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「アキトシ、ちょっといいか」
珍しく閉店後にマスターから話しかけられた。
「はい、なんでしょうか」
「バーテンダーの新人入ってくるからよろしくな」
「こんな時期にですか?」
「ほら、新店舗の話があるだろう、そのスタッフ増員の分だ。他職種から転職してきた変わり種だからよろしく頼むな」
「いつからですか?」
「明日からだ。しばらくは研修体制だから、フル出勤頼むな!」
残念だな。休み取ろうと思ってたのに。
「……あと、新店舗、お前が店長だから」
「は⁈ 新しい店の店長って今のチーフじゃなかったんですか?」
「それが、どうしてもチーフの個人的な事情があって……あいつ持病があってな」
「それでも……急すぎますよマスター」
「でも、お前もここで働いて七年経ったろう? そろそろルーティンにも飽きてくるころだ。出世は悪い話じゃないだろ? まあ、頑張ってみてくれ」
ポン、と肩に手を置かれた。僕は呆然としながらマスターの背中を見送った。
どんな奴なんだ。新しいバーテンダー見習いって。
開店前の準備をしながらどうも気分が落ち着かない。今のチーフも、俺を迎える時にこんな思いをしたのか。胃が痛い。
チャラい奴を採用するとは思えないが、もし香水なんてつけてきたら厳しいな。そう思っていたら、マスターが新人を連れてきたようだ。
えらく小柄な男だな。まだ店の明かりを全て点けていないので暗くて見えない。
「アキトシ! 今日からバーテンダー見習いをするフクナガチヒロ君だ」
え?!
「初めまして! フクナガチヒロです。よろしくお願いします」
ショートカットでわからなかった。女の子だと……⁈
「看護師をしてたらしいんだが、どうしてもやってみたかったバーテンダーを諦めきれなかったらしい。チヒロ、スズキチーフに何でも聞いてしっかりと教えてもらいなさい」
「え? マスター、チーフって?」
「今日からお前チーフだから」
「先輩は?」
「昨日入院したらしい」
「スズキチーフ、よろしくお願いします!」
先輩、僕には体調の事何も言わないで……! どうも調子が狂う。
チヒロは一つ下で、看護科の高校を卒業してずっと病院で看護師をしていたという。
「何でまたこんな仕事に転職しようと思ったの?」
「私本当はずっとバーテンダーに憧れてたんです。でも、親がそんなの許す訳ないし…。だからもう一つのやりたかった看護師を選びました。ちゃんと五年働いたし、二十代のうちに挑戦してみたくて」
「なるほどな」
厳しい医療の現場にいただけあって、指示は聞き逃さないし、衛生面は最初から理解しているし、酒の種類の覚えも早い。本人は薬を覚える要領で覚えてるとか言ってたな。
やるべきことの飲み込みが早くて僕の方が驚いた。何でこんな人材が夜の店に……。
いや、新店舗のスタッフならこのぐらい出来てもらわないと困る。マスター、いい人材をありがとうございます。足向けて寝れないな。
チヒロは次の日には客からスムーズにオーダーを取ってくるようになった。そういえば、ハナはどうしているだろうか。
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