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3 神成りの罪 ①※
ベッドに仰向けになった幸紘は窓で切り取られた夜空を眺める。真っ暗な背景に白い星が小さく輝いていた。その夜空より黒い山影からかすかに狐か鹿の声が聞こえてくる。狼の声は聞こえない。神様と巡見に行った先週は確かに聞こえたのに。
「俺は、なんだろう……なぁ」
小さく呟いて幸紘は目を閉じる。六月に入ってから毎夕繰り返される夏越大祓の祝詞練習に疲れた体からゆっくりと力が抜けていった。
山津大神と自分に関係があればいいのに、と幸紘は素直にそう思ってしまう。八幡神の気遣いは理解するが、この土地の真実を聞いた後からずっとその想いが消えない。
幸紘が山津大神の生まれ変わりなら幸紘だけが見ている黄金の狼も、その狼と同じ金の瞳や『聲』も、神様に感じる親近感や既視感もいろいろと関連性の説明がつく。だが八幡神によれば山津大神が喰らって身につけた強大な『命』は山に封じられてずっと浄化され続けていて、それらを引き寄せていた『清』の気を持つ『魂』は神様が食べてしまった。
今の幸紘は思念の残滓だと、八幡神は言った。カスである。神から見て恐ろしい怨霊と関係が無いというのは人間としては幸せなことかもしれないが、だからといってカスでしかないというのは思いのほかショックだった。
「でも……」
幸紘はごろり、と横を向く。
八幡神は言及しなかったが、神様も瀬織津媛も確かに幸紘が『清』の気を持つと言っていた。だからこそ彼らは幸紘を求めたのだ。そうでなければ神様とのケア行為も瀬織津媛への『厄』提供行為も、神々からのいかがわしい搾取になってしまう。
『清』の気は神になる資格だ、と八幡神は言った。他の一般的な『魂』と違って次の御霊へ循環されるものではない。他の神が食らえば神格が上がり、天啓が落ちれば神になる。山津大神関連で言えばカスかも知れなくても、『清』の気を持つとなると天啓が下りれば幸紘は八幡神のようになれるということである。神格を手に入れれば『それ』らを糧として神様の永遠に寄り添えるだけの時間が手に入るハズだ。
どうすれば天啓は落ちるのだろうか、と幸紘は悶々と考える。
神様は珍しいことをしたら回覧板や地区長の順番が回ってくるような気軽さで落ちてくると言った。人間にとって珍しいこととはなんだろう。八幡神は何をして神になったのだろう。考えるけれども幸紘の人生経験二四年の頭の中からはパッとは出てこなかった。
「どした? 疲れたか?」
神様の声が降ってきて幸紘は寝返りを打ちながらゆっくりと目を開ける。ぎし、っと軽くベッドをしならせて、サイドに座った神様が幸紘の耳の横に両手をついて自体重を支え、天井灯を背に至近距離で顔を覗き込んでいた。首にかけたタオルで風呂上がりのほんのり上気した顔を拭う。石鹸とは違う甘い花の香りが漂った。
幸紘はゆっくりと右手を上げて、神様の頬に添える。目元に三つ、行儀良く並んだ白くて堅い吹き出物に人差し指でそっと触れた。邪な気持ちがあるせいか、これまで以上に神様が艶っぽく見える。白い肌色は風呂上がりを差し引いてもここ最近はほんのりと暖色を帯びて、そのせいか色素の薄い瞼や目尻は涼やかな寒色のシャドウが入っているように見えた。
「ユキ?」
神様が白目がちな目を瞬かせる。幸紘は左手で気だるげに前髪をかき上げて色素の薄い目を明らかにすると、まっすぐに神様の濃い黒緑の瞳を見つめた。
「俺の瞳……好きでしょう?」
疑問というより挑発で囁く。心なしか神様の暖色が濃さを増し、香りがさらに強くなる。その変化を神様も自覚したのかふいっと顔を背けて左手で顔を押さえて俯く。体を支えていた右腕が軽く震えていた。口元を押さえているから笑っているのかと思ったら、ちらっと覗いた顔が真っ赤だった。
赤子だった幸紘の目を見たときに神様がとても喜んだエピソードを八幡神から聞いていたので、少しでも彼の抱える辛い思い出が軽くなれれば、と試したつもりだった。それが予想外の反応になってしまって幸紘のほうが動揺してしまう。スカしてると笑ってくれた方がまだよかった。
「ず、ずりぃ。イケメン顔でそれはない」
「ですか?」
尋ねる幸紘に神様はようやく落ち着きを取り戻して真剣に幸紘の顔を見下ろした。
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