制服を着た犯罪者

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    この日収監されたのは、不法侵入で逮捕された二十三歳の男だった。百八十を軽く超える長身で、貸し出しのスウェット上下はやや小さく、筋肉質な身体が窮屈そうだった。「これじゃ小せえよ」そう文句を言われたが、留置場(ここ)にはそれしかない。不便を強いられるのは、お前が犯罪を犯したからだ。住吉春樹(すみよしはるき)は「それで我慢しろ」と冷たく言い放った。  雑居房の定員は六名で、基本的に、どの房も定員割れすることはない。定員よりも、犯罪者の方が圧倒的に多いからだ。そのため微罪は、収容状況によって逮捕を決める。  住吉春樹は六年目の警察官で、年明けから留置管理課の所属となった。希望していたのは刑事課で、そのための努力は惜しまなかった。刑事課に顔を売り、大野というベテラン刑事とも親しくなった。「俺が引っ張り上げてやる」そう言ってもらえた。次は刑事課だと思った。それなのにこの人事だ。 「担当さん、お茶を……」  犯罪者がコップを手に、そろそろと鉄柵に寄って来た。今は朝食中で、檻の中の六人は薄い弁当を食っている。柵には小窓があり、外側に台が出ている。万引きで捕まった老人は、台の上にコップを置いた。春樹はやかんの茶を注ぐ。  なんで俺がこんなこと。これじゃあまるで介護士じゃないか。 「ありがとうございます」  老人がしおらしく頭を下げ、定位置に戻る。弁当をくちゃくちゃと食べ始める。  食事が終わると、檻を開け、すぐ側に設置された洗面台で歯を磨かせる。  この仕事には不満しかない。念入りに歯を磨く姿にすら、殺意が芽生えるほどである。  どうせ家じゃ磨かないくせに。  曲がった腰を見ていると、蹴りたくなってくる。どうして犯罪者のために、この俺が食事を運んだり、チリ紙を支給してやらなければならないのか。どうして留置場(ここ)は、こんなに暗いのか。 「本を借りたいものは」  歯磨きの後は本の貸し出しだ。犯罪者は一日一冊、カラーボックスに詰められた中から本を選ぶ。それが唯一の娯楽だが、借りる者は少数だ。  問いかけに手を挙げたのは一人だった。昨日収監された186番だ。この房の最年少で、老人らは若者が可愛いのか、「読書なんて偉いのう」と褒めている。  186番を房の裏側、カラーボックスへ連れて行く。186番はタイトルを吟味し、老人と海を手に取った。お前にヘミングウェイなんぞわかるものか。春樹は心の中で冷やかした。 「スミちゃん、ちょっと来い」  取り調べのため、男を刑事課に引き渡すと、大野に呼ばれた。固太りの中年刑事で、常に唇が卑屈に歪んでいる。二人で外の喫煙所へ行く。 「どうだ、年寄りの世話は」 「気が滅入ります」 「ひひっ、まあ一年の辛抱だ。一年我慢したら、今度こそ刑事課に引っ張ってやる」 「俺は六年目ですよ」 「まだ六年だ。まずは留置管理課(そこ)で被疑者に慣れろ」 「地域で慣れましたよ」 「お前、初配属はどこだ」 「浜松です」  堂々と言った。浜松は特に犯罪の多い地域だ。他の同期よりも経験を積んだという自負がある。 「そうか、そりゃあ頼もしいな」  この仕事のおかげで、春樹はすっかりヘビースモーカーになった。吸い殻を灰皿スタンドで押し潰し、二本目に火をつける。箱はからになった。 「同期の中には、機動隊を出てすぐ刑事になった奴もいます」 「大卒だろう、そりゃ」  その通りなので返す言葉がない。春人は高卒で警察官になった。何もかも大卒から遅れをとっている。 「そう焦るな。来年つったって、まだ二十五だろう。それだって俺は心配してんだ。若すぎて潰れるんじゃねえかってな。で、お前、コレはいんのか」  大野が小指を突き立てた。 「いません」 「男前が何やってんだ。お前、さてはこっちか?」  大野が手の甲を頬に当てた。 「いえ、そういう趣味はありません」 「ふうん、まあいい。世の中変なのばっかりだからな。彼女が欲しけりゃ俺に言え」  春樹は無言で頭を下げた。 「で、さっき取り調べに連れてきた186番、お前から見てどう思う」  大野が肩を組んできた。接近した口から、酒の臭いがした。 「どう、と言いますと」 「馬鹿、第一印象だよ。何を感じた」 「……物怖じしない性格。支給された服が小さいと文句を言ってきました。ただ聞き分けはいい方かと。186番が、どうかされたんですか?」 「いや、それはこっちの話だ。とりあえずお前、あいつと親しくなれ。どんな些細な情報でもいい。行きつけの店とか親しい人間とか、なんでもいいから引き出せ。あの野郎、刑事嫌いでな、なんも喋らねえんだ」  ああ、そうか。俺は大野に利用されたのだ。春樹は暗い気持ちになった。  情報収集の駒として、留置管理課に置かれたのだ。それならそうと言えばいいのに、「こっちの話」と一線引かれているのが気になる。この男を信用して良いものだろうか。 「わかりました」  とりあえず従う意思を見せておく。人間関係が原因で辞めた警察官を何人も見てきた。 「おい、切らしただろう」  春樹が吸い殻を潰すのを見計らい、大野がタバコの箱を差し出した。一本だけ飛び出している。 「ありがとうございます。いただきます」 「スミちゃんは俺が育ててやる。立派な刑事にな」  肩を抱かれ、沈んだ気持ちが浮上した。疑いの気持ちを振り払う。自分を一番可愛がってくれるのは、この人なのだ。  大野がくれたタバコはうまかった。指先の脈までニコチンが行き渡るのを感じた。  留置場へ戻ると、186番は静かに本を読んでいた。罪状はつまらない不法侵入だ。刑事課はなぜこの男に関心を持っているのだろうか。  見ていたら腹が立ってきた。春樹はもうずっと、まともに本を読んでいない。学生時代は読書家だった。でも就職し、睡眠時間すらまともに取れない中で、読書などする気になれなかった。仕事に慣れた頃、久しぶりに本を開くと、全く頭に入ってこなかった。「目が滑る」とはこのことかと、愕然とした。  186番がページをめくる。  犯罪者のくせに、いい身分だ。どうせ暇だから、それしか娯楽がないから仕方なく読んでいるだけだろう。どうしてお前のような犯罪者が、俺が失くした楽しみをのうのうと得ているのか。  他の収容者はくつろいで、談笑している。反省している犯罪者など、一度も見たことがない。
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