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「誤魔化せ、ぇ……ました?」
「いや~……逆効果かなぁ。どう聞いてもお兄ちゃんにいつも守ってもらってたあの子では勝ち目なさそうな本気モードだったもの。ちょっとめんどくさいことになったんじゃないかしらねぇ」
畑中ははは、とわざとらしい乾いた笑いを見せる。幸紘は畑中の想定するめんどくさい事態が、明らかに仕事上ではない話であろうと思ってため息をついた。友人や兄弟などの庇護者が多い女子を泣かせた男が、どういう地獄に陥るかは、経験薄い学校生活の中の一場面として何度か目撃済みである。
「遠野君」
「なんすか?」
ちらっと幸紘は畑中を見る。畑中は遠い目を幸紘とは違う明後日の方向へ向けたまま、パイプ椅子に横座りして背もたれに頬杖をついていた。
「あたしは自由恋愛派だから、君が親ほど年がハズレた人妻に横恋慕しようと、惚れた相手が同性だったとしても、別段否定はしないつもり。未成年と近親相姦は要相談だけど」
「最後のはないっすわ~。いくら人間関係が乏しいとはいえ、それだけは死んでもないっすわ~。金積まれたって無理っすわ~」
幸紘は抑揚無く言って無理矢理笑いを作る。畑中はちらっと幸紘を見た。
「じゃあ……遠野君の好きな人ってあの……坊さん?」
すぐに幸紘は答えなかった。その顔からすうっと表情が消えた。笑って誤魔化したくもなかったし、誤魔化せそうもなかった。
「なんでそう思うんです?」
落ち着いた口調で幸紘は静かに聞き返した。
「この間の見合いで振られた相手とか、考えません?」
「見合いは自分から殲滅的負け戦にしたんだって、GW明けにあんたがあたしに言ったんじゃないのさ。それ以外で遠野君の知り合いって、あの人くらいしかこれまで話を聞いたことないもの。人間関係が極薄だから、消去法とらなくてもわかりやすすぎ」
「はは、内緒にしてて下さいね。別に俺が即退職してもかまわないなら好きにして貰っていいですが」
「それぐらいはさすがにあたしがおしゃべりでも弁えてるわよ。会社に損害を与えたいわけでもないしね。で? いつから好きだったの?」
「出会ったときから」
「看病されて愛着湧いちゃった? それとももとから同性が趣味だった?」
「男でも女でも、基本的に人に対して興味ないですよね。あの人だけです」
人ですらない。
鏡池の澄んだ水底を思わせる濃い黒緑の瞳の山津神だ。その瞳が慈しみと喜びを込めて幸紘の金の瞳と初めてまっすぐに繋がった時、抗いようのない運命の恋に落ちた。その時からこれまで幸紘の中で止まってしまっていた全てが動き出し、色を失った日々に彩りが生まれた。
「一目惚れでした」
口に出すと胸がいっぱいになって喉の奥が苦しくて震える。恥ずかしくて、嬉しくて顔が熱い。幸紘はパイプ椅子の上で膝を抱え、人前でどういう表情をしていいかわからない顔をその間に埋めた。
そうやって大きな体で蹲って湯気をはいている幸紘を畑中は口元に手をやって遠巻きに見つめた。
「うわわ~どうしよ。あたしにはその気とかなんてからっきしないんだけど、おばちゃん、今の遠野君が純粋にむちゃくちゃかわいいわ。何その惚気。何その物憂げな顔。ただでさえ元がいい新雪同然の純青年が、そんな溶けた表情もするなんて知っちゃったら、そりゃあ普通の女はほっとかないわよ」
「あの人以外はどうでもいいです」
「タラシな見た目と対照的な一途さが清々しいわね。まあ確かにスキンヘッドで薄眉って厳ついけど、顔の造形とか肌とかはめちゃめちゃ綺麗な人だものね。普段厳ついのに自分にだけほやっとか笑ってくれちゃったら、ギャップにぐらっとなるかもねぇ」
「畑中さん……なんでそんなわかるの? どっかから覗き見してたんっすか?」
幸紘は恥ずかし過ぎて暫くザワついた心が落ち着くまで足を小さくばたつかせた。
「でもこれで淵上神社の跡取りは遠野君で完全に終わりか。っていうか、せっかくのイケメン遺伝子がここで終わりか。もったいない」
暫くしてふっと畑中が吐き出すように言う。幸紘は足を下ろして俯いたまま、太股の上で両手を組んだ。
「もったいないの意味がよくわからないんですが……。もとから結婚するつもりも子供も持つつもりもなかったんで、どっちにしても同じことなんすけどね」
「加奈子ちゃんに期待かな」
「またはその次の世代か。ただあの人には俺の気持ちは絶対に言えないっす」
「同性だから?」
「っていうより、あの人の基本思考が親と同じなので……」
「……あ、あぁ、あ~……」
畑中は心底かわいそうなものを見る目で幸紘を眺めた。
「まあ……お父さんの関係者だものね。淵上神社の跡取りとしての使命を自分が邪魔するとして、受け入れるわけ無いか」
「別件ですが、自分が俺のためにならないなら身を引くつもりだと一回言われてます」
「じゃあなおさら告白なんてできないよね。かといって神職のためだけの偽装結婚ができるほど遠野君が器用なわけもないし。もしかして初恋?」
畑中の問いに幸紘はこくんと頷く。ますます畑中は痛ましいものを見る目で幸紘を眺めた。
「初恋は……か。初心者コースとしてはなかなか険しいルート選んじゃったよね」
畑中は腕時計を見るとすっくと立ち上がる。
「あたしは応援するよ」
幸紘は畑中を見上げた。
「人間苦手な君が誰かを好きになれたって、すごいことなんだから。胸を張りなって」
「茨の道ですよ」
「だから何? その道がどんなに茨でも、進んじゃいけないわけじゃない。恋ってどんな障害がなさそうな組み合わせでも、自分と向き合うことからは逃げられないから、大なり小なり茨の道よ。恥ずかしいことも、苦しいことも、大変なことも、嫌になることも死ぬほど出てくる。どうするか決めるのは遠野君だけど、茨の道でも進みたければ進んだら良いし、進めないなら止まるか、諦めるかすればいいの。自分の人生だもの。ただどんな選択をしたとしても、そんな中でそのままの自分を受け入れてやるから、人は成長するんじゃない?」
幸紘は瀬織津媛の教えを思い出す。冷静に受け入れるから、器が深くなるのだと彼女は言った。媛だけの言葉ならただの嫌味と受け取ることもできたが、畑中も同じ意見なら、それは真理の一つなのだろうと信じられた。
「あたしでよければ話くらい聞くからさ。一人で悩むなよ、青少年。さて、あたしはお嬢ちゃん方を慰めてくるか」
畑中は幸紘の背中に軽く触れる。ひらひらと手を上げて去って行く彼女の後ろ姿を幸紘は見送った。
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