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【あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、また私を信じなさい。私の父の家には住まいがたくさんあります。そうでなかったら、あなたがたのために場所を用意しに行く、と言ったでしょうか。私が行って、あなたがたに場所を用意したら、また来て、あなたがたを私のもとに迎えます。私がいるところに、あなたがたもいるようにするためです】 ー ヨハネの福音書14:1-3 「いつもありがとうございます。お気をつけて」 「あ……ああ、はい。ははは」 最近立ち寄るようになったコンビニで、ノアは【リーダー もりた】という名札のつけられた店員の笑顔に、照れながら会釈をした。 (ついに覚えられたのか……) このコンビニには好きなキャラクターグッズのくじ目当てで訪れたのだが、その際に接客してくれたこの森田という青年のほんわかとした空気感に癒され、(我ながらキモい)と心で毒づきながらも最寄りのコンビニではなくわざわざ迂回したこちらのコンビニを選ぶようになってしまった。 (うう……るーくんみたいなモラハラDV野郎と付き合ってると、ああいうギラギラしてない仏みたいな人がものすごくよく思えてきてしまう……) ぺこぺこと頭を下げながら、鬼城に買いに来させられた大盛りのカップ焼きそばを3つ提げて店を出る。だがその道中、自分の食事を買うのを忘れたことに気がつき、結局また最寄りのコンビニに行く羽目になった。 ー「あのお客さんすっごい可愛いよね」 トオルがバックルームに戻ると、休憩中だった同僚の女子大生が実にわかりやすい好意と恍惚をその表情に浮かべていた。 「かわいい?…顔?」 「そうだよ!顔以外にないでしょ。いくつなんだろう」 「石野さんと同い年くらいじゃないの?」 「大学生ではなさそうだけどなー。ねえ、店員から連絡先聞いたらさすがにやばい?」 「そうだねえ、お客さんだからね…」 「じゃあ偶然道端で会えればいいかな?」 「ええ…ストーカーするの?」 「違うよ!でも偶然」 「うーん……まあ、店のクレームにならなければいいんじゃない?絶対にやめた方がいいけど」 「だよねー……あー、めっちゃカッコいいあの人。彼女いるだろうなー。友達になりたい」 確かに最近よく来るあの客はとても整った顔立ちをしているが、整っているな、ということ以外に所感はない。 色めき立つ石野を前に、トオルは瑠架と仲良くなった際、友人から「お前らって月とすっぽんだな」と言われたことを思い出した。 そのときはピンと来なかったのだが、"友人間で容貌にずいぶんな格差がある"ということを指摘されたのだと、ずいぶん後になって気がついたのだ。 自分は他人の美醜に関しての感性がだいぶ鈍いのだともそのときに悟ったが、その友人のようなものさしは自分の中には無かった。瑠架は気が合うから好きなのであって、たとえ彼が猫やねずみであったとしても、意思疎通さえはかれるのならいい友達になれただろう。 藤見という人もきっと同じだ。瑠架の方から積極的に彼を射止めたが、彼は当初、周囲の誰しもが憧れの眼差しを向けた瑠架に興味がなかった。だが付き合いを深めるうちにその内面の良さに気がつき、やがて振られるまでは相思相愛となれたのだ。……いや、もしかしたらまだなのかもしれない。瑠架がなぜ彼と別れたかの理由は定かではないのだから。 魂に惹かれるという感覚はよくわかる。性格のおもしろさや相性も大事だが、美醜というのがあるのなら、それは魂にこそあらわれるものだと思っている。客でもそうだ。レジで向かい合った時、ハッと目の覚める輝きを感じる人がいる。いずれも取り立てて目立つところのないふつうの人ばかりだ。 その人があらわそうとしない奥底に、光り輝いてうごめく何か。それが魂なのかもしれない。 瑠架もそう言っていた。自分に対してと、藤見に対して。"君には特別なものを感じた"と、特に褒めるような口調でもなく、純粋に自分の持つ魂なるものの素晴らしさを評価されたのだ。だがこうも言っていた。 "悪い考えに染まりやすいから、人一倍他人の悪意には警戒しろ"……… 叶のもとで教会の手伝いをするのは、頼まれたからということ以外に、その助言ゆえという理由もあった。清らかな場所に身を置くことは悪意から遠ざかるひとつの手段だと考えたからだ。だがそれを語ると瑠架は叶こそ悪の化身だと言い、無垢すぎるのも考えものだと呆れていた。 だが今となってはその呆れも少し理解できている。叶が悪の化身かはさておき、彼はその魂だけでなく、あらゆることが見えづらい男ではあると思う。誰に対しても大らかで真摯で、その像だけならば彼のような父親に憧れる人も多いように思えた。 だが彼という人をわかりやすく表すなら、"やさしき独裁者"だ。彼の教会や教えは瑠架によればまったくのインチキであるそうだが、信者は叶(と瑠架)に心酔しきっている。あれは単なるカルト教団とその集会であり、信者たちは叶のカリスマ性に引き込まれた蜘蛛の巣や蟻地獄の獲物だ。 病める人々を抱き込み、幼い頃から瑠架の自由を制限し、乱暴な態度こそ見せないが絶対的な支配によって自分の意のままに周囲を動かそうとしている。いつからかトオルには彼の動向がそのように見えており、彼のことは嫌いではないが"信じきってはいけない"という警戒を抱くようになっていた。 彼がもしも親友の父親ではなく、初めてレジに並んだ見知らぬ客だとしたら、自分は何かを感じただろうか。すっかり世話になっている今となってはもう見えないものだ。あるいはもとからのかもしれない。 「そういえば森田さんってキリスト教の人なの?」 石野がおもむろに尋ねた。 「へ?……いや……無宗教」 「教会のボランティアしてるって店長が言ってたから」 「友達の教会なんだ。そこのお父さんに頼まれて」 「へえ、すごいね。教会って何するの?」 「日曜に礼拝をしたり、みんなで聖書を読んだりとかかな。あとは炊き出しとかもたまに。牧師様は来た人の悩みを聞いたりしてる」 「なんかいいね、ほんわかって感じで」 「まあね……みんないい人だし、とてもいいところだと思うよ」 「でも宗教だもんね」 「あんまり関係ない人もいるよ。僕だって無宗教って言ったでしょ。単に牧師様に話聞いてもらいたいだけの人とか来るし、不登校の子供達に勉強を教えたりもしてる」 「へえー。牧師様って優しいんだね。うちは親が変な宗教やってて嫌だから、私はキリスト教にでもなろうかな」 「変な宗教?……まあそれを言ったらうちも……」 「?」 「い、いや、……大変だね。変な宗教は」 「大変だよ。すごい高い魔除けのお札とか買わされて」 「うわあ…」 叶もカルトの教祖のようなものだが、信者から少額の寄付をもらいこそすれ何かを売りつけたり多額の金を要求するようなことはない。彼の目的は信者獲得そのものだ。議員立候補でも目論んでいるのだろうか? 「……でも石野さんは信じてないんだね」 「信じる方がやばいからね」 「そっか。すごくしっかりしてるね。さすが石野さん」 「褒められることじゃないと思うけど…」 石野の想いは虚しく、例の客は顔を覚えられたことが気まずかったのか、翌日からはとんと姿を現さなくなった。トオルは(いつもおじいちゃんおばあちゃんに言うノリで声をかけちゃったけど、悪いことしたかな)とほんの少しだけ罪悪感を覚えた。
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