2年後 上牧忍

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2年後 上牧忍

 ——いっしょに死体を蹴ってほしいんです。  突然現れたその女の子は、あどけない顔立ちに似合わず物騒な言葉を口にした。  ◇ ◇ ◇  湿った地面に日差しがじりじりと照りつける、蒸し暑い梅雨明けの昼下がりだった。  新宿駅東南口の階段を降りた先にある広場。大きな桜の木を取り囲む銀色のパイプに腰掛け、わたしはタバコを吸っていた。スカート越しに当たる金属の硬い感触と、呼吸器に入り込む温かい煙。下着の中のさらに内側、セックスの相手にも触れさせないわたしの内臓を、灰色の煙がそっと撫でる。  スマホのロックを解除し、これから会う男に自分の居場所を知らせようとしたその時、彼女は現れた。 「こんにちは」  目の前で立ち止まったスニーカーに、ぱっと顔を上げる。知らない女の子だった。ラベンダー色のワンピースと白いミニショルダーバッグ。顔立ちは高校生か、少し大人びた中学生くらい。化粧はしていないように見えた。お利口さんな学校に通っている子だろうか。 「えっと、何か用ですか?」  だいぶ年下に見えたけれども、一応敬語を使う。  するとその子は、澄んだ瞳の中にはっきりとわたしを描いてこう言った。 「シンガーソングライターの上牧(かんまき)(しのぶ)さんですよね」  彼女の声が、つんと心臓に突き刺さる。  この子は何者? どうしてわたしの名前を知っているの?    次々と疑問が浮かぶけれど、何よりも気になったのは、その子が口にしたわたしのだった。 「わたしがシンガーソングライターに見える?」  タバコの煙に乗せてへらっと自嘲する。シンガーソングライターだなんて、いつの話だ。 「見えますよ」  彼女はきっぱりと答えた。短くなったタバコの熱が、指先に侵食してくる。 「聴きましたよ、最新曲。すごくよかったです」 「最新曲って、二年前でしょ」 「『最も新しい曲』は最新曲です」  その曲を動画投稿サイトにアップロードした直後だった。公私ともに最良のパートナーだと思っていた人がおぞましい犯罪を犯し、逮捕された。報道を見た瞬間から、一度たりともギターを触っていない。今はもう、基本的なコードの押さえ方すら忘れていることだろう。自分で書いた歌詞だって、一節も思い出せない。  今のわたしは、毎日同じタバコを吸って毎晩違う男と寝る快楽享受装置。「生きている」のではなく、「死ぬのを待っている」だけの抜け殻だ。 「……ていうか、あなた誰? わたしに何の用?」  赤い紙箱から二本目のタバコを取り出し、火をつける。 「申し遅れました。奥平(おくひら)夏珠(なつみ)と言います」  彼女は礼儀正しく頭を下げた。真面目そうな子だ。今のわたしのような人間とは交わらない世界の住人って感じ。 「あなたを探していたんです。お願いしたいことがあって」 「お願い?」  そこで言われたのが、次の一言だった。 「いっしょに死体を蹴ってほしいんです」 「は?」  意味不明な言葉を口にしながらも、ふざけているようには全く見えなかった。それがかえって気味悪く、早くこの子を追い払いたいという感情が強まる。 「そういう特殊性癖? ハードSMがしたいなら知り合い紹介するけど」    未成年との会話にはふさわしくない単語をあえて入れ、威嚇するように煙を吐いた。  けれど、彼女は瞬き一つせず。 「そうではありません。死体を蹴る、より一般的な表現を使えば、『死屍に鞭打つ』、でしょうか。この世界で生きることをやめてしまったとある人物の思想に対抗したい。そのための同志を探しているんです」 「何言ってるのか、さっぱりわからないんだけど」 「相手は、あなたのよく知っている人物です」  次に彼女の口から出た名前を耳にして、わたしは息を呑んだ。 「芳野(よしの)悠市(ゆういち)」  わたしの最も苦い記憶の、中心にいる人物。吸い込んだニコチンが氷と化し、肺の中がすーっと冷めていった。  ——あなたはいったい、何者なの。  浮かんだ疑問が喉で絡まり、うまく言葉にならないうちに。  奥平夏珠の凛とした声が、わたしの耳に入り込んだ。 「彼の信念を、否定したいんです」
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