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Ⅰ
[母親]....女親。産んでくれた人。育ててくれた人。
[悪魔].... 神の敵対者。神に反逆して地獄におちた天使。人間を誘惑して罪悪を行なわせ、また、病気その他諸種の災厄の原因をなすものと信じられているもの。サタン。
[魔女].... ヨーロッパの俗信で、悪霊と交わって魔力を得た女性。超自然的能力により、人間に対して悪事を働き教会に対して害を与えると考えられた。
【男であれ、女であれ、口寄せや霊媒は必ず死刑に処せられる。彼らを石で打ち殺せ。彼らの行為は死罪に当たる】(日本聖書協会レビ記20 章:27節)
「おかえり。仕事はどうだった?」
父の叶は、夏でも黒いマオカラーのシャツに糊のきいたスラックスを履いている。カラスのように暑苦しい見た目だが、服はほとんどこれしか着ない。遠目にはいつでもカソックを纏っているかのようだ。
「なぜ毎日ドラマの台詞みたいなことを聞くんだ」
「いじめられていないか、あるいはお前がいじめっ子じゃないか、毎日心配だからさ」
「学生じゃないんだぞ。どちらもない」
瑠架は父と二人暮らしだ。
会社勤めをしているが、幼少期から息子への干渉度合いが変わらない。
“父さんは母親役もこなしてるから”という理由だそうだ。
ふたりの住まいは住宅街外れの、大きな畑を有した小さな教会である。瑠架の進学を機に越してきて、もう10年以上経つ。
この家は、大昔はこの畑で農業を営む家族が暮らしていたようだ。やがて人手に渡ることになったのだが、綺麗に改装して売りに出されてもすぐに住人が出て行ってしまう不吉な物件で、引っ越してから2年も保てばいい方だと言われていた。
だがそんな呪われた上物を取り壊し、現在の教会となってからは、ここは土地ごと、まるで聖地となったように清らかで明るく開かれた空間へと変貌したのだ。
それらは牧師である叶が悪霊を祓ったおかげだ、と近所の人たちは言っている。
ある意味では合っているが、認識としては間違っている。
まず牧師にそのような力があるわけがない。牧師に限らず、いわゆる霊媒の力を有する人間などこの世にひとりもいないのだ。
そしてもうひとつ。
叶は質素な教会を建て、十字架を携え、日曜礼拝も執り行い、近隣の信者たちの苦悩を聞いたりもしているが、牧師でもなんでもない。
なんとなくの雰囲気で牧師をやっているだけで、よく見れば宗派ごとのルールも混合させ、見よう見まねのいびつなキリスト教もどきを作り出していた。つまりはカルト的新興宗教のインチキ教祖である。
人々の信仰心を利用して生活しているが、誰からも異議が発されないのは、熱心に間違いを指摘する信徒がおらず、なおかつ彼が人心を操る術に長けているからであろう。
だが彼は彼なりにまじめにやっている。
人を騙して金を取ろうとか、陥れようとは考えていない。
過去に心から惚れた女が敬虔な信者であり、自ら望んでシスターをやっていた。その人とはもう会えないが、彼女から受けた教えや影響を忘れずにいる。だから偽物の牧師に転身し、神の教えを人々に説いているのだ。
何より、他人から不信感を買っても何のメリットもない。人の心をまっとうな理屈のもと取り込むことが、ここでの長生きの秘訣だ。
黒衣の長身で、年齢不詳だが顔立ちは陰がありつつも端正だ。瞳はほんの少しだけ色素が薄い。肌は焼けているのでなく、元から少し褐色に近かった。
スッとした立ち姿はこの町でもよく目立ち、息子の瑠架も、父とは似ていないが日ごとに端麗さを増している。二人は黙っていても人を惹きつける麗しさを秘めていた。
叶が思い出したように言う。
「倉庫のやつ、ちゃんと片付けてないだろ。外まで匂うぞ。いつもその日のうちに処分しろと言ってあるはずだ」
「くたびれてたんだ。今やる」
「まったく、こんな暑い時期に。次やったら本当に怒るからな」
自宅兼教会の敷地に、以前は農機具などを収納していたらしき倉庫がある。
叶はその地下に、ある作業部屋と大きな焼却炉を作り、カムフラージュとして家庭用の小さな焼却炉を地上の見える位置に設置した。
この敷地から出る煙は、ただの可燃ゴミだと思わせるためだ。
倉庫の地下に降り、瑠架は作業の続きに取り掛かった。三体のうち残り一体となった男の死体は、途中までバラバラにして焼却炉に投げ込んであるが、上半身は首を切断しただけでほとんど手付かずだ。この残りを細かく切り刻み、すべてを跡形もなく燃やさなければならない。
「死んでも穢らわしい生き物だな」
夏場に放置された死体はどろどろに腐り強烈なガスの臭いを発している。蛆も真っ白になるほど湧いて酷いことになっていたが、スーツを脱ぎマスクと二の腕までの手袋と作業エプロンを着用すると、かまわずに続きに取り掛かった。
死体の腕にびっしりと施された刺青も、蛆に覆われて見えない。元々の男は筋肉質で筋ばって、美味しくなさそうな見た目をしていたが、たかる虫たちは腐肉を喰らい丸々と肥えている。
自身の身にも蛆が付着するが、気に留めることもなく手際良く解体し、内臓を片っ端からびちゃびちゃと炉に放り込む。
全身汗だくになりながら、肉体を何とか燃やせそうな大きさまで分解させられた。
全てを投げ入れ、敷いていたブルーシートもついでに捨てる。
そして、地上につながる排煙パイプから、男は煙となって天へと昇って行った。終わる頃にはすっかり外が暗くなっていた。
男は隣県の宝石店で強盗を働いた、外国籍の犯罪者だ。それだけなら瑠架には無関係だが、この町の駅前を集団で占拠し、夜通し車をふかしたり通行人を威嚇したりして遊んでいる不届きもので、父の叶にもたびたびそのことで愚痴を言いにくる住民が何人かいた。
駅前の商店を営む者が多かったが、店を荒らされることもたびたび起こっているにも関わらず、行政もほとんど手を出せずまともに対応してくれないとのことであった。
そして瑠架自身も、ある日の帰宅途中、この集団に爆竹のようなものを投げつけられた。ゲラゲラと笑いながら改造車で去っていったが、それが今回の粛清の大きなきっかけとなった。
SNSを調べ上げ、この集団の幹部的な位置にいる3人を特定すると、瑠架は彼らの根城のあるマンションの一室に堂々と表から入り込み、彼らをこの倉庫まで連れ出して無事に葬ることができた。
残党は今頃まともに働かない警察にでも駆け込んでいるのだろうか?
彼らの意識としては、ある朝気がついたら忽然と仲間が消え去ったというだけだ。
目の前でぼんやりと、瑠架に導かれ仲間が連れ出されるのを見ていたが、そんなことは記憶にないだろう。
父には「あまり余計に死なせるな」と嗜められたが、この土地を買ったのも死体処理場を作ったのも、またいい歳をして実家に住んでいるのもこの為なのだから、使わなくては無駄だろうと言い返した。
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