1 哀惜の咆哮 ②

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 山の斜面にまっすぐ張り付いた石積みの階段を上る。高い杉木立の隙間から降り注ぐ黄金色の光がきらきらと美しい。低木広葉樹の固い葉っぱが光をはじいて風に揺らめいた。  階段を上りきると視界が広がる。奥に神殿のような荘厳さで豊かな水を落とす白瀧と、澄み切った水を満々と湛えて水面でゆったりと玲瓏な音を奏でる濃い黒緑の淵が現れる。背の高い木々の間から天の階のように降り注ぐ秋の日差しに神々しく照らされて、淵の側に白い水干姿の神様がしゃがみ込んでいた。 「神様」  幸紘が声をかけると神様が顔を上げる。 「瀬織津媛から聞いた?」 「神籬の桶の件ですね? ここに」 「貸して。大祓、いける?」 「あ、はい」  幸紘は神様に木桶を渡すと一歩下がって側に立つ。足先の親指に重心をかけて背筋を伸ばし、肩から全身の力を抜いて手を太ももに添える。二礼してからそっと胸元で手を合わせ、静かに大祓の祝詞を微声で唱え始めた。 「高天原に神留り坐す皇親神漏岐、神漏美命以ちて八百萬神等を神集へに集へ賜ひ神議りに議り賜ひて我が皇御孫命は豐葦原水穗國を安國と平けく知ろし食せと事依さし奉りき。此く……」  幸紘の傍らで神様は木桶をそっと鏡池に沈める。水干の袖が水に濡れるのも構わず、神様はキリリとした柳線形の瞳でじっと水に沈んだ木桶の中を見つめていた。その横顔には神事に望む時と同じ真摯さがあって、美しくもあり、恐ろしくもある。幽世の神がもつ完成された造形に、祝詞を唱えながら幸紘は見とれる。 「邪念は捨てよ。そこの禰宜」  水底から叱咤されて、幸紘ははっと我に返る。ちらっと幸紘を見た神様が口元をにやりと歪ませた。 「……事を。高山の末、短山の末より佐久那太理に落ち多岐つ速川の瀨に坐す瀨織津比賣と云ふ神、大海原に持ち出でなむ、此く持ち出で往なば荒潮の潮の八百道の八潮道の潮の八百會に坐す速開都比賣と云ふ神、持ち加加呑みてむ、此く加加呑みてば氣吹戸に坐す氣吹戸主と云ふ神、根國底國に氣吹き放ちてむ、此く氣吹き放ちてば根國底國に坐す速佐須良比賣と云ふ神、持ち佐須良ひ失ひてむ。此く佐須良ひ失ひてば罪と云ふ罪は在らじと、祓へ給ひ淸め給ふ事を天つ神、國つ神、八百萬神等共に聞こし食せと白す」  幸紘は慌てて気持ちを持ち直し、祝詞を唱え終わると、深々と二礼する。背を伸ばし肩口まで大きく開いた手を胸の前で高らかに二回打ち鳴らす。最後に一礼したとき、神様は幸紘に顔を向けることなく素早く言った。 「ユキ、二礼四拍手一礼。そのまま深い磐折(けいせつ)警蹕(けいひつ)
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