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「さようなら。もう顔も見たくないから二度と連絡しないで!」
吐き捨てるような女の一言とともに、三ツ星フレンチの店に似つかわしくない平手打ちの音が響き渡った。
呆然として言葉を失っているスリーピースのスーツの男にお構い無しにバッグの中を漁って、数枚の紙幣を半ば投げつけるようにテーブルへ置いた彼女は振り返ることもなく出口に向かった。
店を出た彼女は、ヒールの音を高らかに鳴らしながらこう考えた。
『なぜにこうも三次元の男は私を幻滅させるのだろうか? あの人のような素敵な人がなぜ私の目の前に現れないのだろうか?』
ため息を一つ吐き、輝く月を見つめた彼女は自室の一番目立つ場所に貼られている、とある推しの若手俳優のことを思い浮かべていた。
『いっそこの世の男がみんな彼のようになればいいのに!』
心の中で乱暴につぶやいた瞬間、女の目に怪しげな看板を掲げた店が映った。
〈理想の妙薬あります〉
普段の彼女であれば歯牙にもかけないうたい文句であったが、今夜の彼女にはその言葉が心に深く刺さった。
迷わず店内に足を踏み入れた彼女は、おそらく店主と思しき年齢不詳の老女に話しかけた。
「あの……、すみません……」
「あら、お嬢さんいらっしゃい。もしかして、理想の妙薬をお求めですか?」
彼女がすべてを言い終わらぬうちに事情を察した老女は、そう尋ねてきた。柔らかな表情を浮かべている老女の鋭さに驚きつつ、彼女は思わず頷いた。
笑顔を彼女に向けたまま老女は〈理想の妙薬〉についての説明を簡単に始めた。
「と、いうことで、これを一日一粒必ず飲むことで、あなたにはきっと幸せな人生が待っていますよ」
そう締めくくった老女に、彼女はひどく興奮した様子で何度も頷いた。
「私、それ買います!」
そう言い終わるや否や、彼女はバッグからためらいなく財布を取り出し先程とは違う熱量で老女に数枚の紙幣を差し出した。
帰宅した彼女は手にした薬の瓶と、にこやかにこちらに微笑みかけるポスターの中の俳優をかわるがわる眺め、何かを決意した表情で、瓶の中から錠剤を一粒つかみ、一気に飲み下した。
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