1.桃の香りを嗅ぎ、梨の皮に目印をつける

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 歳桃が私の背中をホールドしていた腕の力を緩めて、ハグを解く。  やっとだ。暑さと息苦しさからやっと解放された。深呼吸をした時、心地よい夏の風が吹き抜けて開放感が胸いっぱいに広がる。 「あれぇ〜? 君、僕よりも嫌そうな顔になってない?」  私の正面には、嬉しさを抑えきれないって感じのにやにやした笑みを浮かべている歳桃が立っている。 「君のその顔は。自分が、僕の素肌の香り、体臭、香水の匂いの3種類が混ざった、僕の匂いにうっとりしていたことによ・う・や・く気づいたって顔だよね?」 「違ェよ、阿保(アホ)! うっとりなんかしてねえ!!」  私が全力で否定すると、歳桃は指先が軽く触れる程度まで自分の顎の近くに右手を持ってきて、 「何て苦し紛れの全否定なのだろうね」  呆れたような口調でそう言うと軽く肩をすくめてみせた。 「この香水をつけたのは昼休み中だからとっくに僕自身の匂いと混ざり合ってるよ。僕が『柔軟剤の匂いですよ』って先生に誤魔化してたの、覚えてない? (さい)(とう)()(ろう)公式ファンクラブの子たちが僕のために頑張ってフォローしてくれたから没収されずに済んだんだ。  ああ、そうか。おねむねむだった君の耳には入っていなかったのだね」  私は質問に答えていないのに、歳桃は一人で勝手に納得して自己解決している。  私が睡魔という手強い敵と闘っていたことは事実なので、おねむねむって言うなとツッコみづらかった。  そうか。私の気づかぬうちにそんなやり取りが交わされていたのか。 「そうか」  同じ教室内にいながら全く気づかなかった私自身に呆れた私は、ため息混じりに相槌を打った。 「つうか、絶望してんだから今話しかけてくんじゃねぇよ。そっとしとけ。……聞き間違いじゃなけりゃあ確か、『僕よりも』っつったよな? テメェは私が自分より嫌な顔してて嬉しいって顔のまんまだな」  私は下から歳桃をほんの軽く睨む。 「ふふふ……」  歳桃は上品な奥様みたいに口元を押さえて笑う。これまた奥様みたいに私に向かって手を下に振る仕草をした。 「やだなぁ。そんな顔してないよ?」 「してるだろ。……見れてよかったな。私の屈辱に歪めた嫌そうな顔をよ」 「いや」 「いや?」 「まだ足りない。もの足りない。もっとちょうだい」 「もっとちょうだいって何だよ。やらねぇよ。欲張りクソ野郎め」  意外なことに、歳桃は何も言い返してこなかった。  無言で私から離れ、ドアから2mほど距離を取るとその場所で左膝を立てて座る。  歳桃が取ったその行動を見て、私は歳桃の約1メートル横に、歳桃に倣い、尻はつけずに腰を下ろして背筋を伸ばす。  所謂、(そん)(きょ)の姿勢ってやつだ。この姿勢からならいつでもスムーズに戦闘態勢に入れる。
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