第一章 京美人

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第一章 京美人

 長谷かほるはことし17歳になる。  花も恥じらう乙女。ではなく、一般的な男子校生である。  京都の嵯峨野に住む父方の曽祖母が亡くなったその年に生まれたかほるは、そのまま曽祖母の名を名付けられた。最近は、中性的な名が多いとはいえ、あまりにも柔らかな音の名だとかほるは思う。  柔らかなのは名だけだ。かほるは、決して柔らかな性格ではなく、頑固でどちらかと言うと火がつくと苛烈な所がある。  そんなかほるは中学の頃、弓道を始めた。美しい一射を放つ、ただそれだけを愚直に取り組んだ。  高校一年の夏、肩を壊した。蝉が泣いていた。あまりにも早い、青春の終わりだった。  かほるは、荒れなかった。  ただただ無気力だった。部活を辞め、京都の街をぼうっと歩いた。  その冬、山村留学に行ってはどうかと両親が勧めた。鹿教湯温泉といって、傷を治す秘湯を鹿が教えたという言い伝えがあるという。  「かほるの肩も良くなるかもしれないわ」  「毎日温泉に浸かりながら送る、のびのびした高校生活もいいんじゃないか」  両親はそんなことを言っていたように思う。なんだかどうでも良かった。  どうでも良かったと思っていたから、かほるは今こんな鄙びた所へ辿り着いてしまった。  鄙びた所でも、まだかろうじて若者はいるらしいと、バス停で出会った青年を見てかほるは思う。さっき感じたちりっとした痛みはなんだったんだと、思わず首筋をさすっていると青年が屈託のない笑顔でかほるに声をかけた。  「長谷、かほるくん?俺、小野寿(ことぶき)。小林さんの代わりに迎えに来たんだ」  「あ、はい。長谷です」  山村留学生のかほるをこの一年受け入れてくれたのは、旅館を営んでいたという小林夫妻だ。夫妻の2人の子どもたちは巣立ち、それぞれ東京で家庭を持って暮らしている。そこで、2年ほど前に代々続いてきた旅館を畳むことにした。しかし突然の2人だけの暮らしはやはり寂しいと思い、山村留学生などの受け入れを始めたという。かほるは記念すべき第1号らしい。  「よろしく。小林さん、当日になってバタバタしてるみたいで。俺は小林さん家の向かいの宿屋〝鹿苑〟の息子。高校も一緒だからなんでも聞いて」  寿の快活さがかほるには眩しくて、若干煩わしい。  「よろしくお願いします」  今のかほるには全てが煩わしいのだが。  小林夫妻の元旅館は、温泉街の真ん中辺りにあり、その道すがら寿が簡単に案内して歩いた。かほるはぼうっと寿の話を聞いていた。  「……4月には、桜が咲く。だからって良いとこだよなんて言わないけど」  不意に寿の声が近くなったと思ったら、寿がその歩みを止めてかほるをまっすぐ見つめていた。小林夫妻の元旅館に辿り着いたようだった。  「疲れたろ。今日はゆっくり温泉にでも浸かって。これから毎日浸かりたい放題だと思うけど」  「そうですね」   寿は微笑んだ。快活だけではない、少し影のある微笑みだった。  「美里ちゃーん、道さん、連れて来たよー!」  寿は玄関を開けると、よく通る声で夫妻を呼んだ。声の出し方が運動部のそれで、横にいたかほるはちょっとびっくりした。それに気づいて寿はへらっと笑った。  「元バレー部なんだ」  「……元?」  かほるが首を傾げるのを見て、寿が口を開いた時、小林夫妻が姿を表した。  「ようこそ!かほるくん!今日からよろしくね。美里です。美里ちゃんって呼んでね」  「よく来たなあ。道康といいます。いやあ、上田駅まで迎えに行けなくてごめんな」  エネルギー溢れる夫妻にかほるは若干慄いた。かほるの両親よりも10ばかり上だと聞いているが、二人ははつらつとしていて若々しい。元旅館の女将と主人というよりは、民宿の奥さんと旦那さんといった感じだ。  「ありがとね、こーちゃん。また学校始まったらよろしくね」  「美里ちゃん。こーちゃんはやめて」  「あらま。いつもそう呼んでるじゃーん。なぁに。照れちゃって」  「がちでやめて」  寿の顔つきがやや幼くなり、身内同士の空気感にかほるは当てられる。「やっていけるだろうか、一年も」と不安になる。かと言って、この身内同士の中に入り、「かほちゃん」なんて呼ばれるのは真っ平ごめんだった。  「長谷くん、じゃあまた」  寿はひらひらと手を振って、向かいの現役の旅館「鹿苑」へと帰って行った。  「こーちゃん。じゃなかった。寿くん。向かいの鹿苑さんの末の子で、かほるくんと同世代なのは、ここらでは彼だけかな。かほるくんのことは彼にいろいろお願いしてるから、何かわからないことがあったら彼に聞いてね」  「もちろん、俺たちに聞いてもらっても良いんだけど、やっぱり学校のこととか、同世代の方が聞きやすいこともあるだろうし」  小林夫妻はにこやかにそう話した。寿が可愛がられ、信用されているのがわかったし、そういう純朴な青年像がかほるにも求められているように感じた。  「わかりました」  かほるはにこっと笑ってみせた。  この笑みの似合う青年を1年間演じるのかと思うとぞっとした。
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