サイトカインドリーム

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僕の名前は桜木律。独身。身寄りなし。 学生時代に化学物質過敏症を発症、追い打ちをかけるように発達障害と診断され、ストレスから潰瘍性大腸炎や特発性反応性低血糖症を発症し、社会復帰は諦めて近くの印刷会社(就労継続支援B型事業所)でデザイナーのようなものをしている。 収入はほとんどなく、必要最低限の暮らししかできない。障害年金も却下されてしまったし、毒親だった両親は遺産も残さずあっという間に他界してしまった。 友達もいない。僕は言語IQが低いためコミュニケーションを楽しむということが苦手だ。だから否応なしに一人でいるはめになる。決して一人が好きなわけじゃない。むしろ友達と遊ぶのは大好きなのだけど。 働いていないときは家事をしているか、ベッドで横になっている。 そんな僕の趣味は近くのスーパー銭湯に行くことだ。 温泉に入ってマッサージチェアに座るのももちろん好きだけど、ロビーでぼんやりするのが好きだ。 ここに来る人達はみんな休みに来ている。そんなのんびりほのぼのとした空気にあてられて、僕もホッとした気持ちになる。 そして、今日も僕はここに来ていた。 「あー……、気持ち良い~!」 身体がじんわり温まって、肩こりも和らいできた。 (ほんとは風俗店に行ってみたいけど、さすがにそんな勇気はないもんなぁ) でもこのまま欲求不満が溜まり続けるのも良くないなぁ。どうしよう。 僕がそんなことをぼんやり悩んでいると、目の前を女性が通り過ぎた。 (あれ?あの子どこかで見たことがある気がする……。) 顔を見てハッと思い出したのは、僕が勤めている会社の社長の娘さんだった。 彼女はとっても美人で、社内ではマドンナ的な存在だ。噂によるとかなりの金持ちらしい。 その彼女がなぜこんなところに。 疑問に思っていると、彼女と目が合った。 「こんにちは。」 彼女から声をかけられた。 「えっと、どうも……」 まさか話しかけられるとは思わず、緊張して上手く言葉が出なかった。 「あなたもここで遊んでいるんですね。」 「す、すみません。あなたのような方がいらっしゃるところとは思わず、場違いな場所で、このようなふしだらでお見苦しい格好をお見せして大変申し訳ありません。すぐ退散いたしますのでどうかご容赦くださいませ。」 緊張のあまり早口になってしまった。 すると、クスッと笑われた。 恥ずかしくて消えてなくなりたい。 「いえ、大丈夫ですよ。私も似たようなものですから。それより、せっかくですから一緒に遊びましょう。」 そう言って彼女は、受付からタオルを借りてきた。 「背中を流しっこしましょう。」 そう言う彼女の笑顔はとても可愛かった。 その後、僕らはサウナに入った。 「ねぇ、あなたのことを教えてください。」 そう言われ、名前や年齢、家族構成などいろいろ話した。 「へぇ、そうなんだ。大変な人生を送ってきたのですね。」 「はい。」 「でも、今はこうして幸せな時間を過ごせているのだから良かったですね。」 「はい。」 「きっと神様が幸せになれるよう頑張ってくれたのでしょうね。」 「はい。」 彼女に言われると、本当にそんな気がしてくるから不思議だ。 その後もいろんな話をした。 お互いの趣味の話とか。 「私は最近エステにはまっているんですよ。」 「エステですか?」 「はい。自分ではなかなか手入れができない部分もありますし、プロに任せるのが一番だと思うようになりまして。」 「なるほど。リンパマッサージは素人がやると逆効果になることもあるらしいですね。僕も受けてみたいですけど、怖くて行けてないです。」 「あら、それはもったいない。私がやってあげますよ。」 「本当ですか!ありがとうございます。」 なんていう会話をしていた。そして最後に、マッサージチェアに座って休憩していたときのことだった。 僕の隣に座った彼女が、突然僕の手を握ってきて言った。 「ねぇ、私のものになりなさい。」 「えっ」 「私なら、あなたを満足させられるわ。」 「そ、それってどういう……」 「私と結婚しましょう。」 「えっ」 「ずっと前から、あなたに好意を抱いていました。だから結婚を前提に付き合いましょう。」 「あ、あの、僕はもう30歳で、あなたは僕より若いし綺麗だし、もっといい人がたくさんいると思います。それに、僕はこんな身体で、とても女性を楽しませるような男じゃないし……。」 僕はパニックになっていた。 「関係ないわ。私はあなたが良いの。あなたじゃなきゃダメなの。」 そう言って、彼女は僕の手にキスをした。 僕は、この日初めて女の人に求められた。 (なーんていう妄想をしたりしてね、むふふ) もちろん今までのはすべて妄想であり、現実の僕に話し掛けてくる女性と言えば、シャンプーとリンスがどちらかわからない目の悪いおばあさんくらいである。そもそも、こんな冴えないおっさんに声を掛ける人なんていないだろう。 そんなことを考えながらボーっとしていると、 @/* 隣の女湯から悲鳴が聞こえてきた。 なんだ!?と思って慌てて隣を見ると、さっきの女の人と男性が倒れていた。 「どうしましたか!」 僕が声をかけると、男性の方が顔を上げた。 「あ、あなたは……」 「先程お会いした者です。いったい何があったんですか?」 「急に倒れたんです @*/ あっという間に夕方になってしまうのだった。 (さて、帰るかぁ) 家に帰っても当然一人。貧しい食事をして、シャワーを浴びて寝る。 もちろん寂しいし辛いけど、そんなのは子供の頃から慣れっこだ。 自殺しようかなと思うときもあるけど、お風呂上がりに喧騒の中をぼんやりと歩くのが好きだから、まだ生きていけているのかもしれない。 ―――――――― (今日は何食べようかな) スーパーで買い物をしながら考えていると、後ろから声をかけられた。 「こんにちは、桜木さん。」 振り返ると、臼井さんがいた。 「あ、臼井さん。久しぶり。」 「今帰りですか?桜木さん、いつもこの時間ですよね。」 「うん、そうだよ。そっか、臼井さんもこの時間だったよね。」 「そうです。良かったら、ご一緒しませんか?」 「え、良いの?」 「もちろん。私、一人暮らしなので、遠慮しなくて大丈夫ですよ。」 「そうなんだ。じゃあお邪魔しようかな。ありがとう。」 僕は、臼井さんのマンションに行くことにした。 「どうぞ。散らかってますけど。」 「うわー、綺麗にしてる。」 部屋に入ると、とてもシンプルで整頓されていた。 「何か飲みたいものありますか?コーヒーか紅茶ならすぐ出せますけど。」 「何でも良いよ。僕がやるから座ってて。」 キッチンを借りて、お茶の準備をした。 ソファーに座って待っていると、カップを二つ持った臼井さんが来た。 「はい。熱いので気をつけて下さいね。」 「ありがと。いただきます。」 一口飲むと、程よい温かさが喉を通っていった。 「美味しい。」 思わず口に出すと、臼井さんは嬉しそうに笑った。 「本当ですか?嬉しい。」 その笑顔を見て、ドキッとした。 こんな可愛い子が隣に住んでるなんて知らなかった。それに、とても優しい。 「最近、寒くなってきましたよね。体調崩してないですか?」 「うん、平気だよ。臼井さんは?」 「私も元気ですよ。でも、乾燥するので風邪ひきやすいんですよね。桜木さんは、もう冬服とか買われました?」 「まだ。でも、もう11月だから、そろそろ買いに行かないと。」 「早いですね。私、毎年10月に衣替えするんですけど、つい忘れちゃうことがあって。」 「あるよね。ついつい先延ばしにしちゃうんだよな。臼井さんはどんな感じの服装が好き?」 「私は、あまりファッションに詳しくないので、シンプルな感じが好きです。スカートもパンツも履けますし。」 「へぇー。あんまり派手な格好はしないの?」 「はい。派手過ぎない方が落ち着きます。」 それから、お互いの好きなブランドや色などを話しているうちに夕方になった。 「桜木さん、ご飯食べていきませんか?簡単なもので良ければ作ります。」 「良いの?なんか悪いな。」 「いえ。実は、昨日作ったカレーがあるんです。温めるだけで食べられるように準備していたのですが、一人だと何だか味気なく思えて。」 「それじゃあ、お言葉に甘えるね。」 そう言うと、臼井さんは微笑んでくれた。 「桜木さん、お風呂どうしますか?シャワーで済ませますか?」 「あ、そうだね。じゃあ、先に借りようかな。」 「分かりました。着替えは私ので我慢してください。」 臼井さんの部屋は2LDKで、寝室が一つ空いていたため、そこで寝ることになった。 「桜木さん、シャンプーはこれ使ってください。ボディーソープはこの前、詰め替えたものがあるのでそれでお願いします。タオルはここに置いときますね。」 「分かった。ありがとう。」 「お湯加減はどうですか?」 「ちょうどいいよ。」 「そうですか。良かったです。」 「臼井さん、お風呂ありがとう。おかげでサッパリしたよ。」 「それは良かったです。では、お休みなさい。」 「おやすみ。」 ベッドに入ると、すぐに眠気が襲ってきた。 (今日は楽しかったな。) 臼井さんのことを考えながら眠りについた。 朝、目が覚めると、見慣れない天井があった。 (あれ、ここはどこだろう?) 起き上がって周りを見渡すと、そこは臼井さんの家だということを思い出した。 (あ、そういえば泊まったんだった。) リビングへ行くと、臼井さんがいた。 「おはようございます。よく眠れましたか?」 「うん、ぐっすりだったよ。」 「朝食出来てるので、一緒に食べましょう。」 テーブルにはトーストとハムエッグ、サラダが置かれていた。 「いただきます。」 二人で向かい合って食べた。 「桜木さん、今日の予定はありますか?」 「特に無いけど、買い物に行きたいと思ってるくらいかな。」 「もし良かったら、買い物付き合ってくれませんか?新しい服を買いたくて。」 「良いけど、僕センスないから期待しないでね。」 「大丈夫です!むしろ、桜木さんの好みを知りたいです!」 「そうなんだ。じゃあ、行こうか。」 「やったー!!」 臼井さんはとても喜んでくれたみたいだ。 「桜木さん、これ似合いそうじゃないですか?」 「確かに。でも、ちょっと派手じゃないかな?」 「そんなことありませんよ。試着してみましょう。」 臼井さんは店員さんに声をかけると、僕の背中を押して試着室へ向かった。 「桜木さん、開けて下さい。」 カーテンを開けると、臼井さんが目の前にいた。 「どうですか?」 「うわぁ、凄く可愛い。」 「そうですか?桜木さんはこういうの好きですよね?」 「うん、好きだね。」 「じゃあ、これにします。」 臼井さんは満足そうに笑っていた。 昼食を食べ終えてから、僕たちは街を歩いていた。 (不思議な子だなぁ) 僕は臼井さんのほうをチラリと見た。 なんというか、居心地がいい。 裏表がないと言うか、深くないと言うか、本能的とも違う彼女をとりまくふんわりとした雰囲気に癒される。 このまま「僕と結婚する?」と聞いても「はい、いいですよ。」と返ってきそうな不可思議さがある。 「桜木さん、どこか行きたいところありますか?」 「えっと……本屋さんに行っても良いかな?」 「もちろんです!じゃあ、こっちですね。」 臼井さんは嬉しそうに歩き出した。 本屋の店内は静かで落ち着いた空間が広がっていた。 臼井さんは、ファッション雑誌の置いてあるコーナーへ行った。 「桜木さん、何か読みたいものはありますか?」 「うーん。やっぱりどうしてもレシピ本ばかり気になってしまうな。何せ僕の唯一の楽しみだから。」 「ふふ、本当に料理が好きなんですね。」 「臼井さんは何を買うの?」 「私はファッション誌です。」 「そっか。じゃあ、ゆっくり見てていいよ。」 「はい。じゃあ、また後で。」 臼井さんはファッション誌の棚の前で立ち止まった。 少し離れた場所で本を物色していると、後ろから肩を叩かれた。 振り向くと、そこには臼井さんがいた。 「桜木さん、お待たせしました。」 「臼井さん、もう買ったの?」 「はい。桜木さんはどんな感じの雑誌を読むんですか?」 「そうだね。今はスイーツ特集とか読んでるよ。」 「そうなんですね。私、甘いもの好きなんですけど、中々自分からは作らないんですよね。」 「分かるよ。僕も同じ。」 「桜木さん、この後はどうします?」 「まだ時間もあるし、映画でも観ようか。」 「良いですね。何の映画が良いですか?」 「臼井さんはどういうジャンルが好き?」 「恋愛ものですかね。」 「なら、これなんかどうかな?」 スマホを操作して、映画のサイトを開いた。 「これ、面白そう!」 「じゃあ、それにしよう。」 「やったー!」 (ふふ、かわいいな) 臼井さんは飛び跳ねるように喜んでいた。 映画館に着くと、臼井さんはポップコーンを買ってきた。 「飲み物は何飲みますか?」 「コーヒーでお願いします。」 臼井さんがキャラメル味のポップコーンとアイスコーヒーを持って戻ってきた。 「ありがとう。お金払うよ。」 「いえ、私が誘ったのでここは奢らせてください。」 「分かった。ありがとう。」 席に座ってしばらくすると、上映が始まった。 内容は、高校生同士の男女が出会い惹かれ合っていくラブストーリーだった。 臼井さんを見ると、目を輝かせてスクリーンに見入っていた。 映画が終わると、臼井さんは大きく伸びをした。 「ん~!とても良かったです!」 「良かったね。」 「あのシーンなんか特に!」 「うん、感動したね。」 「桜木さん、この後はどうするんですか?」 「うーん、特に決めていないんだけど、どこか行きたいところはある?」 「そうですね……あ、ゲームセンターに行きたいです。」 「良いね。行こう!でも、音大丈夫?」 「耳栓持ってきたので大丈夫です。」 「さすがだね。」 臼井さんはウキウキしながら歩き始めた。 ――――――――― ゲームセンターで遊んだあと、近くのカフェに入った。 臼井さんはケーキセットを、僕はブレンドコーヒーを注文した。 「それにしても、臼井さんが恋愛映画が好きのは意外だったな。恋愛とかあんまりしないタイプだと思ってたけど。」 「確かに今まではあまり興味無かったかもしれません」 「ふーん?そうなんだ」 「でも、最近になって急にそういうのにハマっちゃって……」 「へぇ、何かきっかけがあったの?」 「えっと、友達に借りて読んだ小説がきっかけですね。」 「なになに、教えて」 「えっと、その主人公が男の子でヒロインが女の子で……」 「うんうん」 「それで、最後は結ばれました!!」 「そうなんだ。良かったね。」 「はい!!あの小説は凄くオススメなので、是非読んでみてください!」 「分かった。今度探してみるよ。」 「あ、そろそろ帰らなくちゃ。」 時計を見るとうっすら夕方になっていた。 会計を済ませて店を出ると、臼井さんは僕の手を握った。 「臼井さん?」 「帰りましょう。」 臼井さんはニコッと笑って歩き出した。 臼井さんの家まで着くと、臼井さんは僕のほうを向いて言った。 「桜木さん、今日は楽しかったです。また、一緒に出掛けてくれますか?」 「もちろん。また、連絡します。」 「はい、待ってます。それじゃあ、また明日」 臼井さんは家に入っていった。 (不思議な子だなぁ) そんなことを考えながら、僕は帰路についた。 ―――― 翌日、臼井さんからメッセージが届いた。 『昨日はありがとうございました! 桜木さん、今週の土曜日って空いてたりしませんか?』 『特に予定は無いから大丈夫ですよ』 『本当ですか!? なら、立川に新しく出来たショッピングモールに行きたいんですが……どうでしょうか?』 『いいですね。行きましょうか。』 『やった~!』 こうして僕たちは次の日曜日にデートをすることになった。 ―――――― 当日。待ち合わせ場所に着くと既に臼井さんが待っていた。 「おはようございます。桜木さん」 「こんにちは。待たせてしまったかな?」 「いえ、全然待っていないので気にしなくて良いですよ。」 「それじゃあ、行こうか。」 「はい!」 電車に乗って立川に向かった。休日ということもあり、車内は混んでいた。 「すみません、桜木さん。私のせいで……」 「いや、これくらい平気だよ。」 「そうですか、良かったです。」 それから10分ほど経つと、目的の駅に着いた。 駅から出ると、そこは人で溢れていた。 「わぁ、すごい人だな。」 「はぐれないようにしないといけませんね」 臼井さんの手を握る力が少し強まった気がした。 「そうだね。気をつけないと……あれ?」 [凜々花を見かける] (あれは、凜々花さん?) 「どうかしましたか?」 [睦が心配そうに律に声をかける] 「いや、なんでもない。それより、早く行かないと売り切れてしまうかもしれないぞ?」 「えっ、それは困ります。急ぎましょう」 「うん」 臼井さんは僕の手を握り走り出した。 ―――― しばらくすると、睦さんの足が止まった。 「はぁ、はぁ、なんとか間に合いま……」 言いかけたところで臼井さんは言葉を止めた。 「臼井さん、どうかした?」 「えっ、あっ、はい。実は……」 [陳が喋る]「睦、ここにいたのか」 [凜々花が喋る]「律さん、それに臼井さんも。奇遇ですね」 僕が驚いたのは盛博と凜々花さんの2人に再会したことよりも、二人の手がくっついていることだった。 「えっと、二人はどういう関係なんです?」 「恋人同士だけど?そっちだって手を握り合ってるじゃない。」 「こ、これはその、はぐれないために仕方なく……って、臼井さん?どうして顔を真っ赤にして黙っているの?」 「ふぇ?あ、あわわわ、す、すいませんでした!!」 「ちょっと、臼井さん!?」 臼井さんは慌ててその場から立ち去ってしまった。 「全く、何やってんだか」 凜々花さんは呆れた様子だった。 「あの、凜々花さん」 「ん?どうしたの?」 「凜々花さんは臼井さんとはどんな関係なんですか?」 「ただの幼馴染よ。小さい頃からずっと一緒なの。」 「そうなんですね」 「それで、律さんはどうしてこんなところにいるの?」 「僕は臼井さんと買い物に来ているんですけど……臼井さんはどこかへ行ってしまって。」 「臼井さんなら、さっき向こうの方に行ったわよ。」 「ありがとうございます。」 臼井さんを追いかけて走った。 「はぁ、はぁ、臼井さん、どこに行ったのだろう?」 「あ、あのー」 「臼井さん、どこに行ったのかな?」 「と、桜木さん、ここです」 「あっ、臼井さん。良かった。急に走り出すからびっくりしましたよ。手……繋ぎませんか?」 「はい、是非!」 僕たちは手を繋いで歩き始めた。 「あの……桜木さん」 「はい、なんでしょう」 「凜々花さんとはどういう関係なんですか?」 「ただの幼馴染だけど……それがどうかした?」 「いえ、特に深い意味は無いのですが、桜木さんのあんな悲しそうな顔は初めて見たので」 「……顔に出てましたか」 僕は凜々花さんのことが好きだった。 でも、もう叶わない。 凜々花さんの隣には彼氏がいる。僕の入る余地なんて無かった。 「凜々花さん、結婚するみたいですよ。お相手の方は研究職をされている方らしいです」 「えっ、凜々花さんが?」 臼井さんは信じられないという表情をしていた。 「はい。来週、結婚式があるみたいなんですよ。」 「そう、なんだ」 臼井さんは寂しげに呟いた。 「臼井さん、これから時間ありますか?」 「えっ?はい、大丈夫です」 「それじゃあ、行きましょうか」 「行くってどこに?」 「カラオケです。失恋したときは歌うのが一番ですよ!」 「えっと、私はあまり歌は得意じゃ無いんだけど……」 「じゃあ、食事にしましょう!僕が奢りますから」 「いや、悪いですよ」 「臼井さん」 僕は真剣な眼差しを臼井さんに向けた。 「うぅ……わかりました。一杯だけですよ?」 「はい!」 臼井さんは少し照れながら言った。 「臼井さん、歌い終わったら次はデュエットしませんか?」 「いいですね。やりましょう!」 臼井さんはとても楽しそうにしていた。 ―――――― 臼井さんが歌っている間、凜々花さんの結婚について考えていた。 (凜々花さん、幸せそうだった。) (凜々花さんは幸せなんだ。僕のことは忘れているかもしれないけれど、それでも良い。凜々花さんが笑顔になれるならそれで良いんだ。) (凜々花さん、今までありがとうございました。どうか、末永くお幸せになってください。) 臼井さんがマイクを置いて、こちらを振り向いた。 「桜木さん、どうしたんですか?」 「えっ?」 「泣いていますよ?」 「あれ、本当だ」 頬を触ると涙が流れていた。 「僕も歳を取ったのかな」 「そんなことないですよ」 「そうだといいけど」 「私はまだ35歳ですから」 「えっ、臼井さんって僕と同い年なの!?」 「はい、そうですけど……桜木さんって私より年上だと思っていました」 「そっか、臼井さんは童顔なんだね」 「桜木さんは大人っぽいですよね」 「はは、よく言われるよ」 「ところで、桜木さんは何を食べたいですか?」 「んー、なんでも良いよ」 「それじゃあ、パスタとかどうですか?」 「うん、美味しそう。そこにしようか」 2人で店内に入った。 席に座ってメニューを開いた。 「僕はカルボナーラで」 「私はペペロンチーノで」 注文してしばらくすると料理が来た。 「いただきます」 「桜木さんは、どうしてデザイナーになろうと思ったんですか?」 「そうだなぁ。ひと目で伝わるっていうことに興奮するからかな。物事は伝え方次第でガラリと変わる。人を操っているような感覚がたまらないんだよ」 「へぇ、そうなんですね」 「臼井さんは?なんで小説家になったの?」 「それは……なんというか、人の心を動かすことができる小説を書きたかったんです。」 「そうなんだね」 「桜木さんはなんのために生きていると思いますか?」 「んー、生きる意味か。そうだなぁ。自分を見つけるためかな、僕の場合は。自分が何が好きで、何に感動するかを知るために生きているのかなって思うよ」 「なるほど。素敵ですね」 「臼井さんは?」 「私は……自分の生きた証を残したいです」 「臼井さんの書いた小説、読んでみたいな」 「恥ずかしいので、まだダメです」 「わかりました。いつか読ませてくださいね」 「はい、桜木さんが読んでくれたら嬉しいです。」 臼井さんと別れて家に帰った。 ー――― それから数日経って、臼井さんの新作が完成した。 タイトルは『春風』 その本を臼井さんから受け取った。 そして、すぐに読み始めた。 1ページ、1ページをめくっていく度に胸が苦しくなった。 でも、最後まで読むことができた。 「これが臼井さんが伝えたかったことなのかな」 あとがきにはこう書かれていた。 『私の大好きな人が亡くなりました。彼はとても優しくて、いつも周りに気を配ってくれる人でした。彼が居なければ今の私はありません。本当に感謝しています。彼と過ごした日々は宝物です。だから、天国にいる彼に届くようにこの物語を作りました。彼の人生に幸多きことを祈っています。』 「そうだったんだ……」 涙が溢れてきた。 僕は何も知らなかった。 臼井さんが抱えていた苦しみや悲しみを。 臼井さんは僕の知らないところでずっと戦っていた。 それなのに僕は臼井さんのことを何も知ろうとしなかった。臼井さんのことを理解しようとしていなかった。 臼井さんはどんな思いでこの本を書いたのだろう。 臼井さんが亡くなってしまった人に抱いていた想いを。 僕は臼井さんに何ができるだろうか? 臼井さんのためにできることは何だろうか? 臼井さんは今どうしているのかな……きっと辛い思いをしているよね。 もし、あなたが大切な人を亡くしたとしたら、僕がその人の代わりになることはできないかもしれないけど、あなたの支えになりたいと思ってます。 臼井さん。今はゆっくり休んでください。 いつか笑顔を見せてください。 待っています。 臼井さんの作品を読んで、僕にも何かできることはないかと思った。 まず最初に思ったことは、自分が生きていることの素晴らしさを実感したいということ。 生きているからこそ出会えた人や出来事がある。その出会いを大切にしたい。 その人との思い出は、かけがえのないものだと思っている。だからこそ、その人が亡くなったことを受け入れられなかった。 そんなことを考えながら、街を歩いていた。すると、後ろから声をかけられた。 「律さん?」 振り返ると、そこには見覚えのある女性が立っていた。 「凜々花さん!?久しぶりだね!」 彼女は佐藤凜々花(さとうりりか)さん。僕の幼馴染で盛博の恋人。 凜々花さんとは久しぶりに会った気がする。 「本当ですね!元気にしていましたか?全然連絡がないから心配してたんです」 「すみません。迷惑をかけたくなくて」 「大丈夫ですよ。私と律さんの関係じゃないですか」 凜々花さんは明るく優しい性格をしている。それに、見た目も美しい。 だから、男性からの人気が高い。 「最近どうしているの?」 「立川でデザイナーをしていマス」 「そうなんだ。すごいなぁ。頑張ってるんだね。仕事は順調なの?」 「うん、実は起業も良いかなと思ってて、今仲間を集めてるとこなんだ。凜々花さんも良かったら参加しない?」 「ごめんなさい、遠慮します。律さんには申し訳ないんだけど、人前に出るのが苦手なので。だから、起業とかは無理だと思う」 凜々花さんは昔から人前に出ることが嫌いだった。それは今も変わらないようだ。 「そっか、残念だけど仕方ないか」 「本当にごめんなさい」 「謝らないでよ。凜々花さんが悪いわけじゃないし」 「ありがとうございます。律さんは変わりましたね。昔と比べて、すごく大人になりました」 「そうかな?自分ではよく分からないや。凜々花さんの方はどうなの?」 「私は変わりましたよ。変わったっていうより、成長したのかも。最近は自分の将来についてよく考えるようになりました。律さんは将来の夢ってありますか?」 「えっ、将来……」 その瞬間、臼井さんのことが一瞬頭によぎったけど、すぐに頭の中から振り払った。 「まだ決まっていないというか、考えたこともないかも。そういう凜々花さんはもう決まっているの?」 「うん。私もね、そろそろお嫁に行かないといけなくなってきて、だから結婚相手を探しているところ。色んな男性とお付き合いしたけど、なかなか良い人が見つからないんだよね。だから、今焦っている状況です」 「そうなんだ。あれ、でも、この間IKEAで手を繋いでた人と結婚するって言ってませんでした?あの人は違うの?」 「あー、あの人?なんか違ったみたい」 「どういうところが違っていたの?」 「う~ん、なんだろう……?顔とか身長とかは別に気にしていなかったし、年収も問題ないと思う。ただなんとなく、合わないなって感じただけ。直感的にこの人ではないと思ったというか、うまく言えないや。律さんは、恋人はいるの?」 「今はフリーだよ。絶賛募集中」 「ふぅん、そうなんだ。じゃあさ、私の知り合いの女性を紹介しようか?」 「凜々花さんの友達?」 「そう。女性3人で、みんなとても綺麗だし、性格もいい人たちだからきっと気に入るはず。律さんに合うような人もいるかもしれないし、どうかな?」 「凜々花さんが紹介してくれるなら安心だね。ぜひお願いしたいくらい。凜々花さんが良ければだけど」 「いいよ。ちょっと待ってて。電話してみる」 凜々花さんはスマホを取り出して電話をかけ始めた。 数分後、凜々花さんが戻って来た。 「紹介するのは2人だけになった。1人目は亜衣ちゃんで、職業は保健師さん。年齢は25歳、身長は160cm、体重は秘密、スリーサイズは上から84-56-88、趣味は旅行、特技はカラオケ、好きな食べ物はフルーツ全般、好きな色はピンク、休日はジムに通っている、彼氏は過去に2人ほどいて、別れた原因は束縛が激しいから。あとは、お酒が大好きでよく飲む。お酒を飲むと甘えん坊になるタイプ。2人目は佳奈子さんで、26歳で、OLをしている。年齢は同じだけど、亜衣ちゃんとは高校の同級生。身長は165cm、体重は52kg、スリーサイズは86-65-92、趣味・特技ともに不明。佳奈子さんは、あまり自分のことを話さないから。ちなみに、2人とも美人で性格も良いから、絶対気に入ると思うよ」 凜々花さんから聞いた情報によると、2人の女性の共通点として、まず第一印象からして"美しい人だなぁ"ということだった。 2人に共通していることといえば、やはりその容姿だろうか。 凜々花さんから紹介された2人の女性は、とにかく美しかった。 凜々花さんの話によれば、亜衣さんと佳奈子さんは同じ職場の同僚とのことだが、2人の美しさのレベルは全くと言っていいほど違っていた。 亜衣さんはモデルのようなスタイルの持ち主で、脚も細く長い。そして何よりも顔が小さい。 一方、佳奈子さんは背が高く、スラッとした体型で、モデルのようだ。 また、顔立ちも美しく整っていて、まさに美女と呼ぶにふさわしい。 「初めまして、佐藤凜々花と言います。こちらは幼馴染の律さんです」 「初めまして。よろしくお願いします」 「こちらこそ、どうぞ宜しく」 「凜々花さんとは久しぶりですね」 「はい。本当に久しぶりです」 「凜々花さんとはどのようなご関係ですか?」 「凜々花さんとは、僕が中学生の時に知り合ったんです」 「へぇ~、そうなんですね」 「凜々花さんは僕の憧れの存在でした」 「えっ!?凜々花さんがですか?意外……」 「そうですよね。見た目からは想像つかないと思いますけど、凜々花さんはとても優しくて、素敵な人なんですよ」 「ありがとうございます」 「私も凜々花さんに憧れていました。凜々花さんのようになりたくて、色々努力しました」 「そんなにかしこまらなくても大丈夫ですよ。私と律さんの関係じゃないですか」 僕達4人はその後も楽しく会話をした。 凜々花さんが言うには、今日ここに来ているのは、全員同じ大学の出身者ということで、出身大学が同じという共通項があるだけで、すぐに打ち解けることができたそうだ。 亜衣さんも佳奈子さんも、とても優しい人たちで、初対面にも関わらずすぐに仲良くなれた。 「じゃあ最後にみんなで写真を撮ろうか」 凜々花さんの提案により、全員が集合して写真を撮影した。 「皆さん、今日はお忙しい中お集まりいただき、本当にありがとうございました」 「いえ、とんでもない」 「私も楽しかったので」 「また会いましょう」 「本当ですか?嬉しいです。そう言えばまだ僕の障害について話してませんでしたね。僕は発達障害と過敏性腸症候群とリーキーガット症候群と腸内真菌異常増殖症と潰瘍性大腸炎と化学物質過敏症と機能性低血糖症があって……」 大体これを話せばたいていの人は引くんだけど……。 「すごい……!大変そうだけど頑張ってください!」 「応援しています」 ここまで言われても、それが社交辞令ではないと安心することはできない。 あと、手放しで軽々しく考えられるのもそれはそれで嫌な気持ちになるものだ。 「……これ、宗教の勧誘とかじゃないですよね?」 「違いますよ」 「じゃあ、どうしてこんなに良くしてくれるの?」 「律さんが困っているように見えたので助けたいと思ったの」 「でも、出会って間もないし、何も知らないでしょ?」 「そうかもしれないけど、私は律さんを助けたいという一心だから」 凜々花さんは嘘をついているようには見えない。 純粋に僕のことを心配してくれているのだろう。 「実は私、律さんのことが好きかもしれない。だから、私ができることなら何でもしてあげたいと思ってるんだ」 「えっ!?ちょっと待ってください。いきなりそんなこと言われても信じられません」 「私のこと嫌いかな?」 「そういうわけではありませんが……僕と凜々花さんじゃ釣り合わない気がするし、それに、凜々花さんは僕なんかよりもっと良い人が見つかると思います」 「だめだよ。私、律さんの気持ち知ってるもん。律さんが本当は私のこと好きだっていうこと」 「……それは……はい……好きだけども……」 「私も律さんが好きです」 「えっと、それはまだ友達としてだよね?きっと僕のことは恋愛対象としては見れないでしょ?だって、凜々花さんは可愛い女の子だし、性格も良いし、男の人にモテると思うし」 「ううん。違うよ。律さんは私にとって特別な存在なんだ」 「特別?どういうこと?」 「私、今まで付き合った人みんなにフラれてきたから。告白された回数よりも、フられた回数の方が圧倒的に多いから」 「嘘だ。それはさすがに嘘でしょう」 「本当です。小中高とずっと男子から嫌われてきました」 「なんで!?そんな風には全然見えなかったけど」 「たぶん、見た目は男ウケしないタイプだと思う。実際、中学のときにブスって言われたし……」 (あー分かった、これ、男子が照れ隠しで言ったの真に受けてるやつー) 凜々花さんがあまりに美人なので高根の花扱いされていたのだろうか。 「高校に入って、佳奈ちゃんと同じクラスになって、初めて佳奈ちゃんという友達ができたんだもん。女の子ともあんまり仲良くなれなくて。佳奈ちゃん以外の人とはあまり喋ったことがなかったの。最初は佳奈ちゃんしか居なかったけど、律さんはずっと佳奈ちゃんと一緒にいたでしょ。その姿を見ていて、佳奈ちゃんのことが羨ましいなって」 「………」 正直、凜々花さんから告白されたのはとても嬉しい。でも、本当に僕でいいのかと思うと不安になってくる。 「……じゃあ、お試しに僕と付き合ってみますか?」 「お試しに?」 「はい。お付き合いしているうちに、やっぱり僕とは無理だと凜々花さんが思ったら別れればいいと思います」 「そんなことにはならないと思いますけど」 「ふふっ、それはどうですかね」 前ならこんな提案できなかっただろう。僕の心には凜々花さんしかいなかったから。でも今は、もし凜々花さんとの縁が切れても、臼井さんという友人がいるという余裕がある。 「じゃあ、とりあえず今日は解散にしましょうか。恋人って、何すれば良いんです?おやすみのメールとか?」 「あ、それじゃあ、連絡先を交換しましょうか」 こうして僕は凜々花さんの彼氏になった。 ――― 数日後。 僕は会社に行くための準備をしていた。 すると、ピンポーン、とチャイムが鳴る音がした。 ドアを開けるとそこには凜々花さんがいた。 「おはようございます」 「あれ?凜々花さん。どうしてここに?」 「今日から同棲することにしたの。よろしくお願いします」 「えぇ~!?聞いてないよ。急すぎません?」 「昨日、律さんの家に荷物を取りに行って、それから不動産屋さんに行ったんだよ」 「なに勝手に決めちゃってるの」 「大丈夫だよ。家賃も生活費もちゃんと折半するし。ね?だから一緒に住もう?」 「えー。まぁ、そこまで言うなら仕方ないか……」 「やった!ありがとう!」 「……ちょっと待てよ。ベッドは一つしかないよな?」 「うん」 「布団とかはあるの?」 「ううん。持ってきていないよ」 「は?」 「だって、律さんと一緒に寝たかったから」 「……な」 「律さんは私のこと嫌い?」 「あ、あのね、僕らもう子供じゃないんだから、そんな簡単に一緒に寝れる訳ないじゃん」 「どうして?」 「どうしてって……。どうしてってのはつまり……ああ、もう、分かった。頑張れば良いんでしょ!分かったから泣かないで」 「わーい」 ――――― 翌日。 「律さん。起きてください。朝ですよ」 「ん……」 「律さん。起きてください」 「……」 「律さん。早く起きないと遅刻しちゃいますよ」 「……凜々花さん……まだ眠い」 「だめです。ほら、頑張って」 「誰のせいで眠れなかったと……いや、何でもない」 「……律さん。今、私のせいだって言おうとしたね」 「そりゃそうだよ。無理だよ、好きな人と一緒に寝るなんて」 「でも、良かったでしょ?私と一緒に寝れて」 「うっ……それは……」 「ふふっ、かわいい」 ――― 佐藤凜々花(さとう・りりか)には昔から心が乱されっ放しだ。 世間知らずだからなのか、思わせぶりなことを平気で言うし、天然っぽいところもあって、こっちとしては振り回されてばかりだ。 遊ばれてんじゃないかとすら思うけど、そうでもないらしい。 「律さん。おはよう」 「おはよう。……夢じゃないんだよなぁ。凜々花さんと暮らしてるの」 「どうしたの?嫌だったの?」 「嫌な訳無いじゃないですか。凜々花さんと暮らせるなんて僕は最高の幸せ者ですよ」 「ふふ、ありがと。律さんのそういう素直な所、好きかも」 (欲望にも素直になってやろうか?) 「律さん、大好き♡」 「……僕も好きですよ」 凜々花さんを恐る恐る抱き締める。柔らかい感触と共にシャンプーの良い匂いが広がる。 「律さん、あったかいね」 「ドキドキして体温上がってるだけだと思うよ」 「律さんはいつまで経っても慣れないよね。こういうの」 「凜々花さんが積極的すぎるんですよ」 「私はもっと積極的になりたいな」 「これ以上積極的になられたら、僕の心臓が保たないよ」 「ふふ、可愛い」 「だからさ、あんまり可愛いこと言わないでくださいよ」 「えへへ、ごめんなさい」 「謝らないでよ。なんか、悪い事してるみたいになるじゃん」 「じゃあ、許してくれる?」 「いいよ。凜々花さんがそれで良いんなら」 「うん。ありがとう」 「……今日は仕事行きたくない」 「だめだよ。行かなきゃ」 「休むって言ったら、会社に電話しないといけなくなるんです。そしたら色々とバレてしまうかもしれない」 「なんのこと?」 「いや、その……」 「律さんが困るようなことはしないから安心して。律さんが会社に行きたくない理由は何となく分かるから」 「そう……なんだ。まあ、そういうことだから。今日はちゃんと行くからね」 「はい。行ってらっしゃい」 「行ってきます」 「ねぇ、律さん。今日の夜、空いてる?」 「特に予定はないけど」 「ご飯、食べに行こうよ」 「いいですね。どこへ行きましょうか」 「律さんに決めてほしいな」 「うーん、それだといつもと同じになりません?」 「良いの。律さんと一緒ならどこでも楽しいから」 「そう?まあ、凜々花さんが良いのであれば」 「うん。決まりね」 ――――― 「凜々花さん、これ美味しいですよ」 「本当だ。すごくおいしいね」 「でしょ。この前、テレビでやってて。いつか凜々花さんと一緒に来たいと思ってたんだ」 「そうなの。嬉しいな」 凜々花さんは上品に笑う。やっぱり凜々花さんは何をしても絵になるな。 「律さん、次はどこにしようか」 「そうだなぁ、凜々花さんは何を食べたい?」 「なんでもいいよ。律さんのおすすめは?」 「ラーメンとか?」 「ラーメンはもう行ったよ」 「あっ、そうだった」 「ふふ、忘れちゃったの?律さんって意外とおっちょこちょいだよね」 「仕方ないだろ。凜々花さんとのことは全部覚えてるけど、他の事は割とすぐに忘れたりするし」 「私との思い出は大事にしてくれてるの?それは光栄だな」 「忘れないようにしたいけど……なかなか難しいよね」 「そんなに気にしなくても大丈夫。これから先もずっと一緒にいるから。嫌でも私のことを忘れられないくらい、いっぱい思い出を作ろうね。約束だよ」 「……凜々花さん……ぼっ、僕も、あなたの色んな表情を見たいですっ!だから、凜々花さんの色々な顔を教えてください!」 「はい。喜んで」 凜々花さんは微笑む。 その笑顔を見て、僕は改めて思う。 僕は、凜々花さんのことが好き―ーいや、大好きだ。 (言え) 「あの…そ、それでね、凜々花さん」 「なに?」 「も、もし良かったらなんだけど……ほ、ほんとにもし良かったらでいいんだけど、その……」 (今しかない、言え、俺) 「なになに?早く言ってよ」 「こ、こんなこと言うのは恥ずかしいし、凜々花さんにとっては迷惑なのかもしれないけど……」 (凜々花さんを困らせるようなことをしてどうする。落ち着け、深呼吸だ。頑張れ、勇気を出せ。男を見せろ。お前ならできる。がんばれ、律) 「凜々花さん、す、好きです。僕と付き合ってくださいっ!!」 「……ごめんなさい」 「……そっか」 分かっていた結果だけど、いざ面と向かって言われると辛いものがある。涙が出そうになる。 「理由を聞いてもいいですか?」 「律さんは優しい人だと思う。それにとても誠実。でもね、それだけじゃ足りないの。もっと特別な存在になりたい。私はわがままな女の子だから。もっと欲しいの。だから、あなたとはお付き合いできません」 「そうですか。分かりました。僕の方こそごめんなさい。いきなり告白なんてして」 「ううん。嬉しかったよ。気持ちを伝えてくれてありがとう」 「こちらこそ、ありがとうございます。僕のこと気にかけてくれて」 「また会えるといいね」 「……凜々花さん、ごめんっ!」 僕は彼女を抱き寄せると、顔を押さえつけ、無理矢理キスをした。 「……んぅ!?」 「んぐ……んん……」 「……ぷはぁ。律さん、何してるの?」 「ごめん。本当にごめんなさい!」 僕は一目散に逃げ出した。 「待って、律さん!ねぇ、律さんってば!」 (これ以上側にいたら僕はおかしくなる。神様!なんで僕と凜々花さんを引き合わせたんだ!こんなに苦しくなるなら出会わなければよかった!) 「はぁ……はぁ……ここまで来れば、さすがに追いかけて来ないか」 息を整えながらスマホを確認する。時刻は午後3時21分。今日は定時に帰れそうかな。 「ただいま」 玄関を開けると見慣れた靴があった。 「おかえり~」 「臼井さん、来てたんですね」 「まあね。凜々花ちゃんがここに来るっていうから来た」 臼井さんと僕は同じマンションに住んでいる。この部屋は、彼女の仕事場兼住居になっている。いつもたくさんの資料が散らかっているが、彼女はそれを気にすることなく生活している。 「凜々花ちゃん、元気にしてた?体調崩してない?ご飯食べてる?ちゃんとお風呂入ってる?あとそれから……」 「ちょっと落ち着いて。質問攻めしないでよ」 「だって心配なんだもん」 「はいはいわかったから。はいこれ、頼まれていたやつ」 「おお、ありがとー!さすが桜木さん!頼りになるなぁ」 「おだてても何も出ないからね」 僕は桜木という名前で小説を書いている。ジャンルはミステリーだ。 臼井さんはイラストレーター。主に漫画を描いている。 「そういえば桜木さん、なんかあった?」 「え?どうしてそう思ったんですか?」 「うーん、なんとなく」 臼井さんの勘は鋭い。特に人の感情には敏感だ。 「実は最近失恋したんですよ」 「へぇ、そうなんだ。詳しく聞かせてくれる?」 「はい」 ―――― 「ふむふむ」 「……」 「それで、相手はどんな人だったの?」 「それは……」 「年上の人?それとも同年代の?」 「……」 「もしかして、桜木さんより若い子だったりするのかな?例えば……高校生とか」 「ままままさか。僕をなんだと思ってます?相手は幼馴染の同い年、名前は佐藤凜々花、立川市栄町在住の三人姉弟の長女です」 「ああ、凜々花ちゃんね」 臼井さんに凜々花さんのことを話しているうちに、少しずつ気持ちが落ち着ついてきた。誰かに話すことで楽になることはあるらしい。 「子供の頃から一番好きな子だったんです。初めのうちは、可愛い子だな、僕なんかと話してくれるなんて奇特な子だな、モテるだろうな、いつか結婚したいななんて冗談半分に考えていたんですけど、いつの間にか凜々花さん以外の友達がいなくなっていて……辛い時にも優しくしてくれたのが凜々花さんだけだったんです。それで僕は脳がバグったのか、好きという感情を恋愛的な意味で捉えてしまったようで……」 「それで告白しちゃったんだ」 「はい」 「凜々花ちゃんは優しいから、OKしてもらえると思ったの?」 「なんていうか、とにかくその……凜々花さんとセックスがしたかったんです」 「セッ……!?」 「すみません、言葉足らずでしたね。つまり、その……せ、接吻をしたくてですね、あわよくばそれ以上もしたいなって思って、勢い余ってキスをしちゃいました」 「お、おう」 「でもやっぱり僕はダメなんです。みんなの感覚と僕の感覚は違うから。僕はこのまま一生童貞かもしれません。そう思うと辛いですよね。でも大丈夫。そんなことはよくあることなんですよ。だから気にしない方がいいです。きっとこれからいい出会いがあるはずですよ。ないと思いますけど」 「……そうだね。とりあえず今は目の前の仕事に集中しよう」 臼井さんは、パソコンに向かって作業を再開した。 「臼井さんは何をしているんですか?」 「えっと……ほら、これ」 画面にはイラストが表示されていた。 「これは……『とまと』ですか?」 「うん。私の新刊の表紙だよ。近々書店に並ぶ予定だから楽しみにしてて!」 「わかりました。いつもありがとうございます」 「いえいえ、こちらこそありがとうございます。ところで、桜木さん」 「はい?」 「もうすぐクリスマスだけど、何か欲しいものはない?」 「欲しい物、ですか」 「そ。せっかくだし、プレゼントしようかなって」 「欲しい物は……今のところ無いですね」 「え~!欲しい物が無いなんて人生損してるよ~」 「そう言われましても」 「じゃあ私が勝手に決めちゃおうか?」 「臼井さんのセンスに任せるのは不安なのでやめてください」 「ひっどーい」 「臼井さんが僕のことをどう思っているのかがよく分かりました」 「まあまあ。そうだなぁ、無難にマフラーとか手袋とかにしておくね」 「よろしくお願いします」 「任せておいて!」 (本当に大丈夫かな) ―――――12月25日 「メリークリスマース!!」 「わっ」 玄関を開けるとクラッカーの音が鳴り響いた。 「律さん、誕生日おめでとう!今年で35歳だね!四十路まであと少し!律さんは晴れておじさんの仲間入りだね!良かったね!お祝いするよ!お赤飯炊く?ケーキは?何が食べたい?何でも言って!私頑張るよ!さあさあ、早く上がって!今日は特別な日なんだから!さぁさぁさぁさぁ」 僕のことを「律さん」と呼ぶのは凜々花さんだけだった。 凜々花さんとは、僕が高校1年生の秋に知り合った。 「こんにちは~」 「あっ、凜々花ちゃんだ」 「凜々花ちゃん、久しぶり」 「わぁー、凜々花ちゃんだ! 元気だった?」 凜々花さんは、みんなに愛されていた。 明るくて、優しくて、面白くて、可愛らしい凜々花さんは、男女問わず人気者だった。 特に男子生徒は、凜々花さんのことが大好きだった。僕もその一人。 あっと言う間に結婚すると思っていたのに、まさか31歳になっても独身だとは思わなかった。 凜々花さんは、とても綺麗なのに。 どうして結婚しないのでしょう? 不思議です。 凜々花さんは、僕にとって憧れの存在だった。いわゆる高根の花だ。 凜々花さんの妄想で何度も抜かせてもらった。 僕は、凜々花さんのことを好きになって以来、ずっと片思いを続けている。 でも、僕と彼女は生きる世界が違う。言ってみれば陽と陰。光と影。生と死だ。 「………困ったな」 母の死をきっかけに実家を売って引っ越すことにしたのだが、困ったことに目ぼしい物件が凜々花さんの家の近くなのだ。 (これでは引っ越しの報告ができないじゃないか。最悪、ストーカーと思われてしまう) そう思ったものの、家賃や住みやすさの面でこれ以上の物件は見つからないし、結婚式は呼んでほしいと言った手前引っ越しの連絡をしないのは気が引ける。だが連絡手段はLINEがあるのだから、無理に伝えなくても良いのではないか?小瀧さんの件で小瀧さんから僕の住所を教えるように凜々花さんに連絡が入ったらその時教えればいいし。 (て言うか、凜々花さんってこんな近くに住んでたんだ。これならあのとき国分寺駅じゃなくて美大で待ち合わせればよかった) 自転車ならものの20分で行けてしまうし、家の間にはお洒落なカフェや植物園などデートにうってつけのスポットも盛りだくさん。待ち合わせも遊びに行くのも口実には事欠かないし、会うのも大した労力じゃない。これを運命と呼ぶのだろうか。 (……僕が、男じゃなかったら) もし僕が凜々花さんを好きじゃなかったら。女同士の「お友達」になっていたら。彼女はいい親友になれたかも。 でも僕は男なのだ。そして凜々花さんが好きなのだ。 その気持ちをぜんぶ押し隠して楽しくお友達ができるほど、僕は器用じゃない。 (なんで僕は男なんだよ……!) 「あぁ、もう」 僕は頭を振って邪念を振り払った。 とにかく、死ぬまでは生きていこう。どうせこんな体じゃ長くはもたないけれど、せめて凜々花さんに迷惑を掛けずにひっそり死にたい。 (障害年金は下りると思ったんだけどなぁ) 特発性反応性低血糖症は保険適用外の病気認定されていない神経症扱いなので、障害年金の給付許可が下りなかった。確かにビタミンや糖質に注意すればいいだけの話だから、障害年金が下りないのは仕方ないことかもしれないが……。それでも、普通に働くのは難しい。働けないから、生活保護を受けているのだ。 トイレに入れば便器は血だらけ。自分が永くないことはよく分かっていた。 何もできなかった人生。何も残せなかった人生。発達障害のせい、毒親のせい、いじめられたせい。色んなことが重なり合って、結局、僕は誰にも必要とされなかった。 そんな僕の人生の終着点が餓死だなんて笑えない。笑い話にもならない。だから、凜々花さんに知ってほしくない。 慰められたいという感情はとっくに捨てた。僕のことをちゃんと見てくれる人なんてどこにもいない。誰もいないのだ。妄想の中の凜々花さん以外には。 (今度、妄想の中の凜々花さんとデートに行こう。植物園に行って、カフェに行って、美大のお祭りを覗いて、それから映画を観て、ディナーを食べて、それから……) 現実逃避。昔から、僕にはそれしか救いなんてない。それがあるから生きていけるのだ。だから漫画家を目指し、画材の有機溶剤で化学物質過敏症になった。それが、僕。 ―――――― 「律さん、こんにちは~!」 「こんにちは、凜々花さん。今日はどうしました?」 「律さんに会いに来たの。律さんは?」 「僕はいつも通りですよ」 「そうなんだ」 「ええ」 最近、僕が勤めているカフェに凜々花さんが来るようになった。 凜々花さんは、いつも一人で来る。 「ご注文は?」 「ホットコーヒーをお願いします。砂糖とミルクは要らないです。ブラックで」 「かしこまりました。ごゆっくりどうぞ」 凜々花さんはカウンター席に座ると、鞄の中からスケッチブックを取り出した。 (また絵を描いているのか) 凜々花さんは、カフェに来ると決まって絵を描く。 凜々花さんが描くのは風景画が多いようだ。 たまに人物画を描くこともある。 そして、その風景の中には必ずと言っていいほど、僕の店が入っているのだ。 「……」 僕は、少し離れたところから、凜々花さんの様子を見ていた。 「お待たせ致しました」 「ありがとうございます」 凜々花さんは、コーヒーを飲むと、再びスケッチを始めた。 凜々花さんは、毎日のようにカフェに来ている。 最初は偶然かと思っていたけど、最近は意図的に来てくれてるんじゃないかと思うことがある。 でも、凜々花さんは黙々と絵を描くばかりで、話しかけてくることはない。 僕も話し掛けない。絶対に。 僕が好きなのは妄想の中の凜々花さんであって、ナマモノの凜々花さんではないからだ。それに、もし万が一、億が一、凜々花さんに話し掛けたら、僕の中の大切な何かが失われてしまう気がする。 凜々花さんは、ただ静かに自分の世界に入り込み、美しい景色を描いていく。 その姿はとても美しく、いつまでも眺めていられる。 そういえば、以前、凜々花さんに『モデルになってくれませんか?』と頼んでみたことがあったっけ。 結果は当然ダメだったんだけど、そのときの凜々花さんの表情は、今でも忘れられない。 あのときは、断られたことにショックを受けたというよりも、凜々花さんを困らせてしまったことが申し訳なかった。 でも、今にして思えば、あのとき無理を言って断られてよかったのかもしれない。 だって、もしもOKされていたら、今頃は……。 そんなことを考えながら、僕はコーヒーカップを片付けた。 ―――――― 「ふぅー」 描き終わった。今日の絵もなかなかの出来だ。 「……よし」 私は、描いたばかりの絵を手に取ると、それをジッと見つめた。 自分で言うのもなんだが、とても上手く描けたと思う。 「佐藤さ~ん! いますか~?」 外から私を呼ぶ声が聞こえてきた。 私が窓の外を見ると、そこには一人の青年がいた。 「…………」 私の視線に気付いたのか、青年はこちらに向かって手を振ってきた。 「こんにちは、佐藤さん。お久しぶりです」 「こんにちは、陳さん。いつからそこにいたんですか? 声を掛けてくれたら良かったのに」 「すみません。集中していらっしゃるようでしたので、中々お声掛けしづらくて」 そう言うと彼は私の隣の席に座り、「あ、俺コーヒーね」と律さんに注文した。 ここは、立川にある障害者カフェ。 その店の奥まったところにある小さなスペースが、私が絵を描く場所だった。 「今日はどんな絵を描いてたんですか?」 「まだ完成していないので見せられませんよ」 「えぇ!? そうなんですかぁ!」 「何を期待してるんですか」 「完成したら見せてください」 「ダメですよ」 「へへへ、そう言わずにぃ」 「あっちょっ、やめてくださいってば」 彼は突然、持っていたスケッチブックをひょいと取り上げてしまった。 「ちょっと陳さん。返してください」 「どれどれ……おお、上手ですね。すごいな。これは一体なんの絵なのでしょうか?」 「それは……秘密です」 「へぇ、教えてくれても良くないですかねぇ」 「ダメなものはダメなんですよ」 「ケチですねぇ。そんなふうに煽られると余計に知りたくなっちゃうじゃないですか」 「もう……」 本当に困った人だ。 「でも、まあ確かにこんなに綺麗に描いてあるんだから、見たくなる気持ちも分かりますけどね」 「でしょう? なので返してくださ──」 彼が私の言葉を遮るように言った。 「ところで、佐藤さんの彼氏になる人は幸せ者ですね。だってこんなにも素敵な絵が見れるなんて、羨ましい限りですもん」 「……は、はい?」 何を言ってるのだろうかこの男は……。 「この絵を見ただけで、この絵を描いた人のことが好きになりました。会ってみたいと思うほどに。この人のことを支えたいと思えるくらいに」 「……あの、陳さん。そんなことを言われると照れてしまいます。それに、あなたはそういうつもりで言っているんじゃないんでしょう?」 「バレちゃいましたか」 彼が小声で言う声とともに、がらがらがしゃん!と遠くの方で何かが壊れるような音がした。 「今の音は何だ?」 「たったたいへん申し訳ございません。どうぞ続きをお続けくださいませ」 律さんが頭を下げた直後、再び何かが割れる音が響いた。 「ああ!あぁーーーーっ!!」 「……なんだか騒がしいですね。佐藤さん、こんな所じゃ落ち着いて話せませんし、そろそろ出ましょうか」 「そうですね。……あ、律さん、また来ますね」 「はい、ありがとうございます」 私は律さんに軽く頭を下げると、彼の後について行った。 「それで、陳さんはこれからどちらに行かれるんですか?」 「どこへ行きたいですか?」 「え?」 「どこか行きたいところはありませんか?」 「特に無いです。強いて言うならもう家に帰りたいですね」 「了解しました」 私たちは駅に向かって歩き出した。 「そうだ、一つ聞いてもいいですか?」 「はい、いいですよ」 「どうして今日ここに来たんですか? 連絡先を交換してから一度も来てなかったのに」 「それはもちろん、佐藤さんに会いたかったからですよ」 「……」 「あれ、黙り込んじゃうんですか? もしかして、俺のこと意識しちゃったりしてるんですか?」 「……」 「冗談ですよ。ただ単に暇だったから遊びに来てみただけですよ」 「……」 「おーい、佐藤さーん?」 「……」 「佐藤凜々花さーん?」 「……」 「おーいっ!」 「……」 「もしもーし! 凜々花さ~ん!」 (凜々花さん……か) 私を「凜々花さん」と呼ぶのは律さんだけだ。 先日、律さんは私に告白してきた。私は彼をそんなふうに見たことはない。でも、好かれて嫌な気はしなかった。 今まで通り接することができたらと、彼の勤めるカフェまで足を運んだりした。 (これって、弄んでることになるのかな。私、最低じゃん) 私は律さんのことが嫌いではない。むしろ好きだと言えるだろう。 けれど、付き合うとなると話は別だ。私は、自分より年上の男性と恋愛をしたことがない。だから、自分が大人になれるのか分からないのだ。 [ぽしぇっと子ども保育室、昼休み] 「自閉症の原因は、腸内細菌叢の偏りが原因なんだって」 休憩時間中、先輩保育士の先生がそう言った。 「へぇ、そうなんですね」 「そうなの。今、帝王切開や人工乳とか、人工的に生まれてくる子が多いでしょう。無菌室で育ったりするとね、腸内細菌がうまく定着しなくて自閉症に育ちやすいみたいなの。だから自閉症の子が増えているんじゃないかって言われているわ」 「………」 先輩にそう言われた時、私は思わず律さんのことを思い出していた。 (律さんも、帝王切開で、人工乳だって言ってたなぁ。それに、生まれた時に新築の家に引っ越したとも言っていたような……) 私がそんなことを考えていたその時、不意に大きな声が鳴り響いた。 「いやだあああぁぁぁぁぁっ!!!!行かないでよぉぉぉぉ、おかあさあああああああぁぁぁんっ!!!!!」 「大丈夫よ、お母さんはすぐ帰ってきますからね」 「嘘だ!!お母さんは僕を捨ててったんだ!!!僕のことが嫌いなんだぁぁぁぁ!!!!もういらないんだぁぁぁぁぁ!!!!!うあああああああん!!!!!」 うちの保育所は病気の子供や母親が病気の際に一時的に預かる救急保育所である。そのため預けられることに慣れていない子も多い。 「どうしたの!?」 「あ、佐藤さん!実は……」 私は泣きじゃくるその子を抱きしめ、頭を撫でながら言った。 「……よしよし。ほら、泣かないの。男の子でしょう?」 「……ぐす……ひく……うん……」 「すごい、佐藤先輩、さすが『ぽしぇっとの聖母』ですね」 「いえ、そんなことないですよ。さ、みんなと一緒に遊ぼうか」 「……うん」 けれどその子は、周りの子と一緒に遊ぼうとはしなかった。 誰とも目を合わさず、ただ一人で絵を描いている。 私はそんな姿を見て、一人の男の子のことを思い出していた。 (律さんもあんな感じだったなぁ……。いつも一人で絵を描いていて……、誰かと遊ぶこともなかった。友達がどんどんいなくなっていって、最後はいつも一人だったな) 一人が好きな子もいるけれど、本当は寂しいのにどうすればお友達と遊べるのか分からない子もいる。 そして、そういう子に限って、母親にもじゅうぶんに愛されていない子が多いのだ。 (あのまま一生愛されないで育ったらどうなるんだろう。あの子は……律さんは、本当に幸せになれるのだろうか) 『凜々花さん、好きです。どうか僕と付き合ってくれませんか』 律さんの言葉を思い出して胸の奥がきゅぅ……となった。 (神様、お願いします。どうかあの人に素敵な女性が現れてくれますように) 私はそう願わずにはいられなかった。 [佐藤と陳がデート] 「佐藤さーん!」 「陳さーん!」 私たちは立川駅で待ち合わせをしていた。陳さんに案内してもらって行く場所がどこなのか、まだ教えてもらえていなかったからだ。 「今日はどこに行くんですか?」 「それは着いてからのお楽しみ♡」 「え~、なんですかそれ~」 「さ、行きましょうか」 陳さんは私の手を引いて歩き出した。その横顔を見て思った。 (この人、すごく整った顔をしているんだよなぁ……) 「着きましたよ」 「ここ……ですか?」 陳さんに連れてこられたのは、とあるお洒落なレストランだった。 「ここで何するんですか?」 「まあまあ、とりあえず入ってください」 「はい」 私たちが店内に入ると、店員さんが笑顔で出迎えてくれた。 「いらっしゃいませー!二名様でしょうか?」 「はい、そうです」 「ではこちらへどうぞー!」 窓際の席に通された。外を見ると大きな木が見える。 「いい眺めですね」 「でしょ?ここは俺のお気に入りの場所なんですよ」 「そうなんですね」 「佐藤さん、俺のことは呼び捨てにしてもいいですよ。敬語も使わなくて構いません」 「じゃあ、陳くんって呼んでもいいかな?」 「もちろん」 「ありがとう。それで、今日はここに連れてきてくれてどうしたの?」 「凜々花ちゃんは、こういうところに来たことがないと思って」 「そうだね、初めてだよ」 「だから連れてきたんだ。これからは二人でいろんなところに行こう。きっと楽しいよ」 「うん、楽しみだね」 「……ねぇ、どうして泣いてるの?」 「……え?やだ、おかしいな。私、泣くつもりなんてないのに……」 「何か嫌なことでもあったのかい?」 「ううん、ないよ。なんにもない」 (律さんを振ったのは私のほうなのに、私が悲しいわけがない) 「なんにもないよ」 「凜々花ちゃん……」 陳くんは私の頬を流れる涙を指で拭った。 「大丈夫、俺はここにいるからね」 「陳くん……あのね、今夜は帰らないでほしい」 「……凜々花ちゃん、それどういう意味かわかっているのかい?」 「わかってるよ。でもね、今はただ一緒にいたいの。だめ……かな……?」 「……わかった。じゃあ、行こう」 私たちは近くのホテルへと入った。 ――――― [律視点] 夢を、見た。 夢の中の僕はまだ子供で、母親に置いて行かれて泣きわめいていた。 凜々花さんはそんな僕を優しく包み込んでくれて、頭を撫でてくれた。僕はその手が大好きだった。温かかった。 そして、母親は帰って来なかった。 [朝] 「……バカか」 目が覚めてすぐに呟いた言葉がこれだ。夢の中の自分がどうしようもなく嫌いだ。 こんな夢を見る原因はわかっている。僕の働く店に凜々花さんが顔を出すようになったからだ。 もしかして、なんて淡い期待が僕の中に生まれているんだろう。 凜々花さんのことは、忘れなければならない。 そうしなければ、きっといつか痛い目を見る。 (愛されるのはもう、諦めたんだ) 媚びても、媚びても、人は僕を愛さない。 ただ、利用されるだけだ。だから、人には近づかないほうがいい。 なのに、どうしてあなたは近づいてくるんです? [律の働くカフェ] 「おはようございます!」 「……おはよう、ございます」 今日も彼女は元気だ。僕は感情を悟られぬよう穏やかに微笑みながら挨拶をした。 凜々花さんがこの店に来るようになって、3週間ほどが経った。 凜々花さんの家からは少しあるのに、わざわざこの店で朝食を食べてから出勤するのだという。 「あ、凜々花ちゃん!いつもの席空いてるよ~。ここに座ってね。メニュー決まったら声かけて?」 「ありがとうございます」 店長は相変わらずフレンドリーに凜々花さんと接している。 凜々花さんは毎度注文するものが決まっているらしく、毎回同じものを頼んでいる。 初めて凜々花さんがここでモーニングセット(ドリンク+サラダ・パン食べ放題付き)を食べた時、「また来てくださったんですか!?」と嬉しそうな顔をしていたのを思い出す。 凜々花さんは、本当によく食べる。 僕が見ている限り、凜々花さんは毎日違う種類のサンドウィッチと飲み物のセットを必ず頼む。 それも、全て1人で平らげてしまうのだ。 すごいなぁ、と思う反面、大丈夫なのかな、と心配になる。 いくらなんでも身体に悪いんじゃないかとか、太るんじゃないかとか。 (凜々花さんが太ってモテなくなったら貰ってあげよう、なんて冗談だけど。そんなこと、絶対にありえないだろうけど。) 凜々花さんは美人だし、賢いからその辺りは弁えているはずだ。僕みたいなバカとは違う。 「凜々花さん、無理して売り上げに貢献しようとか考えなくても大丈夫ですからね、どうかご自分の胃袋とお財布の中身を大事にしてください……」 「……はい?」 凜々花さんはきょとんとした表情で首を傾げた。 「だって、その量を食べると、凜々花さんのお小遣いがなくなってしまいますよね?」 僕はカウンターに座る凜々花さんの前に、注文された品を並べた。 今日のモーニングはホットケーキと紅茶のセット。 凜々花さんはホットケーキを4枚もぺろりとたいらげると、今度はたっぷりメープルシロップをかけて美味しそうに頬張っていた。 「お給料はもらっているので、お金のことは気にしなくて大丈夫ですよ」 「……」 「それに、私はたくさん食べないと生きていけないので。」 「……」 「律さん?」 「ああ……いえ、それなら良いんです。ごゆっくり」 「はい。いただきます」 凜々花さんは不思議そうにしながらも再び食事に集中し始めた。 凜々花さんが僕の名前を呼ぶようになったのはいつからだっただろうか。 凜々花さんは、お昼ご飯は近くのコンビニにおにぎりを買いに行くらしい。 お弁当を作ってくれるような家族はいないようだ。 凜々花さんは、一人暮らしをしていると言っていた。 仕事帰りに買い物をして帰る凜々花さんの姿をよく見かけるから、もしかしたら実家ではないのかもしれない。 凜々花さんが一人で暮らしている部屋を見てみたい。 凜々花さんの部屋に行って、一緒に映画を見たりゲームをしたりしたい。……なんて、思うだけ無駄なんだ。 凜々花さんはきっと僕のことを好きにならない。僕なんかと一緒にいても楽しくないだろうし、僕と一緒では、きっと幸せになれない。だから、凜々花さんと僕はこれ以上深く関わらないほうが良いんだ。 僕は、凜々花さんのことを忘れられるはずがないけれど、凜々花さんには、僕のことを早く忘れてほしい。 僕にはもう、凜々花さんに会う資格はないんだ。 ―――――― [夜] 午後9時過ぎ。 凜々花さんは今日も残業だったようで、疲れた様子で店までやって来た。 「すみません、もう閉店なんです」 「あちゃ~、もう閉めちゃってたか」 「凜々花ちゃん!どうしたの?こんな時間に」 「ちょっと残業で遅くなっちゃって。今朝、ここのモーニングセット食べたらすごく美味しかったから、また寄ってみたんです。そしたらラストオーダーの時間過ぎてて……でも、パンはまだ売ってくれてるかなと思って」 「パン?うん、まだあるよ~。そうだ、桜木ちゃん、これ凜々花ちゃん家まで持って行ってあげてくれない?」 「はい、わかりました」 「えっ、そんな、申し訳ないです」 「全然いいよ~。ついでに夕飯も買ってきて☆」 人使いの荒い店長だな…。 「分かりました。行きましょう、凜々花さん。さ、乗って下さい」 「えっ?でも……」 [バイクに二人乗りする律と凜々花] 「あー、もう!遠慮しないでください!」 「わ、私重いから、絶対迷惑かけちゃいます」 「大丈夫ですよ!ほら、ちゃんと掴まって!」 凜々花さんは恐る恐るといった感じで、後ろから僕の腰にしがみついた。 「しっかり捕まらないと危ないですよ?」 「はい、あの……ごめんなさい」 凜々花さんは少し震えながらぎゅっと力を込めて抱きついてきた。 「凜々花さん?」 「……なんでもありません」 凜々花さんの身体が熱くなっている気がするのは気のせいだろうか。 少しだけスピードを上げて走り出すと、凜々花さんがさらに強くしがみついてきて、思わず口元が緩みそうになった。 「着きました。降りれますか?」 「はい」 凜々花さんを下ろしてからヘルメットを外す。 「ありがとうございます。ここまで送ってくださって。あと、お金……」 「いやいや、大丈夫です。じゃあ、僕帰りますね」 「あっ、待ってください。よかったら、うちでお茶していきませんか?」 「えっ!?い、良いんですか!?」 「はい。すぐそこなので、良かったら」 「あ……じゃあえっと、お言葉に甘えて少しだけお邪魔します……!」 「はい。こっちです」 凜々花さんの後に続いてマンションの中に入る。 オートロック式のエントランスを抜けるとエレベーターがあり、凜々花さんは5階のボタンを押した。 「私の部屋は、この階にあるので」 「そうなんですね」 5階に着いて廊下を歩く。 一番奥の角部屋が凜々花さんの部屋らしい。 「どうぞ」 「失礼します……」 玄関のドアを開けるとすぐにキッチンがある。 綺麗に整頓されていて、清潔感のあるシンプルな空間だった。 「適当に座っててください。今、飲み物用意するので」 「お構いなく……」 「ふぅ~」 凜々花さんはスーツを脱いでハンガーにかけると、ソファにどっかり座った。 僕は言われた通り、ダイニングテーブルの椅子に座ることにした。 「律さん、コーヒーと紅茶、どちらが良いですか?」 「あ……えっと、その」 「どうしたの?」 「……僕、お茶飲めないんでした。医者にカフェイン止められてて……すみません、お茶をいただきに上がったのに何しに来たんだよって話ですよね……本当にすみません」 「いえ、気になさらないでください。では、こちらをお渡ししておきますね」 「……これは?」 「ハーブティーです。カモミールという花から抽出された成分が入っていてリラックス効果があるんですよ。私は毎日飲んでいるのですが、とても美味しいので良ければ召し上がってください」 「ありがとうございます。わざわざ僕のために……」 凜々花さんが入れてくれたハーブティーを飲みながら他愛もない話をしているうちに睡魔に襲われ、いつの間にか眠ってしまった。 ――――― 目を覚ましたときにはベッドの上にいた。凜々花さんの姿はない。 スマホを見ると店長からメッセージが入っていた。 『今日はもう帰っていいよ~。所長には俺から伝えておくから』 「そういえば、凜々花さんはどこに行ったんだろう」 起き上がりリビングへ向かう。 部屋の電気は消えていた。凜々花さんはどこかに出かけているようだ。 「……やっちゃったなぁ」 好きな人のベッドを占有して図々しくも泊まり込んでしまった……。 (ホテルにでも泊まりに行ったんだろうか。僕なんかと同じ部屋で寝たくないだろうしなぁ) 時刻は午後10時30分過ぎ。 「とりあえず帰ろ……」 玄関のほうへ向かうと、バスルームからシャワーの音が聞こえた。 凜々花さんは風呂に入っているらしい。 「……」 シャンプーの甘くて良い匂いが漂う。 (書き置きくらいしていくべきだよな?いや、LINEでいいか。でも挨拶するべき?でも風呂上がりなんて見られたくないだろうし、見たいけど……ううう、見たい!でも下心があるとは思われたくない。そうだ、書き置きを書いていたら凜々花さんが出てきて、それをうっかり一瞬だけ見てしまったと言う事にすれば……あっ、駄目だ。股間が膨らんできている。すぐ帰らないと) 「よし!すぐ帰る!何も見てない!」 脱衣所の扉に背を向けたとき、浴室のドアが開く音がした。 「りゃ、律さん……!?」 凜々花さんの声が聞こえる。 振り返ると、そこには一糸纏わぬ姿の凜々花さんがいた。 「ごめんなさいっ!!あのっ、そのっ……!!」 凜々花さんは慌ててタオルで身体を隠したが、それがまた艶めかしくて下半身がさらに元気になってしまう。 「凜々花さん……」 「あ、ああ、あ……」 凜々花さんは顔を真っ赤にして、目に涙を浮かべている。 「あ、ち、違うんです、これは……ぼ、僕の意思じゃなくて……」 「す、すみません、私、私……ッ」 凜々花さんはそのまま走って玄関から出て行こうとするので、思わずしがみついた。 「り、凜々花さん落ち着いて、そっちは外です!何もしませんから!だから、とにかく家に入って下さい!」 「あ……あうぅ……」 泣きながら震える凜々花さんを抱きしめたまま、半ば強引に家の中へ連れ込んだ。 凜々花さんは恥ずかしさのあまり震えていた。僕は立ち上がり、部屋の隅っこの壁に額をつけた。 「ほら、何もしません。見てませんから。ね、落ち着いてください」 「で、でも、わたし……」 「大丈夫です、落ち着いたらすぐ出て行きますから!凜々花さんの綺麗な肌も柔らかい感触も忘れますから!あっ、や、違っ、すみません、僕もちょっと落ち着きます……」 「……」 「り、凜々花さん?服、着ました?凜々花さん?振り向きますよ?」 返事がないので恐る恐る振り向くと、すぐ真後ろに立っていてびっくりした。 「ひぃっ」 「ふふふ、律さん可愛い」 「あ、あぁ、あ、あ、あ、あ」 「そんな声出さないでくださいよっ!私がセクハラしてるみたいじゃないですか」 そう言いながら、凜々花さんは僕を壁に追い詰める。いわゆる「壁ドン」である。 「いや、だって、凜々花さん、その、これはさすがに……」 「でも、律さんは今私のこと襲おうとしてますよね?」 「おおお、おそおそおそお、襲うわけないでしょう!?」 「嘘つき」 「……ッ」 凜々花さんの顔と胸が近づいてくる。 「凜々花さん、か、かぜひきますよ、は、はやく、服を着てくだしゃい、でないと僕、本当にあなたの事を犯してしま――」 唇が触れた。 「んんんんんん………っ!?」 凜々花さんはすぐに離れたが、すぐにもう一度キスをした。今度は舌を入れてきた。 凜々花さんの舌が僕の口内に侵入してくる。唾液が混ざり合う。 頭がボーっとしてくる。理性が溶けてしまいそうだ。 (このまま流される……?いや、きっとからかわれてるだけだ。こちらが求め始めた途端に離れて嘲笑うつもりなんだ。そうに違いない。でも、それでもいいかも……) 「んちゅ……はぁ、んむ」 凜々花さんは僕を引っ張り、床に押し倒して覆い被さった。 「はぁ、り、凜々花さ、落ち着いて、んぐっ」 凜々花さんは僕を貪るように激しく求めた。 凜々花さんは僕の首筋に強く吸い付き、歯を立てた。 そのままズボンを脱がされそうになったので必死に抵抗したが、力では敵わないのであっさり剥ぎ取られてしまった。 「凜々花さん、ダメです、僕体力ないし、凜々花さんの期待に添えるような男ではないというか、何より凜々花さんが汚れてしまう……!」 「嫌なら本気で逃げてください。私を傷つけることになっても構いません。それができないなら、大人しく私を受け入れて下さい」 「そ、そんな……凜々花さん……僕はどうしたら……」 「私を愛してくれればいいんです。それだけでいいんです。簡単ですよね?律さん」 「愛……する……」 「はい、律さん」 「……僕……僕ほんとにすぐ疲れますよ、イカせられないですよ、つまらないですよ、凜々花さんの思うような男にはなれまぜんよ、それに……」 (もう凜々花さんの身体に溺れているんだ) 「凜々花さんのことが好きです。ずっと前から好きです。キモくないですか、ウザくないですか、こんな障害者に好かれて、その、エッチなことしたいとか思ってるんですよ、気持ち悪いですよね……」 (あれ、なんで泣いてるんだろう僕……泣く必要なんてどこにもないのに……どうして……?) 凜々花さんは何も言わず優しく抱きしめてくれた。そしてまたキスをした。 「律さん、大好きです」 「……ッ」 僕は恐る恐る彼女の頬に手を伸ばす。凜々花さんは優しく笑ってくれた。 (僕はここに居てもいいのだろうか……) 凜々花さんの手を握ると、凜々花さんも握り返してくれた。 「凜々花さん……」 「はい、律さん」 「凜々花さん……」 「はい、律さん」 「凜々花さん……」 「はい、律さん……」 そこで目が覚めた。 ――――― 僕はむくりと起き上がった。 (そうだ、確か凜々花さんを家まで送って、お茶だけもらいに上がらせてもらって、それから寝ちゃったのか……!) 凜々花さんのベッドを占領してしまったらしい。 (起こしてくれればよかったのに) そう思いつつ、スマホを見るとメッセージが届いていた。 『おはようございます。朝ごはん作りました。食べられますか?』 テーブルの上には美味しそうな朝食が用意されている。 『ありがとうございます。何から何まで本当にすみません』 僕がメッセージを返すと凜々花さんから返信が届いた。 『大丈夫です。ゆっくり休んでくださいね。今日も仕事なので、そろそろ行きます。何かあったら連絡下さい』 僕は「行ってらっしゃい」のスタンプを送ってから、用意された食事を頂いた。 食後のコーヒーを飲みながら、昨日の出来事を思い返した。 「確か凜々花さんに『反応性アタッチメント障害』について聞いたんだった」 反応性アタッチメント障害とは、発達障害に併発しやすいPTSDである。 発達障害と非常に似た症状を呈すため、専門家でも鑑別が難しいとされているらしい。病児保育士である凜々花さんならもしかして、と思い聞いてみたのだ。 確か凜々花さんからは、こんな返事が返ってきた。 「反応性アタッチメント障害の子は無気力だったり無為自閉だったりすることがあるけど、それを怠惰と履き違えちゃうご両親や教育者の方も多いんだよね。それで叱られるとその子はもっと辛くなっちゃうから、そこは注意した方がいいかも。それと、その子の表情とか仕草を良く観察してあげて、して欲しいことを推理するっていう感じかな」 「へぇー、なんだかシャーロックホームズみたいですね」 「あははっ、そうかもしれない」 そんなやり取りをして、最後に僕はこう呟いた気がする。 「凜々花さんなら、僕の気持ちが分かるかもしれない……」 「え?」 僕は凜々花さんの肩にもたれかかって眠りこけた。 [過去回想終了] 「あーーーーーーーーっ!!!!そうじゃん俺凜々花さんの肩に寄りかかったまま爆睡しちゃった!!」 しかも朝まで起きずにいて、朝ごはんまでありついてそのまま居座るとか……。 凜々花さんが帰って来たらきっと怒ってるかもしれない。 (すぐお暇するべき?それとも、お詫びに掃除とか料理を手伝うべきか?) どうしよう、と考え込んでいるとインターホンが鳴った。 「はいはいはい!」 慌てて玄関を開けるとそこには凜々花さんの姿があった。 「凜々花さん、お帰りなさい。あの、その……」 「ただいま。昨日はよく眠れましたか?」 凜々花さんは優しく微笑みかけてくれた。 「はい。それはもうぐっすりと」 「良かった。ご飯買ってきたから食べましょう」 「あの……でもご迷惑では」 「気にしないで。私がしたいからしてるだけだから」 そう言って凜々花さんは部屋の中に入って行った。 「ほら、早く」 「は、はい」 (あぁ……幸せだな……このまま同棲したい) リビングに入ると、そこに用意された食事に凜々花さんは驚いていた。 「あれ、これ全部作ったんですか!?」 テーブルにはサンドイッチやオムレツなどの洋食が並んでいる。 [お昼ご飯] 「はい。材料が余っていたので作っただけですが。あと、冷蔵庫にプリンもあります。勝手に冷蔵庫を開けてすみませんでした」 僕はペコリと頭を下げた。 「いえいえ!とんでもない!むしろ私こそ、作ってもらって申し訳ないと言うか……」 「いえ、これは、一宿一飯のお礼ですので、どうか気にしないでください。お礼になってなかったらすみません。じゃあ僕はこれで失礼しますね。本当にありがとうございました」 僕はリュックを背負い直して部屋を出ようとしたその時、凜々花さんは言った。 「待ってください」 僕は振り返った。 「まだ、何かありましたか?」 「いえ、違うんです。えっと、その……これから、一緒に暮らしませんか?あっじゃなくてその、ルームシェア!誰かと暮らした方が寂しくないと思いまして!それに……私は、あなたと一緒にいたいなと思って……」 凜々花さんの顔がみるみると赤くなっていく。 「いや、ムリです。ご迷惑ばかりかけると思うので」 「……そうですか。残念だけど仕方がないですね。今日はこれを食べてゆっくり休んで下さい。じゃあまた、明日お店で」 「………」 「律さん?」 「僕ももっと一緒にいたいです」 「律さん、顔が赤いですよ。熱でもあるんじゃ」 「ありませんよ。大丈夫です」 僕は凜々花さんの腰を引き寄せた。 「わっ」 「好きです」 「んぅっ」 「凜々花さん、好き」 「んんんっ」 凜々花さんの唇を貪るようにキスをした。 凜々花さんは僕の胸に手を当てて抵抗しようとするが、力が入らないらしい。 「ふっ……んんっ」 「んっ……」 舌を絡ませながら、互いの唾液を交換する。 「凜々花さん、いい匂いがする」 「はぁ……律さ、くるしぃ……」 凜々花さんは息継ぎがうまくできないようだ。 「鼻で呼吸すれば良いんですよ」 「そっか……」 凜々花さんは再び僕に口付けた。 「凜々花さん、可愛い」 「律しゃん、しゅき……」 凜々花さんはとろんとした目つきでこちらを見つめている。 「律しゃん……わたしのこと、すき?」 「もちろん大好きです」 「よかった」 凜々花さんは安心したように微笑んだ。それから僕達は抱き合い、服の中に手を―― 「……さん?律さん?どうしました?」 「え?あっ、い、いえ、なんでもありません。……じゃあ、失礼します」 ――入れるわけはなく、そもそも呼び止められるはずもなく、すべては僕の妄想だ。 僕はそのまま凜々花さんの家を後にした。 ―――― ポチャッ。 「えいっ」 ポチャッ。ドポン。 僕の家の裏手には多摩川が流れている。 悲しい時や辛い時はいつもここに来て水切りをしている。 「ふん!」 ザシュッ。 夢の中では毎日セックスをしていても、現実の僕と凜々花さんは付き合っていない。 それどころか週に1回カフェで会うだけの関係だ。 「凜々花さん、元気にしてるかな」 僕はスマホを開いてメッセージアプリを見たが、今日も連絡はなかった。 最後のメッセージは僕から。彼女からのデートの誘いを断ってしまっている。 (……だって、こんな体調じゃ、夢の中くらいでしか会えないし) そう言い訳しながら、また水の中に石を投げ入れた。 「ふぅ~」 (さて、帰ってAVでも観るか……) 「律さん、今何やってたの?」 「え!?」 後ろを振り返ると、凜々花さんがいた。 「律さん、今何やってたの? って聞いたんだけど。聞こえなかった?」 「いや……、その……。凜々花さんこそなんでここに?凜々花さん家からはかなり遠いですよね?」 「うん、そうなんだけど。私もなんか、無性にここに来たくなって。それにほら見てこれ」 凜々花さんの足元を見ると、靴がなかった。 「裸足でここまで来たんですか!?」 「そうよ。だからもう足の感覚がないわ」 「うーん、でも、この辺、砂利とか多いですし。痛かったんじゃないですか」 「大丈夫、全然平気だった。それより律さんはここでなにをしていたの?」 凜々花さんは興味深々といった様子で聞いてきた。 「えっと……」 「まさか、本当に自殺しようとしてたんじゃないでしょうね」 「違います!そんなわけないじゃないですか」 「ならいいけど」 「僕ってそんなふうに見えるんですかね」 「見えるっていうか、実際あなたはそういうところがあると思う」 否定できないところがつらい。 確かに僕は自分のことが嫌いだし、この人生にも絶望している。 だからこそ僕は夢の中だけでも凜々花さんと幸せになりたいのだ。 「律さん、最近どうなの?」 「ぼちぼちかなぁ」 「そっか。あんまり無理しないでね。あ、そうだ、明日暇?もしよかったらどこか出かけない?」 「ごめんなさい。明日になってみないと体調がわからないので、約束は出来ません」 「わかった。急に誘った私が悪かった。じゃ、またね」 「はい。……凜々花さん」 「何?」 「もし良かったら、朝電話してください。体調が良ければ、行きたい」 「わかった。おやすみ」 凜々花さんは笑顔を見せてくれた。 そして、僕の横を通り過ぎて行った。 (足の裏、本当に痛くないのかな) おぶってあげようと思ったが、そんな勇気もなくて。 凜々花さんの背中を眺めながら、ただ立ち尽くしていた。 その夜、僕は片頭痛になって吐いた。 吐いてる間じゅう、僕はずっと凜々花さんのことを考えて気を紛らわせていた。 (もし僕が死んで幽霊になったら、凜々花さんに取り憑こうかな。それで毎晩セックスするんだ。気持ち悪いって言われるかもしれないけど。でも、きっとすごく幸せだろうな……) それからトイレで気を失った。 ――――― 「もしもし」 「あ、凜々花さん」 「おはようございます。体調はどうですか?」 「ごめんなさい。やっぱり今日は行けなさそうです」 「そうですか。残念ですが仕方ないですね。お大事にしてください」 「ありがとうございます」 (お見舞いに行きましょうか?なんて、言ってくれる訳ないよな) 凜々花さんは忙しい人だ。それに、彼女は僕が障害者であることをあまりよく思っていないらしい。 僕は昔から体が弱くて、入退院を繰り返している。 人の体にはバクテロイデス、プレボテラ、ルミノコッカスという三種類の菌が棲み着いているらしい。 だが僕の体は生まれつきバクテロイデスが多いらしく、そいつらが悪さをしてサイトカインストームを起こす。 この菌叢を変えるのはなかなか難しく、根本的な治療法は確立されていないうえ、治療には莫大なお金がかかる。 僕に出来ることは安静にすることだけ。 だから僕は常に自宅のベッドで寝ていることにしている。 「あーあ。せっかく凜々花さんとデートできるチャンスだったのにな」 凜々花さんは僕の幼馴染で、幼稚園から高校まで同じクラスだった。 僕たちは家が近いこともあってよく遊んでいたのだが、僕の体調が悪化してからはほとんど会っていない。 「ま、いいか。AVでも観るか」 僕はいつものようにパソコンを立ち上げた。 そしていつものように凜々花さん似の女性を探す。 「おっ、この子可愛いかも」 動画を再生すると、凜々花さん似の女性がバックで犯されていた。 画面の中の白い肌に凜々花さんの顔を重ねれば、本当に彼女を抱いているような気分になる。 「凜々花さん……」 僕はズボンを脱ぎ、右手で自分のモノを握った。 左手でマウスを操作して、凜々花さんに似た女性の顔をアップにする。 「凜々花さん、凜々花さん……」 目を閉じて彼女の顔を思い浮かべる。 『律さ、あっ、あっ、あぁ♡律さん♡』 凜々花さんの声が聞こえた気がした。 「凜々花さんっ!」 ビュルルッ。 射精した後の虚しさを感じながら、僕は眠りについた。 夢の中で僕達は幸せな時間を過ごした。 ――――― 凜々花さんと二人でカラオケに行ったことがある。 まだあの頃は凜々花さんへの恋心をあまり自覚していなかったので、気軽に二人で遊ぶことができた。 でも、カラオケルームで二人きりになった瞬間、急に緊張し始めた。 歌を歌うなんて言っても、お互いに知っている曲は少なく、デュエットをしても盛り上がらない。 結局、僕が数曲歌うだけで終わってしまった。 あれがきっかけだったと思う。僕が凜々花さんを意識してしまってきたのは。 ―――― 目が覚めると、外はすっかり暗くなっていた。 時計を見ると午後6時を指している。 「うわぁ……。夕飯作らなきゃ」 ベッドから出て台所へ向かうが、眩暈がして倒れそうになる。 なんとか踏ん張って冷蔵庫を開けるが、何も食べるものが入っていない。 「はあ……」 ため息をつく。 もう何日もコンビニ弁当やカップラーメンしか食べていない。 今月の食費は底を突きそうだ。 「外に生えてる草でも炒めて食べようかな」 そんなことを考えていると、スマホが鳴った。 「もしもし」 「もしもし。体調はどう?」 相手はもちろん凜々花さん。 「だいぶ良くなりました」 「良かったね。それでね、今日仕事帰りにあなたの家に寄ろうと思ってるんだけど」 「え!?」 思わず声が大きくなる。 凜々花さんが僕の家に来る。つまりそれは、そういうことだよな? 「嫌なら別に行かなくても良いけど。あなたがちゃんとした食事を取ってるのか心配だし、様子見に行くだけ」 「い、嫌じゃないです!来て下さい!」 「わかった。じゃ、また後で」 電話が切れる。 (やった。ついに凜々花さんが来てくれる) 嬉しくて、また吐きそうになった。 ――――― [律視点] ピンポーン。 インターホンが鳴る。 モニターを確認すると、そこには凜々花さんがいた。 急いで玄関に向かい、ドアを開く。 「こんばんは」 凜々花さんが微笑む。 「ど、どうぞ」 凜々花さんを招き入れ、リビングへと案内する。 「すごい散らかりようね」 部屋を見渡しながら凜々花さんが言う。 「す、すみません」 「片付けてあげるから、ちょっと待ってて」 「え!?いいですよそんな事しなくて。さっきまで仕事だったんですよね?疲れてるでしょうし、早く休んでください」 「大丈夫。これくらい大したことないよ」 (そういえば、凜々花さんは保育士なんだ) そう言って凜々花さんは床に落ちていた紙屑を拾い始めた。 「あ、あの、ありがとうございます。僕も手伝います」 僕も凜々花さんの横にしゃがみ、一緒にゴミを拾う。 凜々花さんの手に触れるたびにドキドキしてしまう。 凜々花さんは僕のことをただの幼馴染だと思っているだろうから、こんな邪なこと考えてるのはきっと僕だけだ。 それがとても悲しかった。 「ふう。これで全部かしら」 凜々花さんが立ち上がって伸びをする。 「はい。おかげさまで助かりました」 「いいえ。こちらこそ、いきなり押しかけてごめんなさいね」 「いえいえ。嬉しいです、本当に」 「そう?それなら良かった」 凜々花さんが笑う。 その笑顔を見て、僕の心の奥底にある感情が爆発しそうになった。 触れたい。抱きしめたい。甘えたい。苦しい。今すぐにでもキスしたい。 凜々花さんへの想いが溢れそうになる。 でも、それはできない。凜々花さんを困らせたくないから。 だから、せめて…… 「そう言えば、凜々花さんに渡したいものがあったんです」 僕は鞄の中から封筒を取り出した。 「何?」 「開けてください」 凜々花さんは首を傾げながらもその封を開けた。 中から出てきたのは小さなルビーのピアスだ。 「わぁ、綺麗!」 凜々花さんの顔がパッと輝く。 その表情だけで、このプレゼントを選んでよかったと思った。 「凜々花さん、耳が痛くならないようなノンホールタイプのもあるけど、せっかくだから耳に穴あけてつけてみてほしいなって思って……」 「私のために選んでくれたの?うれしい!早速つけちゃおうかしら」 凜々花さんは箱から取り出したピアスを持って洗面所へ向かった。鏡の前で位置を調整しているようだ。 「どうかな?似合ってるかな?」 戻ってきた凜々花さんは少し照れくさそうな顔で聞いてきた。 「はい、すごくよくお似合いですよ」 僕がそう答えると、凜々花さんはとても嬉しそうに笑った。 (ルビーは僕の誕生石。そして7月誕生石の宝石は他にもたくさんあるけれど、その中で選んだ理由は『情熱』。僕が凜々花さんに抱いている気持ちと同じものを選んだんだ) 本当はもっとちゃんとした場所で渡すつもりだった。 でも、どうしても我慢できなくなって衝動的に渡してしまった。 どうか僕の代わりに、凜々花さんのそばに居続けてくれますように。 そんな願いを込めて渡したつもりだったが、凜々花さんは申し訳無さそうな顔でピアスを外し、僕に返してきた。 「ごめんね。受け取れない」 「……そうですよね。すみません、重いですよね……友達にあげる物じゃないですよね……」 「違うの。そういう意味じゃなくて……。私はね、今までずっと男性とお付き合いしたことがないし、もちろん恋人ができたこともなかった。だから、恋人同士がどんなことをするのか分からないの。デートとかキスってどういうことするの?教えてくれる?」 「えっ?それってつまり……あ、いや」 違う。これは凜々花さんお得意のいつもの天然攻撃だ。 遠回しに「キスして」とか言っている訳ではないのである。 「そ、そうですね。2人の共通の趣味を持つといいと思います。あとは、映画とか遊園地に行くとか、ショッピングしたり食事に行ったりして……それですごく仲良くなって、本音とかもさらけ出せるようになったらキスするんじゃないですかね?僕は、デートとかできないんで、関係ないですけどね」 自分で言っていて虚しくなってきた。 そもそも、僕はもうすぐ死ぬのだ。そんな奴が、凜々花さんの恋人になるなんて無理な話なのだ。 「ふーん、なるほどね」 凜々花さんは何か考え込んでいるようだった。 「じゃあさ、とりあえず付き合うふりをしてみない?私のことは気にしないでいいから」 「へ?つ、付き合うふり?僕のために恋人役をしてくれるって事ですか?」 「そうそう。そうすれば、色々と分かると思うから」 「そう……なんでしょうか。なるほど、凜々花さんが素敵な旦那さんを見つける為のお手伝いにもなるし、僕もいい思い出作りができると言う訳ですね」 「うん。そうよ」 「分かりました。そういう事でしたら……不束者ですが何卒宜しくお願い致します」 こうして僕たちは、偽物の彼氏彼女になった。 凜々花さんは、僕に同情してそんな事を言ってくれたのかもしれない。それでも嬉しかった。 [場所:律の自宅] 「それで、まずは何から始めればいいかしら?」 「うーん。そうですね…。映画を見るとか、料理を作るとか……ゲームをするとか?そうだ。まずは呼び名から変えてみませんか?恋人同士っぽく、呼び捨てにしあうんです」 「呼び方を変えるだけでいいの?分かったわ。それなら、律」 「なんだい、凜々花」 「…………」 「…………」 「えっと、やっぱりこれはさすがに恥ずかしいわね。それに、なんか変な感じだし」 「そう……ですよね」 凜々花さんは頬を赤らめながら言った。 「でも、ちょっとだけ楽しかった。また呼んでくれる?」 「も、勿論です!」 「じゃあ次は何をしよう?」 凜々花さんは僕の手を握った。 「!?」 「ほ、ほら、恋人らしく手を繋いでみたんだけど、どうかしら?」 凜々花さんの顔が赤い。きっと僕も同じくらい真っ赤になっているだろう。 「り、凜々花さんの手、あったかいですね」 僕はなんとか言葉を絞り出した。 凜々花さんは、女の子にしては背が高い方だけれど、指は細くてとても華奢だ。 「凜々花さんは、その、今まで恋人とこういうことしたことあるんですか?」 「ないよ。初めて」 「そっか。良かった」 「え?どうして?」 「だって、僕が初めてってことでしょう?嬉しいなって思って」 「そうなんだ。じゃあ、私も律さんが初めての相手ってことになるわね」 「えっ?それは……」 「嫌なの?」 凜々花さんが悲しそうな顔で僕を見つめてくる。 「い、いえ!全然!むしろ光栄というか……」 「よかった。これからよろしくね。りゃ・ん・さん♡」 凜々花さんは、耳元に顔を近づけ囁いた。耳にかかる吐息がくすぐったくて思わず身を捩る。 「こちらこそ、凜々花さん」 「あのね、私たちが今やってることってデートよね?だから、今日はもっと親密になれるようなことをしたいの」 凜々花さんは少し潤んだ瞳で見上げてきた。 「もっと親密になるっていうのは……」 「キス……とか……」 凜々花さんの口からそんな言葉が出てきたことに驚いた。 「き、キス……ですか?」 「ええ。ダメ?」 「いや、駄目じゃないですけど……。いいんですか?本当に?」 「うん。私は構わないよ。じゃあ早速キスしましょう」 凜々花さんは目を閉じて唇を突き出して来た。 キス待ち顔だ。 (これってつまり……キスしろってことだよな?) (どうするべきか) (ここでするべきなのか) 凜々花さんは、まだキスしてもらえると思っているのか、目を閉じる前よりも更に強く唇を突き出してきた。 (もう待ってられないのか) 僕は意を決して、彼女の肩に手を置き、ゆっくりと自分の顔を近付けていく。 凜々花さんは、僕がキスしやすいように顎を上げてくれた。そして、僕はついに彼女と口づけを交わした。 彼女の唇を食むようにして味わっていく。舌を入れると歯止めが効かなくなりそうだったので、唇を重ねるだけの軽いキスにした。しかし、凜々花さんにとってはそれでも刺激が強かったようだ。 「んんぅっ……ちゅぱ……ぁふっ……はぁ」 凜々花さんは、艶っぽい声を出しながら身体をビクビクさせている。 「ごめんなさい。大丈夫ですか?」 「……はあっ……はあ……。うん、平気。びっくりしただけだから」 凜々花さんは呼吸を整えている。 「ねぇ、律さん。私にもさせてくれないかな?」 「え?何を……?」 「分からない?キスよ」 そう言うなり、凜々花さんは僕の首に腕を巻きつけ抱きついてきて、強引に引き寄せると、今度は自分から唇を重ねてきた。 「んんっ……んくっ……んんんん~」 凜々花さんは、貪るように僕の唇を吸ってきた。まるで、僕を求めているかのような激しい接吻だった。 僕も負けじとばかりに、凜々花さんを強く抱きしめ返す。 僕たちは、お互いの体温を確かめ合うかのように激しく求め合った。それからしばらく経って、どちらともなく口を離すと銀色の糸を引いた。 「凜々花さん……」 「律さん……」 凜々花さんは、僕を見つめたまま動かない。頬を紅潮させ、目はトロンとしている。 その姿はあまりに妖美で美しくて、目が離せない。心臓が激しく脈打っている。 「り、凜々花さん、ベッド……連れて行ってもいいですか?」 「ええ、もちろんよ」 凜々花さんは、両手を広げて微笑んだ。 僕は彼女をお姫様抱っこすると、そのまま寝室へと向かった。 凜々花さんは軽かった。身長は高いけれど体重はとても軽く感じる。 凜々花さんを優しくベッドの上に下ろすと、その上に覆い被さるような体勢になった。 「律さん……」 凜々花さんは、僕の背中に手を回してギュッと抱き締めてきた。 「りゃ……んさ……すきぃ」 耳元で甘く囁かれるとゾクゾクとした感覚に襲われる。 「凜々花さん……好きです……僕のためにこんな事をしてくれてありがとうございます」 「ううん、いいの。私がしたいと思ったんだもの」 凜々花さんは、僕の頭を撫でてくれる。 「あのね、私も一つお願いがあるのだけど」 「はい。なんでしょう?」 「私ね、今まで男の人を好きになったことが無いんだけど、律さんだけは特別な気がするの。だからね、その……」 凜々花さんは言い淀んでいる。 「だからね、律さんに私の初めてを貰ってほしいの」 「凜々花さん……はい、僕、精一杯頑張ります。凜々花さんの処女、僕が責任を持ってもらい受けます」 僕は凜々花さんの太腿にそっと触れた。程よい肉付きと滑らかな肌触りが心地良い。 「ああんっ……律さ……ん」 凜々花さんが悩ましげな声を出す。 「い、痛かったらすぐ言ってくださいね……あと……僕も初めてだから……上手くできなかったらすいません……」 「大丈夫だよ。私だって経験無いもん。だから一緒に気持ち良くなろうね」 「はい……」 凜々花さんは、聖母のような笑みを浮かべながら、僕の手を握ってくれた。その手の平を、指先で優しく擽る。 「あははは!ちょ、ちょっとくすぐったいなぁ」 凜々花さんは身を捩ったが、そのまましつこく続ける。 「やめてってば!」 そう言うと、彼女は僕の手を払い除けてしまった。 「僕のこと、怖いですか」 「別にそういうわけじゃないけど……。もう、やめようよ」 「嫌です」 僕は凜々花さんの服の下に手を入れ、胸に触れた。 「きゃっ!?どこさわって……ひゃんっ♡」 凜々花さんの口から可愛らしい悲鳴が上がる。 「凜々花さんが悪いんですよ。そんな可愛い反応されたら、男は止められなくなっちゃいますから」 「ふぇっ?そんなこと言われてもぉ……」 [ブラジャーの色は?] 凜々花さんのシャツをたくし上げる。 「ちょっ、待っ……」 露わになる白い素肌。そしてそこに映えるピンクの下着。 (ピンクか) 「へ、変かなぁ?」 「いえ、すごく可愛いですよ」 「よかったぁ」 ホッとする凜々花さん。 「でも、少し小さいんじゃないですか?」 「うん。最近また大きくなってきちゃって……。それにほら、私って背が高いからどうしてもサイズが大きくなってしまうみたいなんだよねぇ」 凜々花さんは苦笑いしている。 「じゃあ外しますよ」 「……どうぞ」 背中に手を回しホックを外すと、支えを失ったそれは重力に従って垂れ下がった。それを手で持ち上げると、白く柔らかそうな双丘が現れた。 「綺麗だ……」 思わず見惚れてしまう。 「恥ずかしいからじっと見つめるのは止めて……」 「ごめんなさい。つい……」 「謝らないでいいから、早く始めて……」 「はい」 僕は彼女の胸に吸い付いた。 「んんっ……」 おっぱいを優しく甘噛みしていく。腋を舐めながら、左手で二の腕を触り、右手は腰回りを撫で回す。 「あっ……んぅ……はあっ……はあっ……」 凜々花さんの反応を見ながら愛撫を続ける。 「凜々花さん、感じてくれてるんですね。嬉しいです」 「う、うん。なんか身体の奥が熱くなってきたかも……はぁ……はぁ……もっと強くしてもいいよ」 凜々花さんは呼吸を整えているようだ。 「はい」 僕は、彼女の下腹部をトントンと押し始めた。 「凜々花さん、今、子宮がどのあたりにあるか分かりますか?僕の指のちょうど下辺りだと思うのですが」 「えっと……ここら辺?」 凜々花さんは自分のお腹をさすっている。 「はい。そこの力を抜いてくださいね。僕がぎゅっと押しますから、子宮の力を抜いてください」 「こう……かな……んんっ……ああぁんっ……」 凜々花さんは甘い吐息を漏らす。 「すみません。協力してもらっちゃって。もう少し繰り返しましょうか。息を吐いてください」 「すー……はぁ~……」 「次は吸って」 「すぅー」 「ゆっくり吐いてください。少しずつ、ゆっくりと……良いですよ、そのまま……」 僕はそう言いながら、凜々花さんのパンツのホックを外しファスナーを下ろす。そして、ショーツと一緒に一気に下ろした。 「律さ……」 「脚を開いて」 「うん……」 凜々花さんは、言われた通りにしてくれた。僕は、膝立ちになって顔を近付ける。そこは既に濡れていた。 (これが……凜々花さんのおまんこ……!) 僕は生唾を飲み込みつつ、恐る恐る顔を近付け、ペロッとひと舐めする。すると凜々花さんがビクンと跳ね上がった。 「やっ……何これ……変な感じ……」 「美味しいですよ」 「嘘つき……」 「本当ですってば」 「なら証拠を見せて」 「しょうがないですね……」 凜々花さんに促され、今度は直接舌を這わせる。ピチャッピチュッという音が響く。 「んんんんん……だめ、律さん、汚いよぉ」 「凜々花さんに汚いとこなんてありませんよ」 「でもぉ……んんっ」 凜々花さんは太腿を閉じるようにして抵抗してきたが、力ずくでこじ開ける。 舌で尿道口をつつくように刺激しながら、クリトリスを口に含むと、凜々花さんの太腿の力が抜けていった。 「ふあぁ……気持ちいい……♡」 凜々花さんの声には艶が出てきた。 「凜々花さん、処女膜ある。オナニーもしたことないんですか?勿体ない」 「だってぇ……痛そうだもん」 「痛かったら言って下さい」 ジュルルル! わざと音を立てて吸い上げる。 「あんっ!ダメだってば!そんなにしたらいっちゃうよぉ!」 凜々花さんは絶頂を迎えたようだったが、構わず続ける。 舌を激しく動かしながら両手で太ももを撫で回していると、凜々花さんは僕の頭を押さえつけて言った。 「やめてぇぇぇぇぇぇっ!!それ以上されたら本当におかしくなるぅ!!」 凜々花さんは僕の頭を股間に押し付けてきた。 僕はそれに応えるべく、思い切り吸引した。 「イクゥウウッ!!!」 凜々花さんは大きく仰け反った。それと同時に膣内が激しく収縮し、大量の愛液が流れ込んできた。僕はそれを残さず飲み干していった。 「ごちそうさまでした」 「ふぁあ……しゅごかったぁ……♡」 凜々花さんはぐったりとしている。 「凜々花さん、大丈夫ですか?」 「うん……」 まだ余韻が残っているのか、時折ピクンと震えている。 「もうやめますか?」 「ううん。続けて」 凜々花さんは上目遣いで懇願してくる。 「わかりました」 僕はズボンを脱いで、コンドームを装着した。 「じゃあいきますよ」 凜々花さんの入口にあてがい、ゆっくりと挿入していく。 「んっ……」 凜々花さんは少し苦しそうだ。僕は凜々花さんの内部を味わうようにじっくりと時間をかけ、全てを埋め込んだ。 (キツい……あと、すでにビクンビクンしてる……) 「凜々花さん、動きますね」 「うん……優しくしてね……」 僕が腰をうねらせるたびに、凜々花さんの膣がキュッと締まる。 「凜々花さんのナカ、すごく熱いです」 「はぁ……はぁ……私も、なんか変な気分だよ……もっと動いてもいいよ」 凜々花さんは頬を赤らめながらも微笑んでいる。 「はい!」 僕はペースを上げた。パンッ!パァン!という肉同士がぶつかり合う音が響く。 「あっ♡あっ♡あっ♡激しっ♡あっ♡あっ♡あっ♡」 凜々花さんは快楽に身を捩らせている。 僕は全力でピストンを続けた。 「はぁっ♡はぁっ♡はぁっ♡はぁっ♡はぁっ♡」 凜々花さんは呼吸を乱しながらも、僕に合わせて腰を動かしてくれていた。 「凜々花さん、僕もうダメです、体力が……一旦休憩させてもらっていいですか?」 「ええ!?ここまできてお預けなんてひどいよぉ……」 凜々花さんは涙目になっている。 「はぁ、はぁ、はぁ、すみません……じゃあゆっくりしますね」 僕は凜々花さんの痙攣に合わせてリズミカルに動くことにした。 「あぁ……♡これなら気持ちよくなれそう……♡」 「凜々花さんのおちんちん、皮から顔出しましたね……触りますよ」 抽走に合わせて、クリトリスを刺激していく。 「あんっ♡クリちゃんだめぇっ!敏感だからっ!すぐイっちゃうからっ!」 「一緒にいきましょう!」 「だめだめだめだめっ!イクイクイクイクイクゥゥゥウウッ!!!!」 「出るっ!」 僕は射精した。凜々花さんも同時に果てたようだ。 「はぁ……はぁ……はぁ……」 「凜々花さん、ありがとうございます。最高に幸せでした」 「こちらこそありがと。凄く良かったよ。またしようね」 「……本当に?本当にまたしても良いんですか?社交辞令とかではなくて?」 「うん。次は私が律さんとしてみたいな」 「凜々花さん……」 [場所:律の寝室のベッドの上] (帰らないで、とか言ったら女々しいかな?) 「あの、凜々花さん……」 「ん?」 「いえ、何でもないです」 「そっか」 僕は凜々花さんを抱き締めた。 (もう二度とこんなこと出来ないかもしれない) 「あの、凜々花さん……僕の頭、撫でてくれませんか?いつも仕事で子供たちにしてるみたいに」 「こう?」 凜々花さんは僕の頭を撫でてくれた。 (温かい……気持ちいい……もう死んでもいい) 「生まれ変わったら、凜々花さんの子供になりたい……そして、いっぱい抱き締めてもらうんだ……」 「ふふっ、嬉しいけどそれは無理かも」 「どうして?」 「律さんがなるのは私の子供じゃなくて……」 僕は言葉の続きを待っていたが、それきり何も言わなかった。 「……何ですか?」 「ううん、やっぱりなんでもない」 「え、何?知りたいです」 「そのうちわかるよ」 凜々花さんは意味深な笑みを浮かべている。 「……凜々花さん」 「なーに?」 「キスしたい……ダメですか?」 「ダメじゃないよ」 凜々花さんは目を閉じた。 僕は唇を重ねた。舌を差し入れ、絡め合う。唾液を交換し合い、貪るように求め合った。 「ぷはっ……」 長い口付けを終えて、見つめ合う。 「凜々花さん、好きです。愛してます」 「私も律さんのことが大好きだよ」 凜々花さんは微笑んでくれた。 その笑顔はまるで天使のように美しかった。 「凜々花さん……」 僕はもう一度強く凜々花さんを抱きしめてから、名残惜しむようにゆっくりと離れた。 (これ以上はおかしくなる) 僕は凜々花さんに背を向ける。 「今日はお見舞いに来てくれて、ありがとうございました。気を付けて帰ってくださいね」 「うん。じゃあね」 凜々花さんが部屋を出て行く気配がした。 駆け出して、腕を引っ張って、ベッドに押し倒したい衝動を必死に抑えつける。 (僕がおかしいんじゃない。凜々花さんが魅力的すぎるだけだ。僕は何も悪くない) 「……凜々花さん、待って」 「ん?どうしたの?」 凜々花さんは不思議そうな顔をしている。 「もう遅いし、送りますよ」 「ありがとう」 僕は凜々花さんと一緒にマンションを出た。 「寒っ……」 11月も半ばになると夜はかなり冷え込むようになってきた。 「大丈夫ですか?上着貸しますよ」 「ううん、平気だよ」 凜々花さんは自分の身体をぎゅっ、と抱き締めるような仕草をした。 「凜々花さん、手繋いでいいですか?」 「うん、いいよ」 凜々花さんの手を握ると、じんわりとした温かさを感じた。 「あったかい……」 (このまま時間が止まればいいのに……) 駐車場に着くまでの間、僕らは一言も喋らなかった。 [バイクに二人乗りする僕と凜々花さん] 「乗って下さい」 「はーい」 ヘルメットを渡し、凜々花さんが被ったところで、エンジンをかけて走り出す。 (凜々花さんのお尻、柔らかい……) 凜々花さんの体温が伝わってくる。 「凜々花さん、ちゃんとお腹に手を回さないと危ないですよ」 「……うん」 凜々花さんがぎゅっと密着してくる。夜とは言え駅前には人通りも多いので、少し恥ずかしかった。 [場所:凜々花の家の前] 「凜々花さん、着きましたよ」 「うん……ありがとう」 凜々花さんは俯いている。 「凜々花さん?」 「あのさ……ちょっと上がっていかない?お茶くらいなら出せるから……」 凜々花さんは遠慮がちにそう言った。 「でも、お母さんとかいるでしょ?悪いから……」 「じゃあ、せめてもう少しだけ一緒にいてくれないかな?お願い……」 「もちろん、いいですよ」 僕達は凜々花さんの家の前で抱き合った。 「早く中入らないと風邪引いちゃいますね」 「そうだね……」 凜々花さんは何か言いたげだったが、なかなか口を開かない。 「凜々花さん、もう入らないと。明日も仕事でしょ?朝早いんじゃない?」 僕は急かすような言い方をしてしまった。 (もっと優しく言わないと……) 「律さん……あのね……私、律さんのことが好き」 「え……それは……どういう意味で?」 「恋愛的な意味だよ。ずっと前から好きだったんだ……」 凜々花さんは真っ直ぐに僕の目を見つめている。 「凜々花さん……どうして?いや、その、つまり……ああ、なんだまた夢か……僕、ホントにあなたの夢ばかり見るな。凜々花さんが僕のことを好きなんて、そんな美味い話あるわけないよなぁ……」 僕は頭を抱えながら自嘲気味に笑った。 「律さん、これは現実なんだよ。ほら、触ってみて」 凜々花さんは僕を抱き寄せて、胸板に手を当てさせた。 「あっ……」 心臓が激しく脈打っているのを感じる。 「律さん、私はあなたを愛しています」 凜々花さんは真剣な表情をしている。 「凜々花さん……その……僕も好きです……でも……ごめんなさいっ!」 「あっ、律さん!?」 僕は凜々花さんにルビーのピアスを押し付けると、逃げるようにその場を走り去った。 (凜々花さんを傷つけたくない) 自分の気持ちを必死に押し殺す。 (これでいい。こうするしかない) 僕は自分に何度も言い聞かせる。 (凜々花さんが幸せになるには、これが一番だ) 家に着くと玄関の鍵を閉め、チェーンロックをかけた。 「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」 凜々花さんのせいで、倫理のタガが外れそうで怖い。 (凜々花さん、ごめんなさい) 凜々花さんも勇気を出してくれたのかもしれない。でも、僕には応えられない。 僕は急いで服を脱ぐと、ステロイド剤を飲んでから眠りについた。 目を覚ますと、渡したはずのピアスはまだ鞄の中だった。 ―――――― [律視点] 僕はこの世に存在してはならない存在。 誰かの記憶に残ってはいけない存在。 生まれてきたことも、すべてなかったことにして、死ぬまでの間をただ彷徨っているだけの存在。 僕の両親もまた発達障害だった。団欒とは無縁の家。人間らしさのない家庭。 学校でもいじめられ続けた。どこにも居場所がないまま大人になった。 居場所を探すために生きてきた。だから、働くなんてことはどうでもよかった。上手く行きたいとも思ってなかったかもしれない。 なかばやけくそな生き方で、愛するつもりも、愛されるつもりもなかった。 体を壊すことで誰かに心配してもらいたかったのかもしれない。 心配してほしいなんて、傲慢だ。そんなことをしても、結局誰も僕を見ない。 楽しかった幼稚園。そこで知り合った凜々花さん。病児保育士になった凜々花さん。 凜々花さんが欲しい。愛しい。凜々花さんなら、子供の頃の苦しかった僕を救ってくれるかもしれない。 そんな運命を感じてしまう自分が嫌いだ。 この世に、運命なんてあるはずがないのに。 この世に僕の居場所なんて、あるはずがないのに。 ――――― [律が睦に喋る] 「……つまり、コロナ後遺症と言うのは副腎疲労症候群のことじゃないかと思うんです。初動免疫機能が働かないとコルチゾールが過剰消費され、その結果起きるビタミンやアミノ酸の欠乏症がコロナ後遺症だと思います。だから初動免疫機能がとても大切なんですよ。そのためにはやはり小腸の関門に存在する細菌が活性化していないとだめなんです。ひどくなると自閉症になると言われていますしね」 「へえー、すごいですね! さすが桜木先生!」 (……思ってもないくせに) 「ありがとうございます。こういう話を真剣に聞いてくれるの、臼井さんだけです」 「そうですか? 私はいつでも真剣ですよ?」 「はい、分かっています。臼井さんといるとなんだか少しだけ落ち着きます」 「あ、それって、私が子供っぽいからじゃないでしょうか!? もう二十歳過ぎてお酒も飲めるのに……。桜木さんの方がずっと落ち着いていて、大人っぽくて素敵です。それに、桜木さんの笑顔を見ると癒されます。可愛いくて、綺麗で、とっても優しいのに……」 「はは、綺麗ではないと思いますが……」 (臼井さん、キャバ嬢の才能あるな) 「……あっ、すみません、変なこと言っちゃいました。あの、忘れてください!」 [律が喋る] 「いえ、全然大丈夫ですよ。だって、臼井さんの言葉、嬉しかったですし。それより、今日はわざわざ遊園地に付き合ってくれてありがとうございました。つまらなくなかったですか?」 「はい、すごく楽しかったです。誘っていただいたおかげで、久しぶりに童心に返ることができました。桜木さんは、何かしたいことありますか?」 「うーん、釣りをしてみたいと思ったけど……少し疲れたから、静かな所に行きたいかなぁ」 「じゃあ、私のアパートに来ませんか? ここから近いんですよ。すぐ近くに公園もあるし、緑に囲まれた場所なので静かだし、ゆっくりできますよ」 「いいんですか? 突然行っても迷惑にならないかな」 「はい、もちろんです。ぜひ、来てみてください」 「では、せっかくだから、お言葉に甘えて」 「はいっ」 ――――― [臼井睦の部屋] 「どうぞ、上がってください。狭いところですが、遠慮せずに寛いでいてくださいね」 「失礼します」 臼井さんの部屋は1Kの間取りで、部屋にはベッドやテレビなどの最低限のものしか置かれていない。部屋の隅にはパソコンと周辺機器が置かれている。机の上には化粧品や雑誌などが並べられている。キッチンには、料理道具や食器など生活感溢れるものが並んでいる。冷蔵庫には飲み物や食材がぎっしりと詰められている。 「桜木さん、コーヒーと紅茶、どっちにしますか?」 「水でいいですよ。水道の水で十分です」 「駄目ですよ、ちゃんとしたミネラルウォーターを買ってきているんですから。それに私、結構コーヒー好きなんです。ミルクも砂糖も入れませんので、ブラックでも構いませんよね。あ、あと、お菓子も買ってきてあるので食べましょう。何が好きですか?」 「何でも良いですよ」 「では、これとこれはいかがでしょう。チョコレートとクッキーです。チョコとアーモンドの組み合わせが好きでして。アーモンドも健康に良いんですよ。桜木さん、甘いものは好きですよね」 「うん、好き」 「良かった。さっきもクレープを食べていましたもんね。美味しそうに頬張っていましたし、幸せそうな顔していましたから」 「ふふふ、臼井さんと出かけるのが楽しすぎて、いつもよりたくさん食べちゃったかも」 「えっ、本当ですか! 嬉しいな。私も、桜木さんと一緒に過ごせて楽しかったです」 「ありがとうございます。僕も楽しかったですよ」 僕は失礼と知りつつも、臼井さんのベッドにもたれかかった。 でも、臼井さんなら深く考えずに許してくれそうな気がする。そんな気楽さが、僕の心を落ち着かせてくれる。 「すみません、でもやっぱり少し疲れました……回復するまでここで休ませていただけると助かります。本当に、すみません……」 「いいんですよ。桜木さんが少しでも楽になれるのであれば、いくらでも使ってくださいね」 臼井さんは優しく微笑んでくれた。その笑顔が、とても眩しくて温かい。 「あ、そうだ! 今のうちにシャワー浴びてきたらどうですか? 服とか汗臭いままだと気持ち悪いんじゃないですか?」 「えっと……じゃあ、そうしようかな」 「タオルは洗面台に置いておきますので、自由に使っちゃってください」 「ありがとうございます」 臼井さんに促されるまま浴室のドアを開ける。そこはトイレと浴槽が置かれているだけで、脱衣所もなかった。 「えっと、臼井さん。服はどこで脱げばいいのでしょうか」 「あ、そっか。ごめんなさい、説明不足でしたね。服はここで脱いでもらっても良いですか?」 「え?こ、ここで脱ぐの!?」 「はい、ここ以外に脱げる場所はないと思いますけど……」 (まさか、臼井さんの前で裸になれって言うの!?) 「……分かりました。では、お借りします」 僕は仕方なく服を脱ぎ始めた。恥ずかしすぎて、臼井さんのほうを見ることができない。臼井さんは気にしていない様子だが、それでも緊張してしまう。 僕は最後のボクサーパンツに手をかけ、覚悟を決めると一気に下ろした。 すると、下半身がスース―してきて、心細くなる。 臼井さんはじっとこちらを見ている。まるで、観察されているみたいだ。 「あの、臼井さん。できればあまり見ないでほしいのですが……」 「あっ、ごめんなさい。それではバスルームに案内するので付いてきてください」 臼井さんは僕を手招きすると、僕を浴室へと導いた。 「こちらがシャンプーやボディーソープなどの備品です。ここにあるものはご自由に使っていただいて構いません。それと、こちらはドライヤーです。髪が濡れたまま放置していると風邪を引いてしまわれると思うので、しっかり乾かしてくださいね」 「あ、ありがとうございます」 「あと、もし何か分からないことがあればいつでも聞いてください」 「はい、ありがとうございます」 「では、ゆっくりくつろいでいてくださいね」 「はい」 臼井さんは部屋を出ていった。 臼井さんが用意してくれたのはシンプルな白いワンピースだった。女物だが、サイズはMサイズなので問題なく着ることができた。臼井さんはSサイズのようだ。 (それにしても、臼井さんはすごいなぁ。こんなに優しいなんて、きっとモテるんだろうなぁ。それなのに、なんで僕なんかにここまでしてくれるのだろう?) 臼井さんは不思議な人だ。 ――――― 「臼井さん、お待たせしました。お風呂どうぞ」 「はーい」 臼井さんはゆっくりと立ち上がり、浴室へと向かった。 「あの、桜木さん」 「ん?」 「下着とか持ってきていますか?」 「いや、持ってないけど……」 「良かったら私の使いますか?」 「えっ! いいよ、悪いよ」 「いえ、遠慮なさらないでください」 「いやいやいやいや……」 (若い女性のショーツを僕が使うわけにはいかないし……でも、ここで変に断るのも失礼か?) 「桜木さんさえ良ければ、ぜひ使ってみてください」 「いや、僕は大丈夫だよ、このままで……」 (このままで大丈夫ってのもおかしいよな……変態みたいだし……) 「そうですか……では、このパンツも一緒に渡しておきますね」 「う、うん。ありがとう」 「桜木さん、ちゃんと髪を乾かさないと駄目ですよ。風邪引いちゃいますからね」 「は、はい」 臼井さんが戻ってきた。 臼井さんは、僕のことをよく見ている。まるで母親のように、僕のことを気にかけてくれる。 (僕も臼井さんの役に立ちたいな。でも、僕ができることって何があるのだろうか) 臼井さんの優しさに触れているうちに、そんな思いが強くなっていった。 (でも、こんな体じゃ何もできないし……) 僕は自分の体を恨めしく思った。 「桜木さん、今日は一日お疲れ様でした。とっても楽しかったです!」 臼井さんは、満面の笑みを浮かべた。 臼井さんと過ごした休日はとても充実したものだった。 「こちらこそ楽しかったです。そのうえビールまでご馳走になっちゃって、本当にありがとうございます」 「ふふふ、良いんですよ。私が好きでしたことなんだから」 臼井さんは嬉しそうに微笑んでいる。その笑顔に、思わず見惚れてしまう。 その日本人離れした顔を見ていると、女性と言うよりも妖精を相手にしているような気分になる。 「桜木さん、またどこか行きましょうね」 「はい。じゃあ、僕はそろそろ帰りますね」 「桜木さん、家まで送ります」 臼井さんは、僕の荷物を持ってくれた。 「え? いいですよ。そこまでしてもらうのは申し訳ないです」 「いいんです。私がそうしたいだけなので」 「……分かりました。お願いします」 臼井さんは僕の隣に並んで歩いた。 (……何か気の利いた事のひとつでも言えたらいいんだけど) 僕は臼井さんの横顔を見た。 臼井さんの瞳は、空に浮かぶ月の光を反射して輝いている。 僕は臼井さんの横顔に見とれていた。 「桜木さん、着きましたよ」 「あっ、ごめんなさい。ぼーっとしていて……」 「いえ、気にしないでください。では、私はここで失礼しますね」 「あ……臼井さん」 「はい?」 「……ありがとう」 送ってくれてありがとう。今日付き合ってくれてありがとう。 僕と友達になってくれてありがとう。 「桜木さん、どういたしまして」 臼井さんは、優しく笑って言った。 「じゃあ、また連絡します」 「はい、さようなら」 臼井さんは手を振って去っていった。 臼井さんの姿が見えなくなると、急に寂しさが込み上げてきた。 臼井さんと一緒にいるときは楽しくて時間を忘れていたが、一人になると途端に孤独感が襲ってくる。 「臼井さん……」 (欲張っちゃダメだ。寂しさなんて、きっとすぐに紛れる。紛れる。紛れる……) そう自分に言い聞かせながら自分の家に入る。ベッドに突っ伏して目を瞑ると、臼井さんの姿が浮かんできた。 (臼井さんも同じように僕のことを考えてくれてたら良いのに……) 何もない僕を受けとめてくれる人なんていない。 運命の人なんていない。神も運命も、存在しないのだから。 ―――――― [律視点] (最近、凜々花さんが店に来ないな) 凜々花さんはたまにカフェに遊びに来てくれる。でもここのところ全然来てくれない。 ――それはつまりそういうこと。 「はぁ……」 いくら入り口を見つめても来ないものは来ない。最近ではもう期待するのもやめている。 凜々花さんの好きなアルストロメリアの花だけが、今日も変わらずに咲いている。僕は花瓶の水を変えながらぼんやりと思った。 僕が死んで無縁仏になったら、凜々花さんはお参りに来てくれるかな。 (来るわけないか) 僕は苦笑しながら、下ごしらえを始めた。 体調のいい時だけ、こうしてここで働かせてもらっている。お給料はほとんどないけど、生活保護があるから平気だ。 趣味は漫画を読むことだけど、最近はほとんどできてない。 生きる気力が湧かないと感じている。凜々花さんのせいではないのに、凜々花さんのことばかり気持ちが募るのだから怖い。 (……このままじゃ、きっとストーカーになるな) 家では日がな一日、地図で凜々花さんの住んでいるあたりを撫で回している。 僕の人生はあの日から止まってしまったままなのだ。 (……会いたいなぁ) 会ったからって、何も話せることはないんだけど。 住所は分かっているのだから、こっそり後をつけるくらいならできるかもしれない。でも、そんなことをしたらますます嫌われてしまうだろう。でも最近、嫌われようがどうしようが、いっそそれでも構わないと思ってしまうことがある。 だって、そうすれば少なくとも僕は救われるんだもの。 (凜々花さんが悪いんだ。いたずらに僕の心に入り込んできて、こんなにも苦しい思いをさせるから) カランコロン。 「あ」 「えっ?」 そこには、凜々花さんがいた。久しぶりに会えた嬉しさよりも先に、驚きの声が出てしまった。 「凜々花さん?」 「律さん、久しぶり」 凜々花さんは柔らかく微笑んでいる。いつもの凜々花さんだ。 凜々花さんと目が合っただけなのに、全身が沸騰するみたいに熱くなる。 (ああ、僕はなんて単純なんだ。凜々花さんが来てくれただけで、人生が薔薇色に見えるよ) 僕は慌てて凜々花さんの傍に駆け寄った。 「ご注文はどうしますか?本日のコーヒーはブルーマウンテンです。アイスでよろしいですか?」 凜々花さんはクスッと笑う。 「うん。せっかくだからタピオカ入りのラテにしてみようかしら」 凜々花さんはメニュー表を見ながら言った。左手の薬指にまだ何も嵌められていないことを確認して、何故かほっとする自分がいる。 「か、かしこまりました!少々お待ちください」 周りは、いつもは注文を取りに行きたがらない僕が率先して行ったことに驚いていた。 注文を受け、カウンターに戻ると店長がニヤリと笑いかけてきた。 「お前、いつの間にあんな可愛い彼女ができたんだよ~。羨ましいぞ!」 「違いますよ。彼女はただの幼馴染です。あと彼女じゃないんで、変なこと言わないで下さいね」 「何だよ、つまらん。でもま、桜木が堅物の唐変木じゃないって分かっただけでも儲けものだな」 「どういう意味ですかそれ」 「いやいや、そのまんまの意味さ。ところで、今日はもう上がりでいいぜ。彼女とデートなんだろ?」 「だから、違うって言ってるのに……」 僕はぶつくさ言いながらも、店長の言葉に甘えて上がることにした。 急いで着替えて外へ出る。凜々花さんはもらったタピオカミルクティーを飲んで待っていた。 「律さん、お疲れ様。はい、これあげる」 凜々花さんは小さな紙袋を差し出した。 「えっ……僕にプレゼント!?」 「うん。開けてみて」 中に入っていたのは、一冊の漫画だった。 「これは……ワンピースの新刊じゃないですか!」 凜々花さんは優しく目を細める。 「律さん、前々から読みたいって言ってたでしょ。私、今度の休みに買おうと思ってたんだけど、つい忘れちゃうことが多くて。よかったら読んでほしいなって思って」 「ありがとうございます!嬉しいです!凜々花さん大好き!!」 「ちょ、ちょっと大袈裟すぎない?あと、そういうことあんまり外で言っちゃダメだからね」 「あ、はい……。すみません……」 僕はしゅんとして謝った。 (外で言ったらダメってことは……二人きりの時なら良いの?) なんて、言葉の綾にも一喜一憂してしまう。 (僕、ヘンな顔してないだろうか?幸せすぎて、頭がおかしくなりそうなんだけど) 僕は漫画を読みながら思った。 「ねぇ、律さん」 凜々花さんが話しかけてくる。 「律さんは、どうして漫画家になろうと思ったの?」 「え?えっと……んと……」 僕が漫画家を目指した理由はネガティブなもので、凜々花さんに聞かせられるようなものではない。人付き合いが苦手でもなれる職業で、かつ僕みたいな孤独な子供に夢を与えてくれるから。それが理由だ。 「ほら、やっぱり、将来の目標があったほうが人生楽しいと思うんだ。だから、教えてほしいなぁ」 「そうですね……最初は特に深い考えはなかったんですけど、今は、そうだなぁ……凜々花さんのおかげですかね」 「へぇ……私の?」 凜々花さんは不思議そうにしている。 「凜々花さんが待ってくれるから……がんばろうって思えるんです。凜々花さんに褒めてもらいたくて、凜々花さんに喜んでもらいたくて、凜々花さんに好きになってほしくて、僕は今もこうして生きていけてるんですよ」 「……そっか。私は、律さんのこと応援してるよ」 凜々花さんはとても優しい顔をしている。僕は照れ臭くなって、俯き加減になってしまう。 「えっと、そ、それで、凜々花さんはどうなんですか?」 「え?」 「凜々花さんは将来その、何か決めてるんですか?た例えば、け…っこんとか」 凜々花さんの頬が少し赤くなった気がした。 「結婚はまだ考えてないかな。それに、今の私には無理だよ。仕事もあるし、今は恋愛をする余裕なんてないよ」 「そうですか……」 「律さんは……したいの?結婚」 「それはもう。凜々花さんと結婚できるなら、僕はなんでもしますよ」 凜々花さんは一瞬固まった後、さらに真っ赤になった。 「もぅ……すぐそんなこと言うんだから。でも、ありがとね」 僕は心臓がバクバクしていた。 凜々花さんの仕草一つひとつにドキドキさせられっぱなしだ。 「あっ、いけない!私行かないと」 凜々花さんは腕時計を見て立ち上がった。 「あの、どちらにお出かけですか?」 「友達とお茶する約束してて。ごめんなさい、このタピオカミルクティー飲み終わっちゃったから、また来るね」 「えっ!?」 (せっかく会えたのに、すぐに帰ってしまうの!?) 「うん、わかった。元気でね」 僕は笑顔で手を振って見送った。 「……」 凜々花さんの姿が見えなくなってからも、僕はその場に立ち尽くしていた。 胸が苦しい。張り裂けてしまいそうだ。 (将来の夢……か) もちろんひとつには、お金が欲しい。就職したい。 病気を治したい。凜々花さんを幸せにできる体が欲しい。 (……誰かに必要とされたい) この社会で、僕を認めてくれる場所で、僕は生きたい。 僕は、漫画家になりたい。 「……よし!」 僕は勢いよく立ち上がる。 凜々花さんに見合う男にはなれなくても、せめて凜々花さんをがっかりさせない男を目指そう。 凜々花さんは、僕の生きる意味そのものなんだから。 凜々花さんは、きっと僕にとっての光だ。 凜々花さんが好きだ。僕にはそれだけで十分だ。 凜々花さんの結婚式は、笑顔で参加しよう。 凜々花さんの隣に立つ男は、僕じゃなくていい。 凜々花さんが幸せになれるなら、僕はどんなことでも耐えられる。 [律、眩暈がして倒れる] (あ……まずい、めまいが……。最近多いんだよなぁ……。薬飲まなきゃ……) 凜々花さんにもらった紙袋を持って、僕は自分の家に帰った。 ベッドに突っ伏す。そして凜々花さんのことを考えた。 記憶をフル動員させて、脳内に凜々花さんのあらゆる表情や声を再現する。 すると、なぜか下半身に熱が集まってきた。 「はぁ……はぁ……凜々花さん……」 僕はズボンの中に手を入れた。 こんなことはいけないことなのに、僕は自慰行為に夢中になっていた。 凜々花さんが僕の名前を呼びながら絶頂に達する。 妄想の中の凜々花さんは、とても可愛かった。 「凜々花さん……凜々花さっ……」 凜々花さんの名前を呟きながら果てた時、玄関のチャイムが鳴った。 「えっ!?誰だろう?」 慌ててティッシュペーパーで拭いて、パンツとズボンを履いてドアを開けると、そこには凜々花さんがいた。 「凜々花さん!?ど、どうしてここに!?」 「えっと、その……実は忘れ物しちゃって」 凜々花さんは恥ずかしそうに俯いている。 「そうなんですか。ちょっと待っててください。今、鍵開けますから」 「ううん、大丈夫だよ。ここで待ってるから」 「そうですか?わかりました」 僕は急いで着替えて、凜々花さんのところに戻った。 「お待たせしました」 「うん。あの、律さん。今日はありがとう。漫画読んでくれて嬉しかったよ」 「いえ、こちらこそ。わざわざ会いに来てくださって、本当に嬉しいです」 凜々花さんはどこか落ち着かない様子だった。 「どうかしたんですか?」 「えっと、その、迷惑かもしれないけど、お願いがあって……」 「なんですか?」 「その……買い物に付き合って欲しくて」 「買い物ですか。良いですよ」 「えっ?本当?無理してない?疲れてるんじゃない?大丈夫?」 そこまで言われると、どんな無理をしてでも付き合おうという気になってくる。 それにしても、僕に付き合って欲しい買い物って一体何だろう。 「好きな人へのプレゼントとかですか?」 凜々花さんの顔がみるみる赤くなっていく。 (図星だ!) 僕は咄嗟に陳の顔を思い浮かべた。 凜々花さんにこんな顔をさせるのはあいつだろうか。 あいつと僕は性格はそう変わらないのに、顔と年収と社会的地位が違うだけで凜々花さんから愛されるのかと思うと、嫉妬で気が狂いそうになる。 「良いですよ。あいつが喜ぶプレゼントをいっしょに探しましょう!」 僕は二人のいい友人。仲人。 それだけでじゅうぶん幸せだ。そう自分に言い聞かせていた。 ――――― [凜々花と律がショッピングセンターを歩いている] 「僕ね、最近、自分の病気についてやっと分かってきたんです」 「病気?」 「はい。サイトカインストームって知ってますか?たまにコロナとかニュースでやってるやつ」 「ああ、あれね」 「僕は食事のたびに軽いサイトカインストームが起きるらしいんです。とくに寝てる間に。だから日中すごく疲れて眠くなっちゃうんですね。それで、食べた直後だけ治まるんですよ。だから四六時中食べてなくちゃいけないんです。夜中もずっと起きていなきゃいけなくて、トイレにも行けないし、睡眠不足で辛いんです。あと、皮膚が弱いから、肌もボロボロだし、髪も抜けてきました。あ、ごめんなさい。凜々花さんには関係ない話ばっかり。とにかく、僕はそういう病気だってわかったんです。でも、今は治療法が見つかって少しずつ良くなっています。いつかは完治する日が来るかもしれません。その時は、凜々花さんといっぱいお出かけしたいなぁ……」 「そうだね。私も律さんと色々なところに遊びに行きたいよ。そうだ、もうすぐ夏だし、気分だけでも海水浴したいよね」 「気分で海水浴って、何するんですか?室内プールとか?」 僕が首を傾げると、凜々花さんは悪戯っぽく微笑んだ。 「ふっふっふ。じゃーん!」 凜々花さんは手に持っていた袋から、ビニール製の水色のビキニを取り出した。 「えっ!?それって……もしかして……!?」 「うん。水着だよ。さっき買っちゃったの。律さんのお家のお風呂で着ようと思って」 (お家で……海水浴!?) いかにも凜々花さんが考え付きそうな倫理破綻した思い付きである。僕の股間事情を除けばなかなか面白そうではあった。 「そ、そんなのダメですよ!家に帰って一人で着てくださいよ」 「どうしてダメなの?律さんと海に行けないんだから、せめて家で海を楽しもうと思ったんだけど……」 凜々花さんの瞳がうるうるしている。 「うう……わかりました。でも、せっかくだから、もっと広くてお洒落な場所にしませんか?例えば、ホ……」 ホテルとか、と言おうとして、自分でその意味に戦慄した。 そんなことを言ったらどう考えてもあっちの意味にしか聞こえない。 僕は慌てて言葉を変えた。 「ほ、他の場所にしましょう」 「ほかの場所って?」 「あー、ほら、多摩川のところにスーパー銭湯があるじゃないですか。そこで良いんじゃないですか?」 「えぇ……それはちょっと……。律さんの家が良い」 凜々花さんは甘えるような声で言う。 (えぇーそんな、人がせっかく凜々花さんの貞操を守ろうとしたのに!) 「わ、わかりました。じゃ、じゃあ、うちで……」 「やった!ありがとう。楽しみだね。さっそく行こうよ」 凜々花さんは嬉しそうに笑っている。 「はい……」 僕は複雑な気持ちで返事をした。 ―― 柴崎体育館駅から徒歩5分くらいのところにあるマンション。 ここが僕が住む家だった。 エレベーターに乗り、4階まで上がる。 (あーあーあーどうしよう、困った) 凜々花さんが僕と海水浴を楽しみたいと言ってくれたのは嬉しかったのだが、凜々花さんの水着姿を見て冷静でいられる自信がない。 (凜々花さんは「男は狼」という諺を知らないのか!?いや、僕が我慢すればいいだけなんだけど……でも凜々花さんの水着姿を見れるチャンスだし……) 悶々としながら鍵を開ける。 「ただいま~」 「おかえりなさいませ、ご主人様!」 いきなりメイド服の女の子が飛び出てきた。 「へ?」 僕と凜々花さんはぽかんと口を開けている。 「お荷物をお預かりいたします」 「えっ、あっ、う、臼井さん!?な、何してるんですか!?それにその恰好……」 「桜木さんがびっくりするだろうと思って、内緒にしておきました。いかがでしょうか?似合ってますか?」 臼井さんはくるりと一回転してみせた。 スカート部分がふわりと広がって可愛らしい。 「可愛いけど……それ多分下着ですよね?」 「はい。もちろんです」 「なんでわざわざ?」 「だって、ご奉仕するならちゃんとお洋服を着てないと、って思ったんです。本当は裸エプロンの方が良かったんですけど、それだと私の身体が貧相すぎて、お料理の時に危ないので、妥協しました」 (なっ、ご奉仕…裸エプロン!?いつから臼井さんはデリヘル嬢になったんだ…!?) 僕が冷や汗をかきながら凜々花さんのほうを見ると、彼女は顔を真っ赤にしている。 「ごめんなさい!私、今日は帰ります!」 「あ、凜々花さん、待って!」 僕は咄嗟に彼女の手首を掴んだが、それからどうすればいいのか分からない。 「どうして……凜々花さんは……」 どうして、凜々花さんはここまで来たんですか。どうして僕のことを気にかけてくれるんですか。 僕のこと、どう思ってるんですか。 そのひと言がどうしても言えない。 (恋は砂糖と同じだ。多すぎると、サイトカインストームを起こして自分も相手も傷つけてしまう。そんなふうに、なるくらいなら) 僕は凜々花さんの手をゆっくりと離した。 「律さん?」 「いえ、なんでもありません。すみません凜々花さん。僕、ちょっと疲れてるみたいで……また今度ゆっくり遊びに来てください」 「……わかった。じゃあ、お大事に」 凜々花さんは悲しげに微笑んで、部屋を出て行った。 「凜々花さん……」 「凜々花さま……元気を出してください」 臼井さんは心配そうに凜々花さんが出ていった扉を見つめていた。 「臼井さん。びっくりしましたよ。急に来たから」 「ごめんなさい。でも、桜木さんが寂しそうだったので、つい」 「臼井さん……」 気付けば、僕は臼井さんの頭を撫でていた。 「と、とと桜木さん…!?」 「あ、ご、ごめんなさい!なんか、いつもより小動物っぽく見えたから」 (やばいかも……なんか……これ、やばいかもしれない) 今日は四六時中ムラムラを抑えつけていたせいか、変なスイッチが入りかけている気がする。 臼井さんは頬を赤く染めて俯いている。 「あの、お腹空いてませんか?僕、何か作りましょうか?」 「え、あ、はい。お願いします」 僕はキッチンでオムライスを作った。 「美味しいです!」 臼井さんは満面の笑みを浮かべた。 その笑みで、僕の中に溜まった欲望の澱のような物が浄化されていくような感じがする。 「そうですか、よかった」 「桜木さん、ありがとうございます」 「いえ、そんな……」 臼井さんは幸せそうにご飯を食べている。 「ごちそうさまでした!とっても美味しかったです。私、こんなにたくさん食べたの久しぶりかもしれません」 「喜んでもらえてよかったです。ところで、なんで突然うちに来ようと思ったんですか?」 「それはですね、桜木さんが寂しそうだったからですよ。桜木さんは優しい人だから、きっと凜々花さまを傷つけてしまったことで自分を責めてるんじゃないかなって思ったんです」 「臼井さん……やっぱり、臼井さんは良い子だなぁ」 「そ、そんなことないです。私はただのメイドなので」 「いや、臼井さんはとっても良い子だよ」 「と、とと桜木さんまで……もう、お世辞言っても何も出ませんよ」 臼井さんは恥ずかしそうにうつむく。 「お世辞じゃないよ。臼井さんにはすごく感謝してる」 「そんな……私なんて……」 「臼井さんがいてくれなかったら、僕はもっとダメになってたと思うんだ。それに、この家に人が訪ねてくることもほとんどないし。だから、本当にありがたいと思ってる」 「そうなんですか?でも、桜木さんは人気者なのに……」 「うーん……みんなが思ってるほど、僕はすごい人間ではないんだけどな……むしろ、逆というか……」 「桜木さんは立派な方ですよ。いつでも全力で、正直で、ちょっと不器用だけど、優しくて……私は、そんな桜木さんが大好きです」 臼井さんは真っ直ぐな瞳で言う。 (あ、だめだ。これは……) 僕の中で、臼井さんをめちゃくちゃにしてやりたい衝動が膨らんでいく。 「あ、あはは……あ、そうだ。お茶入れてきますね。紅茶でいいですか?」 「あ、はい。お構いなく」 僕は台所に行ってポットに水を入れ、コンセントを差し込む。 沸騰するまでの時間、僕はぼんやりと考え事をしていた。 (凜々花さんの水着姿、見たかったな……) 正確には、高校の修学旅行で見たはずなのだが、がり勉だった僕は女性の魅力というものが良く分かっていなかったし、何より海では眼鏡を外していたので詳細に見ていない。 そんな僕が今じゃAVを観ながら寝たきり生活だなんて、恩師たちに知られたらどんな顔をされるだろう。 「お待たせしました」 僕はティーカップに注いだ紅茶を持って居間に戻る。 「ありがとうございます」 臼井さんは嬉しそうにそれを受け取ると、一口飲んだ。 「美味しいです。なんだかほっこりします」 「そうですか、良かった」 僕たちはしばらく無言のまま、窓の外の景色を見つめていた。 「あの、臼井さん……」 「はい」 「その恰好の事ですけど……」 「あ、そうでした!ご奉仕するのでした!」 臼井さんは自分の格好を思い出したようで、慌てふためく。 「ご奉仕って……何をするつもりなんですか?」 「ご主人様のお世話をするのです」 臼井さんは胸を張って答える。 (ご主人様って……僕のこと?) 「えっと……具体的にどういうことを?」 「なんでもいたします。お掃除でも、洗濯でも、お料理でも、夜伽でも」 (よ、よとぎ!?) 「よよよよ……う、臼井さん、えーと、ゴム持ってたりとか……」 「はい?コンドームならありますが」 「あるのかよ!てか、なんであるんだよ!え、まさか……」 臼井さんは少しだけ頬を赤らめて言う。 「その……いつかそういう日が来るかもしれないと思いまして」 「う、臼井さん……」 「桜木さんは……どうですか?私のこと、抱けますか?」 臼井さんはじっとこちらを見上げてくる。 「それは……」 「やっぱり、ダメですか?」 臼井さんは悲しげな表情になる。 「そうですよね。こんな貧相な体つきの女なんて……」 「いや、そうじゃなくて……」 「大丈夫です。わかっていますから。桜木さんは優しい人だから、きっと私を傷つけないように気遣ってくれているんですよね」 臼井さんは涙目で微笑んでいる。 「臼井さ……睦ちゃん!」 僕は臼井さんを抱きしめた。 「と、ととと桜木さ……んむっ……んぅ……」 臼井さんが何かを言い終わる前に、僕は彼女の唇を奪った。舌を入れて、唾液を流し込み、激しく吸い上げる。そのまま顎を撫で上げ、耳たぶを食み、首筋にキスをした。 「桜木さん……だめぇ……そんなところ舐めないでくださいぃ」 彼女の声は聞いた事がないくらい甘く蕩けていて、それが余計に僕の興奮を高めていく。 僕は臼井さんをソファに押し倒した。そして、乱暴にメイド服を脱がせる。 「やぁ……恥ずかしいです……」 臼井さんは両手で顔を隠しているが、指の間からバッチリ見ているのがわかる。 ブラジャーを外すと、小ぶりだが形の整った乳房が現れた。乳首をつまむと、臼井さんはビクンッと体を震わせる。 「はうぅ……」 「可愛いよ、睦ちゃん」 僕は臼井さんの胸にしゃぶりつく。 「ひゃうんっ……桜木さん……赤ちゃんみたい……です」 臼井さんは僕を優しく抱き寄せてくれる。 (気持ちいい……) 臼井さんは僕の頭を優しくなでてくれた。 「よし、よし……いい子ですね」 (ああ、だめだ……) 「んんっ……んくぅ……」 臼井さんが身を捩らせるたびに、甘い匂いが漂ってくる。 臼井さんは僕のズボンに手をかけ、ベルトを外してチャックを開ける。 「あはっ……もう大きくなってる……♪」 臼井さんは嬉しそうな笑みを浮かべると、パンツごと一気にずり下ろす。 「すごい……これが男の人の……」 臼井さんの視線を感じて、さらにペニスが硬くなる。 「ふわぁ……ピクピク動いてます……」 臼井さんは恐るおそる手を伸ばし、僕のモノに触れる。 「熱い……それに、硬いです」 「触るのは初めて?」 「はい……男の子のアレを見たのも初めてです」 臼井さんは興味津々といった様子だ。 「じゃあ、まずは手で上下に擦ってみて」 「こうでしょうか?」 臼井さんはぎこちない動作で手を動かしはじめる。 「そうそう。慣れてきたらもっと早く動かせるようになると思うけど、最初はゆっくりでもいいから」 「はい、やってみます」 臼井さんの手の動きに合わせて、だんだん快感が高まってくる。 「あっ……桜木さん……先っぽから透明な汁が出てきました」 「それは我慢汁っていうんだ。男は感じてくると出てくるんだよ」 「へえ……なんだかエッチなおつゆってかんじですね」 (ああ……やばい……出る!) 「う、臼井さん!ストップ!離して!」 「え?あ、はい」 臼井さんは慌てて手を止める。僕は急いでティッシュの箱を掴み取り、数枚引き抜いて亀頭にかぶせた。 (危なかった……) あと少し遅かったら、臼井さんの手に射精するところだった。 「ごめんなさい、痛かったですか?」 臼井さんは申し訳なさそうな顔をしている。 「い、いえ。ちょっとビックリしただけです」 僕はなるべく平静を装った。本当はまだ心臓がバクバク言っている。 「あの……どうすれば良かったですか?」 臼井さんは不安げに聞いてくる。 「えーと、そ、そうですね。じゃあ、うつ伏せになってくれますか?その方がやりやすいんで……」 「は、はい」 臼井さんは素直に従う。 「膝を立てて、腰を上げて下さい」 「はい……」 臼井さんは恥ずかしいのか、なかなか尻を上げようとしない。 「恥ずかしいの?」 「はい……」 臼井さんは消え入りそうな声で答える。 「大丈夫だよ。ここには僕たちしか居ないんだから」 「は、はい……でも、やっぱり……」 臼井さんは躊躇っているようだ。 「じゃあさ、僕が手伝ってあげるよ」 僕は臼井さんのお腹の下に腕を差し込むと、そのまま抱え上げた。熱く濡れそぼったおまんこが露になる。 「きゃっ!?」 「臼井さん、すごく濡れてるね……すごくいいよ……僕、もう……」 亀頭を入り口に押し付けると、ヌチュッという音が聞こえてきた。 「あん……だめですぅ……」 臼井さんは抵抗するが、力が入っていない。僕は一気に押し込んだ。 「あ!あぁーーーーーーーっっっっ!!!」 ビクンビクンビクンビクンッ!臼井さんは大きく痙攣すると、ぐったりと脱力してしまった。僕は構わず出し入れする。 「あ!だめぇ!イッ!あ♡いや♡んぅんっ♡はぁ、はぁ、はぁ、おぐっ♡はぁ、はぁ、やめっ、やめてぇ♡」 僕がピストンをやめると、ビクンビクンと体を震わせながらイキ狂っていた。僕が軽く触れるだけでも、「イク」「イグゥ」と何度も絶頂を迎えている。 「桜木さんっ、もうっ、もうやめてくださいぃ、ごめんなさいぃぃぃ」 「ご、ごめん。もうやめようか」 「はぁっ、はぁっ、はぁっ……お゛っ♡お゛っ♡っはぁ……」 臼井さんは痙攣が止まらない様子で、僕が撫でるだけでまた達してしまう。 「あぅぅ……だめですぅ……今触られたらぁ……んぉ゛~~~~!!!」 臼井さんは仰け反り、舌を突き出すようにして激しくアクメを迎える。 「だ、大丈夫?」 「はぁ……はぁ……はいぃ……」 臼井さんは息も絶えだえといった感じだ。 「続きはまた今度にしよっか」 これ以上やったら、臼井さんを壊してしまいそうだ。正直名残惜しいけど、仕方がない。僕は臼井さんから離れると、シャツを着てズボンを履く。 「あ、あの……」 「なに?」 「わ、私、もっとできます!だから……捨てないでください!」 臼井さんは目に涙を浮かべて懇願してくる。 僕はそんな彼女にそっと口付けてから言った。 「大丈夫、セックスができないからって、捨てたりなんかしないよ。傍にいてくれるだけでいいんだ」 「ほんとうですか?よかった……」 臼井さんはホッとした表情を見せた。 [僕が喋る] 「でも、もう少しだけ、キスしたい……だめかな」 僕の言葉を聞いた臼井さんの顔が真っ赤に染まる。 「は、はい……ちゅ……んむ……れろ……ぴちゃ……はふ……」 臼井さんはぎこちな動きながらも、一生懸命応えてくれた。 体を押し付け、足を絡ませる。臼井さんの柔らかい体が僕の体に吸い付くように密着している。 臼井さんの足が僕の太腿の間に割り込んでくると、彼女の股間が擦れる。 「あっ……はぁ……桜木さぁん……そこっ、気持ちいいですぅ」 臼井さんは腰を動かし続けている。 (すごい……) 臼井さんのお尻が動くたびに、柔らかなおっぱいが激しく揺れていた。 「ん……あぁ……もっとぉ……あぁ……っ♡」 臼井さんは激しくうねり、僕も腰をくねらせてしまう。臼井さんの動きに合わせて腰を動かすと、まるで臼井さんを犯しているような気分になる。 「あぁ、だめぇ、出ちゃいますぅ、ん、んぅっ♡」 臼井さんはビクビク震えながら潮を吹き出した。僕のズボンがぐしょ濡れになる。 「ああ、ごめんなさいぃ……」 臼井さんは申し訳なさそうにしている。 「気にしなくていいよ。それより、今日はどうします?泊まっていきますか?それとも帰りますか?」 僕は臼井さんのお尻を撫でた。 「ひゃんっ、と、泊まりたいです……」 臼井さんは顔を赤くしながら答える。 「そっか。じゃあ準備しないとね。まずはシャワー浴びよっか」 「は、はい……」 僕は臼井さんの手を引いて浴室まで連れて行く。服を脱がせ、裸になった彼女を抱きしめると、そのまま唇を重ねた。 「ん……ちゅぷ……んむ……はぁ……」 (あ……まずい……止められない……優しく……しなきゃ……ダメなのに……) 「ん、はぁ、あ、っ、激し、あぁん」 「はぁ、はぁ、ごめん。睦さん、体洗おう」 僕は臼井さんの体を洗い始めた。臼井さんはされるがままになっている。 「と、桜木さん、そこは自分でやりますから……」 「遠慮しないで」 [律が睦の尿道口を洗う] 「あ……だめ……きたないですよ……」 「平気だよ」 「あ……っ」 「あれ、ちょっと勃起してる?」 「やっ、言わないでください……」 「どうして?睦ちゃんのおまんこ、ぷっくり膨らんでるよ?ほら、こんなになってる」 「やぁ……」 「かわいいお豆さんだね。皮被っちゃってるから、剥いてあげようね」 「あぁ……だめ……敏感だから……」 「ふふ、出てきた。舐めてあげる」 「あぁ……ん……はぁ……あ……ん……♡」 「ん……れろ……ぶちゅ、ずずずず、ちゅぱ、くちゅ……」 僕は甘噛みや舌での刺激を繰り返して高めていくうちに、臼井さんの反応が変化してきたことに気付いた。声がどんどん甘くなっていくのだ。 「あんっ、んぅっ、んっ、んっ、んっ、あぁ、あぁ、あぁ、あぁ!だめ、桜木さん、ダメ!もうダメ!イッちゃ……また出ちゃいます!あぁ!」 臼井さんは体を仰け反らせて痙攣する。しかし、臼井さんの性器からは透明な液体しか出てこない。 「あ……あ……」 「ふふ、おしっこ漏れちゃったね」 「うぅ……」 臼井さんは恥ずかしそうに俯いている。 「大丈夫、綺麗にしてあげるから」 僕はそのまま固まる臼井さんを隅々まで洗い、ドライヤーで乾かした。その間中、彼女はずっと僕のなすがままだった。 僕は裸のままベッドに横たわる。そして彼女を手招きすると、抱き寄せて囁いた。 「おいで」 臼井さんは躊躇いながらも、ゆっくりと僕の方へ寄ってくる。 「あの……私……」 「わかってる。痛くないように、睦ちゃんが上になって。それなら、睦ちゃんのペースで気持ち良くなれるよね?」 臼井さんは僕の言葉を聞いて少し安心したようだ。 「はい……」 「僕は動かないから。そう、ゆっくりで良いよ。大丈夫、そのまま腰を……あぁ……いい子だね。上手だよ」 臼井さんが一生懸命腰を動かしている。臼井さんの柔らかいおっぱいが揺れている。 (すごい……) 臼井さんの腰使いはかなりぎこちないものだったが、それでも僕の興奮を高めるには十分だった。 「あっ♡あっ♡あっ♡桜木さん♡きもちいい♡きもちいいですっ♡こんなにきもちいいの、生まれてはじめてっ♡」 パチュッパチュッとお尻の肉が太ももに当たる音が響く。その度に臼井さんは甘い声で鳴く。 「あぅっ♡なにこれっ、だめ、あぁ、桜木さん、桜木さん、桜木さん……っ」 臼井さんが舌を突き出しながら喘いでいる。臼井さんは僕の上で腰を振りながら、何度も絶頂を迎えていた。 「はぁ、はぁ、睦ちゃん、僕も我慢できない」 「んんっ!んんんんんんっ!」 臼井さんの口内を犯しながら、思い切り突き上げる。臼井さんの子宮口に亀頭がぶつかるたびに、彼女の膣が激しく収縮し僕自身を締め付けてくる。 「んんんんんんんー!!!」 臼井さんは目を見開いて激しく痙攣し続けている。 「ごめん、出すよ」 「んん~っ!!!♡♡♡」 僕は臼井さんの中にたっぷり注ぎ込んだ。 「はぁ……はぁ……はぁ……」 「はぁ……はぁ……はぁ……」 お互いに獣のように荒い呼吸を繰り返す。やがて心が落ち着いてくると、急に自責の念に襲われた。 (なんてことをしてしまったんだろう……) 僕は臼井さんの中から引き抜くと、頭を抱えて震え出した。 (僕が好きなのは凜々花さんなのに……臼井さんを欲望の吐け口みたいに使って……最低じゃないか……) 「ごめんなさい……」 臼井さんが掠れた声で謝ってきて、僕は顔を上げた。 「どうして臼井さんが謝るんですか?」 「だって……私はただの都合の良い女で……桜木さんは優しいから、私の事抱いてくださるけど、本当は嫌なんじゃないですか?こんな風に、好きでもない人とセックスして……」 「あ……や……違……」 すぐに否定できな自分が情けない。確かに臼井さんの言う通りだ。僕は臼井さんのことが好きではない。 「でも、臼井さんのことは綺麗だと思ってるし、一緒にいてすごく落ち着くと思ってます……僕がいけないんです、僕が子供なばっかりに、凜々花さんを忘れられないでいるから……」 ベッドで他の女の名前を出した。最低だ。 「ああ……ごめん……僕は本当にゴミクズだ……消えたい……臼井さんの気持ちにどう応えていいのか分からない……臼井さんが好きだと言ってくれるような人間になりたいのに……」 臼井さんは黙ったまま何も言わない。怒っているのだろうか。 「桜木さん」 「え?……臼井さん?」 臼井さんの顔が目の前にあった。 「私……凜々花さまの代わりじゃなくて、睦自身として愛されたい。凜々花さまの事が忘れられないなら、忘れなくても良い。凜々花さまの事好きでいても良いから、私も凜々花さまと同じように、桜木さんを愛したい。だから、私にも桜木さんを愛する権利をください」 臼井さんは真っ直ぐに僕の目を見ていた。 「臼井さん……」 本当なら、張り手をして出て行ってもおかしくないようなことをした僕に、彼女はこんなにも優しい。 僕は、凜々花さんを忘れて、彼女を愛せるだろうか。 こんなふうに言ってくれた彼女を愛したい。好きだと言いたい。 「臼井さん、ありがとう。どうか僕を、臼井さんの恋人にしてください」 「……はい!」 臼井さんは泣きそうな顔をしていたけれど、それでも笑っていた。 「私、幸せです」 臼井さんの泣き顔は眩しくて、綺麗で、美しかった。 (ああ、好きだな) 少しずつ好きになれば良いんだ。ゆっくり時間をかけて愛せば良いんだ。 僕は臼井さんの笑顔を見ながらそう思った。 ―――――― 凜々花さんとは家が近かったこともあり、いっしょに色んな遊びをした。 色々なところに遊びに行った。僕はそのたびに、幸せだった。 あの頃のように無邪気に遊べたらどんなにいいだろう。 凜々花さんとまた遊びたい。色々な所に遊びに行って、思い出を共有したい。 でも、僕達はもう子供じゃなくて、そんな事を考えているのは僕だけで。 周りのみんなは、大人になった瞬間に、子供の演技をやめて大人になってしまった。 僕の体はりっぱな男になって、凜々花さんは美しすぎる女性になっていた。 あの頃の僕らは、どこにもいない。 僕は凜々花さんを女性として強く意識していた。 凜々花さんの事を考えると胸が苦しくなって、息ができなくなりそうになって。 凜々花さんの事が好きだってことに気付いたんだと思う。 だけど、それをうまく受け入れられない。 僕が本当にやりたいことは………。 ――――― (――ああ、また凜々花さんの事を考えてる) 暇さえあれば、凜々花さんのことを考えてしまう自分がいる。 これは、恋なんだろうか? いや、恋だとしたら、だからなんだっていうんだ。 凜々花さんはもうりっぱな大人で、仕事もバリバリやってて、才能もある。 それに、あんなに綺麗で。 きっと、素敵な人がたくさん周りにいるに違いない。 僕はというと、大学に入ってすぐ病気になって、作業所でチラシ配りのアルバイトをしながら暮らしている。 (あの頃に囚われてるのは僕だけなんだ) 「……仕事行こう」 僕はベッドから起き上がると、部屋を出た。 ――――― [カフェ『だちカフェ』] 「おはようございます」 「おう、今日も頼むぞ」 僕の仕事はカフェのチラシの制作と印刷、ポスティングだ。ホール業務を行う事もあるけど、斜視の僕にはちょっと無理がある。 「律くん、コーヒー2つお願い」 店長が注文を伝える。 「はい!」 コーヒーの淹れ方は一通り覚えたけれど、まだまだ失敗が多い。練習しないと。 「はい、どうぞ。ごゆっくりしていってくださいね」 お客様に笑顔で伝える。 この仕事をはじめてから、人と話すことが前よりも苦ではなくなった。 それでも昔の古傷が今でも心を苦しめる時があって、時々、自分の存在自体が嫌になることもある。 このカフェは税務署の隣に隣接しているため、放っておいてもお客さんが入ってくる。 しかし、このカフェの一番の魅力は、スタッフの人柄にある。 オーナーは、この立川で障害者雇用を率先的に推進している人物で、発達障害や精神障害のある方を積極的に雇っている。 スタッフも、軽度の発達障がい者や、精神疾患を患っている人もいる。 ここは、社会復帰を目指すためのリハビリの場なのだ。 それは分かっているけれど、僕のなかの商売魂がうずうずしてしまう。 少しでも利益を上げて、みんなの生活を豊かにしてあげたい。 それが今の僕の夢。でも、スタッフの中には忙しくなることを良く思わない人もいて。その辺りの塩梅にいつも悩まされる。 「お疲れ様です。あがります」 「お疲れさまー。気をつけて帰ってね」 いつも通りのバイトが終わり、帰宅する。 自宅アパートに着き、鍵を開ける。 玄関に入ると、すぐに目に入ったのは、ゴミ袋だった。 部屋の中は足の踏み場もないほど散らかっていた。 「片付けないと……」 そう思いながら、僕は倒れ込むように眠りについた。 ――――― 子供の頃、親友と呼べる相手がいた。 名前は陳盛博。彼がストーリーを考え、僕が漫画を描いた。僕達はプロの漫画家になろうとしていた。 だけど凜々花さんと付き合い始めてから、彼からの連絡が途絶えた。 僕は不安でいっぱいになり、連絡を取り続けたが、ついに返事が来ることはなかった。 僕は、友達も、好きな人も、夢も同時に失ったのだ。 多分あれがきっかけなんだと思う。僕はストレスで潰瘍性大腸炎になり、化学物質過敏症になり、特発性反応性低血糖症になっしまった。 病院で検査を受けている最中に、担当医から告げられた。 「あなたはもう長く生きられないかもしれません」 その日から僕は生きる意味を失った。毎日ただ生きているだけの日々だった。毎晩毎晩、凜々花さんの夢を見た。夢の中の凜々花さんはとても優しかった。 凜々花さんに会いたい。もう一度会いたい。 でも、もうそれも叶わないんだ。 僕は静かに二人の結婚式の知らせを待ち続けている。 ―――――― ある日の事、いつものように店番をしていると、来店のチャイムが鳴った。 「いらっしゃいませ!何名様ですか?」 元気よく声をかけると、そこには凜々花さんがいた。 彼女は最後に見た時と同じ、白いブラウスに黒いスカートという格好だった。 (……凜々花さん?) 僕を覚えているだろうか。僕の事が分かるだろうか。 いや、分からないかもしれない。僕は髪も染めたし、髭も生やしたし、眼鏡もかけてるし、背丈だって違う。 そういえば、あの日、別れ際に、彼女が「また会える?」と言ってくれたから、その言葉を信じて、立川でバイトしていたのだけれど……。 「2名でお願いします」 (2名?) 凜々花さんの後ろには、スーツを着た男性が立っていた。 凜々花さんはその男性の腕に自分の腕を絡めていた。 男性は凜々花さんより少し年上に見えた。凜々花さんと同じく整った顔立ちをしていた。 「か、かしこまりました。こちらへどうぞ」 僕は二人を窓際の席へと案内した。 「ご注文が決まり次第お呼び下さい」 テーブルを離れようとしたその時、 「待って!」と凜々花さんに声をかけられてしまった。 「あ、あのさ、律ちゃんだよね?ほら、高校の時に一緒だった……」 心臓がドクンと跳ね上がった。 (覚えていてくれた……) 胸が熱くなり、喉の奥から何かがこみ上げてくるような感覚を覚えた。 「はい、覚えていますよ。久しぶりですね」 平静を装いながら答える。 「やっぱりそうだ!なんか雰囲気変わってたから気付かなかった」 「凜々花さんのほうこそ」 「私はね、この人と結婚したの」 そう言って、凜々花さんは自分の隣の男を紹介した。 「初めまして。凜々花の夫です」 優しそうな男だ。体つきもしっかりしていて、いかにも頼り甲斐がありそうだ。 凜々花さんが幸せならそれでいい。 僕は笑顔で答えた。 「おめでとうございます!」 「ありがとう。律ちゃんは何やってるの?」 「今はカフェのチラシ制作とか印刷の仕事してます」 「へぇ、すごい!デザイナーさんなんだね。子供の頃の夢は叶えられたのかな?」 「どうでしょう。でも、昔とは違う夢ができました。みんなが幸せになれる社会を作ることです」 「立派な夢じゃないか。俺も応援するぜ」 凜々花さんが注文したのはコーヒーだけだった。 「えーっと、ミルクとお砂糖はいかがなさいますか?」 「私は大丈夫です。そのままいただきます」 「ブラックですね。分かりました」 カウンターに戻り、マスターに声をかける。 「ブラック2つ!」 「はいよ」 トレイの上にカップを載せる。 テーブルに置こうとしたとき、2人が手を握り合っているのが見えた。 思わず手が滑って、カップが派手な音を立てて割れてしまう。 「うわっ!!」 客が驚いて叫んだ。 「すみません!すぐに片付けますんで……!」 慌てて破片を集めながら、自分が思ったより動揺している事に気付く。 「律くん、大丈夫かい!?怪我はない?」 オーナーが心配してくれた。 「あ、大丈……」 言い終わる前に、口の中に鋭い痛みが走った。舌で歯茎に触れると血が滲んでいた。 「見せてみろ」 マスターが顔をしかめた。 僕は口を開けて見せた。 「切れてるね。今日はもう上がりな」 「でも……」 「良いから早く手当てしないと」 「はい、じゃあお先に失礼します」 僕はエプロンを脱いで帰り支度をした。 店を出る間際、凜々花さんの声を聞いた気がしたけど、振り返る事はしなかった。 ――――― 家に着く頃には、すっかり暗くなっていた。 多摩川沿いの家賃3万円のアパート。 ドアを閉めると、真っ先に自分の鞄からキーホルダーを取り出した。 いつか彼女に再会したら渡そうと思っていたものだ。 (凜々花さん……) 鍵には、僕と凜々花さんが描いた漫画のキャラクターのストラップが付いている。 (僕はあなたの事がずっと好きでした) でも、それはもう叶わない。 涙が溢れてきた。 凜々花さん、凜々花さん、凜々花さん……。凜々花さんと過ごした日々を思い出す。 僕達はいつも一緒にいた。 凜々花さんの部屋にも遊びに行ったことがある。 凜々花さんの両親に会ったこともある。 凜々花さんの家に泊まった事もある。 いつも僕たちは一緒だった。 凜々花さんは僕の事をどう思っていたんだろう? 凜々花さんの好きなところはたくさんあるけれど、特に一番は優しい所だ。 あと、料理上手で、お洒落で、可愛いところが好きだった。 でも、あの人は旦那さんのものになった。 [ピロン] スマホが鳴った。LINEの通知音が鳴ったのだ。 誰だろうと思って確認すると、凜々花さんからメッセージが届いていた。 『律ちゃん、明日の夜空いてる?』 僕は嬉しくなって返信した。 『あいてます!』 それからしばらく経って、また凜々花さんから連絡が来た。 『良かったら私の家で飲まない?』 僕は迷わずOKした。 ――――― 「お邪魔しまーす!」 凜々花さんの家に来るのは初めてだった。 玄関から入ってすぐのキッチン、リビングダイニングは白と黒を基調としたシンプルなインテリアだった。 「適当に座って」 「はい」 ソファーに腰掛ける。 「律ちゃん何飲む?」 「何でも大丈夫です」 「分かった」 凜々花さんは冷蔵庫を開けた。 「ビールでいい?」 「はい」 「乾杯」 カチンとグラスを合わせた。 「凜々花さん結婚してから初めてですか?こういうの」 「そうだね」 凜々花さんは少し照れくさそうにした。 「凜々花さん綺麗だからモテたでしょ?昔から」 「そんなことないよ」 「嘘だぁ」 「本当だって」 「えぇー絶対ウソですよぉ」 「ほんとにほんとよ」 凜々花さんがクスッと笑った。 「ねぇ、律ちゃん」 「ん?」 「律ちゃんってさ、今付き合ってる人いるの?」 「いないです」 「そっか……」 凜々花さんは少しほっとしたような表情を見せた。 「凜々花さん、今日は旦那さんは?」 「今日は仕事で遅いみたい」 「そうなんですね……」 僕は急に落ち着かない気持ちになって来た。 「凜々花さん、ごめんなさい」 「え?」 「僕、やっぱり帰ります」 「どうして?」 「凜々花さんはもう僕の友達じゃないし、それに……」 言葉に詰まる。 「それに、なに?」 「……」 「言ってみてよ」 「……僕は、凜々花さんの事が好きでした。高校の時からずっと。でも、凜々花さんには旦那さんがいる。凜々花さんが幸せならそれで良いって思ってたけど……でも、無理でした。辛くて耐えられない。こんな気持ちのまま凜々花さんと一緒にいるなんてできない……」 涙が止まらない。 僕は立ち上がり、荷物を持って玄関に向かった。 「待って!」 凜々花さんが後ろから抱きついて来た。 「ひぇっ!?」 変な声が出た。 「律ちゃん、聞いて欲しい事があるの」 凜々花さんは僕を抱き締める力を強めた。 凜々花さんの顔は見えない。 「私、知ってたよ。律ちゃんが私の事を好きでいてくれたこと」 「……」 「私が結婚した時、すごくショック受けてたことも。それでも頑張って笑ってくれたことも」 「……」 「律ちゃんはいつも優しくしてくれたね。でも、私は律ちゃんに何も返してあげられなかった。だから……」 僕を抱き締める手が少しずつ下がってきて、僕は思わずピクっと反応してしまった。 「り、凜々花さん……?何を……?」 凜々花さんは僕の手を引いて、寝室に連れて行った。そして、ベッドに押し倒した。 「凜々花さん、やめて下さい、僕はそんなつもりじゃ……」 凜々花さんは何も言わずに僕の上に跨ってきた。生温かく柔らかい感触が唇に触れた。 「……っ!」 このまま抱き締めて押し倒して舌を入れたい衝動に駆られる。 「凜々花さん……やめて……お願いします」 凜々花さんはゆっくりと顔を上げた。その目は潤んでいるように見えた。 「律ちゃん、私の事嫌い?」 凜々花さんは僕の耳元で囁いた。 「き、嫌いなんかじゃないです」 「本当に?」 「はい、でも……」 「でも、何?」 「今の凜々花さんとは一緒に居たくないです」 「なんで?ねぇ、律ちゃん」 凜々花さんが甘えるように身体をくっつけて来る。 「ちょ、ちょっと離れて下さい」 「ねぇ、律ちゃん」 「あ、あの……」 「律ちゃん、好き」 「凜々花さん……」 「律ちゃん、好き」 凜々花さんは何度もそう繰り返しながら、キスをして来た。 「ん、ちゅ……」 僕はされるがままにしていた。理性が溶けてしまう。でも、それじゃいけないんだ。 僕は凜々花さんの肩を押し返した。 「律ちゃん……」 凜々花さんは悲しそうな顔をした。 「凜々花さん、僕達、もう昔みたいな関係には戻れないんです。僕はあなたが好きなんだ。一人の女性として好きなんですよ。だから、こんな……浮気みたいな事は嫌だ」 「……ごめんなさい」 凜々花さんは泣き出してしまった。 僕はそれを静かに抱き締める。強く、壊れないように。 凜々花さんの気持ちはよく分かる。でも、間男になるのは嫌だった。 ――――――― 凜々花さんが落ち着くのを待ってから話し始めた。 「凜々花さんは優しいから、僕のことを気遣ってくれたんですね」 「うん……」 「ありがとうございます」 「うぅん……」 「凜々花さん」 「何?」 「最後に一つだけ聞いていいですか?」 「いいよ」 「僕のこと、どう思ってますか?」 凜々花さんは一瞬躊躇った後、答えた。 「……友達だよ」 「そう、ですよね……」 分かっていたことだけど、やっぱり辛い。 「僕達はもう会わないほうがいいですよね?」 「そうだね……」 「今まで楽しかったです。幸せになってくださいね」 「こちらこそ、色々とごめんなさい」 凜々花さんは深く頭を下げた。 「こんなのは未練がましいかもしれないけど……これだけ……これだけでいいから受け取ってもらえないかな」 僕は小さな紙袋を差し出した。 [中にはルビーのピアスが入っている] 「これって……」 「僕の気持ちです」 凜々花さんは恐る恐る手に取った。 「開けてもいい?」 「もちろん」 凜々花さんが丁寧に包みを開けると、中からは綺麗な赤い石のついたピアスが姿を現した。 「可愛い……」 凜々花さんはそれを耳につけた。 「似合ってますよ」 「ほんとに?」 「はい」 「嬉しい……」 凜々花さんは涙を流していた。 「じゃあ、僕はそろそろ帰ります」 「分かった。駅まで送る」 凜々花さんは僕の手を握った。その手は震えているようだった。 「凜々花さん、大丈夫ですか?まだ気分が悪いんじゃ……」 「平気よ。心配しないで」 「はい……」 駅に向かって二人で歩く。 「凜々花さん、僕、今日はここで失礼します」 「うん……」 「さようなら」 「さようなら……」 凜々花さんは寂しそうな表情を浮かべて手を振った。 僕は振り返らなかった。 ――――― 立川駅から電車に乗り、自宅の最寄り駅まで揺られていた。 車内はガラガラだったので、座席に座ることが出来た。 僕はボーッとしていた。これからの事を考えると憂鬱な気持ちになった。 ふと思い立ってスマホを取り出す。LINEを開くと、陳盛博とのトーク画面が表示された。 『凜々花とは別れた』 それがあいつからの最後のメッセージだった。 (……ギター) 僕は部屋に置きっぱなしになっているアコースティックギターを思い出した。 (取りに行くか……) 僕は決心して立ち上がった。 ―――――― アパートに着いて鍵を開けた。ドアノブを回して引くと、扉は開いたままだった。 「えっ?」 僕は驚いて声を上げた。 (また臼井さん来てるのか?) そう思いながら部屋に上がり電気をつけた。 「あれ?」 誰もいない。おかしいな?確かに人の気配を感じたんだけど……。 その時、玄関のチャイムが鳴った。ピンポーン! 「誰だろう?はーい!」 僕は返事をしながら靴を履いて、玄関を出た。 「どちら様で……!?」 そこに立っていた人物を見て息を飲んだ。 「律ちゃん」 凜々花さんは微笑んでいた。 「律ちゃん、私、律ちゃんと一緒に居たい」 凜々花さんはそう言って僕を抱き締めた。 「凜々花さん……どうしてここに……?」 「律ちゃんが居ないから、探しに来たんだよ」 「探すって……」 凜々花さんは僕から離れ、真剣な眼差しを向けた。 「ねぇ、律ちゃん。私の事、嫌い?」 「凜々花さん、待ってください、僕達はまだ……」 「まだ、何?ねぇ、律ちゃん教えて」 「あ、いや……」 「はっきり言ってくれなきゃ分からないよ」 「だって、凜々花さんは僕のことを友達だって……」 「そんなこと一言も言った覚えはないわ」 「えっ?」 「私はずっと前からあなたのことを恋愛対象として見ていたのよ」 「嘘だ……」 「本当だよ。証拠見る?ほら、これが私の気持ち」 凜々花さんは鞄の中から封筒を取り出した。そこには婚姻届が入っていた。 視界がぼやける。[夢オチ。律の家] 「凜々花さん……」 「何?」 「あなたが好きです」 「私も大好き」 「愛しています」 「私もりゃ……んん……」 僕は凜々花さんにキスをした。 「ん……ちゅ……ぷぁ……んん……んむ……ん……」 長い時間そうしていた。 (夢みたいだ……ゆめ……ん……?) [夢オチ] ―――――― [律視点] ピピピッ! 「うぅ〜ん……」 目覚まし時計の音を聞いて目が覚めた。 僕はベッドから起き上がった。 凜々花さんの唇の感触がまだ残っている。 (あぁ~そうだ、昨日、凜々花さんにフラれてから、夜遅くまで曲を作ってたんだった) 僕は洗面所で顔を洗う。鏡には栗色をした髪の青年が映っており、眠そうな目をしている。 (……凜々花さんにフラれたのは、夢じゃないんだよな……) 夜中に食べたラーメンが胃の中で消化されてる感じがする。 (朝ごはん食べよう……) キッチンに行って、プロテインバーの袋を開けて食べる。 (そう言えば、ラジオが壊れたんだった) テレビをつけると丁度小児科医が主人公のドラマが始まったところだった。 (……これ、凜々花さんが好きって言ってたやつじゃん) ドラマでは、原因不明の息苦しさに苦しむ子供が登場していた。 細菌検査に写っている腸は真っ白になっていた。 (僕と同じ症状じゃないか!……あっ!だから凜々花さんは僕に相談したのか?) 「凜々花さん……」 僕は無意識のうちに呟いていた。 (凜々花さんにとって僕はこの子供と同じ存在なのか……) 僕はソファに座って天井を見上げた。 息を吸い、小声で歌う。囁くように、恋の歌を歌う。 ♪君のことが好きだよ 僕の心の中は君への想いで溢れているよ どんなに辛くても 苦しくても 君と一緒なら乗り越えられる気がするんだ もし僕に何かあったら 僕の分まで生きてね もしも僕に会えたら 優しく抱きしめて欲しいな 君は僕の大切な人なんだ どうか忘れないで 僕はいつでもそばにいるよ…… 昔は、恋なんてする奴を馬鹿にしていた。自分はそんなものに振り回されるつもりはなかったし、そもそもそんな感情は必要なかった。 けれど、あの人と出会ってしまったのだ。その人は自分のことなんか全く見ていないとわかっていても、どうしても惹かれてしまう自分がいた。 歌い終わってため息をつく。 「やっぱり駄目か……」 (でも、この曲のおかげで少し元気が出たかも) 僕はチャンネルを変えた。すると、ニュースが流れた。 【東京都心の積雪に関するお知らせ】 「おはようございます。本日は1月12日の月曜日です。今年最初の雪が降った東京都心でしたが、夕方には晴れ間が広がりました。現在気温は平年より高めで――」 僕は窓の外を見た。青空が広がっている。 (今日は暖かいなぁ。春みたいな陽気だな) 今日は久しぶりに職安に行って、何か新しい求人が届いていないか調べるのもいいかもしれない。 [凜々花からメッセージが届く] そうと決まれば行動あるのみ。そう思って立ち上がった時、スマホに通知が来た。 凜々花さんからだ! 『こんにちは、律ちゃん。早速だけど、この女優さん知ってるかしら?』 凜々花さんは写真を送ってきた。 それは、最近話題になっている若手女優で、凜々花さんによく似ていて、可愛い顔立ちをしている。 『うん。可愛い顔だよね』 『やっぱり、律ちゃんもそう思う?実は彼女、私の妹なの!』 「えぇ!?」 思わず声が出てしまった。 凜々花さんの妹さんには何回か会ったことがあるはずだけど、まさか女優になっていたなんて……。 僕が驚いていると、もう一枚写真が送られてきた。 凜々花さんの隣に確かにさきほどの女性が写っている。だが僕の目は隣の凜々花さんに釘付けになった。 後ろこそ向いているが、服を一切着てなくて下着姿だ。 「うわぁ!」 慌てて目を逸らす。 『どう?似てるかな?』 写真の二人は瓜二つだ。妹さんのほうもかなり際どい恰好をしているが、まだお尻を隠しているだけマシだ。 凜々花さんのほうはヴィーナスラインからお尻の割れ目まではっきり見えてしまっており、どうしてもそこに目が行ってしまう。 (と、とにかく返事をしないと) 震える手で文章を打つ。 『すごい似てるよ!びっくりしたぁ……凜々花さん、髪切りました?』 自分でもヘタレだと思う。でもこんな写真見せられて、普通の会話ができるわけがない。 『そうなの。律ちゃんは髪短い子が好きかなって思って切ったんだけど、どうだった?』 (え?) 『なんで僕が短い髪の子が好きだと思うんですか?』 『だって、律ちゃんの描く漫画のヒロイン、みんな髪短かったから』 それは、描きやすいからであって、凜々花さんは長髪のほうが可愛いと思う。でも髪が長いと色々不便だろうし、無理強いしても良くないし……。 僕は色々悩んだ挙句、正直に伝える事にした。 『長い髪の方がエロさが増して好きですよ』 「………何言ってんだ俺はぁぁぁぁぁ!!!」 既読マークが付いたが、当然返信はなかった。 ――――― ハローワークからの帰り道。 当然都合の良い求人はなく、無駄足になってしまった。 「はぁ~……」 ため息をつきながら、僕は歩いていた。すると、目の前に小さな男の子が立ち塞がった。 [保育士の凜々花が子供を追いかける] 「待って、しょう太く~ん!どこ行くの?」 凜々花さんの声を聞いて振り返ると、そこには制服姿の凜々花さんがいた。 (あ。そうか。この辺は凜々花さんの職場の近くなんだ) 幸い凜々花さんは僕の事に気付いてないようだから、このまま素通りしよう。 そう思った時、凜々花さんは僕の腕を掴んだ。 「律ちゃん!」 凜々花さんの顔は紅潮している。そして息が荒い。 「……凜々花さん、こんにちは」 僕は冷静を装いながら挨拶した。凜々花さんに触れられているところが火傷しそうなくらい熱い。 凜々花さんは周りの人に聞かれないよう小声で言った。 「あのね、ちょっと助けて欲しいことがあるんだけど……」 凜々花さんの手は熱でもあるかのように汗ばんでいる。それに、顔も赤いし息も上がっている。 「凜々花さん、体調悪いんじゃないですか?大丈夫?」 「それが……」 凜々花さんの話によると、昨日から高熱が出ていて寝込んでいるらしい。 「それで、急に休んだら迷惑かけちゃうかと思って……」 凜々花さんは辛そうに下を向いてしまった。そのままふらっと倒れそうになるのを僕は支えた。 「凜々花さん、家に帰って休みましょう」 「でも……まだ仕事中りゃから……」 「皆さんには僕から言っておきます。今日はもう帰ったほうがいいです」 「ごめんなしゃい」 凜々花さんは僕に縋るようにしてもたれかかってきた。凜々花さんの身体は燃えるように熱く、呼吸も苦しそうだ。 僕は凜々花さんの膝の裏に手を回す。いけるか?非力な僕だけど……凜々花さんの家まで運ぶことぐらいはできるはず。 僕はゆっくりと凜々花さんを抱きかかえた。凜々花さんは驚いた表情でこちらを見る。 「律ちゃん!?何をするの!?私、重いでしょ?降ろして!」 「凜々花さん、静かにして下さい。家まで運びますから」 「そんなことできないよ!恥ずかしいし……。それに私、すごく汗かいてるから臭いよ」 「全然気にしないから。むしろ興奮しますから」 凜々花さんは真っ赤な顔のまま黙ってしまった。 ――――― [凜々花の部屋] 凜々花さんをベッドに横たえる。ぐったりとした凜々花さんはいつにも増して色っぽいのだが、そんな下心を出しては凜々花さんに失礼だ。 でも、今なら襲っても抵抗されないなとか、そんなことばかり考えてしまう自分もいる。 「凜々花さん、着替えられますか?汗拭きたいでしょうし、パジャマも持ってきた方がいいですよね。クローゼット開けますよ」 「うん……」 僕は凜々花さんの部屋を見渡す。部屋にはたくさんのぬいぐるみが置いてある。凜々花さんの趣味だろうか?どれも可愛らしくて癒される。 部屋の奥にある衣装ケースを開けると、中には女性用の下着がたくさん入っていた。 (うおぉ!) 見てはいけないと思いつつ目が離せない。白や水色の清楚なものもあれば、黒のレースがあしらわれたものなど、色々なデザインがある。 (これは凜々花さんが普段着けているものなのか?) つい想像してしまう。凜々花さんがこのブラジャーを着けているところを。いけない妄想を振り払い、手早く服とタオルを用意する。 「凜々花さん、一人で着替えられますか?」 「……むりぃ」 凜々花さんの返事はか細い。 (え?無理ってそんな……困ったな……) 僕も男だし、意識しないよう努力してきたけど、好きな女の子の生脱ぎを手伝うのはさすがに緊張する。 目を瞑ったら上手く出来ないかも……。ここは心を無にして、何も考えずに作業をこなすしかない。 まずは凜々花さんのブラウスを脱がせる。次に、背中側に回って脇の下の汗を拭く。 凜々花さんは「んっ……」と艶めかしい声を出すが、なるべく反応しないように平静を装って作業を続ける。 次はズボンに手をかける。 「凜々花さん、腰浮かせて貰ってもいいですか?」 「うん……」 凜々花さんが少しだけ脚を動かす。ズボンを脱がすとき、僕は凜々花さんの太腿に触れてしまった。 (柔らかい!) そして凜々花さんはまた「あっ……」と小さな喘ぎ声を漏らした。 「はぁ、はぁ、はぁ……」 (やばいぞ……マジで興奮してきてしまっている) 凜々花さんの下着は上下セットになっていて、上も下もレースのついたセクシーなものだった。 「律ちゃぁん……」 切ない声で呼ばれるものだから、僕の股間はどんどん膨らんでいく。 「……じゃあ、拭きますね」 僕の理性はほとんど残っていなかった。汗を拭くというのを言い訳に、僕はタオルで凜々花さんの胸を触った。 「あん……」 凜々花さんの声はいつもより高く、そして甘い。僕は凜々花さんの体を拭きまくった。 「はぁ……はぁ……凜々花さんが変な声出すから……」 (ダメだ、凜々花さんは風邪を引いてて、辛そうだし、それどころじゃ……) そう頭では分かっているのに、僕のアソコは「挿れる」以外の選択肢を拒絶していた。 「下着も替えないと……」 そううわ言のように呟くと、僕は凜々花さんのショーツに指を掛けて脱がしていく。透明な糸が伸びていく。 (え……うわ……濡れ……てる……?) 凜々花さんのアソコはヒクついており、僕を誘っているように見えた。 (あ……拭かないと) 僕は凜々花さんの割れ目にそっと触れた。 「ひゃぅ!」 凜々花さんはビクンと体を震わせた。拭いても拭いてもそこは止めどなく濡れ続ける。中指で液を掬うと、また糸が伸びた。 「律ちゃん……そこだめぇ」 「あっ、ご、ごめんなさいっ。今、新しい着替えを……」 慌てて立ち去ろうとすると、凜々花さんは僕の腕を掴んだ。 「はぁ、はぁ、律ちゃん……あそこの引き出しの中にアレがあるから……お願い……取ってきてぇ……」 「分かりました!」 僕は急いで言われた場所を漁る。 (これかな?) 箱の中を覗いてみる。中にはたくさんの避妊具が入っていた。 「り……凜々花さん……これは……」 恐る恐る凜々花さんの顏を見る。彼女は熱に浮かされながらもコクリと頷いた。 ――――― パンッ!パンッ!パンッ!激しく肉のぶつかる音が響く。僕は完全にオスになっていた。 「凜々花さんがいけないんですよ!あんな声出すから!僕だって男なのに、着替えなんて手伝わせるし、それにあんな写真まで送ってきて、思わせぶりなことばっかり言って、こんなの襲わないほうが無理ですよ!写真の凜々花さん、めっちゃくちゃエロくて、あれでもう10回以上シコったし、なんなら10年前から毎日凜々花さんでシコってるし、下着まで見せてくるし、そもそも昔からあなたは無防備すぎるんですよ!幼馴染だからって襲わない保証はないんだから、もっと言動に気を付けてほしい!そんなふうに髪を振り乱して僕を煽って、とんだヤリマンだよね!旦那さんともこうやって毎日セックスしてるんじゃないんですか!?高熱でうなされてるのにそんなにセックスがしたいなんて、淫乱な奥さんだよまったく!ほら、ここが良いんでしょ?凜々花さんの弱いところは全部知ってますよ!僕のモノで突かれるたびに可愛い声で鳴いてくれて嬉しいです!凜々花さんの子宮口が吸い付いてきて気持ちいいよ!凜々花さんのおまんこ最高だよ!!凜々花さんも僕とのエッチ大好きでしょう?」 「あぁんっ、好きぃ、だいしゅきぃ、凜々花、律ちゃぁんとせっくすするの大好きなのぉぉぉ!!」 「あーイク、イキそう!凜々花さん、中に出して良いですか!?」 「うん、うん!いっぱいだして!りょおくんのせーえき、わたしのなかにびゅーってだして!あっ、あっ、ああぁぁぁ!!!」 ビクビクと痙攣しながら凜々花さんは達したようだ。 (あー……いっぱい出たな……) 凜々花さんの膣からは白濁した液体が流れ出ている。僕はズボンを履き直すと、彼女の枕元に座った。 「……旦那さんが帰って来るまでは傍にいてあげますから、どうかゆっくり休んでください」 「うん、律ちゃん、おやしゅみぃ……」 僕は凜々花さんの頭を優しく撫でた。そうしているうちに凜々花さんは夢の中に落ちていった。 そんな僕らの様子を部屋の外から覗く女がいたことに、僕らは全く気付かなかった。 ――――― [凜々花の部屋] 目を覚ますと見慣れた天井が広がっていた。ここは私の部屋で、私はベッドの上で横になっているみたいだ。 (あ……私、風邪引いて寝込んでたんだった……) 隣を見ると律ちゃんが椅子に座って眠っていた。 (ずっと看病してくれてたのかな……) 時計を見てみると、時刻はすでに午後5時を過ぎている。 「律ちゃん、ごめんね……」 私は律ちゃんの恋心を利用している。看病もさせたし、あんなことまでさせてしまった。 (………これって浮気だよね) 旦那のいる身でありながら、他の男性と体を重ねるなんて……。 (最低だ……) 自己嫌悪に陥りながら、彼の頬に触れる。すると彼はゆっくりと瞼を開いた。 「凜々花さん……起きましたか。具合はどうですか?」 「……大分良くなってきたと思う。迷惑かけてごめんなさい」 「いえ……全然大丈夫です」 [律が凜々花をじっと見つめる] 律ちゃんの視線が痛い。でもその痛みに耐えないといけない。 この人は、最近になって急にこんなふうに私のことをよく見つめるようになった。昔はオドオドしていて可愛かったのに、律ちゃんの瞳には私に対する欲望が見え隠れしていた。 私はあの日、律ちゃんを誘惑した。あの時の私は彼が誘いに乗るとばかり思っていた。 ――彼の事を、当然のように二番目の男だと思っていたから。 もちろん、盛博さんの事も愛している。でもあの人には、気軽に甘えられない。律ちゃんを誘った理由の半分くらいは打算的なものだったのだ。 律ちゃんの事は嫌いじゃない。私の誘いに簡単に応じてくれる素直さも気に入っている。だけど、顔も、収入も、性格も、何もかもが中途半端なこの人を、どうして一番にできるだろう。 (……いつから私はこんな悪女になったんだろう) 「律ちゃん、今日はありがとう。もう遅いし、帰った方がいいよ」 「はい……」 「また連絡するから」 「……あの……凜々花さん。ひとつだけ……お願いがあるのですが」 「なぁに?」 「あなたの便を僕に見せて欲しいんです。あなたが排便するところを見せてください」 「……へ?」 私の顔に大量の汗が流れる。予想外すぎる言葉だったからだ。 「な……何言ってるの?もしかして、律ちゃん……」 「あ!ち、違います!そうじゃなくて!その、そういう治療法があるんです!!僕の病気の!健康な人の便を僕に注入すると、症状が改善することがあるとかで……」 「あ、あー……そっか、そうだよね。びっくりした……」 律ちゃんは鞄から大きな注射器を取り出した。 「それって……」 「はい、僕の主治医が作ってくれた特注の吸引機です。ここに、凜々花さんの便を入れて、僕のお尻に注入して欲しい……んです、が……すみません……僕、すごくキモいですよね……」 律ちゃんが顔を赤くして俯いた。 「ううん!そんなことないよ!ただ、ちょっとびっくりしちゃっただけで……」 「凜々花さん、やっぱり無理しない方が……」 「ううん、やるよ!私、頑張る!」 「本当ですか?ありがとうございます……!」 律ちゃんは私に深く頭を下げた。 「じゃあ、その、お尻出してもらえますか?便を吸い出すので……恥ずかしいかも知れませんけど、治療のためなので我慢してください」 「わ、わかった!お、お手柔らかに……ね……?」 「は、はい……!任せてください!痛かったら言ってくださいね」 私は四つん這いになって、お尻を丸出しにした。肛門も、もちろんおまんこも律ちゃんにバッチリ見られてしまっている。 (あぅ……すっごく恥ずかしい……) 「じゃ、挿れますね。力抜いてくださいね。アナルセックスだと思えば大丈夫ですから」 (アナルセックスなんてした事ないよぉ!) 「あぅ……!は、入ってる……律ちゃんの、ゆびぃ……♡」 「凜々花さん、痛くありませんか?」 「は、はひ……らいじょぶ……んひっ!?」 突然、律ちゃんが指を動かし始めた。 「ごめんなさい、痛かったですか?」 「う、ううん、大丈夫だよ……」 (変な声出ちゃった……) 「良かったです。ところで凜々花さん、旦那さんとは毎日どんなエッチをしているんですか?」 「え……!?」 「教えてください」 「ど、どんなって言われても……」 「いつもはどうやってイかせてもらっているんですか?」 「それは……あぉ♡」 律ちゃんが吸引機のスイッチを入れると、私の臀部が内側から振動を始めた。 「あっ、まって、これやばっ、あひっ♡」 お尻から脳天に突き抜けるような快感が走る。 「あっ、待っ、出るッ、でるぅ!」 尿道口から勢いよく液体が吹き出した。 「あぁぁぁっ、出ちゃってるぅぅぅ、これだめぇぇぇぇっっっっ♡♡♡♡♡♡」 「凜々花さん、凄い量ですね。それに臭いも……」 「いわないでぇ、律ちゃん、はやく抜いてよぉ!あ、あへええええ♡♡♡きもちいいいいいっっっ!!!」 子宮が腸壁を挟んで直接触られ、頭がおかしくなりそうなほどの快楽が私を襲う。 「凜々花さん、どうですか?旦那さんと比べてどうですか?」 「やだぁぁぁ、こんなの知らにゃいっ!こんなの知らないよおおおっ!もっとゆっくりしてよおぉ!あ………!」 「あ、すみません。吸引はとっくに終わったんですけど、凜々花さんにもっと気持ち良くなって欲しくて……」 「あ……うそ……こんなにたくさん出てたんだ……」 注射器の中には私の腸から出たばかりの大量の便が詰まっていた。 「凜々花さん、これで僕もあなたと同じになれます。是非、僕のナカにこれを入れさせてください」 律ちゃんはベルトを外してズボンを下ろすと、パンツを下ろして私にお尻を向けた。 律ちゃんのおちんちんはとても小さくて、毛もほとんど生えていなかった。 「うん……良いよ……。でもちょっとだけ休ませて……」 律ちゃんが少し残念そうに言った。 「わかりました。じゃあ僕、その間にシャワー浴びてきますね」 律ちゃんは浴室へと向かった。 「はぁ……」 私はベッドの上でため息をつく。 さっきまで律ちゃんが寝ていたシーツは、まだ温かかった。 (まだ子宮が疼いてる……) これはセックスじゃなくて医療行為。でも律ちゃんはわざと私にあんな事を言っていた。彼は私の身体を求めているのだ。 [凜々花は自分の中指を自らの膣内へ入れる] 「あんっ……はぁ……んぅ……っ!」 自分の指なのにすごく感じてしまう。律ちゃんのおちんちんを想像しながらオナニーするだけで、すぐに絶頂に達してしまいそうになる。 「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、やぁっ、律ちゃん、律ちゃ……んっ……!ああああっ♡♡♡♡」 律ちゃんはどんな風に私を抱いたのだろう。律ちゃんは、私を満足させられたのだろうか? [律が浴室から出てくる] 「ふー、スッキリしました!お待たせしまし……あれ?凜々花さん?」 「え?あっ、律ちゃん!ご、ごめん!ちょっとぼーっとしてただけなの。じゃあ早速始めよっか」 [律の顏が赤くなる] 「あ、あの……凜々花さん、やっぱり恥ずかしいです。やっぱりこの方法は止めませんか?」 「ダメだよ!だってそれじゃあ治療にならないじゃん!ほら、早く肛門出して!あとゴム手袋も!」 私は半ば強引に律ちゃんの肛門を露出させた。 「凜々花さん、本当に良いんですか?」 「もちろん!さあ始めるよ!」 私は律ちゃんの腸内にチューブを挿入した。 「あ……入って……くる……凜々花さんの……」 「律ちゃん、痛くない?」 「だ、大丈夫です……」 「じゃあ動かすね」 [吸引機を排出モードにしてスイッチを入れる。律の腸内に機械の中の便が注入されていく] 「あ、ああ、入ってくる……凜々花さんが僕の中に……♡」 律ちゃんは少し苦しそうで、だけどどこか嬉しそうな表情をしていた。 「律ちゃん、もうすぐ全部入るからもう少し我慢してね」 「あっ……♡んっ……♡は、はいぃぃぃぃぃ♡」 律ちゃんはビクンと震えると、お漏らしをしたように精液を吹き出した。 「あ……ごめ……なさい……凜々花さんが……」 律ちゃんは謝りながらも、目線は私の股間に向けられていた。 「良いんだよ。律ちゃん、また元気になったね」 律ちゃんのおちんちんは再び勃起していた。 (律ちゃんもこんな顔するんだ……) 「り……凜々花さん……こんなことお願いするのもおかしいと思うんですけど……」 律ちゃんが顔を真っ赤にして言う。 「何?言ってみて?」 「えっと、その……」 律ちゃんがモジモジしている。 「キ……キスしてくれませんか?」 「へ?キス?」 予想外だった。 「僕達、まだ今日は一度もキスしていませんよね?」 確かにそうだ。お互いの性欲処理ばかりに夢中になっていて、私たちは一度も唇を重ねていない。 「好きだなんて言ってくれなくても良いんです。僕の唇は凜々花さんだけのものなので、凜々花さんが好きな時に自由に使ってください」 律ちゃんは真剣な眼差しで私を見つめている。 「わかった……。律ちゃん、目を閉じて」 「はい……」 私はゆっくりと律ちゃんに近づき、優しく口づけをする。律ちゃんは私の舌を吸い込むようにして受け入れた。 律ちゃんの手が私の頬に触れる。そのまま耳たぶを撫でられると、ゾクッとした感覚に襲われる。 「凜々花さん……好きです……子供の頃から……ずっと……」 「……ありがとう」 律ちゃんは今にも泣き出しそうになっていた。 「律ちゃん、そろそろ終わりにしよっか」 「え?あ……はい」 私は律ちゃんの肛門に挿れていたチューブを抜き取る。 「あっ……出ちゃう……うんちが……」 律ちゃんは肛門に力を入れて必死に堪える。 「ふふっ、どうせ後で出ちゃうんだもん。別に無理に我慢する必要は無いよ。ほら、いっぱい出していいよ」 「だ、だめです!せっかく凜々花さんに入れてもらったのに!」 律ちゃんは涙を流しながら叫ぶ。 「律ちゃん、お腹空いた。ラーメン食べたくない?夜中に食べるラーメンは格別だよ~?ほら、行こ?」 「でも……」 「大丈夫。私が律ちゃんのお尻を拭いてあげるから。それなら安心でしょ?律ちゃんのおうちまで送って行ってあげる」 「は、はい……」 [ラーメン屋に行く] 私は律ちゃんの額に軽くキスをして、彼の手を引いた。 ――――― [ラーメン屋] [律視点] 「ご注文は何に致しますか?」 店員さんが笑顔で言う。 「僕は味噌チャーシュー麺の大盛りで」 「私も同じものを」 「かしこまりました。只今新婚カップル割を実施しておりますが、いかがでしょうか?」 「え!?いや、僕たちはまだそういう関係じゃ……」 「まだ?へぇー、律さんたらいつの間にそんな事を言うようになったのかなー?」 凜々花さんが意地悪な笑みを浮かべて言う。僕は顔から火が出るほど恥ずかしくなった。 「か、からかわないでください……僕の妄想の中では僕達は恋人同士なんです……」 「あ、あの!お客様!お会計の方を……」 「あ、すみません!本当にすみません!あわわ」 焦った僕は財布を落としてしまい、小銭が床に散らばった。 (あぁ、ダメだ、こんなんじゃ凜々花さんにますます嫌われてしまう……) 凜々花さんは呆れた様子で言った。 「まったくもう、しっかりしてよね。[凜々花が小銭を拾う]律さん、はいこれ」 「あ、ありがとうございます」 凜々花さんは僕にお金を渡すと、そのまま手を繋いできた。彼女の手はとても温かかった。 [小声で話す] 「り、凜々花さん、ダメです。凜々花さんは旦那さんのいる身ですから、こんなところを誰かに見られたら大変です」 「良いじゃん。私と律さんは幼馴染なんだし。それに、私たちが付き合ってることは秘密にしてるんだし、誰も気づかないよ」 凜々花さんは僕にこっそり耳打ちした。 (あ、ああ……凜々花さん……) 凜々花さんは僕の耳に息を吹きかけてきた。思わず体が反応してしまう。 「律ちゃん、また大きくなってるね」 「あ……はい……」 「またお家に来る?」 「はい……行きます……」 そんな会話をしていると、注文した料理が運ばれてきた。 「ごゆっくりどうぞ」 僕達がラーメンを食べ始めると、凜々花さんが僕の顔をじっと見つめてくる。 「律さん、美味しい?」 「は、はい。美味しいです。凜々花さんこそ、良いんですか?こんな夜中なのにラーメンなんか食べちゃって」 「全然平気。むしろ食べたかったんだよね」 「太りますよ」 「太ったら私のこと嫌いになる……?(上目遣い)」 「そんな訳ないでしょう。むしろこの世に凜々花さんの体積が増えることが嬉しいです」 (あっ、僕はまた変態的なことを……僕って本当に変態なんだなぁ……さすがに凜々花さんも引いたよな……) 「そっか、良かった。じゃあさ……」 凜々花さんはスープを一口飲むと、箸で麺をつまんで持ち上げた。 「律ちゃん、あーん♡」 凜々花さんはラーメンを僕の口元へ近づける。 「え!?あ、あー……」 僕は反射的に口を開けた。すると、凜々花さんは箸の先を口に入れ、そのまま麺を流し込んできた。まるで、夫婦のように……。 「どう?おいしい?」 「は、はい。すごく……」 「ふぅ~ん……」 凜々花さんは悪戯っぽく微笑む。 「律さん、はい、あーん」 今度は凜々花さんが僕に同じ事をしてきた。 「律さん、あーんだよ、あーん」 「は、はいっ」 僕は箸でつまんだ麺を息で少し冷ましてから、凜々花さんの口の中に運んだ。 自分の人生でこんな行為を行う日が来るなんて……。嬉しいような恥ずかしいような気持ちになる。 「おいひぃっ!」 凜々花さんは目を輝かせて言った。 (うっ、可愛い……なんでこの人はこんなに可愛いんだ……いや、そもそもなんでこんな可愛い女の子がこの世に存在するんだよ……神様は不公平だなぁ) 帰り道。僕は気になっていたことを凜々花さんに聞いてみる事にした。 「あの、ふだん凜々花さんの職場には、原因不明の病気の子とかも来たりするんですか?」 「うん。来るよ。その子達の中にはね、症状が重い子もいるの。もちろんあんまり重い子は救急病院に搬送することもあるけどね」 「そうなんですね。だから凜々花さんは僕に対しても柔軟に対応してくれたんですね。ほら、看護師になった亜衣さんっているでしょう?高校の頃のクラスメートの。あの人なんて、僕のことを嘘つき呼ばわりするんですよ。教科書に書いていない病気だからって鼻で笑ったりして。でも、凜々花さんだけは僕の話を真剣に聞いてくれたし、理解してくれた。それがどんなに嬉しかったか……。凜々花さんの仕事は責任も重いし、辛い事もたくさんあるかもしれませんけど、本当に素晴らしい仕事だと思ってます。僕を救ってくれたという恩返しの意味も兼ねて、これからも凜々花さんの力になりたいと思います。あの、下心とかそういうのは一切関係なく……ほんとですからね?」 凜々花さんは立ち止まって言った。 「律さん、私と律さんは運命共同体だよ」 「え……?」 「こんなふうになった以上、もう普通の人間として生きることはできないと思う。私達は死ぬまで二人三脚で生きていくしかない。だって、私達は共犯者なんだから。私が律さんをこんな風にしてしまったんだから」 [ラブホテルに行く] 「凜々花さん……あ、あの、僕……僕は……また……凜々花さんと……したいです……」 「良いよ。いっぱいしようね。私たちだけの愛の形を見つけよう」 僕たちは何度も愛し合った。僕と凜々花さんは、ずっと一緒だった。 ―――――― [律視点] [律のサイン会が行われている] 僕の名は桜木 律。ブサイクなゴミ野郎だ。 見た目も頭も残念な生きる価値のないクズで、しかも人妻と関係を持っているゲス男。 僕は、自分が嫌いだった。 顔も醜いし性格も悪い。どうしようもない。 今日は僕のサイン会である。 と言うのもそういった鬱々とした事を書き連ねた僕の漫画『精神科に行く前にワカメを食え』がそこそこ売れて、こうして出版記念イベントが開かれることになったのだ。 『精神科に行く前にワカメを食え』は僕の生い立ちと、そこから過敏性腸症候群になった経緯、それが「副腎疲労症候群」になった経緯を腸内細菌に焦点を当てて描いた『はたらく細胞』みたいな感じの漫画で、わりと面白い出来だと思うのだが…… 正直言って、あまり売れてない。 出版社の人が言うには、この本は「売れる要素が皆無」らしい。 なんでだろう? 僕なりに頑張って書いたつもりだけど。 会場は立川市の某所にある小さな書店。 僕が店内に入ると、既に沢山の人が並んでいた。 「おはようございます! 桜木先生!」 店員さんが元気良く挨拶してくれる。 僕はそれに笑顔で答えながら列に加わる。 それからしばらくすると、いよいよサイン会の順番がやって来た。 まずは店員さんが僕の本を持ってくる。 そこに、持参したペンで名前を書いて渡すのだ。用意したのは30冊だが、果たして全部売れるかどうか……。 「桜木先生、youtube観ましたよ。とっても面白かったです。」 一人の男性が声をかけてきた。 それはこの前、販促を兼ねてと弾き語りを披露させられた、半ばかくし芸大会じみた動画だったのだが、思いの外反響があったようで嬉しい限り。 「ありがとうございます。あれ、恥ずかしかったけど、楽しんでもらえたなら良かった。また機会があれば、何かやってみようかな?」 僕はそう答える。 しかし本当は歌を歌うなんて、苦手なんだけどなぁ。 でも、歌うのは気持ちいいんだよね。 僕の本職はデザイナー。でも最近ちょっとだけ声優の仕事もしている。出来ることは何でもやるのが僕流の生き方だ。 「桜木先生、著書拝読しました。障害年金の申請のコツまで書かれていてとても勉強になりました」 「桜木先生、長年の不調が腸内細菌が原因だと初めて知りました。私も早速試してみます。本当に有難うございました。」 「桜木先生、漫画に出てくるバクテロイデス君とブラウティアちゃん、可愛いですね。特にブラウティアちゃん、とても気に入りました。」 サイン会が終わると、次々と読者の方々から声をかけられた。 みんな、良い人ばかりだ。 自分の本を、こんなにも大事にしてもらえるとは思わなかった。 その事に感動した僕は、思わず目頭が熱くなった。 「桜木先生、プレゼント[ラジオ]が届いてますよ」 そう言われて、小さな箱を手渡される。 開けてみると、中にはポータブルラジオが入っていた。 「えっ、どうして僕がラジオ欲しいって分かったんですか?」 僕は驚いて尋ねる。 実は先日、ラジオでトークをする機会があり、そこで「好きなラジオ番組は何ですか?」という質問に、「ラジオのパーソナリティになりたい」と答えたら、パーソナリティーの人から「じゃあこれあげるよ」と言ってもらったのだ。 そして、いつかラジオのパーソナリティになれたらなぁと思っていたら、本当に貰ってしまった。 夢みたいだ。 [差出人が不明] でも、差出人の名前がない。[凜々花(桜木の不倫相手)が名前を隠して送ってきた] 匿名で送ってきたのか? 一体誰からなんだろ。 [箱の中にクリソプレーズ(宝石)とペリドット(宝石)のアクセサリーが入っている] 箱の中には手紙と、それぞれ色違いの石が付いた2つの指輪が入っていた。 手紙にはこう書かれていた。 「こんにちは。突然のお便り失礼します。 あなたが欲しがっていたラジオと、石付きのアクセサリーを送ります。 いつもあなたの活躍を応援しています。 お仕事頑張ってください。 それではまた。 追伸 ラジオ、気に入ってくれたらいいな。 Rより」 (もしかして……) ――「ラジオ、欲しいなって」 僕はあの時そう言った。 あれはいつものように凜々花さん[不倫相手]と会っている時の事だった。 彼女が涙を流しながらこう言った。 「私は律さんを利用してるだけです。本当は律さんの事なんか好きじゃない。呼べばいつでも来てくれるから、つい甘えてしまうのです」 そんなふうに思ってたの? 彼女は僕の事を都合の良い男として見ていたらしい。 「私のどこが好きなんでしょうか?」 「優しいところかな」 「優しくなんてありません。私はあなたの優しさにつけこんで利用しているだけの酷い女です。」 「そんなことないと思うけど……」 「本当の私はとても醜い人間です。あなたに報復されたくなくて必死に取り繕っているだけなんです」 凜々花さんはどうやら僕が今の関係をネタに強請ってくると思っているらしい。 確かに、そういう一面はあるかもしれない。 「僕はただ、凜々花さんと一緒に居たいだけだよ」 「……私もですよ」 「僕は凜々花さんが好きだ」 「私も律さんが好きです」 「だから一緒に居るんだよ」 僕は凜々花さんの手を握ろうとした。 すると凜々花さんは手を引っ込めて、俯きながら呟いた。 「……嫌です」 「なんで?」 「だって、怖いんだもん」 「大丈夫。何もしないよ」 「……本当ですか?」 「うん。約束する」 「本当に本当ですか?」 「本当に本当」 「分かりました。信じます」 そう言って、凜々花さんは僕に手を差し出した。 僕はその手をそっと握り締めた。 凜々花さんの手はとても温かかった。 「律さん、何か欲しい物はない?私に買えるものならプレゼントしたいの」 [回想終わり] (賄賂だ) これは口止め料だ。僕は直感した。 [凜々花は人妻] 凜々花さんとの関係は一言では言い表せない。僕の命の恩人でもあし、それ以上に身体の関係もある。 僕が彼女に惹かれているのは確かだ。 でもそれは恋なのか、愛なのか、それとも依存しているだけなのか、自分でもよく分からない。 ただ、彼女のいない世界は今よりずっと寂しいだろう。それだけは分かる。 凜々花さんは僕にとって、とても大切な存在なのだ。 (……馬鹿だな。僕があなたを強請ったりする訳ないのに) でも、ラジオはありがたく貰っておこう。手切れ金のつもりかもしれないけれど、その時はその時だと思おう。 でも、凜々花さんには本のことは言ってないはずなのに、どうして今日のサイン会のことを知っているのかな。 この本には凜々花さんをモデルにしたキャラクターが出てくるので、凜々花さんには言わないでおいたのだ。 もしかしたら、出版社か書店経由で知ったのだろうか。 「先生、どうしたんですか?ぼーっとして」 「あ、いや。なんでもありません」 僕は指輪を鞄にしまい込むと、慌てて答えた。 「そうですか。では、次の方[臼井]どうぞ」 「あ……桜木さん」 サイン会に現れたのは僕の彼女の臼井睦だった。 臼井さんは少し照れ臭そうな表情を浮かべている。 「桜木さん、いつもブログ見てます。これからも頑張ってくださいね!」 「ありがとうございます。応援よろしくお願いしますね」 僕は臼井さんと握手を交わした。 「ふふっ、桜木さんって意外と手が温かいのですね」 「よく言われます」 「じゃあまた。今度は直接会いに行きますね」 「はい、待っています」 臼井さんは笑顔で去っていった。 臼井さんは可愛くて、優しくて、僕のことを大切にしてくれる。 僕には勿体ないくらい素敵な女の子だと思う。 (結婚か……) 結婚したら、もう凜々花さんと会うことはできない。 きっと、この関係も終わってしまう。 僕はそれが怖かった。 僕は一生凜々花さんの情夫のような存在でも良いんじゃないかと思うときがある。 でも、臼井さんは違う。 臼井さんはもっと幸せになるべきなんだ。 臼井さんは可愛いし性格もいいし、何より僕に優しい。 でも彼女を失えば、僕はまた独りになってしまう。 僕は臼井さんを失った後のことを考えると恐ろしくて堪らない。 「……あの、すいません」 「はい、次の方」 とにかく今はサイン会に集中しよう。 僕は気を取り直して、次の人に向き合った。 ―――― 僕の本業はデザイナーだ。「デザイン」という仕事は「形を作る」という意味で、「design」という言葉の語源になっている。「形」とは「秩序」である。 人は「秩序」を求める生き物だ。だからこそ僕らの仕事は存在する意味がある。 職場の人には、漫画の話はしたくない。漫画家というのはあまり良いイメージを持たれていないからだ。 特に女性社員からは陰口を叩かれている。まあ、それぐらいの距離感のほうが気楽と言うものだ、仕事なんていうものは。 僕は相棒のペスパに乗って、今日も東京中を走り回る。 「やあやあ、桜木律くん」 「どうも、桜木律です」 「今日も元気そうだねぇ」 「はい、おかげさまで最近は安定してきました。」 「それは良かった。ところで、例の件だけど……」 「はい、ラジオ出演の件ですよね」 「うん、受けてくれるかい?」 「もちろんです。こんな僕で良ければ是非」 「君が良いんだよ」 「え?」 「実は、桜木くんをモデルにしたキャラが登場する本が発売されるんだ。その宣伝も兼ねてるんだけど」 「僕をモデルにしたキャラですか!?」 「ああ、だから桜木くんに是非出てもらいたいんだ」 「なるほど、分かりました。喜んでキャラを演じさせていただきます!」 「ありがとう!助かるよ!」 (僕がモデルかぁ……どんな奴なんだろう) 僕はワクワクしながら、収録現場へと向かった。 (なんて言うか、最近はいい風が吹いてる気がする) 僕がみんなより早く死ぬのは確かだけど、でも僕はそのことを悲観的に捉えてはいない。 僕が死んでも、僕が遺したものが誰かの生きる力になってくれたら嬉しいなと思っている。 [完]
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