1 くちづけは罪の味 ①※

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「それ以前に、俺、神様だしな。人間とは番えねえよ」 「でも狒々は人間と番うんですよね」 「そうだけど……あんまり褒められた話じゃねえんだわ。因果の澱が必ず人間の方に現れるし」 「因果の、澱?」 「幽世の者から受ける影響のこと。俺ら神と一緒にいることで、『力』が強くなっていくのもその一種と言っていい」 「いいことじゃないですか」 「薬であるうちはな。だがどんな精力剤も連用してりゃあ心臓を止めちまうのと一緒で、人に受け入れる『器』もないのに密接に関わりすぎるのはあんまりよくない。大体の昔話で人間と別れちまうのはそれが原因だ。双方の間に生まれた子供、または人間の伴侶なんかに幽世の者の影響が色濃く出るから里を離れる。だから俺も話を持ってこられる前にそれとなく逃げるか、ややこしそうになると媛に人の記憶をちょろまかしてもらってた」 「ああ、なるほど」  いつだったか加奈子への説明責任を丸投げして逃げたのを幸紘は思い出す。瀬織津姫は呪的なちょろまかしが得意分野とも言っていた。そうやって神様は加奈子からの一撃をするりとかわすように、人の世界の柵からも身を引いていたのだ。  では実体としての鯉とはどうだったのだろうか。柳川家の池の庭で目をむいて近づいてくる鯉を幸紘は思い出す。あの調子でこの神様が雌争奪戦に参加している姿というのは想像がつかなかった。 「鯉の姿では?」 「あの池にいたか?」  神様は皮肉っぽく口元を歪めた。そういえば、と幸紘は柳川と見た水中ドローンの映像を思い出す。淵の中には苔を常食とする小さな淡水魚や腐肉を食む(えび)、蟹はいたが、大型の肉食魚の姿はいなかった。そういった魚が生きるには、あの池はカロリーが少なすぎるのだ。  幸紘は暗い水底で永久死体となった娘達に囲まれて、無表情に佇む神様を想い描く。  永遠ともいえる寿命と神としての使命を抱えて死に方を忘れた神様。神に帰依する命の限りある者たちの、微笑み、争い、涙し、喜び合う数えきれない時の流れを、指の隙間からすり抜ける砂を眺めるように見送るだけ。魚としても、人としても、形だけならこの世界には同じものはたくさんいる。けれど、姿だけを似せてそれらの中に交わり、どんなに目の前の存在を愛したとしても、結局は神故にどこにも身の置き場はない。  幸紘はすっぽりと包み込む形で神様に布団を掛けてやる。先ほどの皮肉な笑いの意味を考えると悲しくて、愛おしかった。でも幸紘は人間でしかないので、こうすることで安心させてやるくらいしかできない。 「変なこと、聞きました。忘れてください。おやすみなさい」 「気にしてねえよ。おやすみ」  穏やかに眠りの儀式を交わして白い頭が布団の中へ埋もれる。すぐに寝息が聞こえてきた。  神様の永遠に寄り添えるだけの『力』が手に入ったならと、その命を形に封じ込めることができたならと、幸紘は強く望む。そうしたら永遠に綺麗なまま、誰にも見せず、どこにも行かせず、ただ一心にあなただけを愛して、寂しそうな顔なんてさせはしないのに。 「……愛しい……」  心の声がつい口をつく。さっき瀬織津媛に『厄』を食らって貰ったところだというのに、またムラムラと神様に触れたくて仕方なくなる。触れて、強く抱きしめて、自分は永遠に神様の側から離れないと叫び出したくなる。だができるはずもない。馬鹿と怒鳴られてさしずめグーパンチが飛んでくるに決まっていた。  幸紘は布団の上から力を込める。それで今は我慢することにした。
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