波が運んだ初恋

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波が運んだ初恋

 俺とアイツは不思議なくらいよく似ている。  外見的には全く違うけど、好きな物とか趣味とか、話しをしている時の居心地の良さとか。入学式で2人だけ周りと違う雰囲気だったところも。  元々志望していた高校が私服通学の許される学校なのは俺にとって大変ありがたくて、洋服は窮屈で身動きしずらいから和服での通学を決めた。入学式当日は自分で仕立てた着物に袖を通した。派手じゃない色合いで、俺の背丈に合わせて仕立てた自分だけの一張羅。和裁ミシンに触れてから一年掛けて自分で仕立て、完成後に袖を通した時は思わず変な笑いが出た。まだまだ成長期だからと、母さんが助言をくれたおかげで生地を長めにとり、腰の辺りで丈を調節できるようにしたのは正解だったように思う。若干、サイズ感が違うのは承知の上だ。余った部分の布は折りたたんで腰帯で隠した。周りは皆ブレザーかスーツなので、俺も相当浮いていたように思う。     老舗呉服屋の一人息子で、名前が「誠人」なんて大仰なものだから、幼稚園児の頃から周りとなじむのに時間が掛かった。友達は男女問わずいるけどその親が何かと気を使い過ぎて、特に女子の家に呼ばれると変なもてなし方をされた。友達とは普通にゲームがしたいのに、多すぎる菓子やあまり興味のないアニメ、絵本で長居させようとする魂胆が明け透けだった。俺は居心地の悪さや自分が「普通じゃないのかも知れない」と言う恐怖心や葛藤に苛まれながらも、何とか曲がらずに今まで生きてこれた。中学生になる頃には普段から着物や浴衣を自分で着付けるくらいには着慣れていた。七五三や小学校の式典と言えば紋付袴で、当然のように高校の入学式は和装で向かう。中学の制服はブレザーだったけどサイズが小さくなり、着れなくなったのも理由のひとつだった。高校生活もそれなりに楽しくて、あっという間に進級したような感覚で毎日を過ごしている。入学式に出逢った、俺を穿った物の見方で見ない親友もできた。  俺があいつに初めて会ったのは高校の入学式だ。皆それぞれ中学時代のブレザーや新品のアンサンブルに身を包む中、1人だけ学ランで来た生徒が居た。同級生の中で浮いているのに何故かしっくり来るのは、その学ランに彼らしさが凝縮されていたからなのだろう。  女子のようにも見える幼くて中性的な顔立ち、それでも目がくっきりと強くて、クラスの中で一番背が低い。女子の平均身長よりも低いのは、きっとこれからの伸びしろがあるからなのだとは思う。けれど、何となく妖精を思わせるような生き物がこの世には実在したのだと、思わず二度見した。クラスの男子たちが「どこ中の奴だ?」とざわめくのも無理はなく、俺は密かに魅了されてしまっていた。   「…なんで学ランなんだ?」  唐突に声を掛けたのは気まぐれで、ヤツのことが少しだけ気になったからに他ならない。周囲の中学校の制服はブレザーにネクタイが主流で、高校になっても学ランを着る選択肢はほとんど無い。きっと余程の理由があるのだろう。それなのに何でと問われ、困らせたかな、という自覚は少しだけあった。  もしかしたら「彼女」である可能性も、捨てきれないから。 「…兄さんのおさがりなんだ。そう言う君は…」  返ってきたのはまだ変声期前の高い声で、素直に可愛らしいと思った。 「そっか、似合ってるじゃん。俺はこれが私服なんだよ」 「和服が普段着って、もしかして自分で着つけできるの?」 「まぁな」 「凄いね!着物の着付け、難しいのに…あっ、僕は」  どうやら彼、で合っていたようだった。学ランの胸元に着けられた、新品の名札を見遣る。『海堂深友』と書かれていた。 「…ふゆ…しん…?」 「『みゆう』って読むんだ…」 「みゆう、か。いい名前だな」 「…そうかな?」 「うん。俺は船橋誠人、まこでいい」 「まこ…うん、よろしくね」 「俺はおまえのこと、ゆうって呼ぶから」  見た目は何処となくぽやっと見える彼が、喋るとしっかりした口調なのが意外だった。それと同時に気づいたら、彼の姿を目で追っている自分がいる。たまたま喋ったあいつとは趣味が似ていて話が合い、それから友達になったのに別々のクラスだった。それでも放課後は自然と合流して、大体一緒に宿題したりひたすら喋っていた。  月日が過ぎていく中で、色々な行事が行われては過ぎていった。体育祭、期末テスト、夏休みに文化祭、クリスマス。どれも楽しかったけど、あいつが近くに居たらもっと楽しめただろう。無事全員が二年に進級すると、話題になるのは修学旅行。二泊三日の船旅、なんて想像しただけで興奮した。海釣りの仕掛けと竿を鞄に詰め込んで、前日はよく眠れなかった。彼と同じ船なら尚よかったけど、クラスが違うから別の船になってしまった。  残念だね、と悲しげに笑うあいつの顔が直視できなかった。  その頃にはすっかり俺の中に居座っていたこの気持ちをどう言い表したらいいのか、何も言葉が思いつかなかった。奴が言うに、過去に生きた人々は見知らぬ遠くの誰かに思いを馳せて手紙を瓶に詰め、海に託したという。一体彼らはどんな気持ちで、それを海に投げ入れたのだろう。無邪気な笑顔がこちらを見上げ、首を傾げる様子は今でも鮮明に思い出せる。ロマンチックだなぁ、と呟いている横顔も。 「気になるならやってみればいいじゃん」  その想いがちゃんと無事に届くといいな、と彼の背中を後押ししたつもりだった。俺には伝えられない、捨てなきゃならないこの感情をカタチにすることは難しかった。 ×   ✕   × 「何それ」 「なっ…なんでもない」  放課後いつものように隣のクラスにいる親友と、何気ない会話をする。その日もその筈だった。でも何となくよそよそしくて、何か隠してるのかもと一瞬心に翳りが差した。 「ふぅん」  努めて冷静に、なんでもない振りを装う。昔から自分の本心を誤魔化すのは得意だった。好きなヤツの前でそう思わせない態度を取ったり、嫌いな食べ物を「好きだよ」と言ったり。目の前にいる、誰かさんを悲しませたくないからなんだと思う。  なんで進級してもこいつと違うクラスにいるのか、何かの策略なんじゃないかと思えてしまうくらい、俺と彼は交わらない。 「……まこ」 「ん?」 「君は好きな人…とか…いる?」 「どうだろうな」  唐突に掛けられた弱弱しい声に、大声で「いる」と返したい衝動を飲み込む。そんな事を言ったところで叶わないと知っているし、彼を…深友を困惑させたくない。 「ゆうは?好きなヤツいるのか?」 「…よく、わからないんだ。すごい好きだけど、なんと言うか…この気持ちは伝えちゃいけない気がして」 「なんで?」 「…きっとそのうち、分かるよ」  彼が何を言っているのかよく分からなくて、何となくそれ以上は踏み込んではいけない気がした。誰にだって、誰にも言いたくないことのひとつやふたつくらいある。親友と言えど、彼にとっては俺だって「他人」に過ぎないのだから。  そうやってまた、自分を誤魔化した。机の上にあった紙切れと空き瓶はいつの間にかなくなっていたから、奴が仕舞ったのだろう。  こいつが幸せになれるなら、何だってしてやりたいと思った。そこに俺の幸せが無かったとしても。 「…なぁ」 「ん?」 「…いや、言いたくなきゃいいんだ」 「なんだよ…変なの」 「それはお互い様だろ?」 「あはは…確かにね」  入学式に初めて会った時から、独特な雰囲気を持つ深友のことが気になっていた。正直に言うと、俺はずっとこんな奴を探していたんじゃないかと思う。  似たもの同士なのはいい点ばかりじゃない。俺も深友も、自分の本当の心を顕にできない臆病なやつだ。  それは修学旅行が始まってからも変わらなかった。別々の船で行き来したから、船旅の最中で彼に何があったのかはちっとも分からない。それでも帰ってきてからの彼は顕著に俺を避けるようになった。いつも泣きそうな表情で「ごめん」と小さく呟いて、逃げるように俺の前から消えてしまう。修学旅行の帰り、船の上から面白そうなものを拾ったことですら話せないくらいに。  船の上から拾ったそれにも、色々な想いが詰まっていたのだろう。  あの日手放した釣り針と(おもり)は弧を描き、大海へと落下した。  針と糸に絡まった何かは水面を漂い、リールを巻くと俺の手元にやって来る。  それまで見たことがなかったものは、瓶に入った紙切れと「鎖のような何か」だった。  もしかしてこれは、ボトルメールと言うやつではないのだろうか。そんな風に思いつつ、深友と話す切っ掛けはなかなか訪れなかった。  そんな状況に耐えきれなくなり、俺はついに決意を固めた。  家の事情が事情だったこともある。学校側には既に話をしていた。季節は瞬く間に過ぎて、半袖から長袖に衣替えしないと肌寒いくらいになってきた頃。いつものように、放課後の教室だった。 「深友、話しを聞いてくれ」 「……うん」 「おまえが…何かを隠しているのは、なんとなく知ってる。多分、好きなやつができたんだってことも」 「!」 「でも、その…3年に進級する頃には、おまえとこうして会えなくなるから」 「えっ…どういうこと……?」 「…俺の親父が倒れたんだ。店を継ぐにも後継者は俺しかいなくて、それなのに商売のことをなにも知らないから…きっと、店を畳むことになると思う。そうなると俺は残った母さんを支えなきゃならない」  心が軋む音を立てているのを、俺はまるで他人事のように聞いていた。 「…そんな……」 「高校は卒業しろって両親が言うから、学校は辞めるつもりはない…でもどうにか今のうちから始められるバイトを探して、掛け持ちしようと思ってる。授業が終わったらすぐ仕事に行かなきゃならなくなるだろうし、こうしておまえとお喋りしていられるのも今だけだ」 「…なんで……」 「おまえは自分が好きなやつに、少しでも近づけよ?俺が見込んでるんだから、きっと…」 「そんなこと言わないでよ!」  急に立ち上がり、叫ぶような大きな声を出す奴の肩が僅かに震えているのが見えた。   「…ゆう?」 「僕の気持ちは…君にはきっと一生届かない…」 「どういう意味だよ、それって…」 「…もう、優しくしないで」 ×   ×   ×  もし僕が女の子になる選択をしていたら、彼と結ばれる未来があったのだろうか。  何度となく自問自答したけれど、結局答えは出せないまま今日に至る。いや、答えを出すのが恐かった。「深友(みゆう)」と言う名前をいい名前だ、と唯一言ってくれた彼に対して、僕は初めて恋をしたのだと知ってしまったから。  僕は生まれつき、生物学的な性別と言うものがない。ないと言うより、混在してしまっている。性分化疾患と言う極めて複雑な症状で、顔立ちや肉体的な外見の特徴は女性寄りらしいけれど、身体の内側にある生殖器と自分が認識している性別は男性だった。睾丸が下腹部に埋没していたし、男の証も極めて小さい。外見上では女の子に見えるから、名前も女の子の名前を貰った。けれど、心は男だった。  本来なら早く分かれば、治療法はそれなりにあったらしい。それでも両親は長い間僕を女の子として育てているうちにようやく違和感を感じ、病院に行けたのは小学校を卒業する間際だった。いつまでも初潮が来なくて、発育不良かと思われたけれど来ないのは当然だ。それなのに胸は少しだけ膨らんでいて、身体の内側と外側どちらも中途半端な状態に自分でも嫌気が差した。  そんな中、私服で通える中学校に通い、僕は僕として生きていくのが苦じゃなくなった。  その頃からホルモン治療を少しずつ始めたけれど、学校が忙しくなってきたのと二次性徴が出始めたのもあり治療はなかなか進まなかった。ようやく戸籍上は「男」だと認められたけど名前も顔立ちもそのままで、髪を短くして服装を変えることぐらいしか自分でできる手立てはない。高校も私服通学できる場所を探し、必死に勉強してなんとか入学を果たした。  僕は兄の使っていた学ランをどうにか着れる様に改修し、入学式に挑んだけれどやっぱり周りからは浮いていた。髪は短くても顔立ちが幼くて、鏡で自分の顔を見る度にため息が出る。カッコいい男子でいたいのに、そんな自分が想像できなかった。  そんな中で出逢ったのが彼…船橋誠人だった。  入学式で初めて彼に出逢った時、ほんとうにイケメンと言うものが存在しているのだと何度も彼の姿を目で追った。背が高い彼は和服姿で入学式に来ていて、とてつもなく似合っていた。女の子たちがキャーキャー言っている横で、僕はちらちらと彼の姿を目で追ってしまう。僕の理想とする男子は、まさしく彼のような存在だった。  それが初恋に落ちた瞬間の出来事だったなんて、今にして思えば笑ってしまう。  この感情は、きっと一生露わにしちゃいけないのだと…自分を律するように彼と接した。それでも限界が近かったのは確かだった。  間近に見える彼の長い睫毛がとてつもなく綺麗で、柔らかそうな唇に触れてしまいたくなる衝動を必死に掻き消した。僕も彼も男なのに、それでは彼を困らせてしまう。 『ねぇ、まこはボトルメールって知ってる?』 『あぁ?どうした急に』 『いや…なんとなく、ロマンチックだなぁ、と思って…』 『まぁ知らない訳じゃないけどよ…気になるならやってみればいいじゃん』  彼に想いを告げるためのラブレターを書くきっかけが、本人の一言だなんて笑ってしまう。そのことを聞いたらさぞかし、彼は笑ってくれるだろう。  このぐちゃぐちゃした感情と、彼に渡したかったペアブレスレットの片割れを瓶に入れて厳重に封をし、海に投げ入れた。  水面に消えた瓶を見て、これで良かったんだと自分に言い聞かせる。何時の間にか頬が濡れていて、口端に入った雫がやけにしょっぱかった。きっと海の雫が飛んできた所為だ。  本当は、僕と出逢ってくれてありがとうと笑顔で伝えたかったのに。  あの日の放課後、泣きじゃくる僕の肩にそっと触れた彼の手がとても温かかった。だけど縋ってしまいそうで、彼の顔を見ることができなかった。さぞかし困らせたことだろうと、今になって恥ずかしくなってしまう。  それ以来、僕たちは今日まで…卒業式に至るまで、同じ放課後を過ごすのを諦めた。  
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