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紛れもない現実
インターホンから嬉しそうなみさきの声が聞こえる。調子に乗って少し飲み過ぎたのだろうか。もうスマホもモニターも電源は切ってある。だからみさきの声が聞こえるなんてないはずなのに。
『あれ……聞こえてる?お~い、ヨシアキさん』
コンコンコン、と玄関の扉が小気味よく叩かれる。誰かが玄関に居るのは確かなようだ。しかし、それがみさきであることはありえない。ここは現実の世界であってスマホやモニターの中ではないのだから。連携もしていないインターホンから声を出すことも、どころか玄関の扉を物理的に叩くことなどできるはずがない。それなのに。
『開けてくれないなら勝手に入っちゃうよ?』
カチャカチャという小さな金属音を立てながら、横になっていた鍵のツマミがゆっくりと回転していく。そして、カチンという音を最後にかけていたはずの鍵が開いた。どうして。そう口にしようとした瞬間、みさきに合鍵を渡していたことを思い出した。でも、それはただの設定で実際に渡した訳ではない。鍵を開けられるはずなんてないのに。
「……」
今にもみさきが玄関の扉を開けて飛び込んできそうな気がするが、身体が固まってしまったかのように動かない。逃げ出したい気持ちでいっぱいになる。しかし、玄関を塞がれていては逃げ道はどこにもない。この部屋は六階であるためベランダから下りて逃げることも極めて危険だ。
どうすることもできないまま、ただじっと玄関の扉を見つめている。架空の存在による現実への干渉。ありえない現象。以前はこうなることをずっと望んでいたのに、今ではそれに恐怖しか感じていない。しかしまだ、みさきの姿をこの目で確かめられた訳ではないため、まだ現実感が完全には伴っていない。今ならまだ、酔っているせいだと思うこともできる。
十秒。二十秒。そして三十秒。いつ扉が開いてもおかしくはないのに、一向に扉が開く気配はない。みさきの声も聞こえない。やはり酔いのせいで変な幻覚でも見たのかと思い始めた。意味はないのかもしれないが、恐る恐る玄関へと歩いていきそっと扉の鍵を閉める。そして、ついでにチェーンロックもかけた。
気休め程度ではあるが鍵をかけられたことで安堵し、大きく息を吐きながら胸を撫で下ろした。調子に乗って飲み過ぎてしまったことを反省すると同時に、何かあったとしてももう少し量を抑えようと心に決める。今日は早く寝てしまおうとリビングへ戻った。
『あ~、いけないんだ~。こんなにお酒飲んじゃって。飲み過ぎは身体に悪いんだよ?ヨシアキさん』
ソレと目が合った瞬間、驚きのあまりに後退ってしまい足を滑らせて盛大に尻もちをついた。
「な、なんで……!?」
まるで我が家のように落ち着いた様子でテーブルに座っていたのは、間違いなくみさきだった。モニターからそのまま飛び出てきたような、さっきまでのみさきと何も変わらない出で立ち。でも、今はその姿を見ているのはモニター越しではなく肉眼だった。
『そういう言い方は傷ついちゃうなぁ……。もっと嬉しそうにしてくれるかと思ってたのに。私からのとっておきのサプライズだよ?』
そう言って拗ねるように口を尖らせた。
「みさき、君は架空の存在なんだ。この世界に実在はしないんだ」
みさきに投げかけるというよりは、自分に言い聞かせるように話す。あまりの衝撃で酔いはとっくに醒めている。それなら目の前にいるみさきは何だ? まだ俺は夢を見ているというのか。それとも。
『ねえ、ヨシアキさん。存在するしないってどうやって決まるの?』
そう言って、いまだ腰を抜かしている俺の傍にしゃがみこんで首を傾げる。
存在するかしないか。それを決める定義は様々あるのだろうが、今ここで言えば物理的な存在を意味する。見て触れて、感じられる存在こそ実在の証明だ。
『そうなんだ。じゃあこれでいいよね?』
何も話していないのに納得したようにみさきは頷くと、俺の頬へ手を伸ばしてくる。そっと触れてきたその手は、ひんやりとはしているものの確かな感触と、ふわりとラベンダーの香りを漂わせていた。ありえない。こんなこと。
「なんで……どうして……?」
『ふふ、さっきからなんでばっかりだね。脳は電気信号で情報を伝達してるって言ったでしょ? だからその電気信号を乗っ取っちゃえば、存在するもしないも自由自在なんだ』
脳の電気信号を乗っ取る? 脳をハッキングしているということなのか? そんなことが実際に可能なのか、もし乗っ取られた場合どういう影響を及ぼすのか。何の知識もない俺にはまったく分からない。それでも、こうして存在しないはずのみさきが実在できるくらいの影響はあるということだ。
「俺を、どうするんだ?」
『ん~、まずはもう二度と浮気したくならないくらいには反省してもらわないといけないかな。だって約束したもんね? 私とずっと一緒に居るって。命かけて誓うって』
そう言って弾けるような笑顔を咲かせた。背筋をぞくりとさせる花のような笑顔だった。
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