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「つらいか?ライアン」 手の甲で頬を撫でる。 「つらい。薬がほしい」 弱々しく発せられる言葉は、舌足らずであどけない。 ライアンはA棟の最年少だが、年齢よりもずっと幼く感じるのはやはり薬物の影響だろうか。知能もそうだし、屈強な体つきの男ばかりの中では、痩せっぽちの彼がことさら小さな子どものように見えてしまう。 ライアンも断薬治療を受ける患者のひとりであり、断薬のために少しずつ与えられる薬の量を減らされたことで苦しんでいた。薬物への渇望の中で、幻覚や妄想が悪化したり、感情をコントロール出来ない者が増えているのだ。彼の場合は妄想が悪化している。 「次の薬まであと少しだな。もうチョイだからがんばれ。前よりずっと良くなってるんだから平気だ」 「そーかな。……とってもつらい」 「しばらく俺とカードでもやるか?本を読むんでもいい。そうすりゃすぐだ」 「うん……でも、頭がぼーっとしてて、何もできない……」 「それならぼーっとしてるか。一緒にぼーっとして、眠れるまで待とう」 「うん……うん……つらいよM……」 さっきまでヘラヘラと楽しそうにタバコを賭けていたライアンが、少し目を離したら幽霊のような中毒者に変貌していた。淀んだ目に涙を溜めて、薄青のきれいな瞳も焦点が定まっていない。だが依存者にはよくあることだ。人格すら定まらず、浮いたり沈んだりを繰り返す。過酷な治療中ならなおさらだ。 「ライアン、大丈夫だ。俺がいるからな。とにかく少しベッドで休もう。寝てないんだろう?寝ないからつらいんだ。寝れば良くなる」 「もう、も死んじゃうと思う」 くちびるをわなわなと震わせて、ライアンの頬に涙が幾筋も流れていく。こうなると泣き止ませるのが大変だ。それに、彼の泣くところを見ると心が痛む。Mはそのブロンドの髪を優しく撫で、泣き顔を胸に引き寄せた。 「そんなことでクロエは死なない。ライアンが死なないかぎりちゃんと生きてる」 「でも、でも、死にそうなんだもん」 「次の点呼で薬を飲めば、ライアンもクロエもすぐに元気になる。いつもそうだろ?俺は毎日見てるからよく知ってるんだ」 「ホントに大丈夫?ホントに……うぅ、うっ……」 「ホントだとも。俺はお前よりずっと長く生きてるし、世話係だから何でも知ってる。何でもわかるから世話係なんだ。今はとにかくベッドに横になることが大事だ。クロエはな、眠いんだ。だからライアンをつらくさせて、寝させたがってる。赤ん坊ってのはホントはものすごく賢いんだぞ」 「薬を減らされたせいじゃない?」 「ああ、違う。ライアンはもう治りかけてる。だから薬が少ないせいじゃない。それよりも、夜更かしするのが悪い」 目をしっかり見つめながらゆっくり語りかけるように聞かせる。もちろん夜更かしでなく薬のせいだが、そんなことを指摘しても悪化するだけだ。混乱しかけていたライアンの目に、ようやく少しずつ光が戻りはじめる。泣き笑いのような顔を浮かべながら呼吸を整えている。Mはホッとした。 瞳を潤ませて眉を寄せる少年の顔は、うっかりすると見とれてしまいそうなほどにきれいだ。だから余計にあわれに感じてしまう。 まともな家庭に生まれていれば、いまごろ人よりずっと恵まれたゼイタクな青春を謳歌していたに違いない。だが、こんなに端正な顔立ちをしていながら頭のネジがゆるんでいるというのも、それはそれでかわいいものであった。だから子どものように面倒を見てしまうのだ。 「君もベッドに来て」 「わかった」 「眠るまでいてくれなきゃダメだよ」 「ずっといるよ」 筋になった涙は乾いていないが、どうにかこれ以上発作を起こさずに済んだ。肩を抱いたまま室内のベッドに誘導し、そっと横たえさせる。ライアンの言うとおりに、Mもそのとなりに横たわり布団をかけた。死ぬほどタバコが吸いたかったが、とりあえず彼を寝かしつけなくてはならない。 薬を減らされなければ、彼はもう少し有意義な時間を過ごせるのだ。これでは寝てばかりになって、学習時間も大いに削られてしまう。いったい何のための治療だか分かりゃしない。しかし時間をかけてこの薬の量に慣れる以外にテはない。 こちらを向いて目を閉じるライアンの背中をさすってやる。今のライアンは幼児と変わらない。しかし自分でそうとはもちろん思っていない。なんなら、ライアンは自分のことを親だと思い込んでいる。それも「母親」だ。 彼が男と女の違いをどのように認識しているのかはわからない。わからないが、ともかく彼は自分を母親であると思い、このぺたんこの腹の中には「クロエ」と名付けた胎児が宿っていると信じ込んでいるのだ。 完全に正気に戻っているあいだはそのようなことを言い出したりしないが、少し経てば妊婦と化す。しかし薬を減らされてからはほとんど正気に戻ることはなく、妊娠3ヶ月だったり6ヶ月だったり、臨月を迎えたと思いきやまた3ヶ月に戻っていたりと、不安定な日々を過ごしている。 どうやら父親がを持った変態であったそうで、幼い頃からそのように洗脳されながら薬を打たれレイプされ続けてきたことが要因であるらしい。これは少しだけ正気に戻った際に本人から聞いたことだ。 そして、ライアンはその父親と仲間をメッタ刺しにしてここにやって来たのだ。 しかし呪縛が解かれることはなく、カウンセリングを重ねても改善を見せず、まだまだ時間はかかるらしい。だがMやアダムや他の仲間たちも、クロエを妊娠しているライアンを変人だとは思っていない。極力そのことには触れず、ヘタに刺激をしないよう発言にも気をつけているが、それ以外では至って普通に接しながら暮らしている。 そしてライアンが誰かとセックスをするたび、クロエの父親は変わるのだ。 ちなみに今の父親は、マッサージ店といつわり違法な売春宿を経営していた罪で、3ヶ月前にここにやって来たジュードである。彼は先日、看守を蹴とばしその顔にガムを吐き捨てたせいで独房に移されたので、いつ戻るかは不明だ。
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