序章

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序章

 「都落ちや……」  長谷かほるは降り立ったバス停で独りごちる。  京都から東海道新幹線に乗って東京まで出て、信越新幹線に乗って長野県は上田駅までたどり着くのに3時間40分。そこから40分バスに揺られていく内にかほるは薄々と気づき始めた。「ひょっとして、とんでもないところにたどり着くんやないか」と。  かほるの予想は的中した。  「いや、なんもな……」  かほるはこれから一年ほど世話になる、鹿教湯(かけゆ)温泉の最寄りのバス停で立ちすくんだ。風がぴゅうっとかほるの頬を嬲る。その地は、3月も末だというのに春の柔らかな空気はまだどこにも感じられず、桜はやわやわと蕾を柔らかくしているようだが、咲くのにはまだ時がかかりそうだ。それもそのはず、春のまだ午後4時過ぎだというのにこれから向かう温泉街は山の端の影に入り始めている。子どもの頃読んだ絵本「半日村」をかほるは思い出した。  かほるは、成り行きでここで一年過ごすことになった。気は進まなかったが、かと言って自身のことですらもはや興味もなく、やけっぱちだった。あの時、やけっぱちにならずに、拒んでいれば良かったとかほるは後悔する。  溜め息を吐いたその瞬間、首筋にちりっと刃物が当てられたような冷たい痛みを感じてかほるは振り返る。  そこには人好きのする顔立ちをした青年の視線があった。  かほると青年の目が合った。  その出会いは運命でもなんでもなく、日本人の性か、なんとなく互いに軽く会釈をした。その時の2人は何一つとして予感めいたものは感じていなかった。
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