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2.怪人ニシキの一念発起
「それではお先に失礼します」
生徒会室の扉を閉めて、男女の影が廊下に並ぶ。
「解せないですね」
女子生徒が呟く。
「ん……何が?」
男子生徒が問う。
「はあ。何が、と言いますか」
呆れたように呟いて女子生徒、ニノマエは足を止めると男子生徒、ニシキを見上げた。
片や、身長140cmそこそこでややふっくらした小柄ながら凹凸のくっきりしたスタイルで銀縁丸眼鏡の少女。
ヘアバンドでぴっちりと前髪を上げた整った黒髪や手入れの行き届いた細い吊り眉から絶え間なく神経質そうな気配が立ち込めている。
片や、身長180cmを超える筋骨隆々と言っても過言ではない少年。
青年と呼んだ方が相応しいかもしれない精悍さと、加えて整髪料で逆立った真っ赤な髪とその割に人懐こそうな目元が絶妙な胡散臭さを醸し出している。
実に40cmにも及ぶ高低差でありながら、二年生のニノマエに萎縮の気配は微塵も無く、むしろ三年生のニシキが気を使っている雰囲気すらあった。
『さてさて、終わる目途も立ってきたしあとは私がやっとくから、たまには君たちが先に上がるといいよ』
ほんの数分前、我が校自慢の美人生徒会長ニカイドウがそう言ったのは確かで、彼女の指す君たちとはその場に居た生徒会メンバーのことであり、今日の場合は副会長のニシキと書記のニノマエのことでなんの間違いも無い。
日頃からニシキの仕事を手伝って居残り気味だったニノマエはこれ幸いと、そそくさと荷物をまとめて引き揚げてきたのだが。
「私が帰るのは当然として、どうして先輩は残って会長を手伝わなかったんですか?」
「どうしてって、だって帰っていいって言われたら普通帰るでしょ。つーか俺が好き好んで仕事すると思ってるならまだまだ分かってないなニノマエちゃん」
胸を張って答えたニシキを見据えてみるみる柳眉を吊り上げるニノマエ。
「あーもう、分かってないのは先輩ですよ! 残れば会長とふたりきりになるチャンスだったじゃないですか!」
「あ。うーん、まあそう言われりゃそうだけどさあ」
妙に歯切れの悪いニシキの答えにニノマエの苛立ちがあっさりと閾値を越えた。
「会長のこと好きなんでしょうが!」
「ちょっまっ」
「まさかもう諦めたんじゃないでしょうね!?」
「ニノマエちゃん待って! 声が大きいから待って!」
血相を変えたニシキの制止にハッとして周囲を見回す。
幸い誰かに聞かれた様子は無さそうだと確認して、ふたりして胸を撫でおろす。
「そのために生徒会に入ったんですよね。こういうチャンスを生かさなくてどうするんですか」
声のトーンだけはぐっと落としたものの、その語調は明らかにニシキを責め立てる。
詳しい経緯や状況こそまだ知らないものの、彼がニカイドウに恋していることは本人から聞いていた。
彼女が生徒会長になるのがもはや明らかだった最後の生徒会選挙で、それなりの立場にあった演劇部を退部してまで一度も関わってこなかった生徒会の副会長に立候補し、その行動力だけでこの地位を勝ち取ったことを知っている。
ニシキから口止めされていたので黙って見ていたニノマエだったが、これといった行動を起こすでもなく煮え切らない態度でふわっと現状を受け入れている彼に、他人事ながら釈然としないものを感じていた。
そこに今日の出来事だ。
本人同士の問題なのだから余計な口出しは無用と考えていたけれど、こんな調子ではいつまでたっても埒があきそうにない。
「自分は副会長だからとか、ニノマエは二年だし先に帰りなよとか、口の上手い先輩ならその気になればなんとでも言えたんじゃないです?」
ぼそぼそと、淡々と、しかし容赦なく詰めてくるニノマエにニシキはたじろぎつつなんとか宥めようと試みる。
「ま、まあ落ち着いてくれ。なーに美味いものでも食ってちょっと話せば聡明なニノマエちゃんならパパっと理解してくれるような話さ。とりあえずそこの喫茶店にでも」
「お茶に誘う相手が完全に間違ってますが」
「ぐふっ」
「どうせ、俺は今タイミングを見計らってるんだよ一発で華麗に決めるための絶妙なやつを待ってるのさー、とか言うつもりだったんでしょう」
「うごごご」
似てない声真似で図星を突かれてニシキが体を仰け反らせる。
「くっ、何故だ……まさか俺の心が読まれて……」
「先輩のこと、最近なんとなくわかってきましたので」
得意げ、というよりは明らかに見下している醒めた表情でニノマエが見上げる。
「せっかく副会長になったのに今さら怖気づいたんです? 一回や二回振られたくらいがなんですか。諦めなければ失恋じゃないとか言ってたの先輩ですよ?」
こういうタイプの男子はなかなか自分では動き出さない。今の彼氏と付き合い始めるにあたってそれなりに苦労したニノマエの見解だ。
ニシキにしてみれば余計なお節介かも知れないけれど、いつまでも彼の気持ちをひとに話せない秘密として抱えているのはニノマエにとってストレスでしかないのだ。
可及的速やかに解決して欲しいというのが率直な気持ちだった。
しかしその叱咤激励に対して、彼は気まずそうに黙ってつつーと視線を逸らした。不可解な挙動に彼女が首を傾げる。
「なんですかその反応は」
「ニノマエちゃん訝しむにしてももうちょっとその、言い方とか」
「ないですし時間も押してます。会長が仕事終わって出てきたら何もかも終わりですよ」
ニシキにはなにが終わるのかよくわからなかったがとりあえずニノマエがその状況に陥ることを許してくれなさそうだとだけは理解できた。終わるというより終わらされるような気がした。
「いやぁ、実は……その、だな。なんというか…うん」
歯切れの悪い、もはやしどろもどろなニシキを見下ろすように見上げたまま黙って待つ。
「まだ、告白は、してないんだ」
「は?」
年下の小さな女子のたった一文字の発声が、それでも彼には震え上がるくらいにもの凄く怖かった。
そのニノマエの反応でスイッチが入ったのか見た目に似合わない悲痛な声でニシキがまくし立てる。
「た、確かに俺は振られようがなにしようが俺が諦めるまでは失恋じゃないとは言った! ああ言ったさ! だが告白したとは一言も言っていないぞ! どうだ恐れ入ったか!」
「もうダメだわコイツ」
遠慮も会釈も礼も節度もない一言だった。さすがのニノマエも彼氏や後輩にだってこんな言い方はしたことがない。
「なんかものっそいぞんざいに酷いこと言われたな!? 一応先輩だよ俺!?」
「ごめんなさいつい口が。恐れ入るヘタレ具合でびっくりしましたごめんなさい」
「丁寧に言われてもものっそい酷いね」
「目上として敬えるだけは敬いました」
「つらい」
ニノマエは重くて長いため息を吐いた。まるで地獄から響いてくる悔恨の声のように廊下に響き渡る。
「恋心ひとつで生徒会副会長の席をもぎ取った男子が生徒会発足から三ヶ月弱、まさかまだ会長に一度も告白したことないとか信じられないんですけど。これヘタレ以外になんて呼べばいいんです? 怪人ニシキの名が泣いてますよ」
「演劇部時代にちょっと怪人役がハマり過ぎてずっと言われてるけど別に自称じゃないからね!?」
「いいですから」
「あっはいすみません」
しゅんとうな垂れたニシキを見てもう一度ため息を吐く。
「いいですか、これはチャンスなんです。振られたら気まずいと考えてるのかも知れませんけれど、逆に考えれば告白の結果がどうなろうと会長に逃げ場は無いんです。これはもう卒業まで無制限にチャンスを与えられているも同然ですよ?」
「いやあ、さすがにそれは乱暴なのではなかろうか。むこうの気持ちだってあるし……」
「じゃあ振られたらその場で潔く諦めますか?」
「そ、それは……いや……」
詰問するような一言に呻き声を上げる。
「無理でしょう、そんなの。相手の気持ちを振り向かせる努力だって立派な恋愛です」
それが茨の敷き詰められた修羅の道であるのは、彼女自身がよく知っていたが、あえてここでは口にしない。
「もしかしたらこのあからさまな人払いは先輩を誘っているのかも知れませんよ?」
「そ、そんなことが」
「可能性はあると思いますけどね」
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