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飛び散るうろこもなんのその、スプーンでがりがりと削り取ったら次はエラと内臓を取り出すのだがこれがまた難関だった。
動画を見てもいまいちどこを切るのかわからない。
「うーん、よくわからないんだが、なんか薄い皮というか膜でなにもかも繋がってるような」
「エラと繋がってる薄い膜は全部切り離してもいいんじゃね?」
「そうだね、切れないと外せないわけだし。ぐぬぬ、エラ先だっけ?あごの下の接続部分、全然切れないんだけど?」
「そこ動画ではスパッと切れてるんだよなあ、よくわからん」
「まあそれを言い出すと動画ではどこもかしこもスパスパ切れててなにもわからないとも言えるね」
「それもそうだなー」
「動画をあげているのはプロかそれに準ずる程度にはやり込んでるひとばかりだから、包丁の切れ味とかも違うのかもしれませんね」
「ふふ、自慢じゃないがうちの包丁はスーパーで買った安物なうえに十年選手だぞ」
「勝負にならねえ……そうだ、ハサミとかどーよ」
ニシキの提案に首を傾げるニノマエとニカイドウ。
「キッチン用のハサミならあるんじゃねーか? カニを切ったりするやつとかさあ」
「ああ、それはあるかもしれないね。ちょっと待ちたまえよ……っと、あったあった」
「俺らみたいな素人が細かいとこに包丁突っ込んで切るのは難しいってニカイドウを見ててよくわかった。だから俺たちは文明の利器に頼ろう! ハサミならエラも腹も切りやすいんじゃね?」
言われるままにハサミの先端を差し込んで、エラ先を切断する。
「おお、これはらくちん。やるねニシキくん。頼りになるぅ!」
「そうだろうそうだろう。俺は頼りになる男さ」
ニカイドウのあからさまなご機嫌取りに調子に乗っているニシキに構うことなくニノマエは動画を進めて次の工程を確認している。
「次はカマ下から包丁を入れてお尻まで切るらしいんですけど、これもハサミでやったほうがよさそうですね。初めてで包丁だと内臓を傷付けて大変なことになりそうです」
「カマ下ってどこさ」
「カマわかります? 魚の下部の左右のカマの間がカマ下です」
「エラとカマの違いがわからないんだけどここかな」
「外がカマで中のグロいのがエラですねたぶん」
「なるほど理解した。……んんんこれ硬いんだけどっ、なっ、くっ、切れないっ! 気合か、気合が足りないのか!」
「ハサミなら気合次第でイケると思います。会長頑張って下さい」
「女性諸君なんでも気合で切ろうとするの絶対間違いだからな!?」
「よし! 今なにか想定外のものを切断した手応えがあったぞ」
「なんにもよくねえよおおおおおおっ!」
「臓物を! ブチ撒けろ! おっと千切れた」
「うぷ、すみませんちょっと……お手洗いに……グロ……」
「ニノマエちゃん俺たちだけにしないでくれええええええっ」
三者三様の決死の献身(献身度合いには個人差があります)により三十分後、どうにか魚の解体を完了したのだが、戦いは道半ばというかまだ食材の下拵えが終わっただけである。
そして今からがまさに本番なのだが、ここでまさかの助っ人が登場する。
「どうもみなさん、いつもマオちゃんがお世話になってます」
キッチンへにこやかに現れた淑女、そう、ニカイドウ母だった。
「おおおお義母さんはじめまして生徒会副会長のニシキと申しますどうもはじめましてぇっ」
「先輩はじめましてが被ってますしなんか呼び方が恣意的ですよ。はじめまして後輩のニノマエです」
「あらあら、ふたりともマオちゃんのお友達とは思えないほど礼儀正しいわね」
「ちょっとママ! 私が礼儀正しくないみたいに言わないでくれない!?」
「会長ご家族と話すときは別人みたいですね」
「それなー」
「ああんもう! ママなんで出てきたのよ!」
「マオちゃんの作ってるそれが私とパパのお夕飯になるからじゃないかしらね」
「「「……はい」」」
期せずして三人がハモった。
「そもそも我が家のキッチンはママのお城なの。器具を乱暴に扱ったり無用に散らかしたりするのは許さないわ。しばらく様子を見てたけどマオちゃんあんまり要領よくないし、ここからは火も使うからママがきっちり監督します。いいわね?」
ぐうの音も出ない。
しかし結果としてこの参戦は正解だったと言わざるを得なかった。
そもそもニカイドウはアクアパッツァのレシピをまったく理解していないまま本日に臨んだので、材料が十分には揃っていなかったのである。
彼女は真鯛のほかにはアサリとブラックオリーブ、パセリしか買っておらず、アンチョビやケッパー、ドライトマトのような一般家庭にはあまり買い置きのない調味料について完全にノーマークだった。
ところがニカイドウ母、魚を購入した時点でアクアパッツァを作りたいという話を聞き出して敢えて本人にはなにも教えることなく、その上でこっそり不足の材料を買い足していたのだ。
まあぶっちゃけ完全に仕組まれた参戦だった。この娘にしてこの母ありである。
よって後半戦、調理パートについてはニカイドウ母によるレクチャーを聞きながらニカイドウ娘の調理を見学するという、生徒会活動としてはなんだかよくわからないリモート会議が続けられた。
「それにしてもマオちゃんてば男の子がいるのにそんな格好して。普段家の中でもそんなはだけた服着てないじゃない」
「え、そうなん?」
「ママああああああああああああっ!!!?!?」
のちにニノマエは自分の彼氏に「このときの会長の悲鳴が一番面白かった」と語る。
《ピンポーン》
その日の夜、マンション住まいのニシキの部屋の呼び鈴が鳴った。
「へーい、どちらさまっと……おお?」
玄関先にはニカイドウが立っていた。さきほどの格好の上から薄手のショールを羽織っている。
「や、やあニシキくん」
「お、おう。どうしたんだ急に。つーか夕飯食うって言ってなかったっけ?」
「いやあそれがうちの母さんが」
「ママ」
ニシキの訂正に赤面して喉に詰まったようなうめき声をあげるニカイドウ。
「……ママがニシキくんとニノマエさんにおすそ分けしてこいってうるさくてね」
「ええ……いいのか?」
「いいんだよ、うちは三人家族だから食べきれないし、それに」
視線を逸らしながら切り身の入ったプラスチック容器を差し出す。
「キミも自分の彼女候補が作った手料理には興味があるだろう?」
「え、えっと、まあ、そうだな、大変興味アリマス。つーか、テレてんのか?」
暗くて気付かなかったがよく見るとニカイドウの顔が赤い。彼女は容器をニシキの腕に押し付けると、フイっと背中を向けた。
「なあ……なんで俺は付き合ってもらえないんだ?」
ニシキの告白に対してニカイドウが保留と回答したのは一ヶ月以上も前の話だ。先日はニノマエを巻き込んでダブルデートの形で遊園地にも行った。
一応何人かの女子と付き合った経験のあるニシキの見立てでは彼女もまんざらではないはずだと思っているのだが、ところが一向に返事がない。
まあ、ニシキからはここまで一度も返事の催促をしていないのだが。
そんなわけでそろそろどこかのタイミングで再度聞くべきかと思い始めていたのだが、今日このときがまさにそれなんだろう。
「あんまり急かすのもどうかとは思うけどさ、そろそろ返事をくれてもいいんじゃね?」
ニカイドウはしばらく沈黙したあと、振り返ることなく言う。
「キミは私のことを恋愛対象としてずっと見てきたんだろう?」
「あ、ああ。まあそうだな」
「ぶしつけな質問かもしれないけれど、それはどのくらいなんだい?」
「ええと、そうだな……去年の夏休み明けくらいに意識するようになったから、ちょうど一年くらいか?」
「けっこう長いね」
「まあそうだな。それが?」
「キミは一年私に恋してきたが、私はそうじゃない。だから…その」
「……うん?」
「わ、私もキミに恋する時間が必要なんだよ。せめて夏休みが明けるくらいまでは、待って欲しい」
「え、あー……いいけど。遊びには、誘ってもいいよな?」
「かまわないよ。……その、楽しみにしてる」
「お、おう。じゃあ来週映画観に行くか」
「急だねえ!?」
「そうか?」
ニカイドウが悲鳴のように応じたが、ニシキにしてみればそれほど特別なことを言ったわけでもない。先日はダブルデートだったが、じゃあ次はふたりで出かけるのも順序というものだ。
「まあちょうど観たいやつがあったんだよ。お前の好みかどうかはわかんねえから、ほんと俺の趣味だけどさ。だから、まあ、チケット代くらいは奢るぜ」
積極的な彼の言葉に、彼女は半笑いで視線を落とす。
「ま、まあ……考えておくよ。明日くらいには、なにか返事する」
「そっか。わかった」
ニシキはそれ以上を言わない。自分は答えを待っている側だ。催促はしても、それ以上詰め寄れば相手の負担になる。
「じゃあ私はニノマエさんのところにも行かなくてはいけないのでね。さ、さらばだ!」
彼女は最後の言葉を早口に述べ立てると振り返ることなく小走りにマンションの廊下を歩いて去っていった。
今の会話の意味を咀嚼するのにいまだ手間取っているニシキだけがぽつんと立ち尽くしていた。
彼女の表情はあまり見えなかった。顔色も伺えなかった。
ただ少しだけ上ずった声だけが、ニシキの耳にいつまでも残っていた。
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