あの日を、もう一度

1/1
前へ
/14ページ
次へ

あの日を、もう一度

 温泉旅行から帰って来たあとも、俺達は互いの家を行き来する生活が続いた。次第にゆうが俺の家に自分の私物や着替えなんかを持ち込むようになって、徐々に奴の存在自体が日常の中に溶け込んでいく。  そんなある日、ゆうから宣告された言葉。 『…まこと一緒に暮らしたい』  俺が何処かに消えてしまわないよう、一緒に住みたいと申し出てくれたのだ。俺は泡か夢のような何かか?と思ったけれど、素直に嬉しかった。深友から俺の家に引っ越したいと言われるなんて、思ってもみなかった。前々から俺が提案しようと思っていたからだ。計画はあれよあれよと進み、少しずつ運ばれてくる深友の部屋にあったものが今俺の目の前に並んでいる。  最初は冗談かと思ったけれど、彼は至って本気な顔をしていた。そしてよく考えれば、独り暮らしに2DKは部屋数が多かった。実際空き部屋になっていたからちょうどいいと思ったし、家賃も光熱生活費も折半できる。何より…恋人と一緒に暮らせるのが夢のようだった。 『引っ越しの日程はその日で良い?』 「ああ、俺も不動産屋に行って居住申請してくるよ。細かい荷物は少しずつ運んできてるし。おまえも住民票移したりとか大変だろ、俺も手伝うから」 『ほんっとにまこはスパダリだなぁ』 「はぁ?」  スマホの受話器の向こうから、ニヤニヤと笑いを含んだ声で言っているので説得力はあまりない。それでも素直に言おう。恥ずかしい半面、滅茶苦茶嬉しいのだと。  俺は高校生の頃から片想いだった同級生と再会することを決めて、想いを打ち明けようとしたら逆に相手から告白されていたことを初めて知った。それも入学式でお互い一目惚れだったと言うことも、つい最近打ち明けられたばかりだ。  昨今では男同士の恋愛や、同棲だって珍しくない。婚姻関係ではないけれど、それに近しいパートナーシップ制度を設けている市町村も少しずつだが増えてきている。いつかは俺たちも…とは思うものの、恐さも当然ながらあった。特に深友の両親には、何と言えばいいのか。挨拶に行った方が良いのだろうと思いつつ、ここのところずっと悩んでいる種だった。 『そういえば、卒業アルバム発掘したんだけど』  唐突に掛けられた言葉が、深淵に沈んでいた意識を急に浮上させる。 「…え?高校のか?」 『そうだよ。ほら、三年は同じクラスだっただろ』 「そう言えば…そうだったな」  家庭の事情でバイトに明け暮れることになり、虚無に満ちた高校最後の一年間。正直どんなふうに過ごしていたのか曖昧で、自分でも驚く程に記憶がない。鮮明に憶えているのは卒業式の後に深友とこっそり会ったことと、別れ際にファーストキスを奪われたことくらいだ。呉服屋の息子である俺が初めて自分で仕立てた自分の着物と、深友のために仕立てた浴衣を互いに着て出た卒業式。あれだけは何年経っても忘れることができないでいた。 『…まこの写真、なんて言うか…凄い苦労してる顔だった』 「ぶはっ!なんだそれ、今よりも老けてるか?」 『そうじゃないんだけど、…あのさ』 「ん?」 『卒業式に着た着物、まだ持ってる?』 「あるよ。…おまえは?」 『綺麗にクリーニングして畳んで桐の箱に入れてある』 「どんだけ高級な扱いしてんだ!」  素人の仕立てた浴衣だぞ、と言えば今は職人だから逆にレアなんだと、深友が恥ずかしげもなく言うのでこちらが言葉に詰まってしまった。  あの頃もこんな風に喋れることができていればと、今更後悔が募ってしまいそうになる。 『まこ、あの日をもう一回やり直さない?』 「へ?あの日って、高校の卒業式をか」 『うん。あとさ、…記念写真、撮影したいんだ。卒アルに僕と君が一緒に写ってる写真、一枚もなくて…なんか悔しいなって思ったから』 「なんだよそれ…」  とは言っても俺たちの母校は既に廃校となり、校舎は商業施設へと変わっている。  もしかしたら、だからこそ良いのかも知れない。ブレザーや学ランじゃないから、変に思われることも…そこまでないと思う。閉じ込めようとしていた片想いはもうフルオープンになったから、今更隠すこともない。砕けて言えば和装デート、みたいなものだ。 「…いいよ。行こうぜ、いつもの場所」  高校の時に仕立てた着物が今の体格で着れるかはさておき、あの日の忘れ物を回収するにはちょうどいい。 ×     ×     ×  引っ越し準備を確実に進めている中で、一番気を使ったものは思い出の品たちだった。卒業アルバム、学生の頃に撮影した写真、何度も捨てようとして捨てられなかった…まこの仕立ててくれた浴衣。今思えば捨てられる訳なんてなかった。世界でたった一着の、僕のための浴衣だから。クローゼットの中から桐の箱に入ったものを丁寧に運び出し、彼の家に持っていくのは少しだけ骨が折れたけれど。  思い出の場所に向かおう、と恋人と決めてから、その日は瞬く間に訪れた。 「…意外に入るもんだね」  姿見に映る自分が、普段の僕ではないように見える。誠人があの浴衣を着付けてくれることになって、帯は寸が足らないだろうと思っていたら誠人が新調していた。急拵えとは思えない仕上がりに驚きつつ、着物を仕立てるその腕は高校生の頃よりも格段に上がっていた。 「何で僕の帯が寸足らずだって分かったんだ?」 「ああ...荷物部屋を片付けていた時に、メモしていた採寸表を見つけたんだ。それに書かれていた数字じゃ、今のおまえには足りないと直感で思ってあらかじめ作っておいたんだよ」 「ふふ…まこには敵わないな」  確かに腰回りは確実に大きくなった。肥満と言うよりも、筋肉が付いたからなのだと思う。手際よく帯を締めるその指先と真面目な眼差しは、眩暈がしそうなくらい格好良かった。 「俺のこと、惚れ直した?」 「うん」 「…あー…悪い、今のはまた後で聞くことにする」 「もしかして、照れてる?」 「いや…そう言うのでは無くて…」 「このまま君に襲われても…僕は構わないよ」 「ばかっ!それじゃ出かけられないだろ」  鏡に映るまこは顔を真っ赤にしている。つくづく分かりやすい男だなと思ってしまう。 「…ほら、これで完成だ。俺も着替えるから、少し待っててくれ」 「自分で着付けできるの、本当に凄いな」  ベッドに腰かけながら、自分の着物を手に取る誠人の姿をぼんやりと眺める。素直じゃなかったあの頃の僕に、今の光景を見せたらきっと信じられないと思うだろう。  こんなにも仲良く過ごして、思い出の品をお互い大事にしていて、たまにベッドの中で抱き締め合いながら眠っているなんて。 「…何か言ったか?」 「ううん。何でもない」  慣れた手つきで自分の身繕いを終わらせると、高校生の頃から少しくたびれたように見える誠人が僕に手を差し出した。あのブレスレットを未だに大事にしているその手を取ると、急にむず痒い恥かしさに襲われて思わず誠人の肩に顔を埋める。 「…どうした?」 「なんでもない…なんでもないよ」  海に沈みかけた僕らの関係性のように、やり直せることは幾らでもある。  こうして僕たちは、高校最後の一日を振り返ることにした。 ×      ×      ×  着物と浴衣を着た姿で並んで歩く俺たちを、街の人たちは何事かと擦れ違いざまに振り向いて見ていた。確かに三十路近くの男二人が和装で連れ立って歩いてるのは、異質かも知れないけれどありえない事ではない。都合よく今日は何処かの学校で式典が行われているらしく、身体よりも少しサイズの大きい制服や思い思いの服装に身を包む学生たちを、あちらこちらで見掛けていた。正装している、その保護者もだ。 「そっか、入学式か」 「…そういや、俺たちも入学式の日に初めて会ったんだよな。懐かしい…」  あの日の出来事は未だに鮮明に憶えていて、だぼだぼの学ランを着た深友を見つけた時の衝撃たるや凄かった。可愛くて中性的な顔立ちに、あどけない声が耳の奥で聞こえてきそうだ。今なら間違いなく、断言できる。あの日、間違いなく俺は彼に一目惚れしていたのだと。 「確かにそうだけど…ニヤニヤしてどうしたの?」 「いや。入学式の深友、超可愛かった」 「んなっ…!今それ言うの反則だって!そう言うまこだって…女子の皆に見られてたの気付いてなかったのか?」 「なーんか視線は感じてたけどな。まぁ、物珍しいから見てるんだろうなって思ってただけだ」 「ふーん…」  何か言いたげなゆうはそれ以上何も言わず、黙って俺と手を繋いだ。素肌に感じる春の風は心地よくて、よく晴れた青空に白い紙吹雪が舞っている。ひらひらと落ちてくるそれを片手で掴み、掌を開いて良く見ると紙ではなくて、桜の花びらだった。  目的の場所の近くには古くから存在する桜並木があって、その下を歩きながら告白すると結ばれる、と言う七不思議があった。何せそこは、俺たちの学校を改修して建てられた場所だ。その複合商業施設は今日もそれなりに繁盛していて、恐らく花見客であろう学生たちから家族連れ、カップルまで実に様々な人々が訪れていた。 「ここももう、かつて高校があったなんて誰も憶えていないかな」 「ばーか。俺たちが憶えているだけで、全人類から忘れられることなんかないだろ?」 「まこのそういうとこ、ホント好き」 「はぁ?なんだそれ…」  突然の告白に笑いつつ、目的の場所に到着する。高校に入学して深友と知り合って、放課後の溜まり場になっていた教室。今では手軽に本格イタリアンが食べられる店へと姿を変えた、社会科準備室の扉の前だ。  俺が久しぶりに連絡して、夕飯を誘った場所でもある。 「あ!」 「ん?なんだ」 「桜、ついてる」  深友が俺の髪に引っかかった桜の花びらを指で摘まみ、花びらの刺繍を施してある自分の肩の上に乗せた。一箇所だけ桜色に染まり、なんだか嬉しそうに笑っている。 「誠人、卒業おめでとう」 「おまえもな、海堂深友…いや、」  今日からおまえは。  そう言い掛けて、袖の袂に入れていた指輪ケースを取り出した。もう、あの日の臆病な俺はいない。だから今日まで、言い留めていた言葉をカラカラになった口で紡ぐ。 「ゆう、俺と…結婚して欲しい」
/14ページ

最初のコメントを投稿しよう!

36人が本棚に入れています
本棚に追加