66話 溢れる想い

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 アンは震える手で羽ペンを取った。  婚姻証書に署名をすればアンはアーサーの妻となる。永遠に王族の地位から逃れることはできない。    迷い、惑い、悩み、そしてついに空いた署名欄に自らの名を刻んだ。  ――アン・ドレスフィード 「……結構です。新郎新婦両名の署名を持ちまして、本婚姻はティルミナ王国の法に正式に認められました。では儀式の最後に、誓いの口付けを」  口付け、とアンはつぶやいた。    動けないアーサーが相手なのだから、誓いの口付けはアンからする以外に方法がない。そうだとしても心神喪失状態の相手に、一方的に口付けをすることは気が引けた。もう法律上は夫婦なのだとしてもだ。  ウェディングベールが揺れた。  視界が一気に開けた。  動けないアーサーの代わりに、グレンがアンのベールを上げたのだ。  遮る者のなくなった視界の真ん中にグレンの顔があった。こんなに近くで顔を見たのはもう数か月振りのこと。朽ち果てた教会で己の罪を告白した、あの日以来のこと。  ――何だかあたし、グレンと結婚するみたいだね  そう思えばふいに胸が熱くなった。  胸の内側からせり上がる想いは、大きな涙の粒となって瞳から溢れ、純白のウェディングドレスにいくつもの染みを作る。  泣いてはいけない、悔やんではいけない。心の中で必死に言い聞かせるけれど、一度頭に湧いた思いが消えることはない。  ――あたし、グレンのことが好き  グレンとキスしたかった。  グレンと結婚したかった。  グレンとずっと一緒にいたかった。  けれどもいくらグレンを想ったところで、もう手遅れ。
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