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壁に埋め込まれた着火装置で火をつけると、Mはそのタバコをくわえたままフェンスのそばに立つ看守のもとへ向かった。 「副看守長を呼んでくれないか」 「理由は」 「言わなきゃわからないか?中庭は諍いが起こりやすいから、もう少しマシな知能を持った看守か番犬を配備しろと要請するためだ」 煙を看守の顔に吹きかける。しかし風向きのせいでそうなっただけだ。看守は数秒Mの顔を睨みつけ、無線で「ローレンス副看守長、中庭まで」と告げた。Mには極力逆らうなとフリーマンから通達されているため、他の囚人のように殴りつけてやることはできない。 それから1分もせぬうちに、ローレンスが1人で中庭にやって来た。 「Mが」 看守に促され、壁際に寄りかかりタバコをくわえているMの元へ向かう。 「やあ」 「こんにちはミスター・ローレンス」 「どうした」 「こんなところで手短に話すことじゃないんだが……やはり薬の減量はマズいと思うんです」 「ここで何か問題が?」 「はい。エイドリアンがバスケのことでぶち切れて、相手チームの人間につかみかかりました。シュートを妨害されたという、ゲームをする上で当然起こることに言いがかりをつけて。そのあとで無関係なライアンにも手を上げました」 「乱闘か?」 「はい。ついさっきです。すぐに収めましたが」 「エイドリアンは?」 「自分の部屋に帰りました」 「そうか。しかしそんな報告は受けなかったが……」 「誰も報告をしていないからですよ」 Mが煙を吐き出すと、ローレンスが訝しげな顔で中庭の看守たちを見回した。 「俺も全てをあなたに報告などしていません。俺はただの囚人で、監視と報告は看守の仕事ですからね。だがあなたの耳に入っていない囚人間のイザコザは日々増えてきています。看守長には、収められる範囲のことは自分たちでカタをつけろと言われてますが、さすがにこう毎日くだらない諍いが起こるのは困ります。俺は囚人でありながら世話係という面倒な役をやらされてる。ヘムズワースと同様に気の休まる日がありません」 ローレンスは腕組みをしてため息をつき、しばらく黙りこんだ。 副看守長と言え、彼はまだまだ若い。もちろん刑務所への入所歴もないから、犯罪者たちの思考や狡猾さを知識として知っていても完全に読み取ることは出来ず、日頃から手を焼いている。そして若い彼の下につくことを面白く思わない看守達からの反抗心や圧力も感じている。 ローレンスはそれに屈するような男ではないが、さすがの彼でもここ最近になって更に磨耗しているのをMは分かっている。だからあまり無理を言いたくないが、しかし唯一まともに話をできる相手はこのローレンスしか居ないのだ。 「済まないな。確かに君やヘムズワースにはかなり苦労を強いている。それを把握していながら、こんなケースは今まで前例がないから、正直僕もどうすべきかまだつかめていないんだ。だが君の今の話を聞くに、我々の怠慢が彼らの諍いを助長させている。もう一度理事会に掛け合って断薬治療の改善を求めるが、そのことについても看守長とよく話し合っておく」 「うかうかしてるとまた暴動が起きますよ。もっとも、暴動を起こしたい奴がいるのだとすればこの事態も納得できますが」 ローレンスがピクリと眉を動かした。 「副看守長、俺はただのセコい囚人ですが、犯罪者なりの特有の勘というのも一応は備えているつもりです。その上で言わせてもらいますが、あなた方を含む上層の人間の中に、よくない考えを起こしている者がいやしませんか?………仮釈放を控えている身でここまで進言することは、看守長に対してはできません。だが俺はあなたのことをそれなりに信頼しています。俺の仮釈放が取り消しになったのならあなたも俺にとってはとなりますがね」 淡々と降り注ぐ言葉を、ローレンスはバスケをする囚人たちを見つめながら聞いている。 「ただ……俺は刑期を形だけでもまっとうして、大手を振ってシャバで暮らすためにここに収監されているだけであることを忘れないでください。仮釈放が取り消しになっても、俺がここから出るツテはいくつかあります。外の世界からこの刑務所のことを調査して告発することも可能です」 「…………」 「だが俺はあなたを敵に回したいとは思っていない。あなたは……ここでいちばん実直で柔軟で、ライアンや問題を抱えた囚人たちをいつも気遣ってくれる優しい人だ。……フリーマンという人間は、確かにキレ者で敵に回すとかなり手強い。だからこそ何度面談しても人物がよくわからず、警戒して手を組むことを避けてきました。しかし俺はあなたとならタッグを組んでもいいと思っています。……犯罪の片棒を担げと言うんじゃないし、あなたを面倒なことに巻き込んだりもしない。しかし理事会に掛け合ったところで効果があるのか甚だ不明だ。だからあなたが何かを知っているのなら打ち明けてほしい。そうすれば俺は世話係として、面倒なイザコザも極力看守に頼らず収める。その上で、あなたに最大限の力添えをする」 囚人が看守の身体に触れることは本来は禁止されているが、Mはあえてその肩に手を添えた。厚手のジャケット越しでも、この青年が華奢であるのがよくわかる。 「ローレンス副看守長。この刑務所の中と、あなたが暮らす刑務所の外側と、その外側にある俺の世界と、どれがいちばんを持っているか、よく考えてみてほしい。悪いようにはしない。俺と手を組みませんか」 ずっと黙っていたローレンスが、Mのことを見上げる。そして右肩に置かれた大きな手をそっと払った。 「君の負担を減らす最大限の努力を、僕なりに考えて実行する。ひとつ言っておくが、僕は極力、不必要な権力の支配下にこの身を置きたくない。外界での君の勢力を知った上で言うが、僕はあくまでもこの施設内で定められた方針にならい、職務を全うするだけだ。僕が君の裏切り者になったとして、君がいずれ外に出たときに街角で僕を殺したとしても、それはそれで仕方ないと思う。いまの会話はすべて忘れる。看守長のことをどう捉えるかは、君次第だ。……なんにせよ、いつも危ない目に合わせて済まない。いまからエイドリアンのところにも寄っていくよ」 口元だけで笑い、その場を去っていった。そして中庭から出る前に、フェンスの出入り口に看守を集めて何事かを訴え、看守たちがバツの悪そうな顔をした。 Mは壁にもたれかかりながら頭を掻き、ローレンスと同じように口元だけで笑みを浮かべて、彼が見えなくなるまでその姿をじっと眺めた
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