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アキトシにはテルヤに会いに行くことを話していない。
これは私とテルヤの問題だし、ましてや自分を好いてくれている人に、元彼とはいえ他の男性の所に会いに行くなんてことを言うのは気が引けた。そのぐらいはアキトシのことを私も考えているつもり。
「アキトシって香水とかつけないんだね」
「飲食業だからね。お客さんにお酒の繊細な香りを楽しんでもらいたいし」
「だけどいい匂いがするよ?」
「洗剤の匂いだよ」
「うん、お日様の匂い」
アキトシは太陽によく干した洗濯物の匂いがする。 もうアキトシは恋の相談をする相手ではなくなった。彼の匂いを知るくらいには私たちは近くにいるから。
職場の人たちにゆっくり休んでおいでね!と言われ、私は四日間のリフレッシュ休暇をとった。そのうち二日間を韓国への旅行に使う。多分テルヤに会うだけで終わるんだろうけど。
アキトシが空港まで送ってくれた。
「ありがとう。行ってきます」
「ハナ、行ってらっしゃい。気を付けてね」
そう言った後にアキトシは体をかがめて私の耳元に口を寄せた。
「……テルヤさんに会ったならよろしく。帰ってきたら、そろそろ僕とつきあってくれないかな。お土産はその返事でいいから」
私は言葉が出なかった。
ハナは何で知ってるの?という顔をしている。カマをかけてみただけだったのに。会うわけないじゃない、と笑い飛ばしてほしかった。
でもその顔は、ハナが彼に会いに行くという僕の予想が正解だったということだ。
「お土産、楽しみにしてるよ」
僕はハナの肩を両手でポンポンとして、笑顔を作った。
「お土産、ちゃんと持ってこれるようにするね」
「うん、待ってるよ。行ってらっしゃい」
その返事が今の彼女の精一杯の誠実さなんだろう。僕はゲートに入ってしまうまで彼女の姿を目で追った。
もう待つことには慣れている。
ハナがもし泣きながら帰ってきたら、僕が受け止めればいい話だし、もしもハナが彼を選んだとしても…これからも彼女の側にいるのは多分僕だ。
だって彼はアイドルで、女性とのスキャンダルはご法度だから。どう転んでも、ハナは僕の側にいる。
僕は器の大きい男じゃない。その確信がなければ送り出せるはずもなかった。
”これから飛行機に乗るよ”
スマホの電源を落とす前にテルヤに連絡をした。
テルヤに三年ぶりにゆっくり会える嬉しさよりも、私がテルヤと会うとわかっていてアキトシが何も言わず送り出してくれたことが気になって仕方なかった。
誰かに聞いたとかじゃなくて、私の様子で気づいたとしか考えられない。
なのに、今まで何も言わずに。
私は自分が思うよりも随分とアキトシに甘えている。思えば、シンさんが亡くなった時からバーで話をたくさん聞いてくれて、今回東京に戻ってきた時も支えてくれたのは彼だった。彼だけだった。
こんなどっちつかずの私のそばにずっといてくれる人。私はアキトシに何も返せていない。戻ったら、アキトシに気持ちをはっきり言わないと。
それが私にできる彼への最低限の礼儀だ。
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