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【幕間 アロンソア】
これは、アロンの物語である。
両親は共働きで、二個下の妹——マコの世話は、いつもアロンがしていた。一緒に学校へ行ったり、お弁当を作ったり、公園で遊んだり。どこへ行くにもなにをするにも、マコと一緒だった。幼馴染のポピーにも、まるで血のつながった兄弟みたいに慕っていた。
「マコ、学校の友達と遊ばなくていいのかい?」
「いいよーだ。マコはお兄ちゃんたちがいればいいもん」
「実は学校に友達いなかったりして」
「あーひどーい!! ポピーのくせに生意気」
「俺のくせにってなんだよ!」
幸せの日々だった。ずっとこのまま、三人で一緒にいたかった。
ある日、当時十歳のアロンとマコはいつものように、公園でポピーを待っていた。そのとき、街のスピーカーから警告音が鳴り響いた。不安感を煽る不協和音が体を縮こませ、なにが起きたかわからず、ふたりは抱き合いながら様子をうかがっていた。
「花粉が……!! 花粉がくるぞぉぉぉぉぉ!!」
通りを全速力で走っていた男性が、喉をすり減らしてそう叫んだ。それを理解したとき、ようやく街の景色が目に入った。大きな通りから奥を見ると、車が横転し、人々が散るように逃げ惑い、プランターが人を襲っていた。そこは、花粉で景色が霞むほど、濃度が高かった。
アロンは妹の手を取って走った。こういう日に限って、ガスマスクを持ってきていない。道標を見失った蟻のように、街中の人が混乱していた。その間をかいくぐって、必死に走り続けた。
家に辿り着き、急いで鍵を閉める。あと、棚からガスマスクを取り出して、お互いにしっかり装着されているか確認する。窓は全部閉まっている。学校の避難訓練を思い出しながら、なるべく窓には寄らず、リビングの中央に身を固めた。そのとき、階段を降りてくる音がした。
「お母さん! 無事だった……え」
それは、母親だったものだった。花粉を吸い込み、プランターに成り果ててしまったのだ。その後ろに続くのは、父親だったものだった。ふらふらと、半分落ちながら、一階にたどり着いた。むくむくと体を起き上がらせて、首をガクンと折る。標的は俺たちだった。
玄関の鍵を開けるのにもたつき、仕方なしに家の中を走り回った。どうしようかと、部屋を見渡し、窓から逃げることを決心した。椅子を持って投げつけると、人が通れるほどの穴ができた。
「よし! 行くぞマコ」
「お兄ちゃん……」
「お母さんたちは置いていけ! 早く!!」
しかしマコは動こうとしなかった。彼女は右腕を押さえて、涙を流していた。その右腕には咬み傷のようなものがあり、たらたらと血が流れていた。
「なんで……」
「さっき、玄関でお母さんに……」
マコは、まだ正気だった。
アロンはそれでも逃げようと手を取るが、振り払われてしまった。アロンはすでに気づいていた。こうなってしまったら、プランターになるのは時間の問題だと。
マコは、まだ正気だった。
ふたりのプランターはテーブルに足を取られ転倒していた。もみくちゃになり、プランター同士でも咬み付いていた。どうすればいいんだ。学校では、こんな状況の対処方法なんて教えられなかった。考えろ。考えろ
「お兄ちゃん、私が囮になるよ」
「なに言ってんだ! お前も一緒に逃げるんだよ!」
「窓は全部閉め切っている。キッチンのガスホースを引っこ抜いて、点火する」
マコは、正気じゃなかった。
そんなことすれば、充満したガスに引火して、妹どころか、この家ごと吹っ飛んでしまう。即死は確実だった。アロンは必死に声をかけた。引っ張って無理やり連れて行こうとした。しかし、マコは抵抗した。
息を整えるように、はっと息を吐いた。アロンを見つめる目から絶え間なく涙が流れていた。満面の笑みを浮かべて、最期の言葉を渡す。
「お兄ちゃん……マコのぶんまで、しっかり生きてね」
「やめろマコ!! マコォォォォ!!!」
マコは囮になり、キッチンへ駆け込んだ。両親は脇目も降らずマコを追いかけ、隅へ追いやった。ガスのホースが抜かれたらしく、アロンのいるところまで、ガスの臭いがした。その直後、マコの叫び声が聞こえてきた。プランターが、マコを食らっているのだ。痛々しく、その小柄な体型から想像のつかない絶叫が響いてきた。
「おかあ、さん……おとうさん……一緒にいこ……」
カチッと、ガスコンロのつまみが回された。その瞬間、充満した炎が一気に燃え上がり、大爆発が起きた。アロンは爆風で吹き飛ばされ、道路に転がり込んだ。意識が飛びそうななか、アロンが見たのは、原型を留めてない我が家だった。
「マコ……」
次に目が覚めたとき、病院のベッドの上だった。
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