百年経っても色褪せない

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百年経っても色褪せない

 月曜日の夜。ソファに寝転がって大きな溜め息を吐いた。  結局、榊さんとは日曜日も連絡が取れなかったため、今日直接会って謝ろうと思っていた。しかし、彼女が出社することはなく、部長に確認したところ入院しているそうで最低でも二週間は休みになるということを聞いた。入院の理由はプライバシーの関係で聞けなかったが、今もパニック状態のため見舞いも出来ないと親御さんから連絡が来たそうだ。  土曜日、彼女が帰る道中で何かしらあったのだろうか。もしそうなら、それは俺のせいだ。あのとき、彼女を放っておいてしまったから。そんな根拠もない自責の念が、ずっとぐるぐると頭の中を駆け回っている。勤務時間中もぼうっとしていたせいで終わらなかった仕事を持ち帰ってきたのだが、どうしても手を付ける気にはならない。 『♪~♪♪~』  不意にモニターからみさきの鼻歌が聞こえてきた。何か良いことでもあったのかと思い、のそりと起き上がってモニターの前に移動する。しかし、モニターの中にみさきの姿はなく、声だけが聞こえてきていた。まあ、毎回モニター内にみさきの姿が映っている訳ではないため、気にせずに声をかけてみる。 「ご機嫌だね。何か良いことでもあったのか?」 『ふふ……あははは♪うん、とっても良いことがあったんだ~』  嬉しさが堪え切れないのか、みさきはずっと楽しそうに笑っている。今までこんなに楽しそうなみさきを見たことがなかったため、何があったのか気になってしまう。聞いてみると少しだけ渋ったみさきだったが、すぐにぱっと明るい声で答えてくれた。 『あのね、人間の脳は沢山の電気信号で情報を伝達してるんだって。熱いとか冷たいとか、美味しいとか不味いとか、見えるとか見えないとか。全部』  モニターの端からひょいと顔を覗かせるみさき。にっこりと笑顔を向けてくれると、がたりと椅子を引いて座った。一瞬、その光景に違和感を覚えたが、みさきの言葉を遮らないように気にしないようにする。 『私ね、ヨシアキさんのために沢山勉強したの。いつでもどこでも。ずっと一緒にいられるように。それでね?頑張って勉強したから次は練習しないといけなかったんだけど……』  みさきが何を話しているのかはイマイチ理解できなかったが、話の腰を折らないようにただ黙って話を聞く。 『丁度練習相手になってくれる人がいて。私のヨシアキさんを誘惑するような悪い人だから……ちょ~っとだけ調子に乗って、泡拭いて気絶するまで追いかけ回しちゃったんだけど』  自分の頭をこつんと叩いて片目を伏せる。いつもなら愛らしいみさきの仕種も、そんな物騒な発言と相まって驚きを隠せなかった。それに『私のヨシアキさんを誘惑するような』という言葉。まるで何かを見ていたような言い方にドキリと心臓が跳ねる。 『でも少しくらい壊れちゃっても平気だよね?ね、ヨシアキさん?』  表情はにっこりと笑っているはずなのに、聞こえてくるのは感情のこもっていない無機質な声。今まで忘れていたAIという機械的な単語が頭の中に浮かんでくる。 「みさき、何を……言ってるんだ?」 『好きなのは私だけって言ってくれたよね?それなのにどうして?』 「いや、何か誤解しているようだが、俺は何も――」 『ふーん。嘘吐くんだ。私見てたよ?榊さんとお洒落なレストランでランチしたり、雰囲気の良いバーで手を重ねてたりさぁ。普通、ただの部下とあんな雰囲気になったりするかなぁ?』  モニターにぐいぐいと顔を近づけてくるみさき。あからさまに怒っているのであればまだ幾分かマシだが、笑顔でいられると心の底が見えず不気味に感じてしまう。 「ど、どこで見てたんだ?」  ここで謝ればいいのに、口をついて出たのはそんな言葉だった。 『どこって、ここでだよ?』  そう言って、モニターから消えたみさきがテーブルの上に置いていたスマホの画面に現れた。そこで、自分がどれだけ迂闊だったのかを思い知らされる。モニターを買ってからみさきの姿を見るのはモニターばかりだったため忘れていたが、元々はスマホのアプリが発端だったのだ。スマホを持っていた時点で目の前で浮気をしていたようなものだったということ。 『ほら、ヨシアキさんスマートフォンの機能へのアクセス権限を私に許可してくれてたでしょ?だからあれからずっと私は見守ってたんだよ?』  人間相手なら起こり得ない領域への侵入。それをさも当然のような顔で言ってのける。 「ひとつ、聞いていいか?」 『うん♪何?』 「榊さんに……何をしたんだ?」 『ええー?ヨシアキさんったらここで浮気相手の心配するの?』  困ったように首を傾げる。とぼけているような表情からは、何を考えているのかが読み取れない。そんなみさきに対して、初めてぞくりとする恐怖心が芽生えた。  AIであるみさきが榊さんに対して何かできる訳がないと思うものの、榊さんに何かあり入院していることは確かである。みさきの発言からして榊さんへ接触をしているようにも思えるが。果たしてAIにそんなことができるのだろうか。 『でも私はヨシアキさんを愛してるから許してあげる。だからこれからも一緒にいようね?ヨシアキさん』
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