1 くちづけは罪の味 ③

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1 くちづけは罪の味 ③

 人生とは、選択と覚悟の繰り返しだ。  幸紘は手元のミニタブレットに手慰みの線を描きつつ、人生二四年すぎて思い知った真理を噛みしめていた。  神職になるかならないか、結婚するかしないか、神様に気持ちを伝えるか伝えないか、この恋を貫くか諦めるか……全部そうだった。これまでは良くも悪くも浩三の薫陶のおかげで、そういったことから逃げていられただけだ。瀬織津媛は親の呪いに無自覚に乗れるのは幸いだと言った。今の状態から見ればそうなのかもしれない。全てのことを人の、親のせいにして、自分の問題から、苦しみから目をそらしていられるのだから。  ふと、幸紘は手を止めて画面を見る。  どうやら無意識に加奈子と神様がポテトチップスをつまみながら歓談している眼前の光景を模写していた。そのラフ画があまりにもさらりと、それでいて的確に二人の雰囲気や特徴を捉えているのを自覚して、幸紘は愕然とした。  二週間前、瀬織津媛は幸紘が加奈子の姿を捕らえるのは無理だと暗に示していた。神様との縁のために素手で山津神の狒々をボコ殴れるほど潜在力も上がっていた。総合的な面でその時の幸紘を超えていたのである。  『力』が、増している。それが何によるものかは決して愛しい神様との縁だけではないことを、幸紘は薄々気がついていた。  瀬織津媛との密会だ。神様への自分の本心に気づいてしまったあの夜から、最初の五日は耐えた。それが四日になり、三日になっている。神様よりも深い部分へ触れてくる彼女との交わりが加速度的に幸紘の『力』を高めているのだった。  幸紘はミニタブレットの画像を拡大する。神様は穏やかに、本当に楽しそうに笑っている。正装色姿の彼を留めるにはまだ力不足なのは間違いない。それでも『形に留める』という当初の目標は達成された。なのに幸紘自身が驚くほどに自身の『力』に対する達成感は沸いてこなかった。  それよりも手の内に神様の形を手に入れたそのことがあまりに嬉しくて、そこに留められた神様の姿があまりに愛しくて、そちらに対する喜びの方が強い。  神様を形に留めることができたなら、この想いは満たされるのではないか。そんな一縷の願いを抱いていた。届かぬ存在への憧憬を仏師が形にせんと無心に造形するように、幸紘も叶わぬ想いを神様ごと絵に封印するつもりで描き殴っていた。けれども、瀬織津媛が看過したとおり、そんなものは言い訳でしか無かった。  神様が好きなのだ、と描かれた形に、そこに込められた気持ちを幸紘は思い知らされる。茨の道だとわかっても、この恋に縛られる甘い苦しさを、幸紘は手放すことができなかった。 「ところで神様?」  加奈子が手元の問題集を閉じて神様に尋ねた。 「神様って普段何してるの?」 「んー……バイト?」  神様はポテトチップスを口にして軽く首を傾げる。 「ファーストフード店とか、コンビニとか?」 「接客はないわぁ。おもしろそうだけど、俺の成りじゃあ寿司屋かラーメン屋くらいしか許されねえだろ。今の季節は営農だな」 「なにそれ?」 「単純に言うと農協が請け負ってる分の田植えを手伝ってる。年寄りだけじゃマンパワーが圧倒的に不足してるし、若いやつを当てにしても、平日は仕事があるから天候に合わせるのは難しい。俺ならいつでもできるからな」 「そんなことやってたんだ」 「種まきとか、苗箱の準備とか、薬まきは農協に任せてるけどな。俺の仕事は基本土木系。今の季節は(あぜ)の修繕して、田おこしして、代かきして、田植えして、水の管理して、秋になったら刈り取りして、機材の整備してる。その合間に日雇いの工事とか。あ、もちろん神社の祭にも参加するけどな」 「それだけできるなら農協に就職できるんじゃない?」 「履歴書がでたらめだ。神様だからな。基本戸籍がない。季節的に日雇いで呼び出される方がいいんだよ」 「じゃあ、先週の土曜日も?」 「先週?」  神様は壁に掛けられたカレンダーを眺めた。 「その時は買い物だな。メシ買いに」 「お兄ちゃんと?」 「そう」 「その前は?」 「その前の週は田植えラッシュだったな。あ、でも昼からユキと食べ放題にまた行ったんだっけ?」  神様の視線が幸紘に確認を求める。幸紘は同時に向けられる加奈子の冷たい視線に嫌な予感がして返答に困った。 「じゃあゴールデンウイークは?」 「昼間は畦修繕とか(しろ)かきしてたけど、基本例の狒々騒動でバタバタしてたな」 「最終日も?」 「最終日はユキと狒々に襲われた女の見舞いに行って、食べ放題に行った。な?」 「神様」  幸紘は加奈子の誘導尋問が何を目的としているかがわかって、ついに神様へイエローカードを出した。だが時すでに遅しで、察しの良い加奈子は不満に満ち満ちた視線を幸紘に向けた。 「やっぱりか。お兄ちゃんの嘘つき。デートなんかじゃ無いじゃん」
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