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Ⅷ
「そうだよ、もうすぐ産まれるの」
薬物依存の更正プログラムを受け、次の治療薬の時間まであとわずか……というところでライアンは薬切れとなる。
しかしその「妊婦」の時間も少しずつ短くなってきた。まだ時間はかかるがこのまま地道に治療を続けていけば、依存と解脱症状が改善する見込みがある。
「名前は何ていうんだい?」
保護房のベッドの上で、ぐったりとしつつも穏やかに笑う彼に、ローレンスが優しく問いかけた。
ライアンはつい3カ月前に、保護施設からこの刑務所に移送されてきた。
"罪"を償うためである。ローレンスとは罪を犯した年齢が違うだけで、彼は刑務所にやって来ることになったのだ。
「まだ決めてない」
「その子は男の子?」
「まだどっちかわからない」
「そうか。いい名前をつけてあげないとな」
「ローレンスさんは、何がいい?」
「僕?」
カウンセラーには、極力この妄想を悪化させぬよう"胎児"の話には付き合わないでほしいと言われている。しかしローレンスはそれを破り、ライアンが信じるものに従うことにした。
「女の子の名前はどう?」
「女の子?」
「うん。男の子より、女の子の方がいいと思う」
「……そうだね。女の人なら、優しいもんね」
「クロエはどう?」
「クロエ?」
するとライアンの瞳がきらめき、天井をぼんやりと見つめたままニコリと笑った。
「かわいいね」
「悪くないだろ」
「悪くない。ローレンスさんのママの名前?」
「ううん。……僕のセンセイみたいな人さ」
「センセイの名前か……エラくなれるかな」
「なれるよ。……ライアン、クロエとがんばろうな」
「うん。がんばる」
「大人になったら、君の大切な人と出会って、結婚して、クロエを育ててあげるんだ」
「わかった。……ローレンスさん、悲しいの?」
なぜだか涙が溢れてきて、指先で拭う前に頬に伝った。
「ごめん。悲しくない。……悲しくない」
「来て」
ライアンがゆっくり起き上がり、ローレンスの頬をそっと撫でると、その目元を親指で拭った。そしてそのまま抱き寄せられ、禁止事項などということは頭にはなく、2人はしばらく抱きしめあった。
「もう一回、生まれ直すんだ」
ライアンが耳元でささやいた。
「そのために僕はクロエを作った」
ローレンスは目を閉じて、少年の細い身体にすがりつくように抱きしめた。そのときヨハンソンのことが、かつて自分が撃ち殺したあの男と重なった。
今のクロエの父親はヨハンソンだ。ライアンの薬が切れるころを見計らって、たびたび保護房の監視カメラを故意に切り、蛮行に及んでいる。
ローレンスは考えた。何を捨て何を得るか。何を犠牲にし、何を救うか。自分の人生はそんなことの問答ばかりであった。
そのすぐあとに起こった暴動は、ロバートの引導によるものであった。
看守への不満や、ドサクサ紛れに目の上のたんこぶのアルを消そうと思ったのかもしれない。いずれにせよくだらない理由からなるもので、全棟を巻き込んでの大騒動となった。
ベッド用のマットやタオル類などをかき集めて火をつけ、中庭でキャンプファイヤーをやり、その合間に屋内の看守たちに暴行を加えたり、あらゆる部屋を荒らして武器になりそうなものをかき集めていた。
執務室すら占拠され、監視カメラのレンズはスプレーで目隠しをされたり、あらぬ方向にねじ曲げられたりしていた。警察に通報はしたものの、彼らが到着するまでこの施設は完全なる無法地帯となり、そしてローレンスには絶好の機会が訪れたのだ。
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