お母さんの白い服

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「ママ、エリカもお母さんみたいな服が着たい」 「ふふ、大きくなったらね」  エリカは、母親のチカのことが大好きだ。小さいエリカを大事に守ってくれる母は、いつも小麦のようないい匂いがする。小柄だが白いふわふわの服が似合っていて美人で、いつしかエリカも憧れるようになった。  だが、エリカは母の着ているようなふわふわ素材がチクチクして苦手だった。母もそれを知っていて、無理して着させようとはしなかった。 「エリカは今のままで十分可愛いわよ」  母はエリカの頬をそっと撫でた。  着用している黄色い服は子供っぽくて嫌だったけど、母に言われれば、そんなことはどうでもいいと思えた。 「エリカ、お母さん大好き!」 「お母さんもよ。エリカのことが大好きよ」  母はエリカを腕の中にぎゅっと包み込んだ。   ある日の明け方のこと。  「お母さん、どこ? お母さん?」  母とずっと一緒にいれると思っていたエリカは、母の姿がないことに気づいて飛び起きた。  毎朝どの家よりも早くエリカを起こしてくれる母の声がしない。家を探して見たものの、母の匂いも話し声も何の気配もない。 「ねぇ、お母さんは?」 「知らない」 「オレが起きたときにはもういなかったよ」  兄たちも知らないという。エリカの心に暗雲が立ち込める。  母親は常々言っていたのだ。 「貧しくてごめんね。末っ子のエリカが大きくなったら、お母さん、出稼ぎに行くから。それまで我慢してね」  エリカは自分の体を見下ろした。  気づけば、兄たちと同じくらい背が伸びて、すっかり社会の一員となっていた。黄色い服は卒業し、肌も強くなって、母親とおそろいの服も着れるようになっていた。エリカが大きくなったら、母親は働きに行く約束だ。  母親とのお別れのときは、もうとっくに迫っていたのだ。 「エリカ、お母さんを探しに行ってくる!」 「おい、エリカ!」 「待ちなよ!」 「お前まで働きに行く気か!?」  兄たちは口々にエリカを引き止めた。エリカは末っ子で、母だけでなく兄たちにも可愛がられていた。 「お前までいなくなるなよ……」 「……っ!」  長男が、すがるような瞳でエリカを見下ろした。  エリカの家族は父はいない。母親が四人の子供を女手一つで育ててきて、家族の絆は並大抵のものではない。  エリカは揺れた。  でも──、母親を探さない訳にはいかなかった。 「ごめんね、お兄ちゃんたち。エリカはもう行かないくちゃ!」  エリカは家を抜け出した。  外に出れば、夜も開け切らない闇の中に、まだかすかに母親の匂いが残っていた。母は行き先も告げずに出ていってしまったが、これならば一人でも追いかけることができそうだと、エリカは覚悟を固めた。猛ダッシュしようと腕を振った。 「おい、こんなところにいたのか」  |(え? ) 「足りないと思ったら。勝手に逃げ出しちゃだめじゃねぇか」  駆け出そうとしたエリカの両脇をサッと抱え、顔を覗き込んだ。  そこにいたのは、この辺一帯を治める初老の男、ヒトミであった。ヒトミはエリカより何倍も背の高い大柄の男である。  |(やめて! はなして! お母さんに会いに行くの! ) 「ガハハハ。元気が良くていいことだ」  男にはエリカの声がまるで聞こえていないようだった。 「離せってば、この!」 「おおっと」  エリカは叩いて噛みついてみたが、男はびくともしなかった。少し目を丸くしたくらいで、再び抱え直して目を合わせる。 「オレに勝とうだなんて可愛いじゃねぇか」  ニヤッと気味悪く目を細めた。 「特別に、サービスしてやるよ」 「──!」  男はエリカを高く持ち上げた。足が宙に浮いて、ぶらぶらと定まらない。 「なにするの、嫌だ、やだ、やめてー!」  男は彼女を軽々と持ち上げると、高い柵で囲まれた檻の中に放り込んだ。 「絶望だ。もう何もかもおしまいだ……」  柵の中は、真っ暗で何も見えなかった。エリカが呟く声だけがわずかに反響した。 「……エリカ?」 「……え?」  そのときだった。  馴染みのある、優しい声がした。 「お母さん? お母さんなの!?」  真っ暗闇の中で、大好きな母の声がした。周辺の匂いを嗅げば、かすかに母の匂いもした。 「エリカ、久しぶりね」  目を凝らして見れば、母はエリカの大好きな真っ白な服を着ていた。 「お母さん、お母さん!」  エリカはたまらずに母の胸の中に飛び込んだ。ふわふわで暖かい、大好きな母の胸。もう二度と離れないと、心に刻んだ。 「お母さん、ずっと一緒だよ」  しかし、幸せな時間は長くは続かなかった。  ザシュッ、と何かが切られる音がしたと同時にエリカは力なく倒れた。寄りかかっていた母がいなくなってしまったのである。 「おっ、おまえ上手になったなぁ」 「そうッスかね」 「今度はコイツやってみっか?」  エリカが声のする方を見れば、母の首がなくなり、エリカの大好きな白い服は赤い血で染まっていた。  だというのに大男のヒトミは平然とした顔をしている。 「あー、違う違う。わざわざ刃物なんか使わなくていいから」  エリカの頭上に、透明のビニール袋が降ってきた。 「ヒヨコは、こうやれば息止まるから。そんな手汚すことねぇよ」  袋の口をぎゅっと縛られたエリカは、真っ白な世界に溶け込んでいった。母と同じ、真っ白で幸せな世界へ。
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