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5.怪人ニシキの権謀術策
夏が過ぎて秋になるとこの学校では文化祭の季節だ。各クラス、部活、委員会などから企画書を受け取った生徒会は内容の精査に大忙しだった。
「図書委員会はメイド喫茶。クラシカルメイドスタイルでドリンクは地元の喫茶店から応援、スイーツは家庭科部から融通。まあプロに任せときゃ間違いは無いだろうけど、どうなんだこれ」
書類を読み上げる赤毛の副会長が不可解な声を上げる。
「喫茶店からの応援の件は聞いてるから問題ないよ。先生方も私から説明して承知されてる。スイーツは生徒の間で話が出来てるなら問題ないんじゃないかな? いかにも生徒主導という感じでいいじゃないか」
彼の後ろから書類を覗き込んでいる生徒会長が言うと、副会長も小さく頷く。
「ならいいか。次、プロレス同好会の、なんだこれ。空前絶後! 一年女子最強決定戦だって。プロ同に一年女子いたっけ?」
その言葉には会計の一年男子生徒が顔を上げて答える。
「それの参加者どっちも帰宅部ですよ。二年のスワ先輩が声かけてるとこ見ました」
「そうなんだ……」
ふたりは意外そうな顔を向けて首を捻る。
「うーん、ちゃんとプロレスやってない帰宅部の子がリングに上がって大丈夫なのかな」
会計の彼が首を横に振った。
「言っときますけどそれ、柔道部クビになったムコウが出ますよ」
「ムコウって、スポーツ特待生“だった”あいつ?」
「ええ、入学二ヶ月でバッキバキに怪我人出して退部になった彼女です」
それまで黙っていた書記の少女が初めて口を開いた。
「私の知ってる範囲だと、喧嘩で今年補導歴三回のタカドノ姉が参加すると聞いています」
副会長が首を傾げる。
「補導歴三回って、まだ夏休み終わったばっかりなのに。つか一年なのに姉?」
「双子の妹さんが在学してるので。妹さんは奇しくも今話題にあった家庭科部だそうですよ」
「ああ、なるほど。……ともあれ、だ」
ふたりの言葉に会長と副会長が顔を見合わせる。
「これは……ダメだな」
「生徒の積極的な企画提案にダメ出しするのは生徒会長として大変忍びないけれども、流血沙汰不可避の企画はさすがに通せないねえ」
「だよなー。プロ同は俺がいこうか?」
立ち上がりかけた副会長の肩をぽんと叩いて座り直させる。
「いや、私が行くよ。期日は押してきてるし、もしその場で代案が出るなら決定権のある人間のほうが良いだろう」
彼女はにこやかに言って周りへも視線を向ける。
「そんなわけでニノマエさんとニコくんはニシキくんのサポートよろしく。終わったら先に上がって貰って構わないからね! それじゃアディオス!」
生徒会長のニカイドウは茶目っ気たっぷりに敬礼しつつウィンクすると軽い足取りで生徒会室を出て行った。
「さて、そんじゃー俺らは俺らの仕事をしますかね。オッケー出た企画の入力が終わったら自分の処理した企画書を各責任者へ返しに行って流れ解散な!」
「わかりました」
ニノマエは事務的に答えて自分のパソコンに向かって作業を始める。会計のニコはちらりと視線を向けて小さく頷いただけで返事はしなかったが、同様に作業に入った。
生徒会室は書類をめくる音とキーボードを叩く音だけが響く静寂と言ってもよい空間になる。
ニカイドウがいるときは誰もがそれなりに口を開くので和気藹々といった雰囲気の生徒会だが、あるいはニシキとニノマエだけであれば他愛ない雑談をかわしたりもするのだが、これがこの三人となると微妙に収まりが悪い。
理由は会計のニコだった。
中肉中背で細面、ニノマエのような露骨にキツい顔立ちではないのだが、しかし軽口を許さない独特の雰囲気があった。
この彼、中学のうちから商業系の資格をいくつか持っていて会計としては抜群の戦力だがいかんせんニシキに対してあまり好意的ではない。
一方ニシキも最初のうちこそいつものように悪絡みしていたが嫌な顔をするでもなくただただ相手にしないニコと話すのはさすがに疲れてきたようで、特に夏休みが明けてからは積極的に話しかけようとしなくなった。
まあ元々生真面目が服を着て歩いているようなニノマエとしては仕事中に雑談をしたいわけではないし、決して悪い環境ではないのだけれども。
暫くしてニコが手を止めて書類を片付け始めた。この手の作業はさすがに一番早い。
「え、ニコちゃんもう終わったの。早えーな! 俺まだ半分くらいだよ。少し多めに頼めば良かったなー」
ニコは感心しつつも軽口を叩くニシキを一瞥すると小さく溜息を吐いた。
「自分の分担は自分で片付けてください先輩」
「たはー手厳しい!」
「だいたい不公平感が出ないようにって均等にわけたのは先輩ですよね」
「そりゃそうだけどさあ」
ぐだぐだと口答えするニシキの態度に、横で聞いているニノマエのほうが苛立ち始めた辺りでニコが舌打ちをした。
「そういうちゃらんぽらんなところ、会長に不釣り合いなんですよね」
感情の籠った、憎々しげなその言葉にニシキとニノマエが同時に目を見開いた。
「夏休み明けてからずいぶんと会長に馴れ馴れしくなりましたよね、見てればわかります」
まさか他人にさっぱり関心のなさそうなニコが人間関係、それも生徒会内での先輩同士の色恋沙汰に口を挟んでくるなんて、ニシキはもちろんニノマエにも想像すらできていなかった。
「そそそそれがなんの関係って」
「往生際が悪いですね」
明らかに視線をキョドらせながら震え声で誤魔化そうとするニシキにピシャリと言い放ったニコは、まるで睨むように上目遣いでニシキを見るとわざとらしく大きな溜息を吐く。
「先輩が会長に好意を抱いてるのは傍で見てれば丸わかりですよ」
「お、おお……マジかー」
ニシキはこの世の終わりのような感嘆の呻きを漏らしながらちらりとニノマエに視線を向けたが、彼女はこともなげに書類へ視線を落とした。
ここまで恋愛事に関して圧倒的存在感を放っていたニノマエだが、実際のところ彼女のほうがむしろひとの心の機微などは苦手なのだ。その保証など無きに等しいものだと、ニシキは早めに気付いておくべきだったろう。
「当然じゃないですか。先輩は僕のこと路傍の石ころだとでも思ってたんでしょうけど、生憎とそうじゃないんですよ。僕は……」
言いかけて彼はやはりちらりとニノマエへ視線を向ける。ニシキもつられて再び彼女へ視線を向けた。生徒会に限らず生来チラ見されることの多いニノマエは、小さく溜息を吐いて手を止めるとふたりの視線を受け止める。
「ああ、私のことはお構いなくどうぞ。ふたりの情緒にはまったく興味ないけれど生徒会の人間関係は知っておいたほうがたぶんお互いのためになるでしょ? 黙って聞いてるから好きなように続けて頂戴」
「わ、わかりました。それでは……」
彼女のあまりの言い草に一瞬怯んだニコだったが、気を取り直してニシキへ向き直る。
「ニシキ先輩は別にニカイドウ先輩と付き合ってるわけじゃありませんよね?」
「え、え? ああ、まあ……そう……だね、うん」
付き合っているのかいないのか。そう言われれば付き合っていない、と答える他ない。もうあとは条件として出されたニカイドウが恋するだけの時間を待つだけで実質ほぼ交際しているようなものだが、現時点では付き合っていない。
「じゃあ僕がニカイドウ先輩に告白しても構いませんよね」
「え、うんまあ、そ……いや構うだろっつーかそもそもなんで俺に報告すんだよ」
つい流れで肯定してしまいそうになったが我に返って突っ込む。
「出し抜かれたとか後からグズグズ言われると面倒くさいので」
「俺そういう目で見られてんの!? ねえニノマエちゃん!?」
ショックのあまり勢いよくニノマエに振ってしまったニシキだったが、彼女はちらりと一瞬視線を上げてすぐに書類に視線を戻す。
「今って私の感想聞いてる場合じゃないと思いますけど」
辛辣だったがその通りだ。ニシキは呻きながらニコへ向き直った。
「告白、するのか?」
恐る恐る聞く声が少し震えている。
「ええ、しますね」
ニコが黒縁眼鏡をくいっと押し上げて返した。
まったく余談だが生徒会で眼鏡をかけていないのはニシキだけだった。
「ちなみに……い、いつなのか、聞いても……?」
「文化祭です。確か演劇部と生徒会の合同でロミオとジュリエットをするんですよね。脚本はニシキ先輩でジュリエット役はニカイドウ先輩が既に確定、ロミオ役は公募するとか」
「そう……その予定、だが……」
細かい脚本などはまだ未定だが、ニシキはその件について既に演劇部と連名で生徒会に提出し自分以外の生徒会役員にチェックをして貰って企画を通している。その過程でニコも当然その件を知っている。
「僕もロミオ役として応募します。一応中学では演劇部をやっていたので素人というわけでもないですし。そして通れば劇中で彼女に告白します」
「え゛……」
というか選考はニシキが行う予定だったのだ。当然その辺りはニコも理解している。
「なので」
彼が不機嫌じみた無感動な顔を、初めて嫌味ったらしく歪めて笑った。
「ご心配ならどうぞ落としてください」
ニコはそれだけ言うとニシキの反応を待たずに荷物を纏めて生徒会室を出て行く。
「それでは、お先に失礼します」
ぴしゃりとドアが閉まり、生徒会室にはニシキとニノマエだけが残された。
静寂。
しばし呆然と立ち尽くすニシキ。ニノマエは彼を無視して自分の仕事を続けながら、しかしどう対応すべきかの検討にも意識を割いていた。
そもそも彼女が今までニシキに肩入れしてきたのは、生徒会室内が居心地の悪い人間関係になるのを忌避したからだ。
ところが夏休みを挟んで数ヶ月、やっとニカイドウもその気になってきていよいよかと思っていた矢先にこの話である。彼女の醸す空気の変化は当然当事者のニシキのほうがはっきりと感じているに違いない。
静寂のなか、ここは変な意地を張らずニコは選考でさくっと落としてさっさとケリをつけるべきだろうとニノマエは結論した。
“恋は戦争、愛も戦争”とニシキに再三吹き込んできた彼女だ。殺ってみろと言われたら迷わず殺るに決まっていた。
見栄や体裁で交際権は手に入らないのだ。正々堂々なんてクソくらえ。夜討ち朝駆けどんとこい。
「先輩、余計なお世話とは思いますけれど」
「ニコちゃんのあれってさあ」
言いかけた言葉を遮るように彼が口を開く。良くも悪くも表情豊かなニシキの無表情に妙な胸騒ぎを覚える。
「なんでしょう」
「ニノマエちゃん的にはさくっと落としてチャンスすら与えないべき、って思うよな」
「ええまあ、そうですね」
さすがにここしばらく付き合いの密度が高かっただけはある。ニノマエの言いたいことをよくわかっていた。
「でもあれってさ、俺は喧嘩売られたってことだよなあ」
ニノマエは言葉に詰まった。喧嘩を売られたというか挑発を受けたというか、とにかく宣戦布告なのは間違いないが、それを口にするとよくないほうに流れる予感がするからだ。むしろ確信と言ってもいい。
彼は返事に困って黙るニノマエを一瞥してにぃっと笑った。
朗らかで騒々しいお調子者らしくない攻撃的な笑顔をじっと眺めてから深く溜息を吐いて眉間を揉む。
「聞き分けがない男の子の顔をしてますよ先輩」
「こう見えて実は男の子だからな!」
「……もう。どうなっても知りませんからね」
うじうじと悩んだりしているのであれば叱咤もしよう。けれどもそれがなんであれやる気になっているのであれば敢えて不要な口出しはするまい。そう思うニノマエだったが、結果としてこの判断は彼女にとっては失敗だったと言わざるをえない。
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