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彼が隣に住んでいる。
という実感があまりない。
何故ならあれ以来一度も顔を合わせてない。
もう1ヶ月になる。
もしかしたら俺に会うのが嫌で引っ越したとか?
でもまぁ、それならそれで仕方ない。
俺の生活は相変わらずのルーティーンで、彼が言ったように地味だ。
会社でも俺は存在が薄い。
たまにいることに気付かれないくらい。
居酒屋の前で騒いでる若者たちを見て、昔を思い出す。
俺はあの中心にいた。
でも楽しくなかった。
俺の心はいつも虚無だった。
一人でいるときの方が楽だった。
今の生活は俺に合ってる。
地味なのが本当の俺なんだ。
家に帰るとゲームの世界に入り込んで知らない人と会話する。
でもお互い突っ込んだ話はしない。
居心地がよかった。
「貝崎、久しぶり。」
なのに奴が現れた。
大学時代、一度だけ寝た男。
仕事の取引先の営業マンとして奴は現れた。
俺はこいつのことが好きじゃなかった。
あれは人生最大の過ちだ。
「久しぶりに飲みに行かないか?」
と誘われたが断った。
しかし相変わらず奴はしつこかった。
会社の前で待たれて、渋々飲みに行った。
小綺麗な居酒屋に連れていかれた。
「お前、なんか地味になったな。」
「うるせぇ。」
「あの頃から俺のこと嫌いだったろ。」
「え?」
「分かってたよ。俺はお前のこと好きだったから。」
「は?」
「だってお前、いっつもつまんない顔して笑ってたから。そういうの気になるだろ。」
「お前は俺のことバカにしてただろ。」
「してないよ。敵わないって思ってた。お前のこと抱いても、自分の物にならないことも分かってた。」
「じゃあどうして、」
「覚えてないのか。あの夜お前、溺れそうな顔してたんだぞ。」
あれは空港で彼と別れた夜だった。
「そうか。」
「地味にはなったけど、今のお前の方が自然体でいいのかもな。」
「どうだろうな。」
「今のお前の方が俺は好き。」
「相変わらず軽いなお前。そういうとこマジで嫌いだったわ。」
「だろうな。分かってたよ。てか、お前は誰のことも好きじゃなかっただろ。彼以外。」
「彼?」
「お前が都合良く呼び出してた彼。春日井くんだっけ?」
好きだったかどうかなんてよく分からない。
彼はずっと当たり前のように側にいた。
でももう会わないって言われて、心の中から何かが抜け落ちた気になった。
それがなんだったのか未だに分からない。
分からないままにしてる。
彼と久しぶりに顔を合わせたのはゴミステーションだった。
「おはよう。」
「おはよ。」
「隣に住んでてもなかなか会わないもんだね。」
「そうだな。」
エレベーターで二人きり。
なかなか気まずい。
「ちゃんと食べてる?」
「え?」
「何か痩せた気がするから。」
「あぁ。まぁ一人だから食べたり食べなかったり。」
「ダメだよちゃんと食べなきゃ。」
「うん。」
「空港で俺が言ったこと覚えてる?」
「長生きしてねってやつ?」
「そう。約束だからね。長生きするの。」
「お爺ちゃんかよ、俺。」
「お爺ちゃん。確かに。」
エレベーターを降りて同じ方向に歩く。
俺の後ろで彼は何を考えてるんだろう。
「じゃあ。」
「じゃあね。」
玄関のドアを閉めて、服を着替えて家を出る。
いつものことなのに何か違う。
「貝崎さん、なんかいいことありました?」
後輩に言われて気付いた。
俺は無意識に鼻唄を歌っていたことに。
とたんに恥ずかしくなった。
いいこと。
彼と普通に話ができたこと、なのか。
そんなことぐらいで。
でも少しだけ心が軽くなった気がしていた。
4.
バーで出会った佐久間さんとは気が合ってすぐに意気投合した。
「その凌ちゃんて人、明らかに枯れてるよね。」
「え?枯れてる?」
「もしかしたらもう自分には恋する資格なんてない、とか思ってるのかもね。」
「そうなのかな?」
「そういう男って放っておけないタイプでしょ、穂夏くん。」
「そうなんだよねぇー。だからあの頃も凌ちゃんから離れられなかったんだよね。」
「わかる。俺も同じなんだよ。」
「ダメ男に弱い。」
「そう。傷つけられても平気!この人のためならってなっちゃう。で、結局捨てられるんだけどね。」
「凌ちゃんは捨てなかったんだよ。それがまた狡いよなって思う。捨ててくれたらもっと早く忘れられたかもしれないのに。」
「まだ未練たらたら?」
「いや、それはない。もう凌ちゃんとは恋しないって決めてるから。だから早くいい人紹介してよ。」
「ほんとにそれでいいの?」
「...いいんだよ。凌ちゃんとはそういう運命で。」
「そういう運命、か。」
「幼馴染みのままでよかったんだよ。憧れのヒーロー、初恋の人。ほら初恋って実らないからいいんじゃない?」
「そうだけど、ほんとにいいの?」
俺には凌ちゃんと幸せになる、という未来が見えなかった。
凌ちゃんが俺のことを好きになるなんて可能性も。
凌ちゃんには俺じゃない。
そして俺にも凌ちゃんじゃない。
家に帰る途中、新しくできたコンビニに寄った。
そこで凌ちゃんを見つけて声をかけようとしたら隣に長身でめちゃくちゃカッコいい男の人がいた。
お似合いだ。
二人は言い合いをしながらも買い物をすませ、マンションに帰っていった。
そう、ああいう人が凌ちゃんにはお似合いなんだ。
そう思った瞬間胸の奥に小さな針が刺さった気がした。
チクチクと俺の胸をつつく。
嫉妬なんて見苦しいぞ俺。
家に帰って隣の声が聞こえないようにイヤファンをして音楽を流した。
こういう時は絶対にロックにする。
もしいい感じのR&Bなんか流したら終わりだ。
翌日、隣から昨日の男の人が出てきた。
「あ、春日井くん、だよね?」
「え?」
「昔、会ったことあるけど覚えてる?」
「いや、」
「だよねぇ。俺、田辺。今度さ一緒にキャンプでも行かない?」
「キャンプ?」
「誰か誘っといてよ。じゃあ、また。」
そういうと颯爽と去っていった。
後ろ姿までカッコいい。
「田辺?あれ?」
「帰っていったよ。」
「そっか。昨夜うるさくなかった?あいつ声でかいから。」
「全然!」
「なんか変なこと言われなかった?大丈夫か?」
「あぁ、なんかキャンプ行こうって。」
「まだ言ってんのか。忘れていいから。」
「え?でも俺も行きたいなキャンプ。子供の頃よく皆で行ったよね。」
「行きたいの?」
「うん。」
「じゃあ話し進めとく。」
「ほんとに?」
「おう。」
そんな話を佐久間さんにするとめちゃくちゃ乗っかってきた。
そしてあれよあれよと話が進み、キャンプ当日を迎えた。
田辺さんが運転、地図がわかる佐久間さんが助手席、で俺ら二人は後部座席でゆったりしていた。
朝が早かったから眠たくてゆらゆらしてると、
「寝てていいよ。結構時間かかるし。」
凌ちゃんに言われた。
「ごめん、じゃあちょっと寝るね。」
そう言って目を閉じた。
次に目を開けた時、俺は完全に凌ちゃんの肩に頭を預けてた。
やばいと思いながらも心地よすぎてまた目を閉じてしまった。
昔、同じようなことがあったような。
子供の頃、それこそキャンプの帰りに。
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