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1 哀惜の咆哮 ①※
あなたを泣かせたいわけじゃなかった。
ただ守りたかった。
ただ側にいたかった。
ただ失いたくなった。
それだけなのだ。
ただ悲しくて悲しくて泣いていた。
悲しみと孤独の中で、生きるということの過酷さと理不尽さに怒りを叫んでいた。
「神様……」
「何?」
幸紘が呟いて目覚める。
山の端を黄金色に染めた朝の光が、夜闇の藍色を駆逐して薄い水色に塗り替えていく時間だ。窓から差し込む灰青の空からの薄暗い光に照らされて神様が見下ろしていた。
神様は神妙な顔で幸紘を見つめたまま、伸ばされた手を取る。それを頬に寄せ、手のひらに軽く口づける。彼の少しヒヤッとする唇がしっとりと幸紘の手のひらに存在を示した。
「うなされてた」
神様は布団を引き上げて幸紘を胸に抱き込む。昼間は爽やかな風の中に心地よい暑さを感じさせることもあったが、朝方は神様の低めの体温でも暖かく感じるほどに秋は深まっていた。幸紘は神様の優しさに甘えて、胸に顔を埋める。甘く清々しい、水に親しい花の香りに酔い、目を閉じた。
「夢……見てました」
「どんな?」
「覚えてません。とても、悲しい夢だった気がします」
幸紘は神様の身体に腕を回して縋り付く。神様は幸紘の髪の中に鼻先を埋めて、幸紘の背中に回した手で規則的なリズムで軽く宥めてくれた。
「俺がいる」
穏やかな声が天国から降ってくるように聞こえる。幸紘はうとうとしながら規則正しくゆったりとした神様の心音に耳を傾ける。
御霊の、音だ。
稲荷神の前で消え失せた時の情景がトラウマのように何度も幸紘の脳裏にフラッシュバックする。さっき見た夢ももしかするとその記憶の再現だったのかもしれなかった。
その脈動を失いたくなかった。望みが叶わなかった瞬間、幸紘は人間ではいられなくなった。自分では自分の姿がどう変化したのか、よく理解していない。だが本来人間の歯では不可能なはずの幸紘の犬歯は稲荷神の頸動脈を裂いていたし、石畳を踏みしめる四肢は人のそれというには俊敏かつ力強く大地を駆った。神様には、いや誰にも知られるわけにはいかない変化が、すでに幸紘の身体に表れていた。
神様の存在の全てを確かめるかのように、自らの中に蠢き始めている得体の知れなさへの不安を宥めるように、神様の背中に回した手で幸紘は何度もかき抱く。指が側線に触れる度に神様の身体がびくりと強ばる。幸紘が顔を上げると上気した神様の潤んだ瞳と目が合った。
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