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パンドラの瓶
その想いを開けてはいけない。
× × ×
彼に拾われてしまったボトルメールを、彼の部屋まで確認しに行く。
普通に考えれば酔狂だと思えるようなことでも、酒の力を借りてしまえば普通のことのように思えてしまうから僕は酒が大の苦手だった。
夕食を誘われ、食前酒のスパークリングワインをグラス一杯飲んだだけでこれだ。
アルコールとか飲み会とか、合コンなんてものは好きじゃなかった。好きな時、好きな相手と静かにお茶を飲んでるだけでいい。そう返せば、彼に「おまえらしいなぁ」と笑われた。
「そう言えば、何で今日会おうって気になったんだ?今まで連絡寄越さなかったのに」
「それは…大学とか忙しかったし、君は結婚していただろ」
「別にメールとか電話ぐらい良いじゃん」
「あのなぁ…」
必死の思いで書いたラブレターの差出人を前にして、無防備なまでにこちらをまっすぐ見てくる。鈍感なのか素直じゃないのか、よく分からないところは学生時代と変わっていない。
夜道を歩いているとフワフワ浮いているような気分になって、まずい、と自分で思うよりも前に行動に出てしまっていた。支えて貰うかのように、彼の背中へ身体が傾いていくのが分かる。
「んなっ…おまえこんなに酒弱かったのか⁉」
「…電話とかメールで終わらなくなったら怖い」
「は…なんて?」
「やっぱり何でもない…おんぶして」
呆れている方の「はぁ?」が聞こえて、それでも彼は優しいから僕を黙って背負ってくれた。彼の背中は広くて、ぽかぽかと温かい体温が眠気を誘ってくる。それでも必死に抗っているつもりだった。
「んで、話しの続きだけど」
「うん」
「何で今日会ってくれたんだよ。成人式も同窓会も来なかっただろ」
「だから…忙しかったんだよ」
「それだけ?」
本心を言ったところで何も変わらないのに、何故か言う気になれなかった。それはきっと、彼がひとりになったことを知って何処か安心している自分を許せなかったからなのだと思う。酔ってはいても、本能だけで動いてしまうのはただのケモノと同じだから。
「本当に…忙しかったんだ」
「なんだ、そうかよ」
彼は実につまらなそうにそう言ってから、僕を背負い直した。
「…おまえ、太ったよな?」
「筋肉がついたって言ってよ」
彼の首筋に鼻先を埋め、深く息を吸う。
その栓を開けたら駄目なのは分かっていた。
× × ×
ラブレターを瓶に入れて投げ入れる、なんてロマンチックな手段だろう。夢見がちな僕は最初そう思った。それでも、実際それは失恋と同じ意味だ。
「……何ソレ?」
「なんでもない」
揺れる船の中。
不思議そうな表情で覗き込む、友人の視線が少し怖かった。慌てて隠した1枚の紙が、まさかラブレターなどとは思わないだろう。怪しげに見えたのか、彼はつまらなそうに「ふぅん」と頷き視線を逸らした。
机の傍らに置いたガラス瓶が、カタカタと音を立てた。
僕が彼に初めて会ったのは高校の入学式。この高校には制服がなく、皆それぞれ中学校の制服や新品のスーツに身を包む中、1人だけ和装で来た生徒が居た。同級生の中で浮いているのに何故かしっくり来るのは、彼の背筋を正す姿勢や所作が余りにも美しかったから。
整った顔立ちにすらりと伸びた手足、クラスで一番背の高い彼。イケメンと言う生き物は本当に存在したのだと、思わず二度見した。クラスの女子たちが騒ぐのも無理はなく、僕も密かに魅了されてしまったその1人だった。
卒業した中学と同じく私服通学が許されるのは僕にとって大変ありがたくて、入学式当日は兄のお下がりの学ランを着ていた。サイズ感が違うのは承知の上だ。周りは皆ブレザーかスーツなので、少し浮いていたように思う。
「…なんで学ランなんだ?」
唐突に掛けられた低い声は彼だった。何で、と言われても正しい答えが分からない。僕はこれが最適解だと思ったから。
「…兄のおさがりなんだ。そう言う君は…」
「へぇ。ま、似合ってるじゃん。俺はこれが私服なんだよ」
見た目は優等生に見える彼が、喋ると砕けた口調なのが意外だった。それと同時に気づいたら、彼の背中を目で追っている自分がいた。
釣りと天体観測が好きな彼と、アウトドアと読書が好きな僕。いつか二人で釣りキャンプに行きたいな、なんて他愛のない会話もした。彼とは趣味が似ていて意外に話が合い、友達になったけれど別々のクラスだった。それでも昼休みは自然と合流して一緒の時間を過ごした。
月日が過ぎ、無事全員が二年に進級すると話題になるのは修学旅行。二泊三日の船旅、なんて想像しただけで憂鬱になる。せめて彼と同じ船ならよかったけど、クラスが違うから別の船だ。
またか、と笑う彼の顔が直視できなかった。
過去に生きた人々は、見えない相手に思いを馳せて羊皮紙と瓶に託したという。一体彼らはどんな気持ちで、海に想いを投げ入れたのだろう。
(…ボトルメール、か)
『気になるならやればいいじゃん』
彼がよく口にする言葉が、僕の背中を後押しする。直接渡せない、捨てなきゃならないこの感情を遠くへ投げるために。
準備はできた。あとは投げるだけ。
誰の手にも届かない、海を漂い消えてくれと願った。
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