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「そんじゃお疲れっしたー!!」
「「「いえーいっ!」」」
夕方、空き教室を借りて生徒会と演劇部の合同打ち上げが始まった。
「いやー去年も酷かったけど今年もひと際だったな」
「ドレス姿で高笑いするニシキ先輩と柔道部女装軍団の迫力よ」
「まさか生徒会長をジュリエットに抜擢しておいて最初からラブシーンは予定無しとか、集められたロミオ役は想像もしてなかったろうな」
今回ほとんどの演劇部員は特に名前のある役をやっていない。ティボルトはナレ死、ロミオの親友マキューシオに至ってはまったく触れられていない有様だ。そしてそのぶんロミオの大運動会に労力と尺が限界まで割り振られていた。
演劇部とは……? となりそうな案件だったが、元演劇部で顔の効くニシキと悪友とも言える演劇部長の説得というか扇動が功を奏し部内から不満は出ていない。
「もう二度とやらないわ」
配られたアップルティーのペットボトルに口をつけながらニノマエがボヤく。
まさかメイドのコスプレをさせられ台詞まであるとは予想外だった。発覚した時点でニシキに食ってかかったニノマエだったが、演劇部との打ち合わせで生徒会役員は全員演者として出演することになっていると言われてはどうしようもない。
なおニコ本人は知らないことだったが、彼には偽ロミオの枠が最初から用意されていて実際の募集は二十人ではなく十九人だったらしい。
「そーなん? 結構可愛かったじゃん」
隣でヒロセが白ブドウサワーを飲みながら顔を覗き込んでくる。
「アンタはナレーションだったからそんなこと言えるのよ。メイド服着たかったの?」
「んー別に着たいってほどでもないけど、あの役ならやってもよかったかなーって」
「はあ、理解できないわ」
「フミちゃんは生真面目だからねえ。もうちょっと肩の力抜いたほうが楽しいんじゃない?」
「余計なお世話よ」
ヒロセはうんざりした顔で呟くニノマエを見て苦笑すると室内をぐるりと見回した。
「そういえばさあ、他の生徒会役員いなくない?」
そう、この場にいるのは生徒会役員四人のうち書記のニノマエだけだ。
「ニコくんはパスだって。先に帰ったわよ」
まあニシキがいるだろう打ち上げにどのツラさげて参加できるのかといえば気持ちはよくわかる。
「ニシキ先輩とニカイドウ先輩は?」
「さあ?」
始まって直ぐにふたりして部屋を出て行くところをニノマエは見ていたが、どこに行ったのかまでは把握していない。関わりたくもないし、関わらないべきだろう。強いて言えば結果だけニシキから聞けばよい。
「まあ今頃どっかでよろしくやってるんじゃないの」
「そっかー。ぐううっ」
悔しそうに呻くヒロセを見ながらニノマエは小さく溜息を吐く。
恋は戦争、愛も戦争。
夜討ち朝駆け奇襲上等。
こと恋愛戦線においては、行動が遅い人間は瞬く間に流れから取り残されてしまう。
「みんな、判断が遅いのよ」
ニノマエは小さく呟いた。
「はー、いや笑った笑った」
日の傾いた茜色の屋上で、ニシキと並んでフェンスにもたれたニカイドウが笑う。
「通して練習しなかったのは参加者へのサプライズでもあったんだね。それにしたってまさかキミの女装を見ることになるとは思わなかったけど」
「ふっふっふ、似合ってたろ?」
「ん、まあ、そう、だね。出番のとき笑わないように必死だったよ。ふふ、あははは」
ニシキの姿を思い出してまた笑う。
「しかしジュリエットとしては、あの数のロミオ相手に一体なにをさせられるのかと本当に心配したんだけどね」
公募で集めたロミオの団体をどうするのか、ニカイドウは説明を受けていなかったのだ。劇の全貌を承知していたのは本当にニシキと演劇部長、一部の演出担当者だけだった。
「ま、その辺はなんとでも。途中で偽ロミオが全員失格になったら別の台本もあったしな」
「へえ、どうなるんだい?」
軽く言ったニカイドウにニシキが覆いかぶさった。ギリギリ触れない程度の、体温が伝わりそうなほどの距離で彼が囁く。
「策謀を巡らしてキャピュレット家を煙に巻いた真のロミオがモンタギュー家も捨ててジュリエットを連れ去るのさ」
普段のようなおちゃらけのない、深みのある声に迫られて息を飲む。
「それは……とても逃げられそうにないね」
自嘲気味の笑みを浮かべて、溜息のようにニカイドウが囁き返した。なんだかんだと理由を付けて引き延ばしてきたけれども、いよいよ年貢の納めどきらしい。
「ああ、覚悟を決めてくれ俺のジュリエット。放っておくとお前には悪い虫が付き過ぎる」
「心配かい?」
「いいや、面白くないだけさ。でも」
お互いの汗すら感じるほどの間近で見つめ合う。
「できれば面白可笑しく生きたいから、頼むよ。他の男に『俺の女だぞ』って言わせてくれ」
「今のご時世そういう言い方すると煩く言われそうだけれども」
ニカイドウは浮かべた苦笑を優しく和らげる。
「仕方ないな。……ニシキくん、君だけの特別だよ」
「ああ、わかってる」
昼と夜の狭間にふたりきり。太陽が消えて行く刹那の刻にふたりは今日初めて触れあった。
文化祭が終わった。
プロレス同好会が出し物を変更したものの案の定トラブルを起こしたり、例のロミオとジュリエットについて保護者からクレームが入ったり、新聞部の隠し撮りゴシップ記事が文化祭特番で大々的に公開され多方面に火種をばらまいたり……などなど事後処理も盛りだくさんだったけれども、どうにか収まって生徒会には静けさが戻りつつあった。
あれ以来、ニシキとニカイドウのあいだには時折ふたりだけの空気が流れるようになった。
最初のうちは加減がわからないのか人前でも平然といちゃつきだしたものだが、一度ニノマエが面と向かって苦言を呈したので最近ではせいぜい僅かな時間を見つめ合ったりする程度まで落ち着いた。
「不純異性交遊の恐れがあると先生方に密告する生徒を出したくなければ節度を弁えて生徒会活動をお願いします」
【密告する生徒】とはつまりニノマエ自身を指していると誰もが承知していた。不言実行を旨とする彼女だが、有言したときの実行率は過去の履歴では百パーセントである。口に出すというのは実質的な最後通牒だ。
ニコがニシキに喧嘩腰の態度を取ったのは結局文化祭前のあのときだけだった。文化祭が終わってからはまるで何事もなかったように静かに淡々と業務をこなしている。
ふたりがいちゃついたり見つめ合ったりしていると聞こえよがしに舌打ちをしたりもするが、彼らがそれに言及しようとするとニノマエが睨んで黙らせるので今のところ直接的な衝突には至っていない。
彼の恋心を反撃の余地なく摘み取るように進言したニノマエだったが、自分が失恋したときには酷く居心地の悪い思いをした経験があり、個人の感情としては彼に同情的だった。
それに彼女はこの居心地最悪空間でもサボらず場を乱さず泣き言も吐かず粛々と業務をこなすニコを、ニシキやニカイドウより人間的に高く評価していた。
さらに、先輩ふたりはあと何か月もしないうちに卒業していなくなるが、ニコとは来年も生徒会で一緒になる可能性が高い。
今後を考えればニノマエにとってどちらを優先すべきかは明白だ。
彼女はニシキやニカイドウへの好意ではなく、あくまでも自分の環境維持のためにニシキを後押ししたに過ぎないのだ。ふたりの蜜月が目に余れば、それを容認するなど決してありはしない。
誰もニノマエには逆らえない。
心理的に生徒会を掌握してしまった彼女には久しぶりの平穏が訪れた。
かのように思われたが、残念ながらそう上手くはいかなかった。
いつの間にか、ニノマエは恋愛相談で頼りになるという噂がまことしやかに囁かれていたのである。
心当たりは何人かいるが、ひとりずつ締め上げていく必要がありそうだった。とり急ぎ目の前の彼から始めよう。
「ニシキ先輩」
「え、はい?」
その一言で角も棘も感じられる鋭い声に思わず背筋が伸びる。
「折り入って、お話があります」
「ひ、ひゃい……」
頭痛の種はまだまだ尽きそうにない。
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