3 こどもとかみさま ③

2/2
前へ
/54ページ
次へ
 我々は、負けたのです。  『聲』が言った。神様は感情の伺い知れない平然顔で狼を見る。その顔は幸紘の知る神様と同じものであったけれども、いつも見る顔よりはずっと硬質で冷たかった。 「お前は死したその瞬間、世を統べる『理』に納得できたというのか? 神代の昔より、敗北は恭順となどというものを摂理だとでもいうか。ならば一切の遺恨などありはしないか?」  神様は問う。その声も幸紘がよく知る神様の声だったけれども、穏やかでありながら情のない薄ら寒さを感じた。 「生きるとは、なんと理不尽なことだろうな。力で力を制し、殺し、食わねば生きていけないこの世界の、なんと罪深いことよ。そう思わないか」  狼は答えない。 「それが『理』だと、そこに覆せるかもしれない『力』があるとわかっていて、それでも敗者の恭順を選ぶのか?」  神様がすうっと腕を上げる。嫋やかな人差し指で幸紘を指し示し、神様は言った。 「その男の力があれば、その『理』を改め、誰も罪を負わずにすむ世界が実現できるのだぞ。誰も悲しまない、誰も痛みに嘆かない常世(とこよ)の国だ」  その世界に、終わりはあるのでしょうか。  今度は『聲』が神様に問う。神様は答えない。再度『聲』は神様に尋ねる。  終わりのない世界に、救いと再生はあるのでしょうか。  狼の問いは神様への叱責ではなく、まるで慰撫のように幸紘には聞こえた。  幸紘は一歩踏み出して、狼の隣に立つ。その頭に手を添えて、神様と対峙した。 「永遠の中に、救いはありますか」  幸紘は『聲』で尋ねる。神様は恐ろしく美しく整った無表情で幸紘を見つめていた。  これは、神様ではない。  幸紘は直感する。神様なら、人の有限を、自らの無限を、否定しない。その中に含まれる苦しみも無情もひっくるめて、神様は人を、このどうしようもない世界を愛している。この神様は逆だ。今の理を全てを否定する。この世界を、憎んでいる。 「日河比売よ」  幸紘の『聲』にぐにゃり、と神様の姿が歪む。再び形成された神様に似たその姿は黒の水干を纏っていた。  整った無表情が狂気じみた笑いを見せる。 「はははは、騙されないものだなあ。さすが神になる資格を持つだけある」  狼が体を低く保ち、後ろ足で強く地面を蹴る。何かあれば幸紘を守って飛びかからんとする姿に日河比売は肩を竦めた。 「いいだろう。二対一で今夜は分が悪い。俺の負けだ。またな、山津大神」  やまつ、おおかみ。  あり得ないと否定した名前を投げられて、幸紘は戦慄する。身動きが取れない幸紘の前で、日河比売はふわりと飛び上がって白い光の中に融けていった。  強い風が木々を揺らす。『それ』らの光が舞う白い境内で元の姿勢に戻った黄金の狼がペロリ、と長い舌で幸紘の指先を嘗めた。 「お前達は……何を知っているんだ?」  狼が黄金の瞳で幸紘を見上げ、幸紘は同じ色の瞳で見返す。相変わらず獣の顔からは一切の感情が伺いしれなかった。 「お前は、俺の、何なんだ?」  一瞬だけ狼の黄金の瞳に哀哭の揺らぎが生まれ、頭を垂れた。  一族の長にして、この世界に君臨する獣の王。  誰よりも強い、我がキミ。  あなたを泣かせたいわけじゃなかった。  ただ守りたかった。  ただ側にいたかった。  ただ失いたくなった。  嗚呼、ワガツマよ……。  呪詛のような内なる呟きは空間に溶けて、同時に獣の姿は日河比売と同じように色を失う。やがてそれは光の粒となって胡散霧消してしまった。
/54ページ

最初のコメントを投稿しよう!

18人が本棚に入れています
本棚に追加