婚約者がいなくなってから

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婚約者がいなくなってから

 ハナ。  可愛いハナ。  お前を一人で置いていくのが辛いよ。  幸せにする筈だったのに。  僕の次の男も、ちゃんとお前の側にいてくれる奴を選ぶんだぞ?  お前を守ってくれる男を。  そうじゃないとお前はきっと幸せになれない。  約束だ、どうか、簡単に男に唇を許さないでくれ。  お前の唇は甘過ぎる。  甘過ぎて、男を夢中にさせすぎるから。  ハナ、大好きだよ。  お前の幸せを願ってる。 「......あ、お義母さん。もしもし、ハナです」 「――ハナちゃん⁉︎ シンが……!」  今日も私は、彼の香りで目を覚ました。 「おはよう、シンさん」  ダブルベッドの中は暖かくて、まだ出たくない。ベッドの中の私の定位置は決まっている。 『いっつもそっちじゃなくていいんだよ。おいで、こっちでも寝ていいから』 と彼は言ってくれるけど、これはクセだから直らないんだ。  あなたの方を向く時は、右側を下にする。白くて大きなアルパカのぬいぐるみを今日もぎゅっと抱きしめた。  さあ、起きなくちゃ。  朝ごはんは今日は簡単にしよう。 『ちゃんと食べなきゃ元気になれないぞ⁈』  うん、知ってる。  でも今日は一限からだから、野菜ジュースだけ。ひゃー! 怒らないで!  黒い枠の中に収まっているシンさんの顔が、わたしを諌めているように見える。貸してね、ブルーグレーのスウェット。お気に入りなんだ。 「シンさん、行ってきます!」  私は玄関のドアに鍵をかけた。  あの日から、私の毎日はすっかり曇り空か雨ばかりで、今日みたいな晴天の日すら、うっすらモヤがかかっている。  彼と聴いた曲を一日中聴いて、たくさんの事を思い出す。周りの雑音を遮断したいのもあって、私はヘッドホンが手放せなくなった。
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