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半月ぶりにビリーと対面して、Mの顔から険しさが一気に消えた。ここは彼の地元から列車で2時間を要するが、この数年、彼は忙しい中でも毎月必ず会いに来てくれた。 面会室には他にも様々な囚人たちがおり、室内はいつも賑やかである。皆が家族や友人と思い思いの話をして、つかの間の休息を楽しんでいた。 Mもこの日だけは「愛」を味わっている。誰にも見せたことのない気の抜けた顔で、抱きしめたい衝動を必死で抑えながらビリーと様々な話をする。会話を記録されるのが嫌で電話はかけないため、この面会は彼にとって何よりも尊い時間であった。ふたりは愛し合っている。Mはビリーのことをこの世でいちばん大切に思っていた。 「残りの3ヶ月が、ぶち込まれてから今までよりもずっと長く感じる。……早くお前を抱きたくて仕方ない。仮釈の通達が来てから、お前の夢ばかり見るようになった。俺は自分がこんなに弱い人間だと思わなかった」 「よく耐えたね。僕も早くあなたと暮らしたい。帰ってきたら、しばらく家から出さないからな。出かけるときもずっと一緒」 ビリーの言葉に、脳が沸騰してとろけそうになる。監視カメラに映らないテーブルの下で、片手をぎゅっと握り合った。電話をしないのは、通話記録を残すのを避けること以外にも、声を聞いたら恋しさでおかしくなりそうな気がするからだ。 しかし今日は、ビリーに打ち明けておきたいことがあった。それはこの所内の誰にも明かせない、ここ最近の一連の出来事についての個人的な推察である。Mは音量を最小限にしぼり、声をひそめて話した。話すべきことを頭の中でまとめてあったので、限られた時間内で手短に伝えられるようにしてある。 断薬治療法の変化、それによる囚人たちのフラストレーション、フリーマンがあの夜に語ったこと、フリーマンへの欺瞞、ローレンスの現状、暴動についての自分なりの見解。それをどうにか面会時間の半分以内に収めて伝えた。 ひととおり聞き終えて、ビリーが言った。 「……いずれにせよ、には近くに協力者がいるだろうな。あなたと密接に関わってるのは、その協力者からみんなの目を逸らさせるためかもしれない。それとと2人きりになるようなことは、念のためこれからは避けた方がいい。マキシムにとって不穏となる行動は極力控えるべきだ。」 ここでフリーマンやローレンスの名を口にするのは危険なので、代わりにふたりが好きな連続ドラマ「マキシマムズ」の刑事たちの名を用いることにした。フリーマンはマキシムで、ローレンスはマキシムの相棒のロードと呼んでいる。そして暴動はと言い換えた。 Mは、暴動を起こしたがっているのはフリーマン本人であると気が付いていた。 理事会の人間かとも思っていたが、やはり以前の「あぶり出し」という言葉が引っかかったのだ。不穏な動きを見せる人間を逐一報告するというもどかしいやり方など、フリーマンの性分を思えば不自然だ。本当は暴動によって一気に何かをあぶり出したいのだろう。 「俺の協力を得るつもりだとしたら、任務が遂行されるのは3ヶ月以内だ」 「仮釈放の直前にそんなこと……。巻き込まれる必要はない。うまく逃げてくれ」 「逃げられるなら逃げるが、残していく仲間たちのことを思うとな。せめて任務の目的くらいは知っておきたい。マキシムにとって任務を遂行するメリット……十中八九クスリ絡みだろうが、そのクスリの何が原因なのか……」 「ひとつ言えるのは、マキシムが何に対して任務を遂行するかというと、間違いなく理事会だろうね」 「理事会?」 「多分だけど、今のマキシムにとっての敵はそれしかない。たとえばマキシムと囚人、あるいはマキシムと部下とのあいだに何かイザコザがあったとしても、マキシムなら任務なんて面倒なことを起こさなくたってどうにでも出来る権限がある。"任務"というのは、自分の権力の及ばないものに対して行うものだ。自分よりも強いものに対する反発。マキシムにとってのそれは、今の立場を考えれば理事会しか無いと思う」 「理事会から何かをあぶり出したいというわけか」 「あなたの言う通りだとしたら、理事会から"クスリ絡み"のことをあぶり出したいんだろうね」 「……そうなると、もはや何となく読めてくるな」 断薬用薬物の減量、囚人たちの薬へのさらなる渇望、それにより激化する麻薬の密輸。 理事会の判断で減らされた薬物。そのせいで増える密輸。つまりこの刑務所のマーケットはすさまじい速さで巨大化している。 しかもこれほど密輸が横行しているのは異常だ。いくらダメな看守ばかりとは言え、面会者の検査は厳しく、薬物の持ち込みなど容易にはできない仕組みになっている。 それをくぐり抜けてアルやロバートは勢力を拡大させていったが、ただのチンピラで大した後ろ盾もない彼らが、いったいどういうルートを介しているというのか。 だが彼らの狡猾さは抜きん出ており、相応の度胸も備わっており、失敗もない。つまり売人としてはうってつけの逸材である。 うってつけなのか。それはもちろん麻薬を売る組織である。では、その組織とは何者か。奴らをどのようにして「あぶり出せる」ものなのか。 Mが言った。 「理事会のことはと呼ぼう。たった今から」 「わかった」 「恐らく本部がクスリを流してる」 ほぼ断言した。 「マキシムはそれに気付いてて、任務のどさくさに紛れて目をつけている人間をとらえ、証拠をつかみ次第……そのあとはどうするか分からんが、ともかく告発するつもりだ。それなら今までの流れも納得がいく。断薬用の薬物を減らすのは、マキシムにとっても好都合のはずだ。任務のいい引き金になるからな」 「それが当たってたとして、ロードはそのことに気付いてるのかな」 「気付いてるだろう。だがマキシムとのあいだでその話がなされているとは到底思えない。いつも互いの腹の内を探り合っているように見える。マキシムはロードに決して見破られぬような協力者と任務を果たすつもりだろう。ロードがどう出るのかは、予測がつかない。案外静観するような気もする。なんせ関わるにはリスクが高すぎる」 面会終了5分前を告げるチャイムが鳴った。 「今日のハナシを忘れないでくれ」 「うん」 「明日から電話をしよう」 「……うん」 「時間が決まってるんだ。電話機は3台。ひどい混雑で使えない奴もいたが、去年ようやく1台増やしてくれたんだ。夕方6時から1人5分までで、だいたいいつも15人から多くて25人くらいが、3列に別れて並ぶ」 「わかった。必ず出られるようにしておく」 「毎回マキシムとロードだけの話をするのも不自然だから、時には名前を変える。基本的には囚人の名を使う。Mで始まる名前がマキシムでありフリーマン、Lがロードでローレンスを指す。たとえばモーガンとかリアムも、フリーマンとローレンスのことだ」 「わかった」 「……ビリー」 子犬のような目をして、テーブルの下で絡めあう手に力がこもる。終了時間が近づくと、耐えきれないほどの寂しさに襲われる。Mは本当は甘ったれの男だ。ビリーはそんな彼を、早くこの胸に抱きしめてやりたくて仕方ない。 「愛してる」 「僕も」 「……仲間さえいなけりゃ、ここで何が起ころうがどうだってよかった。誰が死のうが廃人になろうが知ったこっちゃない」 「仲間想いでいることは、人として大切なことだよ。人を裏切るのはこの世でいちばん悪いことだ」 「そうだろう。だから素知らぬ顔はもうできない。奴らとつるむのはそれなりに楽しいしな。初めてシゴトと関係ないトモダチみたいなモンができた」 「……ちゃんと帰ってきてね。帰ってきたら、たくさん抱いて」 「そんなこと言われると死にたくなるぜ」 「僕も死にたい」 「愛してる」 「……そんな顔しないで」 面会終了のチャイムが鳴り、職員によって別室へ移される。ビリーはこちらを1度だけ振り返って、部屋を出て行った。ビリーの姿が見えなくなると、Mはすぐさま棟に戻った。一直線にマシューの部屋へ向かい、開かれたままの扉から部屋をのぞく。 「面会してきた?」 「おう」 「……泣きそうな顔だね」 「そうか?」 部屋に入り、ベッドに腰掛けていたマシューの腰に手をまわす。許可なく扉を閉めることは禁止されているので、開け放ったままマシューをベッドに押し倒してキスをした。 普段は自慰で済ませているが、Mは1ヶ月に1度、ビリーと面会をしたあとにセックスをする。相手はこのマシューのみと決めている。ビリーと会うと興奮や葛藤や恋しさがごちゃまぜになり、頭がパンクしそうになる。 そして檻の中から外の生肉を見つめる餓えたケモノのような気分に陥る。だからそれを抑えるためにこうしてマシューに慰めてもらうのだ。自慰では収まらない。ビリーを投影した肉体でなければダメだ。マシューが声を我慢できなくなるほど、その日はいつもより激しく抱いた。苦しそうな顔を見て悪いと思いながらも、抑えることができなかった。
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