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追憶
あの頃海に投げた想いを、君はまだ知らない。
×
高校時代の同級生、船橋誠人から久しぶりに連絡が来て、夕飯を一緒にどうだと誘われた。特にやることもなく、二つ返事で了承する。最後に会ってから何年も経っているのに、メルアドを変えなかったのが幸いしたのかも知れない。クローゼットの中からあまり使わない濃紺のジャケットとスラックスを引っ張り出し、ちょっと張り切ってオシャレしたけれど少し窮屈に感じて、身を捩る。
「なぁ。瓶に入った手紙、拾ったことあるか?」
「…いや、無いけど」
今はカフェになったその場所に着き、店員に席を通されてすぐ、振られた急な話題に困惑してしまう。
誰にも読まれることがない手紙を書いて、渡す筈だった贈り物と一緒に瓶に詰めて船から投げたのを思い出した。確か修学旅行の帰りだ。目の前にいる彼に、渡しそびれた1枚の紙。
付き合いたいとかじゃなく、卒業式までに想いを告げるだけで良かった。それでも怖くなって、この気持ちと一緒に捨ててしまわなければと思った。
高校卒業後、暫くして彼が結婚すると聞いて僕は素直に嬉しかったし、結婚式には電報を出した。招待状は来たけれど、大学院の論文で忙しいのとあの頃から随分変わった彼に会いたくなくて欠席した。今思えば、変な意地を張らずに行っておけば良かったと思う。
…でも、果たして本当にそうだったのだろうか。
「ボトルメール、って…急にどうしたんだよ。それに良いのか?こんな夜に。子供、産まれたって聞いたけど」
「ああ、産まれたよ。……俺の子じゃなかったけどな」
「……は?」
「俺と結婚する前に付き合ってた男がいたんだと。そいつの子だよ」
「………」
「血液検査で判明した。まさか長い間知らずに結婚して浮かれてたなんてな…子供産まれた瞬間泣いちまったのに。馬鹿だよなぁ」
彼は悲しむ素振りもなく、肩を竦めて笑った。左手の薬指に指輪はなく、一度は禁煙した電子タバコを咥える姿を見ると、既に別れた後なのが分かる。ややくたびれた印象があるのはその所為なのか、単なる加齢なのかは分からなかった。学生時代はクラスで一番モテるイケメンで、一目惚れしたのは僕だけじゃなかった筈だ。そんな彼が、当時と変わらない抜群のプロポーションでワインレッドのスーツに身を包み、僕の前に座っている。
「…そんなことがあったんだ」
「まぁな」
「今は何してる?」
「離婚して貰った慰謝料で食い繋ぎながら、就職活動」
「そっか。確か職場内結婚だったっけ」
「そう。だから時間は気にするな」
彼はそう言いながら、卓上の皿からパスタをフォークに絡めた。そう言えばこいつ、箸の持ち方が下手でよく揶揄われてたなと急に懐かしくなる。
ふと、彼の手首に見覚えのある鎖が見えた。
ボトルメールに入れた、飾りっけのないブレスレット。
「……っ!それ…!」
驚いた僕が口を開閉していると、彼がにやりと笑った。
「拾ったんだよ。船の上から」
× × ×
離れた理由も再会のきっかけも、ボトルメールの所為にした。
× × ×
夕飯をどうだと誘った相手と、久しぶりに顔を合わせて食事をしているのが未だに信じられないでいた。俺はペペロンチーノ、ゆうはハンバーグのセット。学生時代、学食で注文したメニューとは真逆の注文に思わず笑ってしまう。
「……それ、いつ拾ったんだ?」
「修学旅行の帰りかな。船釣りしようとしたら、たまたま」
手首に絡めたブレスレットを弄りながら、本当だけど少しだけ嘘を混ぜる。船旅の帰り、一人きりの甲板からこいつが乗っている別クラスの船を眺めていた。あの時自宅で鞄に詰めてきた釣竿は、今思えばただの口実でしかなく甲板からこいつを見れればそれでいいと思っていた。そして波間に漂う瓶を見つけ、拾い上げたと言う訳だ。
目の前でハンバーグを切り分ける奴の顔を見ると学生時代に比べ、精悍さが増して随分格好良くなった気がする。元より可愛い顔をしていたから、いい方に歳を食ったのだろう。
「その様子だと、おまえが投げたんだろ?コレを入れたボトルメール」
「…だとしたら、君はどうする?手紙、読んだんだろ…」
冷や汗が背中を伝う。まさかとは思ったけれど、本当に彼が拾ったのだとしたら。手紙に書いてあることも、僕の想いも全部バレてしまったのなら。
今すぐここから逃げ出したい。だけど出されたばかりのハンバーグはまだ冷めてくれない。誘われた以上は最後まで付き合ってやろうと思っていたのに、心が折れそうだ。
「答え、聞きたいか」
「そりゃ…聞きたかったけど、正直怖いよ。それに君は…」
恋愛対象も結婚した相手も異性で、僕に割って入ることなどできないと分かっている。だからこそ聞くのが怖い。
生まれて初めて書いたラブレターは、海の藻屑になる予定だったのに本人に読まれるなど想定外だった。
今も尚この恋煩いを引きずっているなんて、未だに僕は女々しい男なのだと笑えてしまう。彼以上に惚れ込んだ人なんて、今までいなかったから。
少し冷めたハンバーグを一口食べ始めると、急に空腹を感じ始めて次から次へと口に運んだ。何かしていないと気がどうにかなりそうだったのもある。
「…俺はおまえが好きだよ」
「そ……え、ちょっ…」
「本当だ。俺は自分の気持ちに嘘なんてつきたくない」
まさか俺が一目惚れしてたなんて、こいつは思わなかっただろう。我ながら卑怯だなと笑う。あれだけこいつに焦がれたのに、自分からは素直に言えなくてただ諦めるだけだった。挙句大して好きでも無い相手と見合い結婚して、裏切られるなんて滑稽にも程がある。
そう言えば高校の卒業式の日、最後こいつは何て言ったんだっけ。
……ぼんやりと思い出そうとしていたら、口に切り分けたハンバーグを突っ込まれた。
「んぐ」
少しぬるくなったハンバーグを咀嚼すると肉汁が溢れてきて、普通に美味い。いきなりのことで驚いたがなんとか飲み込んで、聞こうとしていた言葉を出そうとする。
「…これ以上は恥ずかしいから、何も言わないで」
顔を真っ赤にした深友がちびちびとパンを齧ってる様子は、あの頃と変わらず可愛いなと思ってしまう。
俺は自分のフォークに最後のパスタを絡ませて、油断している奴の口元に運んだ。
「さっきのお返しだ」
「……ん」
素直に口を開いて頬張る姿は餌付けしている雛鳥のようだ。口を数度動かして飲み込むと、確かに美味しい、と呟いて頷いた。ここのメニューは何だって美味い。
「…このあとどうする?どっかで呑んでもいいけど」
「いや、僕はそこまで飲めないから」
「じゃあ…うちでボトルメール確かめないか?」
「っ……!」
飲みかけの水を危うく噴き出しそうになって、口元を拭うとまこがニヤニヤ笑っていた。悪態をつきたくても何も言葉が浮かばず、仕方なく頷く。自分の目で確かめた方が、きっと手っ取り早い。
「今からって…いいの?」
「構いやしねぇよ。俺は今のとこ無職だし、なんなら泊まっていけばいい」
「……」
「何もしないから安心しなって」
食べ終えた皿にフォークを置いて、注文の書かれたバインダーを手にして立ち上がる。誘ったからには俺が支払うべきだと思ってたし、ゆうと久しぶりに会って揶揄うのが楽し過ぎて危うく時間を忘れるところだった。
背後からゆうが椅子から立ち上がり、着いてくる足音が聞こえる。その間に会計を済ませておき、扉の前で待った。
「ご…ご馳走様」
「ん」
歩き出そうとして、足を止める。すぐ後ろにいるゆうの肩に腕を回して、横並びで歩き始めた。
緊張してるのか硬い表情が張り付いた頬を、空いている手の人差し指でつつく。
「そんな硬くなるなよ。そういや、おまえカノジョいるのか?」
「いないよ」
「…それなら安心だ」
「えっ、それって、どう言う…」
「誰かを悲しませる側にはなりたくないからな。…ただ、それだけだ」
まこのその言葉は、とても重たく聞こえた。
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