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あれから数日、ニシキとニコのあいだに人間関係の変化は見えないが、ニシキは生徒会と並行して頻繁に演劇部に出入りするようになった。それが元々の予定だったのか、なにか悪だくみをしているのか、ニノマエには推し量れない。
「あー、フミちゃん、ちょっといいかな」
昼休み、いつも通り自席でひとり昼食を取り終えたタイミングで声をかけてきたのはクラスメイトのヒロセだった。誰とでも分け隔てなく接する明るい彼女なので話しかけてきても不思議ではないが、基本的にニノマエと付き合いらしい付き合いがあるわけでもない。
「どうしたの?」
「えっとねぇ……そのぉ」
弁当箱をカバンに片付けながら問うと、彼女は言いにくそうに周囲へ視線を巡らした。
「……ジュース、買いに行きましょうか」
「いいわね、行く行く!」
助け船に乗る形で売店まで飲み物を買いに行き、見通しが良くひとけの少ない体育館の壁に背を預けて座る。ニノマエはレモンティー、ヒロセはチョコミント豆乳をそれぞれ口にした。
「それで?」
ニノマエにはまったく心当たりが、実は無いとも言い切れなかった。
「いやあ、あの、今度の文化祭で演劇部と生徒会の合同演劇があるじゃない? それで、ニシキ先輩が書いてきた台本がけっこうアレでさあ」
やっぱりその件か……ニノマエは大きくため息を吐く。特にニシキからなにか聞かされているわけでもないのでなにがどうアレなのかはわからないが、そうなってしまった理由は想像に難くない。
「もしかして生徒会のほうでなにかあったのかなーって、ね?」
「なにか、って?」
「なにかって言えば、ほら、こう……ねえ? 人間模様的なあれそれとかさあ」
愛想笑いで歯切れの悪い聞き方をしてくるヒロセを見てニノマエはすぐにピンときた。ビキビキと眉間にしわを寄せる。
「なるほど、アンタがニコくんを焚き付けたわけだ」
「ぐっは……その、まあ……うん」
半眼でじとりと睨み付けると彼女はあっさりと認めた。
ヒロセは一年のとき部活紹介で当時演劇部だったニシキに一目惚れしたという不純な動機で入部していた。それにも関わらずさほどお近づきになれないままニシキは翌年生徒会選挙に出馬し副会長として当選、日常的に両立は難しいと退部してしまい彼女だけが取り残されたのだ。
可哀想な話と言えなくもないけれども、まるっと一年なんの進展もないまま悠長にしていたヒロセに対して恋愛過激派のニノマエには欠片の同情心も湧かない案件だった。
むしろ経緯を知りながらここに座るまですっかり忘れていた。
ニコは中学時代演劇部だったと言っていた。入学後に演劇部員となんらかの接点があっても不思議ではない。そしてニコの恋心を目敏く察したヒロセはニコとニカイドウがくっつけばニシキにアタックするチャンスができると踏んだのだろう。
「彼、ニシキ先輩に喧嘩売ってたわよ」
「マジで」
ヒロセの目が驚いた猫のようにまんまるになった。
「聞いてないの?」
「ロミオ役で応募して、当日舞台でニカイドウ先輩に告白することにした、って話は聞いたけど」
「ニコくんわざわざそれをニシキ先輩に言って心配なら落としてくれてもいいんですよって煽ってたわよ」
「マジでぇ……聞いてないよぉ……」
「先輩も男の子だから変にやる気出しちゃって」
「あー、わかる。そういうとこあるよね。そっかーそれでかー……」
「ひとりで納得してないで。そっちはなにがあったの?」
彼女は事情を理解したようだが、ニノマエはまだ演劇部側の動きを聞いていない。当然こうなったからには状況を把握しておきたい。
「最近ニシキ先輩が台本を書いてきて部長と打合せしてるんだけどね、その台本がたまたま部室に置きっぱなしになっててさあ」
「盗み見たと」
「き、聞こえの悪い言い方しないで。部室のテーブルに台本置いてあったら見るでしょ普通」
「まあ、そうかもね。それで?」
「パラパラっと目を通しただけなんだけど、それが……」
ヒロセからもたらされた情報はニノマエの想像では及びもつかない内容だった。
そしてキャストの中に当然のように自分の名を見つけて気が遠くなった。
そう、考えてみれば当たり前だった。なにせ彼女の立場は『生徒会書記』なのだ。
無理にでも止めるべきだった。
いや、むしろ合同出し物の時点で巻き込まれていると気付くべきだったのだ。
なにもかもが後の祭りだった。
演劇部ではその日を境に緘口令が敷かれ、文化祭まで劇の内容を口外しないようにとの指示が出された。同時に新聞部協賛でポスターが張られる。
『演劇部+生徒会の合同演目ロミオとジュリエット、ロミオ役募集のお知らせ。定員二十名。締切は文化祭当日。なお選考は』
『全員参加で劇中にて行われるものとする』
そうして、文化祭の日はやってきた。
『モンタギュー家の一人息子ロミオ。彼は遊び半分で忍び込んだキャピュレット家のパーティで彼女と出会います。そう、運命のひとジュリエットとの出会いを!』
舞台中央でモブ役に囲まれつつひとりスポットライトを浴びるドレス姿のニカイドウ。演劇は素人のはずだがずいぶんとサマになっている。
逆にロミオや主要な人物がスポットライトを浴びることはなく誰が誰なのかほとんどわからないままだ。
『出会ってしまったふたりはたちまち恋に落ち、密かに結婚式を挙げて既成事実を作ってしまおうと知人の修道僧ロレンスの元へと向かいます』
ときどき起こる観客席のざわめきをよそに劇は淡々と進んでいく。
『ロレンスの元へ訪れたジュリエット、しかしここに来て大変なことが起こってしまいました』
異様な雰囲気のなか、場面が変わりスポットライトを浴びたのはニカイドウと、なんと修道僧姿のニシキだった。
『なんということでしょう! ひとの口に戸は立てられない。どこからともなく結婚式の話を聞きつけた男女が我こそ正統なロミオなるぞとロレンスの庵へ駆けつけてしまったのです!』
ナレーションと共に舞台衣装に身を包んだ男女がぞろぞろと舞台へ上がってきた。
そう、男女問わず総勢二十人。ロミオを希望した定員一杯の全員がそこにいた。
「くそ……なんだよこれ……」
そのなかに紛れているニコが吐き捨てるように呟く。
ロミオ役に応募することでニシキに選択を迫っていたはずのニコは、逆にニシキの台本によって“ロミオの座を奪いあう男女のひとり”に押し込まれてしまった。
しかも肝心のニシキはロミオとしてニコと競うのではなく、ロレンス役としてしれっと登壇している。
唖然としているのはなにもニコだけではない。ロミオを希望して参加した他の十九人も同様だ。
ロレンスに扮したニシキが大仰に手を広げて告げる。
「よくぞ集ったロミオを目指す猛者たちよ! 今から私の言う宝物のうちからひとつを手に入れてジュリエットに捧げるがよい!! さすれば私が責任を持って彼女との結婚式を挙げてしんぜようぞ!」
堂に入った声でニシキが叫ぶように宣言し、これが答えだとばかりに明らかにニコへ視線を向けてニタリと笑う。
「さあニコちゃん、男を見せてみろよ」
定番の古典恋愛悲劇だと思われた舞台は突如として妨害付きアスレチックを強いる肉体系バラエティへと変貌を遂げた。
平均台の上を歩かされ、メイド長に扮したニノマエから大量のお手玉を投げつけられ、傾斜のキツい斜面を駆けあがらされ、テレビで見たような大道具があれやこれやと出てきてはロミオたちの行く手を阻む。
集ったロミオたちは次々と脱落していき、最後には五人しか残っていなかった。
しかしそのなかにはニコの姿もある。
あまり運動の得意なニコではなかったが、これは彼の意地だった。なにがあってもロミオの座を勝ち取ってニシキの鼻を明かすという強い意志だけがニコを突き動かしていた。
数々の妨害を乗り越えて生き残ったロミオたちはジュリエットとの逢引きシーンへと移っていく。
幕が上がり、バルコニーと庭の木陰を思わせるセットが現れた。庭に集まりバルコニーを見上げるロミオたち。しかしジュリエットの姿はない。
「どうなってるんだ?」
「わからん……なにもわからん……」
戸惑うロミオたち、ざわめく観客。そこに大仰な声が飛んだ。
「よく生きて帰ってきたな愚かなロミオどもよ!」
声とともにバルコニーに姿を現したのは美しいドレスに身を包んだジュリエット、の格好をした女装のロレンス、つまりニシキだった。
一瞬の間があり、観客たちが一斉に噴き出す。
「ふぅーはははははっ! ロレンスとは仮の姿、我こそが真のロミオよ! キャピュレット夫人を焚き付けジュリエットに這い寄る虫どもを一掃する計画だったが、まさか生きて帰ってくるとはなぁ!」
両手を広げて哄笑するニシキは完全に役に入り込んでいて欠片の恥じらいもみられない。しかし酷いロミオもいたものである。怪人というより、もはや変人だった。
「かくなる上は私が自ら貴様らを葬ってくれようぞ! 出でよ、影武者軍団!」
おそらく柔道部員辺りと思われる、ジュリエットと同じドレスに身を包んだ逞しい男たちが次々と舞台上に現れてロミオたちを追い回し始めた。
大混乱の舞台上、バルコニーから飛び降りたニシキがニコと対峙する。
「くっくっく、偽ロミオはそろそろ退場の時間だぜぇ?」
悪い笑みを浮かべて掴みかかるニシキ。ニコは反抗するようにその手を掴み、がっつり手四つの姿勢になった。
「こんなやり方……恥ずかしくないんですか!」
「は? ニコちゃんこそ恥ずかしくないのか」
笑みを消して見下ろすニシキ。
「ニカイドウが好きなら俺なんか関係ない。付き合ってないって看破してたんなら尚更さ。勝手に告ればいいじゃねえか」
図星を突かれて言葉に詰まる。
ニシキは頭にきていた。ニノマエに煽られたりサポートを受けたりと世話になったとはいえ、夏前から頑張ってきてようやく今の関係を築き上げたのだ。
一方、少なくともニシキの目の届くところでニコはニカイドウになんのアプローチもしていない。
「俺を馬鹿にすんのは構わんけどさあ。文化祭の劇も利用して、それで勢いつけて告ろうって算段だったんだろうけどさあ。……あのな、じゃあなんで俺に言った? 聞いた俺が黙ってると思ってたのか? アホが、誰がさせるかよ。わざわざ俺の手のひらの上に乗っかって来やがって」
そもそも体格が違う。言葉とともにじりじりとニコが押し込まれていく。
「俺の台本に偽ロミオがジュリエットと逢引きするルートはねえんだよ、残念だったなあ!」
圧に耐えきれずニコの膝が崩れる。ニシキはその隙を突いて彼を肩に担ぐと高笑いとともに舞台袖へと駆けていった。
誰も居なくなった舞台上を、キャリーケースを引いたジュリエットとメイド長が横切っていく。
『事態の混迷を察したジュリエットは信頼出来る従者と共に家財を持ち出して早々に屋敷を抜け出し、別の街で事業を興して優雅に暮らしたそうです』
舞台最後の幕が降りる。
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