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「なんか、頭痛いな」
「効くヤツがある。いるか?」
アルがニヤリと笑って、ポケットからごく普通の頭痛薬を取り出した。
「何でも揃えてんだな」
「これなら、今日の掃除当番を代わってくれるだけでいい」
「そりゃあ破格だ。けど医務室に行けばタダで手に入る」
「……新しいプログラムには慣れたか?」
「薬の減量のことか?」
「ああ」
「慣れない。慣れないが、減らされた直後よりはマシになってきた。その代わり寝てばっかりで、学習プログラムのほうが全く進まない」
「そのうち再開できるさ」
アルが煙の輪を作りながら言う。
「エイディーにクスリを渡したな」
正気を取り戻したライアンが、鋭い眼差しをアルの横顔に向けた。
「頼まれて渡したんだ」
「いきさつはどうでもいい。エイディーに2度とクスリを買わせるな。彼が苦しみながら取り組んできたプログラムが台無しだ」
「お前、コートでひっぱたかれたくせによく言うな。いじめっ子のエイドリアンを庇うのか。減量のせいで勝手にイラついて、そのせいで何人がヤツに殴られたと思ってる」
「僕が何度ひっぱたかれようが、誰が殴られようが、どうでもいい。このままだとクスリから一生抜け出せなくなる。クスリで捕まったのに、収監中に中毒が悪化するなんて、本末転倒もいいところだ。エイディーだけじゃなく更正プログラムを受けている全員に関わるな。クスリをねだられても相手にするな」
「ライアン、そうなると俺はボスの座を奪われるわけだが、そうなったとしてもいま俺の下でくすぶってる誰かが頭角をあらわして、同じような派閥が生まれるだけだ。あるいは、いよいよロバートによって全棟を支配されかねない。……俺が売人から手を引いたところで、エイドリアンは二度と更正できない。一度でもクスリの味を覚えちまったら、記憶喪失になってもクスリへの欲求だけは消えない。ライアン、お前もそうだ」
「欲求は消えなくとも抑えることはできる。手を出した罰として、一生かけて抑えるんだ。そのためのプログラムだ。キミはそれを妨害し、欲求を助長させて抜け出せなくしている。……もう密輸なんかやめて、ボスの座も降りろ。釈放されるまでおとなしくするんだ。ボスじゃなくなっても、看守長と話をつけて保護房に入ることもできるだろ。僕たちはキミを裏切ったりしない。Mもマシューもブラッドもユアンもベンも、B棟のアダムだって。キミが売人を続けるうちは敵だが、キミが手を引けばそれを受け入れる」
「まるで神のようなふところの広さだ。いい仲間を持ったなあ。いいかライアン、ここは刑務所だ。その上、囚人もまともに躾けられねえ看守しかいない最下層の監獄だぞ。……Mはもうすぐ仮釈だ。悪いことは言わない、お前こそ俺のところに来い。奴がいなくなればまた秩序や派閥が変わる。お前に密輸を手伝わせることはしない。俺の意向に反発さえしなければ、お前のことを守ってやる」
「……話にならないね」
吐き捨てるように言い、ライアンは呆れた顔でその場を去った。
ー「ライアン、いまローレンスさんが新しい種を持ってきてくれたよ」
花壇に戻ると、マシューが花の種を植えていた。
「……アルになんか言われた?」
ライアンの頬に涙のあとができているのを見て、マシューが土をかぶせながら聞いた。
「アルは馬鹿だ」
ジョウロで水をまきながら、鼻をすすった。マシューは何も問わず背中をさすってやり、2人は黙々と作業をした。終わるころには擬似麻薬の効果が完全に消え、ライアンは腹の中の空想の胎児を気にする、いつもの彼に戻っていた。
その晩、消灯後にアルがライアンの部屋にやって来た。
「あっちにいって」
ライアンの眠るベッドに入り込み、背後から腕をまわしてぴたりとくっつく。
「クロエは元気か?」
「元気だよ」
「よかった」
「ひとりで寝られないの?」
「お前に嫌われて、寂しいんだ」
「嫌ってなんかないよ」
「今夜はここで寝たい」
「……いいよ。アルは子供だね」
アルはライアンの空っぽの腹をさすり、自分よりひとまわり小さなその背中にぴたりとくっつくと、髪に鼻先を寄せて目を閉じた。
アルはここを出てからのことを考えていたら、なんとなく寝付けなくなった。同時にローレンスのことも考えている。彼は今ごろ、理事会に属しているこの刑務所の所長、イーストウッドの元にいるだろう。
……彼らもこんなふうに仲良く眠っているのだろうか。
イーストウッドに、出所後の"スカウト"を受けたのはいまから2年前のことだ。売人としての能力を買われ、早くから目をつけられていた。
それまでは独自のルートで麻薬を入手しさばいていたが、暴動をキッカケにそのルートに関わっていた他の仲間たちはよその刑務所に移送されたり独房に移されたりして、単身となったアルの供給源は理事会に変わったのだ。
それを知るのは、アルとロバートとローレンス、そして理事会の一部の人間だけである。他の囚人、看守、フリーマンに悟られてはならない。ヘマをやらかさないからアルが選ばれたが、やらかせば何かしらの手を使って、あるいは次の暴動の混乱の中で消されるだろう。
出所したら、イーストウッドが幹部をつとめる新興組織のもとへ行くつもりだ。
ろくな人生を送ってこなかった自分には、行き場がない。先にここから出て行ったかつての仲間たちも、その組織の中に収まった。ドラッグによって資金調達をしている組織ではあるが、このように刑務所やその他の施設の職員としての仕事も斡旋している。
ここを出たところで、前科者の自分には以前と同じろくな環境しか待ち受けていない。それならばイーストウッドのもとにいた方がよほど人間らしい生活を送れる。
だから今ここでどんなことをしていようが、ある意味では安泰だ。それなのに、そのことを考えるとどうにも寂しくなる。ライアンは自分のことを嫌っている。自分も自分が嫌いだ。誰も自分のことなど好きではない。自分も、誰のことも好きではない。
でもライアンは、信じようとしてくれている。それを裏切り続けるから、嫌われている。
世の中にはどうにもならないことがあるのを、ライアンは決して理解しない。だがそれでいい。ライアンには普通の人生が向いている。どんなに渇望しようとも、決してこの手ではつかめない普通の幸せだ。アルは、先に寝息を立てたライアンに寄り添ったまま、いつしか眠りに落ちた。このまま突然死でもして、クロエになれたなら幸せだ、と夢とうつつのはざまでぼんやりと考えていた。
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