前編

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前編

 朝は風が少し冷たく感じていたが、昼になって陽気がよくなってきた。  僕たちはいつもの散歩コースを歩いていた。  妻の歩みはとても遅い。たとえば信号が青に変わってすぐに歩きだしたとしても、横断歩道を渡り切る前に赤に変わってしまう。三十代後半の妻には右半身に麻痺があり、手も足もその機能のおおよそを失っていた。  妻は左手で杖をつきながら、右足を引きずって歩く。息遣いは、ふう……、ふう……、と苦しそうだ。  横断歩道の信号が赤に変わってしまっても、今まで車が迫ってきたことは一度もない。車道の車はいつでも妻が渡り切るまで待ってくれた。  僕たちが車に向かって頭をさげると、運転手の反応はさまざまだった。優しげな笑顔で会釈を返してくれたり、無表情でこちらをじっと見ていたり、苛立ちをあらわにする運転手もいた。  好意的ではない運転手はちらほらいるものの、車が迫ってきたということは一度もない。同様にクラクションを鳴らされたいうことも一度もない。車はもの言わずまま、僕たちが渡り切るまでそこに(とど)まってくれた。  人はなんだかんだいっても優しいのだと思う。  妻の遅い歩調に合わせて進んでいると、やがて前方の左手側に大きな公園が見えてきた。公園にはたくさんの桜が植えられており、地元民の花見スポットになっている。けれど、花見にはまだ少し時期が早く、どの桜も二分咲きといった程度である。足を止めて桜の樹を見あげる通行人は少ない。  ここまでくると散歩コースの約三分の一。正確にはリハビリコースの約三分の一。妻は一歩に満たない一歩で、そのコースをちびちびと進んでいく。  ふう……、ふう……。  妻の息遣いは相変わらず苦しそうだ。  こうなる前の妻は社交的で人づき合いがよく、どんどん外に出て未来に猛進していくタイプだった。一方の僕は内向的で人となるべくかかわらず、家にこもっていると安心するタイプだった。それは仕事にも現れていた。妻は広告代理店で営業の職に就いていた。僕は家でちまちまと文筆業に勤しんでいる。ようするに、僕と妻はまったく似ていない。  そんな僕たちの出会いは大学生のときだった。たまたま共通の友人がいて、たまたまその友人を介して、たまたま顔見知りになった。  最初の印象は互いにだった。好きや嫌いではなくだ。  妻は友人と賑やかにすごすのが好きだが、僕は賑やかな場にいると疲弊してしまう。妻は考えるより先に行動するタイプだが、僕はじっくり考えてからようやく動きはじめる。  妻は陽気な春を好み、蕎麦よりもうどんをよく食べ、洋楽ばかりを聞いている。僕は静かな秋を好み、うどんよりも蕎麦をよく食べ、邦楽ばかりを聞いている。  このように僕たちは違うところだらけなのだ。ただ、唯一パクチーだけは共通点していた。パクチーは癖のある味をしているが、僕も妻もパクチーが大好物だった。  パクチー以外が正反対である僕たちは、お互いに接点を見いだせなかった。僕たちはなにもかも違った。好き嫌いの前に趣味や思考がまったく合わず、お互いに別世界の人間だと認識していた。  ところが、いつしかふたりは親しい間柄になり、大学卒業後に結婚までしてしまった。人間とは実に不可解な生き物だと思う。わざわざ正反対の相手を生涯のパートナーに選ぶのだから。  パートナーになってからも、ふたりの根本はなんら変わらなかった。僕たちはなにかにつけて違っていた。とことんふたりだった。
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