37人が本棚に入れています
本棚に追加
涙の卒業式
朝7時。アラームと同時に目が醒める。
最近、同じような内容の夢を見ることが多い。そして決まって夢の中のあいつは、悲しそうな顔をしていた。
『……何ソレ?』
『なっ、なんでもない』
舞台は大体放課後の教室かいつもの場所。
悲しそうな表情で俯く視線が、何を考えているのか分からなくて怖かった。彼が慌てて隠した1枚の紙は、まさか誰かに宛てたラブレターじゃないよな、とは決して聞けない。俺はつまらなさを装って、「ふぅん」と頷き彼から視線を外していた。
机の傍らに置いたガラス瓶が、カタカタと音を立てていた。
× × ×
「…あのボトルメールが深友からのものだったらいいのに」
窓から見える校庭に散りばめられた薄紅色を眺めながら、結局最後まで言い出せなかった言葉を脳裏に浮かべて溜息をつく。教室の次によく入り浸った、社会科準備室の片隅。式典が終わった後、感傷に浸るには皆が寄せ書きを書いている教室は騒がしすぎて、自然とこの場所に来ていた。
最後の1年は学校とバイト先、自宅の往復で、ちっとも楽しくなかった。2年の冬、病気で倒れた親父は暫く寝たきりで、つい先日呆気なく逝ってしまった。蓄えてた俺の進学費用は、親父の介護に消えた。遺産と言えるものは呉服屋と着物くらいで、この先商いができる気がしない俺は母と相談して店を売ることにした。
入学式には大きめのサイズだった一張羅が今となっては丁度よく身体に馴染み、母の目利きは確かなものなのだと実感した。それと同時に月日の流れを感じて、あれからあっという間に3年も経過したのだと言う現実が走馬灯のように駆け巡る。和装には似つかない、紅い造花のブローチが少しだけ虚しく見える。
たまたま俺の元に流れて来たボトルメールの鎖が、俺の手首で揺れてしゃらりと鳴った。
「ゆう、」
おまえのことが
その先がどうしても口にできなかった。でも会えなくなる前に伝えたい。どうしたら伝えられるのだろう。
進路希望は俺が就職するのに対して、あいつは大学進学だった。きっとこれから、頻繁に会うことは叶わなくなる。
このままお互い大人になって、それぞれ違う相手と付き合って…いずれは…きっと別々の家庭を持つことになる。結婚しない、って選択肢もあるかも知れない。可能性は無限大にあるけれど、俺と彼が結ばれる結末はきっと訪れないだろう。
「……やっぱりここに居たんだね。みんなはもう、同級会行くって」
やや低くなった声に呼びかけられ、我に返りその方向に視線を向ける。それなりに背の伸びたあいつが、俺を探していたらしかった。
深友が普通の男子じゃないと言うことは、1年の夏に知った。どうりで、と納得しただけで、それからの接し方に何ら変化はない。男とか女とかじゃなくて、俺は深友と友達でいたかったから。
俺があいつの為に練習で仕立てた浴衣を着付け、一緒に地元の祭りに行ったのが遠い昔のように思えた。それはもう、似合っていて。
あどけない妖精だった親友が、今はそれなりに筋肉もついて、顔立ちも精悍になった。でも根っこの部分は変わっちゃいない。今でもゆうはゆうのままだ。
卒業式に着る服を、入学式に着ていた学ランじゃなくて、俺の仕立てた浴衣を選んだのには驚いたけど。
あの日深友が言っていた言葉の意味もろくに理解できないまま、結局何も起きずに卒業を迎えた。
「…俺はパスだ。久しぶりにバイト休みだから、今日はゆっくりするよ。それよりさ」
「ん?」
「カッコイイじゃん、深友」
「んなっ!よしてくれ…そりゃ、治療を続けたからだろ」
「それもあるだろうけど、おまえは最初からカッコいい奴だよ」
「ちがっ…まこに言われるのは変な感じがする…そう言う君はクラスの王子様だからね?」
「元、な。今はバイトで培った知識と筋肉しかない、孤高の頭でっかちだ」
「でも筋肉は嘘つかないんだろ?」
「筋肉は嘘つかない」
大真面目に返したつもりだったけど、顔を見合わせて久しぶりに笑った。
「優しくしないで」と言われたあの日以降、見違えるように明るくなった深友は、当初それまでの彼とは別人になったのかと思うくらい笑うようになった。少し伸ばしていた髪もバッサリ切って、あれこれ悩んでいたことに吹っ切れたのか、何かを諦め開き直ったかのようにも見える。
3年になってようやく同じクラスになれたのに、俺は授業が終わったらすぐバイトに行かなくちゃならなくて、自然と彼と過ごす時間が減った。それまでの付き合いから一変し、深友には友達が沢山できて、俺の周りには誰もいなくなった。でも時々、深友が声を掛けてくれるだけで十分だった。
「……まこ?」
「なんだよ」
「なんで泣いてるの」
「うるせぃ」
もっと一緒に居たかった。
もっと喋っていたかった。
もっと
もっと
おまえに触れていたかった。
「誠人」
「ん…っ…!んな、」
俺より少し背の低い彼が、俺の身体を抱きしめた。背中に当たる手のひらがあったかい。
まるであの日とは真逆だ。女々しい自分が嫌になる。
「元気出た?」
「……」
「何言ってんだ…俺は十分、元気だよ」
俺の顔に触れるサラサラの髪が擽ったくて、思わず目を瞑る。こいつの髪はやけに質が良い。短く切ったのが勿体ないくらいには。
「まぁ、最後の別れくらい」
「っ……!」
急に口が塞がれて息ができなくなり、唇に柔らかい感触が触れた。何が何やら分からないのに、今度は手のひらで目元を覆われる。
「っ…み」
「……まだ、目を開けないで」
「おい、今の、」
「じゃあ、いつまでも元気で。僕は行くよ」
「おい!待てって!ゆう!」
目を開けたときには既に、深友の熱が離れていた。
俺の手は空を切り、足元には「またね」とだけ書かれた紙切れが一枚、置かれているのが滲んで見えるだけだった。
その時になって、なんで深友が俺を探しに来てくれたのか、なんとなく気づいていたように思う。でもきっと都合よく考えてしまう、俺の気の所為だ。
さっきのだって、俺のファーストキスかも知れない、なんて都合が良過ぎる話だ。
あの頃の放課後みたいに、「またね」と言って別れた帰り道みたいに、明日も明後日も一緒にいて、喋って、笑って、些細な事で喧嘩してすぐに仲直り。
そんな毎日が続かないことなんて分かっていた筈なのに。
いっそ、さようなら、の方が忘れられたのに。
「…ばかやろう」
俺は、海堂深友が好きだった。
最初のコメントを投稿しよう!