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第3話 孤高の華
「フランちゃん、フランちゃん」
今日もリリィがフランツィスカを呼ぶ声が聞こえる。
魔法学園の朝は爽やかな晴天が広がっていたが、フランツィスカの心は空模様に寄り添ってはいなかった。どんよりとした顔で、鬱陶しそうにリリィを見やる。
「あなた、もうわたくしにつきまとわないでくださらない?」
「なんで?」
リリィは心底不思議そうに首を傾げる。フランツィスカは思わず怒鳴りつけそうになるのをこらえた結果、猛獣のように低い唸り声が出てしまった。
「もうあなたの顔を見るのも声を聞くのもうんざりなのよ。夢に出そうだわ」
「わっ、フランちゃんの夢枕に立てるなんて嬉しい」
「喧嘩を売っていらっしゃるなら決闘でもします?」
フランツィスカは今にも手袋を脱いでリリィに叩きつけたくなっていた。
しかし、この天然女なら手袋もプレゼントと勘違いして喜んで受け取ってしまいそうなのが恐ろしいところである。
どうして同じ人間なのにこんなにも言葉が通じないのか、頭が痛くなってきた。
「ふふ、冗談だよ! でも、フランちゃんは私の憧れの人だから、一緒にいたいなあ……」
「っ……」
朝の学校、生徒たちの目前で、そんなことを言って周りの同情を誘うものだから、無下に突き放せない。この女、もしかしてそれも計算の内なのだろうか……いや、リリィはそんな賢い女には見えないが。
「私ね、純粋にフランちゃんが好きなの。仲良くなりたいな……」
「……くっ……」
リリィが純真な眼差しでフランツィスカの手を両手で包み、上目遣いをしてきた。周囲の人間が微笑ましく二人を遠巻きに見つめている。
「……ああもう、わかりましたわよ……。でも、せめて先輩にちゃん付けする悪い癖は直してくださらない?」
しかし、フランツィスカの指摘に、リリィはテヘッと舌を出した。
「ごめんね。私のほうが年上だからついつい……」
「は?」
この後輩は何を言っているのだろうか? フランツィスカは耳を疑った。
リリィは一年生、フランツィスカは三年生である。そして、外見だけでいえばどう見てもリリィは十六歳という年頃の幼い顔立ちをした少女なのである。
「……ルカランテに来る前に、別の魔法学園で留年したとか、そういう話じゃありませんわよね?」
「フランちゃんも言うね~」
――まあ、この女の言うことをいちいち真に受けるのも馬鹿馬鹿しいわ、とフランツィスカは呆れていた。
リリィはこの魔法学園で既に不思議ドジっ子キャラとしての立ち位置を確立してしまっている。この少女が謎めいたことを言い出すのも今に始まったことではない。
腕に絡みついてくる馴れ馴れしい後輩を引きずりながら、フランツィスカはため息をつくのであった。
***
「フランツィスカ・フォン・ラヴシック。君には良い友人ができたようで何よりだ」
「笑えないジョークはおやめください、シュトリエ先生。わたくしはあんな珍獣を友とした覚えはございませんわ」
「おや、私は『誰が友人になったか』はまだ言ってないはずだがね?」
「わたくしにまとわりついてくるちんちくりんなんて、あの子くらいしか心当たりがありませんもの」
「それもそうか」
魔法薬学の教師、ルルー・シュトリエがククッと意地悪く笑うので、フランツィスカは居心地が悪くなった。
「しかし、珍獣とはまた酷い言い草だ。まあ、彼女はたしかに面白いがね。あんなに頻繁に魔法薬を爆発させる生徒は珍しい」
実験室を毎度ススだらけにされているわりには、ルルーが怒っている様子はない。それもそのはずで、魔法学園ルカランテは「生きている」。建物や施設、設備に傷がついても、自動的に再生・修復される仕組みがあるのだ。閉じた校門を越えようとする輩に魔法攻撃を浴びせるのも、ルカランテの防衛反応によるものである。
フランツィスカはルルーのゼミ室にいた。三年生の彼女は、そろそろ卒業研究に手を付け始めなければいけない時期に入っている。彼女の得意科目は魔法薬学と動物言語学なので、「動物の言葉を理解することができる魔法薬」を作ろうと、魔法薬学の実験室に詰めているのだ。ルルーはビーカーで紅茶を淹れてくれたが、フランツィスカにはそれを口に含む蛮勇はない。
「君は名門貴族ラヴシックの人間でありながら、取り巻きを作ることもなかったからね。孤高の華といったところか。だから、リリィ・ホワイトレディが君について回っているのを見て、私は安心しているのさ」
別にルルーが一生徒でしかないフランツィスカを心配するいわれはないと思うのだが、三年間受け持っている生徒が友人の一人もいないというのもそれは少なくとも気持ちのいいものではないか。彼女はそう納得した。
――それにしても、アレと仲がいいとみんな言うが、目が腐っているのだろうか?
「ともだち」というものに馴染みのないフランツィスカにはよくわからない。友人というのはあんなにベタベタするものなのだろうか。なんとも言えない気分になった。
彼女はただ必死だった。ラヴシック家のために勉学も生徒会の活動も懸命にこなして、家の体面を保とうとした。王族との付き合いだって真面目にやってきたのだ。友達を作る余裕なんてない。
「わたくしは――」
「シュトリエ先生、実験室を爆破した反省文を書いてきました~!」
あの聞き慣れすぎてうんざりする元気な声が背後から聞こえてきてギョッとした。フランツィスカが慌てて振り返ると、あのリリィが作文用紙を持って立っていた。
「ああ、ご苦労さま」
ルルーは作文用紙を受け取る。ルカランテが再生するとはいえ、部屋を爆破したことは事実なので、当然反省文は書かされるのだ。
「フランちゃんも、実験ご苦労さま!」
「あなた、本当に目上への態度がなってませんわよね……」
ご苦労さま、という言葉は目上の者に使ってはいけないと習っていないのだろうか。こめかみが痛くなってきた。
「フランツィスカ・フォン・ラヴシック。今日はそろそろ下校時刻だから実験はここまでにしよう。リリィ・ホワイトレディ、彼女を校門まで送って差し上げなさい」
「ラジャーです!」
左手で敬礼をするリリィの頭をはたいてやりたかった。
***
「ひゃー! 息が白い!」
「すっかり寒くなりましたわね」
木枯らしが吹いて、赤茶けた枯れ葉を吹き飛ばしていく、そんな秋から冬に移り変わる季節。
入学してもう半年は経ったのに、未だにリリィの魔法が上達する兆しはない。
「ねえねえ、フランちゃん! 週末にデートに行こうよ」
「は?」
デート、という言葉に、フランツィスカはあっけにとられる。
そこで「あ! いや、違うの! いや違わないけど……」とリリィがあわてて打ち消そうとする。顔が赤いのは冷たい風のせいだろうか。
「あのね、女の子同士でお買い物に行くのをデートって呼んでるんだよ」
「ああ、そうですのね」
フランツィスカにとっては至極どうでもいい。だいたい、そんなことをしている場合ではないと、この女は理解しているのだろうか?
「リリィさん、近々定期試験が行われることはご存じ?」
「うん、ベルモール先生が言ってたね」
ベルモール先生はおそらくリリィのクラス担任なのだろう。
この女の起こす騒動を思うと、先生の胃が心配になってくる。いや、その前に自分の胃を気にかけたほうがいいのだろうけれど。
「買い物だのデートだの言う前に、やるべきことがあるのではなくて?」
生徒会長として、ルカランテに赤点の生徒を出したくないし、その赤点の理由に自分が一枚噛んでしまうことが何より嫌だった。
おそらく、このままではリリィは確実に赤点を取る。千里眼や未来予知の魔法が使えなくてもほぼ確定した未来だ。それでデートとか言ってる神経が信じられない。
しかし、それでもリリィは呑気にニコニコしていた。
「だからね、試験範囲に出てくる魔法の練習をするために、週末に魔法薬の材料とか買い出しに行きたいの! 杖の新調もしたいし! それで生徒会長がついてきてくれてアドバイスくれたら、すごく頼りになると思うな~」
彼女は身振り手振りが大きく、喋るたびに両手を動かす癖がある。フランツィスカは動きがうるさいと毎度思っていた。
――学園の休日までこの娘に振り回されるのは正直勘弁してほしかったが、赤点を回避するためなら仕方ない……。
ここは生徒会長として、そう、生徒会長として! 劣等生のサポートをするべきだと判断したのである。
こうしてフランツィスカとリリィは週末、街に繰り出すことになったのであった。
〈続く〉
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