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「会いたかった」 学校の帰り道、突然後ろから声を掛けられた。 振り返るとそこには、自分の母親くらいの女性が、嬉しそうで、どこか泣きそうな笑顔を向けて立っていた。 誰?きっと人違いだ。 すぐにそう思った。友達や同級生の母親に、こんな一度見たら忘れられないような綺麗な人はいないし、もちろん自分の知り合いにもいない。 でも…何故か、この女性を知っていると感じた。いや、そんなはずはない。知らない人だ。人違いに決まっている。 「久しぶり。今日は水曜日だから、これからピアノ教室?」 笑顔を浮かべたまま、その女性はとても親しげに話しかけてきた。 私は無言のまま、少しだけ眉間に皺を寄せた。 怪しい。怪しすぎる。なんで今日がピアノ教室に行く日だと知っているのか?その前に何故、私がピアノ教室に通っている事を知っているのか?もしかしてストーカー?そんな事を思ったけど、すぐにそんな訳ないと首を振った。 こんなに綺麗な人が、自分のような地味で平凡な女子高生をストーカーする理由が思い浮かばない。 「あの、人違いです」 きちんと否定しないと目の前の女性が、いつまでも話しかけてきそうだったので、私は女性の目を見て、少し強めに言った。けれど…。 「ううん、人違いじゃない。ちゃんと合ってるよ、千尋」 優しく、でも大きな声で、思わず目を奪われるような笑顔でそう言われ、私は言葉を失った。そんな私の前に身をかがめた女性は、私の頬を美しい両手で覆った。 その直後、むせ返りそうな強くて甘い花の香りが、私を包み込んだ。 「ずっとこうして話をしたかった」 女性は私を力いっぱい抱きしめた。私は身動きも出来ず、言葉も発せずにただ抱きしめられていた。 全く知らない人なのに、突然抱きしめられているのに、不思議と嫌悪感も恐怖もなかった。むしろ懐かしさや愛おしさを感じた。さっきから、この感覚は何なのだろう。 「人違い…です」 女性が言った名前も私のもので合っているけど、私はこの人を知らない。知っていてはいけない。 「…覚えてないわけない。思い出して」 抗えないほど花の香りが強くなり、呼吸が上手く出来ない。苦しくて意識も遠のいてゆく。 思い出してはいけない。思い出さないといけない。 矛盾する二つの心と記憶。 そして私は甘い花の香りに捕らえられた。
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