、嘘、なんで――」  涙は感情の代わりだ。この涙は一体、ヨウスケのどんな感情を代弁しているのか、本人にもまだ分かっていない。  少年の手のひらが、ヨウスケの頭を柔らかく撫でた。なんだかそれが無性に涙腺を刺激して、ヨウスケはこの世界に来て以来、初めて泣いたのだった。
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