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「正確には神になる資格を持つ『魂』のことだ」
「神に……なる、ですか?」
幸紘は目を見開いた。まさか自分にも宿るという『清』の気にそんな資格があるなどと思いもよらなかった。
そんな幸紘の事情など知らない八幡神はこっくりと頷いた。
「通常の『魂』は山へ還り、山からまた生まれて新たな『魂』の元になる。だが『清』の気をもつ『魂』は他と違って山を介して循環されるものではない」
「どうなるんです?」
「天啓が落ちれば神になるが、そうでなければ他の生き物が食らう。神が食らえば神格が上がり、そうでないものが食らい、天恵を受ければ神になる資格を得る」
「八津山に封じられた山津大神も?」
「神だからな。当然だ。特に山津大神が肉体を失ったのち、『魂』が山にもどれなかったのもそのため。通常は御霊のみがふらふらしておれば他の山津神や生き物が食らってしまうものだが、よほど強い御霊であったのだろう。お前の神様と再び相まみえるまで、ずっと日本中の山を彷徨い続け、狙ってくるものを逆に食らっていたようだ」
そうして肉体失った山津大神の存在級は強大になっていった。天啓を得ていないはずの怨霊でありながら神にも匹敵する高い神格を有したのも、無限に山津神の祈りと『命』を呑み込んだのも、山に戻れなかったのも、すべて彼が『清』の気を持っていたためだった。
「『命』は山に封じられたが、他を圧倒する強力な『魂』は『清』の気をもつ以上神にならぬのならば他を飲み込んでまた同じことを繰り返す恐れがある。危険な代物よ。だからといってそれを身の内に食らえば、食らった者がどうなるかもわからんほど強力だ。結局、お前の神様が食らうことにした」
「親友を食べさせたんですか?」
幸紘は思わず腰が浮いてしまう。八幡神は小さく首を振った。
「お前の神様がそれを望んだのだ。他の山津神の『魂』一切はいらぬから、この『魂』だけは他の者に与えずに、最期を看取った責任として、どうなってもいいから自分が始末するのだと」
八幡神は百二十年前の悲劇を語り終えると、正座を解いて胡坐をかく。ふう、っと大きく息を吐いた。
「だからお前が山津大神であることはない」
八幡神ははっきりと言った。幸紘はゆっくりと再び正座をして八幡神と向きあった。
朝から囂々と風に煽られていた雨の音はしとしとと柔らかく降り注ぐ程度に変わっていた。したしたっと拝殿の端で滴が床に落ちて、木の床に濃い水の染みがじわりと広がる。
「自然の流れではなく、呪によって強制的に山に還元される『命』の残滓が新たに生まれる人の御霊に宿って外見や能力に片鱗が表れることはどの地域でもよくあることだ。お前はあの恐ろしい怨霊などでは無い。だから安心しなさい」
八幡神は努めて穏やかさを意図した口調でそう言った。その口調には幸紘を気遣う優しさがあった。だが幸紘の心の内は複雑で、飲み込んだ気分が喉を苦くさせる。
八幡神の気遣いとは真反対のベクトルを、その時の幸紘は心の内で求めていた。
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