最後のマリッジ

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最後のマリッジ

「……」  すぅ、と息を大きく吸って深呼吸する。まさかこんな日が来るなんて、あの日の僕に言ったらどんな反応をするだろう。鏡に映る自分の姿が未だに信じられなくて、白いタキシードの襟を何度も確認した。すると部屋の入口の扉を叩く音が聞こえてくる。 「…深友、入るわよ」 「うん…いいよ、母さん…それに、父さんも」  扉を押し開き、正装姿の母が鏡に写り込む。その横で何か躊躇っているのは父。両親とも、あれだけ渋い顔をしていたのに今日は少しだけ肩の力を抜いてくれているようだった。 ×   ×   ×  誠人にプロポーズされたと同時に一緒に棲み出してから、僕たちの周りにも少しずつ変化が起きていた。僕の両親は中途半端な肉体で産まれた僕を、幼い頃から女の子として育てていたので当然いつかはウェディングドレスを着るものだと思っただろう。名前も女の子の名前だし、服装や玩具も兄さんのおさがりじゃなかった。それが嫌になった中学生の頃、男として生きていくことを決めて、かわいい服を捨て兄さんのおさがりをこっそり着るようになった。不安になった母が僕を病院に連れて行き、僕の肉体が女性と男性の間で止まっていると宣告された時は翌日の朝まで泣いていた。  男の肉体を手に入れる為の治療を始め、高校に入ってから母さんに好きな人ができたと言ったときは少し複雑そうな顔をしていた。その相手が異性ではないことを、薄々勘づいていたのだと思う。その頃からなんとなく、少しずつ距離を取るようになった。  誠人を連れて久しぶりに実家に帰った時、彼は父に殴られる覚悟でいたらしい。母さんは笑顔で迎えてくれたけど、父は難しい顔で僕たちを見ていたから。正直な気持ちを伝えた時には、両親の手が震えていたように思う。長い間教師をしていた厳格な父と、茶道の師範をしている母。どちらにも祝福して貰えなくとも、かたちだけではあるけれど、ふたりで結婚式を挙げたい。もし良かったら来て欲しい、と言った時、2人とも何か覚悟してたような気はする。一足先に結婚し、奥さんとふたりの娘を連れて国外で暮らす兄とは普段それなりに連絡を取り合っていて、誠人のことも知っていた。式には間に合わないけれど、披露宴から来てくれるそうだ。  小規模な結婚式になるけれど、『おまえと俺の誓いを秘密にするのは勿体ないだろ』と言ってくれた誠人には感謝してもしきれない。2人で頑張って資金を貯め、ようやく今日を迎えることができた。 「やっぱり…深友は白も似合うわね」 「はは…ありがと。多少はイメチェンできたかな」 「雰囲気が変わったんじゃないか?まったく、なんで早く言わなかったんだ…」 「えっ?」 「……息子が1人増えるなら、歓迎したいと思うだろう」 「……」  空いた口が塞がらない。まさか、あれだけ頑なな父がそんなことを思っていたなんて知る由もなかった。あの時の難しい顔は、父だけ秘密にされていたからなのだろうか。 「…今の時代、恋愛に外的な壁なんてものはない。何かを壁だと感じるのも、乗り越えるのも当事者であって周りはとやかく言う権利はないからな。その…誠人君には恐い思いをさせたかも知れないから、謝らねばと思っていたんだ。彼も何度も苦労して、ようやく幸せを掴んだのだろう。なら、支えるのが伴侶と言うものだ」 「おとうさん、授業じゃないんだから」 「おっ、俺は深友たちの親父であり…先達としてだな…!」  くすくすと穏やかに笑う母の笑顔と慌てる父のやり取りに、何故だか僕は涙が滲んできそうだった。壁だと感じていたのは、確かに僕たちだけだったらしい。  何度か目を瞬かせていると、扉をノックする音がする。 「深友、入ってもいいか?」 「ほら、誠人さんが呼んでるわよ」 「ん。いいよ、まこ」  扉が開かれた瞬間、白いタキシードに身を包んだ誠人が目の前に現れた。洋装の彼を見るのは随分と珍しくて、素直にかっこいいと思う。結婚式がしたいと2人で決めてからいち早く動き出し、ブライダルエステとジムに通いスーツの似合う体型にして、指に沈着した染料を落とし、伸び放題の髪を綺麗に整えてかなり気合いを入れていた。そんな誠人を見て、母さんの方がキャーキャー言っている。僕も何かした方がいいのかと調べたけれど、全身脱毛とか歯のホワイトニングとか考える程わからなくなって、挙句誠人に「そのままの深友がいい」と言われたから文字通りそのままでいることにした。だけどもう少しダイエットしておけばよかったなと少し後悔する。まこのスタイルが良すぎるから。 「あらまぁ!カッコイイじゃない!流石、深友が見染めただけあるわ!」 「母さん、恥ずかしいからやめてよ…」 「事実なんだから素直になりなさい」 「ありがとうございます!」 「本番、しっかりね」  僕のパートナーは世界一かっこいい。それは確かにそうだ。きっと世界中のカップルが、同じ思いを抱いてこの日を過ごすのだろう。いつの間にか嬉しそうに笑う誠人とふたりきりになっていて、控え室が一瞬だけ静まり返った。 「…ゆう」 「ん?」 「おまえ、滅茶苦茶格好いいな」 「そうかな?ふふっ…ありがと。まこのタキシード、初めて見たからドキッとした」 「俺は何時だっておまえにドキドキしてるんだぞ!」  顔を真っ赤にして何度目か分からない口説き文句を言われたら、こっちだって心臓が持たなくなりそうだ。深呼吸して、まこの傍らに並び立つとより緊張してくる。 「どうした?心配事か?」 「なんて言うか…まこ、複雑な気持ちじゃないかと思って」 「なんで?」 「君は…結婚式にいい思い出、ないだろ」 「んなこと、目の前におまえがいれば帳消しだ」 「ホントに?無理してない?」 「してない」  真っ直ぐ見つめてくる誠人の目を見れなくて、つい視線を逸らせる。至近距離で見られたら恥ずかしくなって、まともに顔を見れない。それと同時に今自分がいる場所を思い知らされた気分だ。 「こっち見ろ、深友」 「…む、むり…顔が良すぎて…」 「ははっ!なら、文句言うなよ」  横目でちらっと彼の顔を見た、その一瞬。  おおきな手のひらで両目を覆われて、すかさず唇が塞がった。 「っ…!」 「……」  脳裏に浮かんだのは、高校の卒業式の後。誠人に告白できなくて、恥ずかしくて、それでも大好きだから咄嗟に彼の唇を奪ったあの瞬間。今思えば、なんてことをしたのだろうと思う。  される方にとっては、かなり心臓に悪い。身にしみて思い知らされた気持ちだ。 「ま、まこ、なに…」 「あの時の仕返し、まだしてなかったからな」 「……もーっ、ずるい!」  今日はふたりにとって、最後の結婚式になる。たぶんそうだと確信して、また瞼を閉じた。
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