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第5話(最終話)ラヴシック家からの逃避行
「あのリリィとかいう女には必要以上に近寄るな。アレはお前に悪影響を与えるだろう」
フランツィスカの父は、厳かな口調で彼女に警告した。
ラヴシック家においては、父が絶対的な家長として君臨している。
父は、フランツィスカとリリィの仲を決して認めなかった。
それはそうだろう、とフランツィスカも思う。
ラヴシック家は、なんとしても王族と彼女を婚姻させ、権威を維持しなければならない。
だというのに、その王族を片っ端から骨抜きにしているリリィがフランツィスカに近づき、仲良くなろうとしているのを見過ごすような父ではないのだ。
フランツィスカは父親に厳しく叱責されて、リリィと親交を深める暇があったらもっと学業に励め、王族に粉をかけろと念押しされた。
結局、解放されたのは22時を回った頃であろうか。くたくたに疲れたフランツィスカは柔らかなベッドに体を沈ませる。
結局のところ、自分はラヴシック家の繁栄の礎になる存在なのだと、父に焼印を捺された気分であった。
(――明日から試験勉強を一緒にする約束だったけれど、どうしたものかしら……――)
フランツィスカの意識は、眠気の波にさらわれた。
次の日、魔法学園ルカランテに登校したフランツィスカは、早々にリリィに出くわした。というかこの女、なぜかフランツィスカの居場所を知っているかのようにその場に現れるのである。魔法を使えばできないことはないが、魔法がポンコツなリリィにできる芸当とも思えず、ただただ謎だった。
「おはよう、フランちゃん!」
フランツィスカに挨拶するリリィを、彼女は無視した。
「あれ? どしたのフランちゃん? おはよう! おはよー!」
「……」
「ま、まさか、難聴に……!?」
ああ、すごくツッコみたい。このうざったい女を扇子で叩きたい。
フランツィスカはそれを我慢するだけでも大変だったというのに、リリィをあからさまに無視したことから、他の生徒達の反感まで買ってしまった。
「会長、いくらなんでもアレはひどすぎますよ」
「リリィちゃん、ずっと挨拶してたのに全部スルーするなんて!」
一般の生徒ならまだ良かったが、王族の好感度まで下がってしまい、フランツィスカは途方に暮れてしまった。
(どうすれば正解なのかしら……。リリィと仲良くするなというお父様の命令は聞かなきゃいけないし、でも王族から顰蹙を買っては逆効果なのでは……?)
そんな悩めるフランツィスカに無視され続けても、リリィは決して挫けなかった。
「フランちゃん! お昼一緒に食べに来ました!」
「……」
「えへへ、隣座っちゃお。フランちゃんは何も言わないから、別にいいよね!」
今だけは、この強引さが少しありがたかった。
リリィの方から無理やり誘われて抵抗できなかったと言えば、父も納得するから。
黙りこくったままお弁当を食べ終えたフランツィスカを、リリィが「ちょっと話があるから一緒に来て」と引っ張っていく。
裏庭の林は、学園の敷地の中でもあまり人の気配がない場所だ。
だから、恋人になりたい生徒たちがそこで愛の告白を交わすとかなんとか。フランツィスカにはとんと縁のないことなので又聞きでしかないが。
リリィはそこでフランツィスカと向き合って、今まで見たこともないような真剣な顔をしていた。
「フランちゃん、私、あなたには言ってない秘密があるの」
フランツィスカは目をパチパチとまばたきさせて、しかし何も言葉を発しようとはしない。
しかし、リリィの秘密を聞かされて、さすがに「はぁ?」と声が出てしまった。
「実は、私はこことは違う世界から来たの。現代の日本っていう場所で、あなたは乙女ゲーの悪役令嬢」
「……? 気でも狂った?」
「あー、やっぱりそういう反応になるよね、知ってた! でもとりあえず話だけ聞いてほしい!」
ゲンダイとかオトメゲーとか、突然意味の分からない単語を羅列されても困る。
戸惑うフランツィスカに、リリィはつらつらと自分の素性を明かす。
なんでも、ゲンダイニホンという異世界で、オトメゲーをしていて、悪役令嬢であるフランツィスカに一目惚れしたとか。
しかし、元の世界の彼女はとても病弱で、ゲームをクリアした直後に病状が悪化し、死に至ったという。悪役令嬢――フランツィスカが結末で王族にフラレて自らの命を絶ったのがショックだったのだと。
「でも、どういうわけか、私はこの世界に来ることができた。その乙女ゲーのメインヒロインとして。だから、貴女を救うために私はここに喚ばれたのかもしれない。ううん、きっとそうだって自分を納得させたの」
だが、メインヒロインの宿命ゆえか、彼女はフランツィスカを救おうとしても王族の心を奪ってしまう。だから片っ端からフッてやったのだ。どうせフランツィスカを死に追いやった憎い男たちなのだから。
「フランちゃんは、多分お父さんから私に近づかないように言われたんでしょ?」
フランツィスカは黙ってうなずいた。
リリィはフランツィスカの両肩に手を置く。
「フランちゃんは自分の生きたいように生きていい。やりたいことをやっていいんだよ。あなたが望むなら、お父さんもぶっ飛ばしてあげる」
「……あなたみたいな魔法もロクに使えないポンコツが、どうやってラヴシック家の家長を倒せるっていうのよ。まったく、無鉄砲なんだから……」
フランツィスカはため息をつきながら、しかし呆れたように笑っていた。
「それはごめん、私ずっと魔法が下手っぴなふりしてた」
リリィが杖を一振りすると、風の刃が発生して、裏庭に広がる林の木々をバッサリと一直線に切り倒してしまったのである。フランツィスカは思わず絶句した。彼女がリリィの魔力量を甘く見積もりすぎていたのだ。
「フランちゃんは私が守るから、あなたのしたいことを考えてほしいの」
リリィの優しい口調に、フランツィスカはしばし考え込む。
彼女にとって、王族と婚姻することは家の教えであり、厳格な父の教えは絶対で、逆らうことは許されない。彼女自身も小さい頃から徹底的に教育されていて、それに対して今まで疑問を持っていなかった。しかし、それは「自分のやりたいこと」ではない。
フランツィスカは、今まで家柄とその使命に縛られていた自分に、ここでやっと気付いたのだ。
「でも……私にはやりたいことなんてないわ」
無理もない。今まで「自分」がなかった彼女はそれを考える余地がなかったのだから。
父に逆らえず、絶対服従を強いられていた自分。お家のために勉学や王族との婚姻に躍起になっていた自分。だが、そんなものは本当の自分ではない。真の意味での「本当の自分」が、今までの彼女にはなかったのだ。
目の前の、たったひとりの「ともだち」が、それを教えてくれた。
「じゃあさ、一緒に学園を出て旅に行こうよ」
「えっ……ルカランテを退学するってこと!?」
目を丸くするフランツィスカに、リリィは平然と「そうだよ」と笑う。
「旅をすれば人生の目的も見つかるかもしれないし、なにか仕事も出来るかも。だって、私たち退学とは言え、あの名門ルカランテにいた学生だったんだっていえば引く手あまただもん」
「それは考えが甘すぎでしょう……」
思わず額に手を当てるフランツィスカだったが、だんだんおかしくなってきて、ふたりで笑いだしてしまった。
「あーあ、なんだかわたくし、何もかも馬鹿らしくなっちゃった。旅に出たい気分だわ。エスコートしてくださる?」
「もちろんですとも、お嬢様」
そうして、フランツィスカとリリィは手に手を取って学園の校門から堂々と脱出し、ふたりきりの旅に出かけることにしたのだ。もう授業もテストも王族も家のことも全部どうでもいい。
ふたりは手を繋いで、どこまでも歩いていった。
――数年後、魔法都市ミクリエールにひっそりと魔法薬の店がオープンすることになる。
そのお店は優秀な魔法薬調合師と、ちょっぴりドジな助手が切り盛りしているそうな。
〈了〉
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