これはどうもお邪魔しております味

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これはどうもお邪魔しております味

 風呂あがりにソファで寛ぎながら、いつものテレビ番組を肴に晩酌をしていると、ガサガサと微かな物音がした。物でも落ちたのかと音がした方を見てみたが、特に何か落ちているわけではないようだったので気のせいかとテレビへ視線を戻す。  —ガサガサ  また物音がした。もう一度音がした方を見てみたが、やっぱり何も落ちてはないし、そもそも物音がしたのは右側だが、そっちはぐっと手を伸ばせば壁に触れられるくらいのスペースしかない。家具が置いてあるわけでもないし、物音を立てるような物は何も見当たらなかった。  その日は、それ以降物音がすることはなく、単なる気のせいだと思っていた。  次の日。布団でごろごろしながらスマホを弄っていた。友人とのトークや動画、映画鑑賞などをしながら贅沢な時間を過ごし、日頃のストレスを発散させる。この至福の時間があってこそ、明日もまた嫌な仕事に立ち向かえるのだ。  無駄を省くことと無駄に気がつけないことは、人生に於いて最も勿体ない行為だ。人生を謳歌するには、無駄を無駄と自覚し、その無駄な時間を満喫する必要がある。だから私は、毎日この時間を全力で楽しんでいた。  —ゴソゴソ  映画のクライマックスだというのに、無粋な物音が没入感を台無しにしてくれた。苛立ちを覚えながら物音の原因を探る。枕元で音がしたような気がしたので、枕をどけたり布団をめくってみたりしてみたが、やはり何もなかった。  もしかして、この部屋には幽霊でもいるのではないか。今にして思えば立地や間取り、築年数などを考えてもかなり良心的な値段だった。怪しいという程ではなかったのでつい即決してしまったが、さすがにまずかったか。  —ガサ  次に物音がした瞬間、大声で”うるさい!”と怒鳴ってみた。怖がるよりも、威嚇することで幽霊が怖がって逃げていくと、何かの雑誌で見たからだ。本当に効果があるのかは甚だ疑問だが、びくびくしているよりはマシだろう。  その日、怒鳴ったのが効いたのか、物音がすることはなかった。  次の日。状況は改善するどころか悪化していた。  物音は数十分、短い時は数十秒くらいの間隔でするようになっていた。怒鳴ったせいで怒らせてしまったのか、苛立ちと焦りで頭が痛くて仕方がない。物音がして右を振り向いた時、次の物音も右からきこえてくる。まるで私の周りをぐるぐる回っているような、右耳に憑いてきているようだった。  うるさい。  ヘッドフォンで大音量の音楽を流していても、我慢できずに手で耳を塞いでも、嘲笑うかのように物音は突き抜けてくる。  うるさい。ガサ。うるさい。うるさい。うるさい。ゴソ。うるさい。うるさい。ガサガサ。うるさい。うるさい。ゴソゴソ。うるさい。カサ。うるさい。うるさい。うるさい。カサ。うるさい。カサカサ。うるさい。うるさい。うるさい。ガサ。うるさい。うるさい。うるさい。ゴソ。うるさい。うるさい。ガサ。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい!うるさい!!うるさい!!!  頭がおかしくなりそうだった。物音はどんどん大きく、どんどん近づいてくる。もう駄目だ。このままだと本当に狂ってしまう。  早く解放されたくて、急いで台所に向かう。手近な包丁を手に取って、震えながら自らの耳にあてがった。何度も深呼吸をして決心を促すと、大きく息を吸い込んでから歯を食いしばり刃に思いきり力を込めた。  —ポタ、ポタポタ  床に生温い血溜まりができた。右側頭部に走る激痛に顔を歪ませながら、滴る血の雫が血溜まりに吸い込まれていくのをじっと眺めている。これで解放されると思うと、後悔よりも達成感の方が強かった。  —ポタ、ポタ、ポト  耳から滴る雫に紛れ、血溜まりに何か黒い小さな物体が落ちる。  血の海で溺れるように八本の足をばたつかせている小さなそれは、私の人生に幽霊よりも強烈なトラウマを植え付けながら、徐々に動かなくなっていった。
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