十年越しのラブレター

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十年越しのラブレター

「ほら、着いたぞ」  ボトルメールをきっかけにした久方ぶりの再会の後、自分の部屋に帰ってきた。あの頃よりも随分と重くなった親友を背負って。好きだ、なんて今更言ったところで、このまま『友達』として付き合えるのかすら怪しいのにだ。したたかに酔ったゆうは玄関の扉を開けるなり、俺の背中であぁだのうぅだの呻いていた。 「どうした?気持ち悪いのか?」 「懐かしい匂いがする」 「はぁ?」 「まこの匂い」  急にそんなことを言われるとは思わなくて、間の抜けた言葉しか返せなかった。急にどうしたんだと聞いても黙ったままで、彼はいつまでも俺の背中から降りる気配がない。  背中に触れる深友の体温を手離したくないけれど、このままでは埒が明かなかった。 「俺もおまえも靴脱げないだろ。とりあえず、玄関に降ろすからな」 「ん」  屈んで、奴を玄関に座らせて、立ち上がろうとした時だった。 「…本当にいいの?」  あの頃と同じ口調で、奴はぽつりと一言漏らした。 「…何が」 「君が拾ったの、僕が投げたボトルメールじゃなかったらどうする?」 「そんなの、見てからじゃないと分からないだろ」  正直、そうかも知れないと過ったことはある。手紙の解読ができていない時点で、核心なんて元よりなかったに等しい。それでも彼が俺の誘いに「いいよ」と返事をくれたことで、あの頃の燻っていた記憶が蘇った。  それだけで、この瓶の存在価値は俺の中で変わらない。それを確かめるためにも、俺は先に自分の靴を脱いだ。 「…ねぇ」 「今度はなんだよ」  玄関に座った奴を振り返ろうとした瞬間、俺の身体に凭れるように奴の顔が近くなった。 「…今でも、君が好きだ」  それだけ言うと、奴は少し泣き出しそうな顔をした。玄関の暗い場所にいてもわかるくらい、こいつとは付き合いがそれなりに長いから。 「…泣くなよ」 「泣いてなんかない…」  …すぐに嘘だと分かった。声が震えてる。 「深友(みゆう)」 「ん」  卒業式の後、こいつにされたのはサヨナラのキスじゃなかった。  誰もいない準備室、足元に置かれた紙切れの端、「またね」とたった一言の消えない言葉。それを現実にしたくても、できずに忘れようとしていた恋心。 「キスしていいか」 「…うん」  何もしない、と言ったのも嘘になったから、お互い様だと思って赦して欲しい。  は、と息を吸って、次の瞬間にはもう唇が塞がっていた。 ×   ×   ×  まさかの問い掛けに、頭の中は真っ白になった。それでも断わる理由なんてないから、どちらがリードするとか気持ちいいキスの仕方とかあれこれ考える暇もなく、ただひたすら柔らかい場所を重ねる。酔っていた筈の頭は急に冴えてきて、少しだけ甘い煙草の匂いが誠人から漂っていた。鼻腔をくすぐるそのフレーバーはバニラのようで、もし僕を気遣ってくれているのならと少しだけ嬉しくなる。  誠人の下唇を緩く食むと、僅かに笑われてようやく離れることができる。多分自分からは離れられなかったから。 「っ…、おまえ、ずっと我慢してたのかよ?」 「悪いか?ずっと…忘れようとしてたけど無理だった」 「悪くはないさ。あー、もう。可愛いなおまえ」  頭を撫でられ、首筋がゾワゾワと粟立つ。もっと触れて欲しい。もっと感じていたい。  あの頃みたいに、僕の心を無茶苦茶にして欲しい。とうに忘れた筈の出来事を思い出してしまい、僕は誤魔化すように誠人の耳元へ唇を寄せた。 「まこ…好き」 「うん、知ってる。…俺はそれよりももっとお前が好きだ」 「ふふっ…もっと早く言って欲しかったなぁ」 「それはこっちの台詞だよ」  掠れた声で告白されて玄関前の廊下にゆうを押し倒したような格好になり、互いの鼓動がやかましく耳の奥に響く。奴の顔は実に色っぽくて、男とか女とか関係なく『ただ深友を抱きたい』と思った。それでも俺の眼下で隆起する、深友の胸元を突いてみるのが精一杯だ。 「ん…んぁっ…」 「ここ、…そんなに良い?」 「や…無理だって……」  ここまで恥じらう姿は初めて見た。声を出さないように自分の口を手の甲で押さえていて、堪らなく可愛い。それに、かなり興奮する。必死で何かに耐えようとしている、無防備な首筋にキスするとまた変な声を漏らした。自分の理性が壊れる前に止めないといけない、そんなふうに自分へ言い聞かせて、俺は深友から離れた。 「窮屈だろ…リビングに入ろう」 「ん…」  廊下に背中を預けた深友に手を差し出すと、奴は震える手で俺の手を弱々しく握った。上半身は上がっても立ち上がれなくなっているらしく、仕方ないから屈んで膝裏と腰に腕を入れて抱き上げる。お姫様抱っこってやつだ。 「わっ!」 「暴れるなよ?」  俺の首に縋り付き、両腕を巻き付けるゆうの顔は見えない。それでも何となく嬉しそうな、恥ずかしそうな雰囲気が感じられて笑ってしまう。  リビングに入ってからはシングルベッドに倒れるように雪崩込み、ただ深友の身体に覆い被さって抱き締めた。やっと掴まえる事ができた意中の相手、それも今までずっと両想いで、互いに初恋の相手だったなんて思いもしなかった。  メールでも電話でも、一報入れるだけでよかった。それでも直接会って話しがしたくて、何度も夜中に名前を呼んだ。ようやく返ってきた返事を、聞き逃しはしない。 「…まこは…僕のこと、本当に」 「愛してる」  面と向かって言うのが滅茶苦茶恥ずかしい。今度は深友の耳元で囁くように、十年もの間燻っていた感情と、ようやく素直に言えた言葉を反芻する。 「俺がおまえをずっと好きだったの、気づかなかったのか?」    ✕ 「…僕なんかで…いいの?本当に」 「あたりまえだ…好きじゃない人と付き合うのは、かなり苦痛だからな」  誠人の過去に何があったのか、僕はよく知らない。  けれど相当、辛い目に遭ったのだろうと予想はついた。 「……ふふ…なんか、夢みたいだ」  ふわふわと夢の中で漂っているような幸福感でいっぱいになる。  男にも女にもなりきれなかった中途半端な僕を、彼が好いてくれていただけで嬉しい。それでも互いに知らないまま、積み重なった十年の全てを知った訳じゃない。 「でも…まこはノンケなんだろ?」 「なんだそのノンアルみたいな単語は」 「…要するに…同性愛者じゃない、って意味だ」 「相手がおまえなら男でも女でも関係ないし…その…俺も俺なりに色々調べるから」  顔を真っ赤にしながらそう言って、視線を逸らす仕草はあの頃と変わっていなかった。 「調べるって、ナニを」 「ナニって、その…分かってる癖に!」  少しだけ意地悪な質問をすると、まこが僕の身体をぎゅうぎゅうと抱き締めた。正直、僕だって何も分かっちゃいない。けれど…2人で少しずつ、前に進んでいければいいなと思った。 ×   ×   × 「…これ…やっぱり僕が投げたボトルメールだ…」  翌日の朝。皺だらけの紙切れが入った瓶を見て、俺の恋人が嬉しそうに笑った。
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