2.怪人ニシキの一念発起

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 可能性はゼロでは無いだろう、ゼロでは。  しかしニノマエ自身が、(くだん)の生徒会長ニカイドウについて多くを語れるほど知っているとは言い難いのも事実だった。  真偽はともあれ、才色兼備と言われる圧倒的生徒会長。一年生から生徒会に立候補し、噂では入学当初から三年計画で生徒会長の座を狙っていたとまで言われている人気者だ。  真面目に過ぎず不真面目に過ぎず飄々とした朗らかな人柄は多くの生徒に一目置かれているが、現実に裏表なくそのような人柄なのかと言われると、付き合いの短いニノマエに判断する術は無い。  けれどもそれはさておき、結局のところ恋愛は当たって砕けろ。当たらなければ成就もなにもない。これだけは彼女のなかの真理だった。  自分が誰かを好きになった時点で、あとは結果が出るまで徹底的に自分でやる以外の道は無いのだ。 「それに、先輩は大事なことを忘れていませんか」  煽っていこう。ニノマエは心に決めた。 「あの美人生徒会長ですよ。誰の目にも留まる彼女を放っておいたら、次の瞬間には彼氏が出来てるかも知れませんよ?」  たとえニカイドウがどんな人物なのかわからずとも彼女が誰の目にも留まる美人なのは明らかで、ニシキの不安を煽るに格好のネタであることもまた間違いなかった。 「ぐああああやめてくれその攻撃は俺に効くっ」  案の定深く刺さったニシキが頭を抱えてのたうち回っている。学校の廊下ではやめて欲しい。 「やめるのは構いませんけど会長が他の男のものになったあとじゃ難易度は天地の差ですからね」 「ここで追い打ちとは、やるな!」 「やるな! とか言ってないでその図体で廊下を転げ回るのをいい加減やめてください」 「はい」  ぴたっと止まってニノマエの前に正座するニシキ。  不自然なほど神妙な顔つきで肩を落としている姿がなんとも哀れを誘うが廊下で正座もやめてほしい。 「あのですね、あまり先輩を男性として褒めたくはないんですけど」 「前振り酷過ぎない?」 「その発言の意図するところは彼氏持ちの後輩女子に異性として褒めて欲しいということでしょうか? であれば容赦しませんけど」  もちろんその性根を容赦なく叩きのめすという意味だが、それはニシキにもちゃんと伝わったようだ。 「すいまえんでした容赦多めでお願いします」  声が震えていた。 「ふむん、まぁいいでしょう」  ニノマエが鼻息荒くも落ち着いた様子で続ける。 「先輩は見栄えはかなり良いほうですしよほど無理と言うのでなければ万人受けするコミュ力もあります」 「ほう、ニノマエちゃんの彼氏と比べても?」  次の瞬間、ニシキは空気のひび割れる音を聞いたような、そんな錯覚をするほど冷たい目でニノマエに睨まれた。 「一回だけ猶予を与えますけど、次その言い回しをしたらこの件を即座に新聞部のタモンさんにバラします」  二年のタモンと言えば新聞部に所属する虚実構わずウケるネタを書くという問題児中の問題児。まったく不本意だがニシキに匹敵する逸材と噂の危険人物だ。  正直、本人から見るとあっちのほうが遥かにヤバいのだが。 「ほんとうにごめんなさい」  ゆえに、とにかく土下座不可避だった。 「次は無いので覚悟して喋ってくださいね。続きですけど、だからスペック上の不安は無いと思って良いんです。生徒会長が特殊な趣味だったらわかりませんけれどそれはもう回避できないので考えても仕方がありません」 「なるほど…それはまあ、そうかな」 「とりあえず怪人ニシキはあだ名の割に一般受けする人物だと思います」 「凄く頷き難い振りだなー!!」 「その名の通り存在自体が一般的にはドン引きですが相手も変人であることにワンチャン賭けろって言われたいんです?」 「いや、過分な評価恐れ入りますありがとうございます」 「素直な態度は美徳だと思います。そんなわけで、つまりもう他人からアドバイスしても修正できそうなところは特にないです」 「言い切るなー。えっと、性格とかは」 「性格なんて大して関心のない他人に言われた程度でおいそれと変えられるもんですか。ぶつかったらあとは折るか折られるかだけですよ」 「わあすごくちからづよい」 「……仮に先輩が変われるとしたらそれは」  ニノマエは一度言葉を切ってじっと見つめる。その空白に引き寄せられるようにニシキも黙って聞く姿勢に入った。  十分な間を取って、彼女が続ける。 「ニカイドウ生徒会長に直接なにか言われたときだけじゃないですか?」  長い、長い間があった。  ニノマエは床に視線を落として石のように微動だにせず考え込んでいるニシキを、やはり微動だにせずじっと見下ろしている。 「そうだな。それもそうだ」  すっきりしたような表情で顔を上げる。 「理解してもらえたようで嬉しいです。先輩は立場も生徒会長と副会長で絶好のポジションにつけています。目に余るような減点ポイントも無いと言って差し支えありません」  個人的にはもう少し真面目に仕事をして欲しいとは、いつも思っているが、ここでニシキにマイナスを意識させるような発言は控えるように心掛けたい。 「そして愛しの生徒会長は今、生徒会室でひとりきりなんですよ」 「ちょっとその表現は恥ずかしいんだが」  照れるニシキに対してそこは容赦しない。締めるべきは締め、煽るべきは煽るのだ。 「恥ずかしがってる場合ですか。愛しの、生徒会長が、ひとりきりですよ。副会長である先輩が行かなくてどうするんですか」 「お、おう。でもさあ……」 「考えてみてください。万が一『最近ニシキ君とニノマエさんは仲が良いな、今日もふたりを一緒に帰らせて正解だったな。いやあ気が利くな私』とか思われてたらもうこの世の終わりですよ」  そんな風に思われるのは私だって勘弁してほしいとニノマエは思っていたが、ニシキにとってもこの一言は想像以上に効いたようだった。  まるで地獄の釜の底を覗き込んでしまったような、見てはならない不吉なものを見てしまった衝撃と憔悴の表情。 「実際問題、私たちが以前より懇意にしているのは周知ですし事実ですから、もしかしたら本当に思ってるかも知れませんよ? わざわざ私たちふたりを揃って先に帰すなんて、今まで先輩に仕事を押し付け気味だった会長からは考えられないとは思いませんか」  暑い季節とはいえ不自然なほど汗が流れる。虚空を凝視し短く浅い呼吸を繰り返す。  不安と焦燥が心の中を激しく渦巻いているのだろうことが容易に伺い知れた。  様子を見ながらまた少し待つことになりそうかなと思った矢先、ニシキが立ち上がった。思いつめたような、しかし真剣そのものの表情。 「よし、俺ちょっと生徒会室に行ってくる」  先ほどの狼狽具合からは打って変わって迷いのない、地に足のついた声だ。  普段の彼もお調子者なりに好感度は高いはずなので、こういうギャップは良いかも知れないなとニノマエは思った。  少なくとも彼女は嫌いではない。 「わかりました。それじゃ私は先に帰りますね」  彼は頷いて背を向けるとしっかりとした足取りで生徒会室へ向かっていく。  これ以上言葉をかける必要はないだろう。  そしてこれは女の勘というやつなのだけれど、私がここで待つ必要もたぶんない。  ニノマエはそう思った。 《ぴろん》  SNSの通知が鳴った。メッセージを確認する。 『保留! 保留だってさ!! どういうことだってばよ!?』  手馴れた操作で短く返す。 『考えてみるってことじゃないですか?』 《ぴろん》 「やっぱり私の女の勘なんて、あてにならないわね」  自室で独りごちるニノマエだった。
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